Friends

「おはようございます、フルブライトさん。トーマスです。お迎えに参りました」
 フルブライト邸の玄関チャイムを鳴らし、訪問を知らせる。トーマスの声にフルブライト二十三世は、自らドアを開いて姿を見せた。彼も既に準備は整い、近くのソファーには、少々無骨で大きめのバッグが置かれている。
「おはよう、トーマス君。わざわざ出向いてくれてすまんな。今朝は、いつもより早起きしてしまったよ。昨夜は昨夜でそわそわして、なかなか眠れなかったというのに。はは、これではまるで子供だな」
「ええっ、それって寝不足なのでは……大丈夫ですか?」
 心配そうにいてくるトーマスへ、フルブライトは悪戯っぽい笑顔で頷く。
「心配はいらん。短時間睡眠には慣れているのでね。そういう君こそ、日頃きちんと眠れているのか?」
「……正直なところ、あまり。親友たちにも助けてもらってはいますが、私でなければできないことが多々ありますから。ですが私も短時間睡眠には慣れていますし、幸い体力はあるほうなので」
「ふむ……互いに長生きはできそうにないな」
「……そうですね」
 笑顔で少々不穏な会話を交わした後、フルブライトはバッグを持って玄関の外へと出た。トーマスもバッグを持ってはいるが、明らかに大きさが違う。不思議に思い、トーマスがフルブライトに尋ねる。
「それにしても、大きなバッグですね。重たいでしょう。いったい、何が入っているのですか?」
「なに、見た目ほど重量はない。中身は色々、とだけ言っておこうか。今回のこの旅を、存分に楽しみたくてね。なにせ仕事に関する旅ではなく、プライベートの旅なのだから」
 そう、プライベートの旅。この旅はフルブライトがトーマスに提案した、親交をより深めるためのものなのだ。

「さあ、あれが、我が家が所有するプライベート船だ。小型だが、その分速度が出るから、目的地にも早く着く。……ああ、運賃は請求しないから、安心して乗ってくれたまえ」
 フルブライトが指し示したのは、港の少し奥まった場所に停泊している一艘の小型船だった。派手好みの彼の家の船にしては見た目がやや地味だが、ウィルミントンは、老舗造船所を有する港町だ。きっと性能を重視して特別に造られたものなのだろうと、トーマスは改めて、フルブライト家の偉大さに感心する。最近落ち目になってきているとはいえ、やはりおのれとは、格が違うのだ。フルブライトの指示で、彼とトーマス、二人の船員を乗せたフルブライト家所有のプライベート船は、静かに海の上を滑り出す。
 道中ではなるべく仕事に関係のない話をしようとフルブライトが事前に取り決めていたものの、二人の関係上、最終的にはどうしても商売の話に行き着いてしまい、彼らは早々に途方に暮れることとなった。年齢が一つしか違わない青年同士ではあるが、自分たちはあくまでもビジネスパートナーなのだと痛感させられる。
「……これは困った。商売の話以外で話せることが、ほとんど無い」
「……何を話しても何度話題を変えても、結局は商売の話になってしまいますね。これはもう、諦めるしかないのでは?」
「いや、まだだ。君が〝親友〟と呼ぶ者たちの詳しい話をまだ聞いていない。シノンで共に育った幼なじみたち、だったな?」
「ええ、おっしゃるとおりですが……彼らのことを詳しくお話ししたところで、フルブライトさんには退屈なだけだと思いますよ」
 苦笑してやんわりと断るトーマスへ、だがフルブライトは引き下がるどころか、話の続きをうながす。
「退屈などと。純粋に、興味があるのだよ。我々が協力関係にある以上、君の護衛も兼ねているという彼らと私が接する機会も少なからずあるだろう。ならば、多少なりとも彼らのことを知っておいたほうがいいかと思ってね。必要以上に私に気を遣ってほしくもないからな」
「……」
 確かに、一理ある。そういうことならばと、トーマスは、ピドナに置いてきた幼なじみたちの顔を思い浮かべながら、簡潔に彼らのことを紹介する。
