私たちの、大切な人

 『ランス・ファルス道にはびこる野盗どもを一掃してほしい』。ハリードに誘われてランスへと来たものの、特にやることもなく暇を持て余していたエレンにとって、それは願ってもない依頼だった。幼なじみのユリアンはロアーヌ王宮に召し抱えられることになり、ずっと守ってきた妹のサラとは、まさかの喧嘩別れ。ちょうど鬱憤も溜まっていたところだ。ならず者が相手ならば存分に暴れることができると、エレンは、全身に闘気をみなぎらせる。
(でも、さすがに一人じゃ無謀よね。あたしをここに連れて来たのはあのオヤジなんだし、まずは聖王廟に行って、ハリードを捜すところからね)
 もし協力を断られたとしても、やれるだけやってやる。じっとしてなんていられない。そんな思いで聖王廟へと続く道を歩き出したところで人々のざわめきが聞こえ、エレンは、前方を凝視した。どうやら、町の入口で何かあったようだ。これに首を突っ込まないエレンではない。
「どうしたの?」
「あ、ああ……町の入口に、ずぶ濡れの物凄い美人が座り込んでいてね。見たところ、ありゃあかなり名家のお嬢様なんじゃないかねえ」
 ずぶ濡れの物凄い美人。町人の言葉にエレンが咄嗟とっさに連想したのは、嵐の夜にシノンのパブへと駆け込んで来た、あの娘だった。自分たちはあの夜、あの娘と出会ったことで外の世界へと出ることになり、ユリアンもトーマスも、サラまでもが、シノンの村へ帰ることなく旅立って行ってしまったのだ。自分たちをバラバラに引き離したのはあの娘と言っても、過言ではない。もう二度と会えないかもしれない幼なじみたちと、ひどい言葉をぶつけてしまった大切な妹を想い、エレンの胸が、ずきりと痛む。
 それでも足は、自然と町の入口へと向いていた。集まっている人々の先頭へと進み出て、エレンは、おのれの目を疑う。
「……え?」
「あ……エレン、様……?」
 そこにいたのは、長い金髪に青い瞳、淡い色のマントにピンク色を基調とした衣服をまとった、美しい娘。つい先程まで顔を思い浮かべていた人物――ロアーヌ侯ミカエルの妹、モニカその人だった。

 すぐさまモニカを連れて宿屋へと入り、まずはシャワーを浴びて、備え付けのローブに着替えるよう勧めた。その間にモニカの濡れた衣服一式はヨハンネス・アンナ兄妹の家に持ち込んで洗濯を頼み、再び宿屋へと戻って間もなく、モニカがバスルームから出てくる。
「……エレン様」
「先程よりは、いくらかお顔の色が戻られましたね。喉も渇いているでしょう。お水をどうぞ」
「ありがとうございます。……では、失礼して」
 グラスを両手で包み持って水を品良く飲み干し、モニカは、からになったグラスをそっとテーブルに置いた。ふう、と彼女が小さく息を吐き出し、落ち着くのを待って、エレンは改めて、モニカと向かい合う。
「モニカ様……いったい、何があったんです? どうしてお一人で、こんな所へ?」
「……」
 暗い顔で俯いたモニカを、エレンはじっと見つめた。だが決して急かすことはせずに、無理強いはしないように、根気強く待つ。
 長い沈黙の後、モニカは静かに話し始めた。ロアーヌで別れた後、侍女のカタリナがミカエルから賜ったという剣を何者かに奪われ、長い髪をばっさりと切って旅立って行ったこと。おのれを護衛する者がいなくなったことで、ハリードが短い間ながら共に旅をしたユリアンを新たな護衛役に推挙し、自身も大いに賛同したこと。『プリンセスガード』となったユリアンは、おのれをよく護ってくれたこと。やがて兄からツヴァイク公子に嫁入りするように言われ、それに従ったこと。船でツヴァイクへと向かっている最中にモンスターに襲われ、ユリアンと二人で戦いなんとか脱出できたものの、彼と離ればなれになってしまったこと――。
