少年たちは出会い、集う
「僕はトーマス・ベントというんだ。よろしく、ユリアン」
笑顔と共に差し出された手を、ユリアンが握り返すことはなかった。それどころか返事もせずに走り去って行ってしまった少年の後ろ姿を、トーマスはもちろん、ユリアンの両親や村の大人たちが茫然と見送る。
「まあ! なんて失礼な子なの!」
「死食で家族を失った悲しみは分かるけどね。トーマス様は、このシノン一の豪農ベント家の御曹司なんだよ。それを……」
「す、すみません! あとでよく言って聞かせますから!」
「大変なのは、みんな同じなんだ。本来なら、うちらだってよそ者を受け入れる余裕なんてないんだよ。
……ここに来たからには、この村のルールに従ってもらう。それができなければ、他をあたるんだな」
ひたすらに頭を下げ続けるノール夫妻と冷ややかな村人たちをよそに、トーマスは、ユリアンが去って行った方角を複雑な気持ちで見つめる。
ユリアン・ノール――鮮やかな黄緑色の髪に赤い瞳の、二つ年下の少年。第一印象は、決して良いものとはいえなかった。
翌日。
その少年が、朝から騒ぎを起こした。村人たちに請われるまま祖父と共に現場へと向かい、トーマスは、驚きに目を見開く。
人々の輪の中心でユリアンが頬を押さえて尻餅をつき、向かい側には、拳を握り締めて彼と対峙たいじする一人の少女の姿があった。ユリアンと同年齢のカーソン農場の長女、エレンだ。
「何事だ」
「ベント様! こちらです!」
村人に誘導される形で初老の男が渦中の子供たちの間に割って入り、興奮冷めやらぬ形相で少年を睨みつけている少女へ、状況説明を求めた。自他共に厳しい男を子供や若者たちは揃って恐れていたが、エレンは怯 むことなく、口を開く。
「……そいつ、サラにひどいことを言ったの。『死食で生まれたばかりの生き物はみんな死んだのに、どうしてそいつは生きてるんだ、化け物だ、そのうち魔王になって世界を滅ぼすんだ』って。だから、あたしは悪くないわ」
怒りと同時に、悔しさや悲しさも込み上げたのだろう。語尾は涙声だった。幼いながらも泣くまいと気丈に手足を踏ん張るエレンを静かに見つめ、男はユリアンと、彼の傍 にしゃがみ込んで怪我を気遣う孫のトーマスへと視線を移す。
「事情を知る前にサラと接触してしまったか。近日中には話すつもりでいたのだが。
――トーマス、ノール夫妻をカーソン家へ。エレンは自宅へ戻り、御夫人にこのことを。他の者たちは、各々 の持ち場へ戻るように」
トーマスの祖父の指示で人々が去って行く中、一人残されたユリアンは男に無言で見下ろされ、反射的に身を竦 ませた。叱られる、叩かれる――きつく目を閉じて身構える少年へ、男は腰を屈めて両手を翳 す。
「骨に異常はないようだな。……『生命の水』」
「!」
ひんやりとした感覚と共に、腫れて熱を持っていた頬と切れた口内の痛みが消えた。初めて目にした回復の術に驚く少年に、男はわずかに表情を和らげる。
「ユリアン、お前も来なさい。この村の住人となったからには、子供と言えどもサラのことは知っておかねばならん。……知った上で、エレンにきちんと謝りなさい。あの子も、お前に怪我を負わせたことを悔いているはずだ」
骨張った大きな手が、小さな頭をぽんと撫でる。少年のつぶらな赤い瞳がみるみるうちに潤み、大粒の涙が零れ落ちた。ついにはしゃくり上げて泣き出した少年の手を引いて、男はゆっくりと歩き出す。
「ごめん、なさい」
「それは、私に言うことではなかろう」
「ケガ……治してくれて、ありがとう」
「うむ。これからは、人には素直に接するようにな」
「一言も口を聞いてもらえませんでした」と肩を落としていた孫の顔も明るくなるようにと、男はひそかに願った。
この日ノール一家は、辺境の開拓村が抱えることになった重い秘密を聞かされた。