「そういうことでしたら……ではまず、緑髪に緑色のジャケットが特徴のユリアン・ノール。私より二つ年下の、正義感の強い男です。剣技に長けています。そして彼と同い年である、エレン・カーソン。物怖じしない性格で、見かけによらず、体術と斧を得意としています。さらに彼女の妹のサラ・カーソン。まだ十代でやや内気ではありますが、賢く手先も器用で、弓を使いこなします。皆、私の大切な友人たちです」
「なるほど。名前とだいたいの特徴は覚えたぞ。商人には人の顔と名、簡単な人となりを記憶する能力も必須だからな。……生まれのおかげで金に不自由はしなかった上、多方面に顔は利くが、君たちの気の置けない関係というのは、心底羨ましい。私も、そんな存在が欲しかったよ」
 そう言って船外に広がる海へ目を遣ったフルブライトの横顔を、トーマスは無言で見つめた。この人はきっと、損得抜きの、何でも言い合える友人が欲しいのだろう。さすがにそこまでの関係にはなれないだろうが、生まれた時から家に縛られ進むべき道を決められていたであろう彼には、普通の若者らしくこの旅を楽しんでほしいと思う。
(……なんて、年上のフルブライトさんに対して思うことじゃないな。だからオレはじじくさいと言われるのか)
 フルブライトから視線を外し、共に海を眺める。次に彼から話しかけられるまで、穏やかな沈黙の時間を楽しむことにした。

 それからも話はしたがやはり行き着く先は一緒で、二人はとうとう、あらがうことをやめた。開き直って商売の話で盛り上がっているうちに日はすっかり高く昇り、海の水の色が淡くなり始め、徐々に陸影も見えてくる。
「そろそろ到着か。ピドナを経由していないこともあるが、やはり通常の船よりも早い。天候にも恵まれて、良い船旅になったな」
「そうですね。何事もなくて良かったです」
「着いたら、まずはランチにしよう。ホテルのレストランに予約を入れてあるのでね。予定時間より少し早いが、私が顔を見せれば、すぐに席を用意してくれるだろう」
「何から何まで、ありがとうございます」
「私が君を誘ったのだ、これくらいは当然だよ」
 そう話している間にも船はどんどん陸地に近付き、やがて、今回の目的地――常夏の楽園・グレートアーチの町並みが見えてきた。船はある程度進んだところで止まり、こちらへと向かってきた専用の小舟に乗った後、フルブライトとトーマスは、桟橋に降り立つ。
 二人は真っ直ぐ『ホテルバランタイン』のレストランに向かい、フルブライトが言っていたとおり彼が顔を見せただけで、海がよく見える窓側の席へと通された。エメラルドグリーンの海と波の音、人々がはしゃぐ声を楽しみながらスパイスの効いた料理の数々をじっくりと味わった後、ビーチの出店で名物のココナッツジュースを買うと、直射日光を避けるためにパラソルの下へと移動する。
「ふう……やはり、この恰好は暑いですね」
 水で湿らせたタオルで汗を拭いながら呟くトーマスに、どういうわけか、フルブライトが目を輝かせた。彼はテーブルの上にバッグをどん、と置くと、どこかうきうきとした様子でファスナーを開け始める。
「そう言うと思ったよ。そこで! これをだな……」
 フルブライトがバッグから取り出したのは、パイナップルとヤシの木がたくさん描かれた黄色いシャツと、ハイビスカスが一面に描かれた、水色のシャツだった。さらに細いケースから取り出したのはサングラスで、束の間のリゾート気分を味わう気満々だ。呆気に取られているトーマスへ、フルブライトはさらに畳み掛ける。
「ここでは、我々のこの恰好のほうが明らかに浮いている。そして何より、暑い。ならばこれを着て、少しでも涼しく過ごしたいとは思わんかね? さすがに泳ごうとは思わんが、波打ち際で涼を取るのも、また一興。さらに、あの教授が開発したというこの『カメラ』で、思い出のワンシーンを残すことまでできる。今日は仕事で来ているわけではないのだから、とことん楽しもうではないか」
 水色のシャツを手渡されてトーマスは大いに困惑したが、フルブライトにこの旅を楽しんでほしいと思った手前、断るわけにもいかず、仕方なく乗ることにする。
「……分かりました。では、拝借いたします」

「おお、君のそういうラフな恰好は、初めて見るな。なかなか似合っているぞ」