「……あいつが、行方不明……」
 モニカの護衛をしているはずのユリアンの姿がないのはおかしいと、真っ先に思いはしたのだが。エレンは茫然と宙を見つめ、居たたまれなくなったモニカは、唇をきつく噛み締めてさらに俯いた。同い年の幼なじみであるというユリアンとエレンは普段も戦闘中も息ぴったりで、二人の間には確かな信頼関係と、それだけではない何かが築かれていたことは知っている。そんな親密な二人を引き離す原因を作ったのは、おのれであるということも。
 だからこそモニカは、エレンの顔をまともに見ることができなかった。彼女から大切な人を奪ったのは、この私。恨まれても仕方がない。ユリアンを捜そうにも手掛かりは全く無い上、この広い世界で再び巡り会えるとは、到底思えない。
「……ごめんなさい。私のせいで、あなたの大切な人が行方知れずになってしまった。あなたから彼を引き離しておいて、こんな……」
「ま、待って。モニカ様のせいなんかじゃ全然ないし、何か誤解しているようだけど、あいつとあたしは、ただの幼なじみですから。幼なじみとして心配はしているけど、あいつのことだからきっと生きてどこかに流れ着いて、今頃モニカ様を捜す旅をしているはずだわ」
 エレンがモニカの顔を覗き込み、その両手を取る。彼女の気遣いが、今は逆に苦しい。みるみるうちにモニカの碧眼が潤み始め、ほどなくして、涙が頬を伝った。溢れて溢れて、止まらない。そんなモニカをエレンは、幼子をあやすように優しく抱きしめる。
「……大丈夫、大丈夫よ。あたしも、モニカ様と一緒に行くわ。聖王廟にハリードがいるから、彼にも協力してもらいましょう」
「私っ……私は、彼と日々を共に過ごして、彼の人柄を少しずつ知っていくことができるのが嬉しかった。私とツヴァイク公の御子息の結婚が決まった時も、彼は私のことを気にかけてくれて、最後までお供いたしますと言ってくれて……船がモンスターに襲われた時も、身を挺して私を守ってくれました。そんな彼が、ユリアンのことが、私は大好きだった……」
「……モニカ様」
 この人は、ユリアンのことを。目を見開くエレンをよそに、モニカの心境の吐露は、なおも続く。
「……もっともっと、彼のことを知りたかった。できればずっと、彼と一緒にいたかった。私が、ロアーヌ侯家の生まれでなければ。私が、女でなければ。あの時私が、ユリアンの問いに首を横に振っていれば……彼と手を取り合って、自由を追い求めていれば……! 二度とロアーヌに帰ることができなかったとしても、私は、彼がそばにいてくれれば、それで……」
「……」
 おのれすがり付いて泣きじゃくるモニカの頭を、エレンは無言で撫でた。この胸の痛みは、何だろう。モニカの悲痛な叫びに、同情しているから? 「ユリアンがいなくなってしまったのはあなたのせいではない」と、本音と逆の言葉を口にしたから? ユリアンの生死が分からないから? ユリアンのことを、こんなにも想っている様を見せられたから? ――きっと、全部だ。エレンの頭の中もぐちゃぐちゃで、モニカと一緒に泣きたいくらいだった。
 しかし、身も心も弱っているモニカの前で、自身も崩れるわけにはいかない。エレンは震えるモニカの背中を撫で擦りながら、はきはきと話す。
「本当に、ユリアンが好きなのね。こんなに綺麗な人に想われて、あいつは幸せ者……いえ、あいつにはもったいないくらいだわ。……で、さっきの話だけど、ユリアンの問いって? 何をかれたの?」
「……私の意思を確かめるものでした。あなたはそれでよろしいのですか? と。そして私は、これも宿命だと答えました。答えて、しまったのです。あの時のユリアンの表情は、真剣そのものだった……おそらく彼は私が嫌だと答えていれば、この手を取って私を広い世界へと連れ出してくれたでしょう。彼がくれた最後の機会を、私は逃してしまった。何もかも……失ってしまった……」