エレンの妹、サラ・カーソン。彼女は死食を生き延のびた「宿命の子」であり、いずれは避けられぬ戦いの渦に巻き込まれて行くだろうということ。だが今は生まれたばかりの、何も知らぬただの赤子。彼女が自 らの意思で村を出て行くその時まで、ごく普通の少女としての日々を過ごさせたい――それが彼女の両親を始め、村の大人たちの総意だった。
「その……エレン、さっきはごめん。オレ、すごくひどいこと言った」
「あたしも、殴ったりしてごめん。ケガは大丈夫?」
「うん。この人に治してもらったから、もう痛くないぞ」
この人、とトーマスの祖父を無遠慮に指差したユリアンを、彼の両親が慌てて窘 めた。先程までの険悪な雰囲気は、もう無い。そのことを素直に喜ぶトーマスへ、不意にユリアンの視線が向けられる。
「トーマスも。昨日は無視してごめんな。せっかくあいさつしてくれたのに」
「えっ? ううん、いいよ。もう終わったことだし。だから、今日から友達になれたら嬉しいな。――改めてよろしく、ユリアン」
差し出されたトーマスの手をユリアンが握り返した、その時だった。二人の少年の間に流れた親密な空気につられるように、赤ん坊の無邪気な笑い声が響く。
「あ、サラが……」
「まあ! この子がこんなに無邪気に笑ったのは初めてだわ。……みなさん、サラをよろしくお願いしますね。この子が宿命の子であることはシノンの中でだけの秘密、どうか普通の女の子としてたくさん遊んで学ばせて、うんと愛情を注 いであげて」
うっすらと涙を浮かべて懇願するカーソン夫人を見上げながら、エレンとトーマスは、サラが生まれた日のことを思い出していた。
突如闇に覆われた世界であらゆるものの新しい命が次々に失われて行く中、たった一人生き残ったサラに対する人々の反応はさまざまで、その様子は、村中を奔走していた祖父と共にいたトーマスも見ていた。忌み嫌う者、恐怖を露 にする者、果ては非難する者。苦悩する一家の大人たちのことは祖父に任せ、トーマスは、眠るサラの傍 から離れようとしないエレンへ、自 らの決意を語った。
『エレン、僕も一緒にサラを守るよ。君の家にはいつもお世話になっているし、おじいさまから習った色々なことも教えてあげられると思うんだ。だから、一人で全部を背負わないで』
二つ年上の少年の心強い言葉に、少女はぽろぽろと涙を溢れさせながら頷いた。
トーマスの申し出は、素直に嬉しい。けれど自分はサラの家族で、実の姉。大人に守られるだけの弱い子供ではいられない、めそめそ泣くのは、今日で終わり。あたしは、誰よりも強くなる――。
突如扉が開け放たれ、誰かが急速に遠ざかって行く足音で意識が引き戻された。案の定、ユリアンの姿が見当たらない。
「ユリアン! ……ごめんなさい。あの子ったら、また……」
「いいえ、つらいのはあなた方も同じでしょう。亡くなられた妹さんとサラを重ねて見てしまうのは仕方のないこと。こちらこそ、こんなことを言ってしまってごめんなさいね」
度重なる息子の非礼にノール夫妻はすっかり狼狽 えていたが、彼らを責める者は無かった。今は逆に、心の傷が癒えていない少年に寄り添う存在が必要だ。
いち早く行動を起こしたのは、トーマスだった。
「僕が行きます。あとはお願いします」
「あっ!? ベ、ベント様……!」
「良い。ここは我が孫に任せよう。年の近い男子同士、距離を縮めるきっかけとなるやもしれん」
二人の少年が出て行った部屋の出入口を見つめたまま、男は微 かに口元を綻ばせた。
駆けて行くユリアンを小走りで追いかけ、人気 のない森の手前で追いついた。近くの木に手をついて息を切らしている少年へ、トーマスは慎重に呼びかける。
「ユリアン」
「……なんで追いかけてきたんだよ」
「急に出て行ったんだから当然だよ。心配だし」
「ウソだ。どうせあのおじさんに言われたんだろ? お金持ちでユウトウセイのおぼっちゃんだもんな」