「そうでしょうか……私のほうこそ、身軽な服装のフルブライトさんを拝見するのは初めてで、なんだか新鮮です」
 リゾートシャツ(俗に言うアロハシャツ)に着替えた二人が、互いに感想を言い合う。トーマスは眼鏡を掛けているので辞退したが、フルブライトはサングラスまで装着しており、かえって目立っている気がした。特徴的な羽根付き帽子を被っていなくとも、この人は醸し出す雰囲気自体が派手なのだろうと、トーマスは思う。やはり彼は、本物のセレブなのだ。
「さあ、では写真を撮るとしよう。ココナッツジュースと我々で一枚、海と我々で一枚。心配は要らん、今朝君が迎えに来る前に私と愛犬で一枚撮って、暴発などしないと実証済みだからな。――さて、頼むぞ」
 突然後ろを振り返って何者かに話しかけたフルブライトに、トーマスもつられてそちらを見る。視線の先にはいつの間にか護衛らしき男が控えていて、主人のめいに、素早く近付いてきた。その顔には見覚えがあり、すぐに彼の正体に気付く。
(ああ、二人いた船員のうちの一人か。フルブライトさんの護衛も兼ねていたんだな。しかしさっきと服装が違うこともあって、近くにいたことにまったく気が付かなかった。さすがだな)
 カメラを手にした船員兼護衛の男は、フルブライトとトーマスににこやかに笑いかけた。ココナッツジュースを飲みながらこちらを見てくださいと言われ、フルブライトは、ストローをくわえながらピースサインをする。一方のトーマスはピースサインこそしなかったものの、なるべく笑顔を作ることを心掛けた。男の掛け声の直後にシャッターが押され、ほどなくして、撮影された写真が出てくる。なるほど、これは画期的なアイテムだ。
「これはまた、凄いものを発明しましたね。教授という人物は滅茶苦茶で正直信用もしていませんでしたが、確かに天才ではあるのでしょう」
「こうして稀に〝当たり〟があるからこそ、放任……いや、珍重されているのだろうな。これからも、どれだけ革新的なものを生み出すことか。……うむ、いい写真が撮れたな。次は、海を背景に撮ろう。ここの海は、とても美しい」
 残りのココナッツジュースを飲んだ後、二人と護衛の男は波打ち際へと移動した。フルブライトが靴を脱ぎ出したことにトーマスはぎょっとしたが、それを強制はされなかったので、彼は靴を履いたまま次の撮影に臨む。
 パシャパシャと海水に足を浸して楽しむフルブライトをしばらく見守り、彼が満足したのを確認して、護衛の男は再びカメラを構えた。海を背景にして並ぶと、不意にフルブライトが、トーマスの肩に手を添える。
「!」
「よし、頼む」
 ほんの一瞬驚いたトーマスをよそに、護衛の男が再びカメラのシャッターを押した。出てきた写真に写っている二人は柔らかい笑顔を浮かべ、第三者目線で見ると、普通の仲の良い青年同士といった印象だ。
「ふむ、これまたいい写真が撮れたな。自室のテーブルの上に飾っておきたいくらいだ」
「ええ。フルブライトさんが本当に楽しそうで、私まで自然と笑顔に」
「……君も、少しは楽しんでくれただろうか」
 解放はされたものの急に真剣な顔で覗き込んでくるフルブライトへ、トーマスはややたじろぎながらも、冷静に答える。
「もちろん。今日はこのような機会を作ってくださり、感謝しております。心穏やかな日を過ごすことができたと思っていますよ」
 まったくもって平凡な返答に、フルブライトはコホン、と小さく咳払いをし、ふう、と息を吐くと、トーマスをじっと見つめた。どこか熱っぽい視線に、トーマスも思わずフルブライトを見つめ返す。
「……どう、しました?」
「単刀直入に言おう。……私は君と、親友になりたい」
「……!」
 今度こそ本当に驚いて目を見開いたトーマスへ、フルブライトは、さらに続ける。
「君とご友人たちのような関係になるのは到底難しいだろうが……今後もこうして、時々は私的な交流がしたいのだ。いつまでも他人行儀ではなく、もう少し打ち解けられればと。それこそ、軽口を叩き合えるような関係に」
「……」
「突然このようなことを頼んですまんな。だが今日のこの旅で、君とはそうなれるかもしれないと思ったのだよ。……普段はどうしても商売の話ばかりになってしまうだろうが、折を見て、またこんなふうに付き合ってくれると嬉しい」