 か細い声で呟くモニカから、エレンは体を離した。いまだはらはらと涙を流し続けているモニカの両肩を掴むと、エレンは、泣き止まない姫君を真正面から見据える。
「あいつが死んだところを見たわけじゃないんでしょ? なら、弱気になっちゃダメよ。……モニカ様は、本当はどうしたいの?」
「……それは……」
 口ごもり、目を泳がせたモニカだったが、エレンの力強い視線と言葉の中に、ユリアンとよく似たものを見出した。この人になら、私の本当の気持ちを話すことができる――モニカはエレンをじっと見つめ返すと、しっかりとした口調で答える。
「私は、ユリアンを捜したい。彼を見つけるまで、ロアーヌには戻りません。……いえ、無事彼と再会してからも私は、私の人生を生きます。お兄様には申し訳ないけれど、もう人の言いなりになるだけの生き方なんて、したくない……!」
「やっぱりそうよね。いくらお姫様だからって、男に利用されるだけの人生なんて送りたくはないわよね。一緒に旅をした時、モニカ様っておしとやかそうに見えて結構アグレッシブな人だなって思ってたし、今まで言いたいこともやりたいことも、たくさん我慢してきたんでしょ? だからこれからは生きたいように生きて、身も心も鍛えて、モニカ様を利用してきた連中を見返してやりましょ。ミカエル様とユリアンもひれ伏すくらいに」
 ニッと不敵に笑ったエレンに、モニカもようやく笑顔になった。花が綻ぶように笑うとはこのことを言うのだろうと、エレンは思う。
「まあ、ひれ伏すなんて……ふふふ。そんな女傑に、私もなれるかしら?」
「モニカ様は筋がいいから、きっとなれるわ。……ってあたし、いつの間にかタメ口で話しちゃってましたね。すみません」
「いいえ、構わないわ。私もあなたとは、もっと打ち解けてお話ししたいと思っているもの。様付けも要らないくらいだわ」
「それはさすがに……でもこれから本格的に旅に出るわけだし、様付けはまずい場面もあるかもしれないですね。じゃあ、ドレスを着ていないあなたのことは、モニカと呼ぶことにするわ。だからあたしのことも、遠慮なくエレン、って呼んで」
「ええ。では……ありがとう、エレン。これから、よろしくお願いします」
 軽く頭を下げたモニカにエレンも同様に頭を下げ、顔を見合わせて、再び笑い合う。
 それぞれが胸の内にモヤモヤや後ろめたさを抱えながらもそれを口にすることはなく、身分違いの二人の女はしばらくの間、おのれの知る緑髪の青年の話で盛り上がった。

 夜になると、ひどく体力を消耗していたモニカは夕食を終えて早々に眠ってしまったが、エレンはベッドに潜っても、いつまでも眠れずにいた。
 目を閉じても、ユリアンの顔が思い浮かぶ。暗闇の中で瞬きを繰り返しても、全く違うことを考えようとしても、振り払うことができない。やはり彼が行方不明となった件が、相当響いているようだ。
(……生きて、いるわよね。ロアーヌの酒場で別れた時、あれだけ意気込んでいたんだもの。たまたま、モニカ様とは違う場所に流れ着いただけよね。海の底に消えたりなんて、していないわよね……)
 モニカを励ましておいて、この弱気。最悪な結末を想像して、肌が粟立つ。
 子供の頃からずっと一緒だった、大切な幼なじみ。彼を永久に失うかもしれない、もし生きて再会できたとしても、もう手の届かない、遠い存在になるかもしれないという喪失の恐怖に、エレンは身をすくませたのだった。
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