 邪魔をしてはいけないと気を利かせたのか、護衛の男の姿は既に無い。いまだ視線を逸らさないフルブライトへ、トーマスは、会釈をするように小さく頷く。
「こちらこそ。私でよければ、またご一緒させてください。そして、身に余る光栄です。とはいえ私は面白みのある人間ではないので、フルブライトさんが理想とする存在になれるかは分かりませんが」
「そう謙遜するな。聞くところによると、君はかなりの読書家だというではないか。私もたまには、商売に関すること以外の本を読んでみたい。何かお勧めの本があったら、ぜひ教えてほしい。だがなるべく、初心者でも読みやすいものを頼むよ」
「分かりました。覚えておきます」
 そうしてようやくフルブライトはトーマスから視線を外し、空を見上げた。太陽の位置からして、今はおやつ時くらいだろうか。そろそろ、ホテルのチェックインも始まっている頃だ。
「……ホテルへ向かうか。寝不足のまま遊び歩いていたせいか、先程から眩暈めまいがする。悪いが夕飯まで、部屋でしばらく休みたい」
「大丈夫ですか? ……ああ、私のことはお気になさらず。ちゃんと本を持って来ていますから、一人でも退屈はしません」
「さすが、抜かりないな。本当に、読書家なのだな」
 酔っ払いのようにフラフラと歩くフルブライトをトーマスがサポートしながらも、二人は無事ホテルに到着し、手早くチェックインを済ませると、それぞれの部屋へと入って行った。フルブライトは横たわってすぐに意識を手放したが、トーマスも自分が思っていた以上に疲れていたのか襲い来る睡魔に勝てず仮眠を取ることにし、しかし目覚めた時にはとっくに夕飯時を過ぎていて、慌ててフルブライトを起こしに行くことになった。見事に揃って寝坊したな、しっかり者の君でも寝過ごすことがあるのだなと笑われ、トーマスはただ申し訳なさそうに、そして少し恥ずかしそうに肩を縮めるばかりだった。
 やや遅めの夕飯をレストランで取り、ゆったりとした時間を楽しんだ後、二人は解散した。今度は仮眠ではなくしっかりと熟睡して気持ちの良い朝を迎え、フロントで顔を合わせた二人の間には、今までよりも幾分親密な空気が漂っていた。それが特にフルブライトには嬉しくてたまらず、この旅を計画して良かったと、彼は心から思ったのだった。

「……トムがあの人と友達に、ねえ……」
 フルブライトと泊まりがけの旅をしてきたトーマスの話を聞いて、エレンが複雑な顔をする。ユリアンとサラも、同様の表情だ。
「でもフルブライトさんって、かなり偉い人なんだろ? そんな人に遊びに誘われたあげく友達になりたいって言われたなんて、やっぱりトムって凄いよな」
「うん、さすがトムよね。それだけ信頼されてるってことで」
 フルブライトとの旅は終始穏やかなものだったので、最初はごく簡潔に話を済ませるつもりだったのだが、帰って来るなり幼なじみたちに根掘り葉掘り尋ねられ、親友になりたいと言われたことまで話してしまったのだ。
 だがフルブライトにそういった意思があるということは、幼なじみたちも無関係ではないわけで。ひと呼吸置いた後、トーマスは、三人の顔を見回す。
「あの人は、みんなのことも知りたがっている。きっと近々、改めて挨拶に来られるだろう。その時は、失礼のないようにな。過度に緊張する必要もないだろうが」
「ええ……無理だよ。どうしたって、緊張しちゃうよ……」
 情けない声を出すサラの肩をぽんと叩き、エレンが胸を張る。
「トムの話を聞いた限り、意外とお茶目で子供っぽい一面を持ってる人みたいじゃない。案外、あたしたちも仲良くなれるかもよ?」
「で、もしかしたらオレたちも、トムの友人兼護衛としていい思いができるかもしれない、と」
「ユリアン、あんたねえ……」
 いつもの調子の幼なじみたちに、安堵している自分がいる。
 そしてこれから友人と呼べる存在になるかもしれない、今はウィルミントンに帰っている一つ年上の青年に、トーマスは思いを馳せたのだった。
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