刺々しい言葉の数々に、トーマスの顔が悲しげに曇った。やっと打ち解けられたと思ったのに。友達になろうと、握手を交わしたばかりだったのに。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。唇をきゅっと引き結び、トーマスは努めて冷静に返す。
「違うよ。僕が来たくて来たんだ。僕は君と仲良くなりたいし、できる限り力にもなりたい。こんな時だからこそ協力し合って、少しでも毎日を楽しく――」
「オセッキョウなんて聞きたくない! その偉そうな態度と恰好もイヤだ。ミブンだって違うし、最初からトモダチになんてなれっこなかったんだ」
「身分……は、どうしようもないけど。じゃあ、毎日一緒に泥んこになるまで遊んだら、友達になってくれる?」
予想外の返答に、ユリアンは目を丸くした。いかにも高価そうな服を、毎日泥まみれに。しかしそれはかえってこちらが罪悪感を覚えるだろうし、トーマス自身も、あの怖そうな男に叱られ続けるだろう。だがトーマスの表情は真剣で、突っかかったことに対して怒っている様子は微塵 も感じられない。深い群青色の瞳にじっと見つめられ、昂っていた感情が鎮まって行く。
「……ヘンなヤツ」
「そ、そうかな? ませてる、とは言われるけど。
……戻ろう。みんなも、僕たちが帰ってくるのを待ってるよ」
とどめに、小首を傾げて優しい微笑。本当に「育ちがいい」のだろう。今まで見てきた、どの男の子とも違う。シノンに住む以上は家族ともども何かと関わって行くことになるに違いないし、仲良くしておいて損はない――いや、仲良くなりたい。穏やかだけれどしっかり者のトーマスが傍 にいてくれたら、苦しい生活も妹を失った悲しみも、きっと乗り越えられる。だから。
「――」
「……うん? 何か言った?」
「んーん、何も」
『ありがとう』。二つ年上の少年の少し後ろを歩きながら、ユリアンは小声で呟いた感謝の言葉をそっと飲み込んだ。
家の前に並んでいるカーソン家、ベント家、ノール家の人々を見て、既にトラブルメーカーのレッテルを貼られつつあるユリアンは、覚悟を決めた。一瞬の躊躇 の後にトーマスの横から進み出て、上半身を折り曲げ深く頭を下げる。
「急にいなくなって、ごめんなさい!」
「ユリアン! 無事で良かった……トーマス様、うちの子がすみません。本当にありがとうございます」
「いえ、お礼なんて。もったいないです」
浅い会釈で返す孫とそれを見つめるノール家の一人息子を、初老の男は無言で見守った。目配せをして頷き合っているということは、真に打ち解けたのだろう。孫に初めての同性の親友ができたことに男は安堵し、静かに喜びを覚えた。伝統あるベント家の名を冠するにふさわしい男にと思う一方で、七歳の子供らしく健やかに、のびのびと育ってほしいという思いもあるのだ。
サラを腕に抱いたカーソン夫人を、ユリアンは見上げた。夫人は少年にサラの顔を見せるようにしゃがみ、優しく微笑ほほえむ。傍 にいたエレンが、歩み寄ってきたトーマスが、夫人とサラを囲んだ。すやすやと穏やかな寝息を立てて眠る少女から視線を外さずに、ユリアンは言う。
「……ときどき、遊びに行ってもいい?」
「ええ、もちろんよ。お兄ちゃんになってくれたら嬉しいわ」
「うん。オレ、この子のおにいちゃんになる。すぐに死んじゃった妹の分まで、たくさん遊んであげるんだ」
「ユリアン君……」
「……エレンはカイリキだけど、女の子だからな。やっぱり男もいたほうがいい――」
「誰がカイリキよ!」
すかさず拳を振り上げたエレンを、トーマスが慌てて押し止める。そんな姉の大声に驚いたサラが目を覚まして泣き出し、束の間、その場は騒然となったのだった。
ユリアンが健康的で美しいエレンに恋心を抱き、以降報われないアタックを続けるようになるのは、もう少し後の話。
笑顔と共に差し出された手を、ユリアンが握り返すことはなかった。それどころか返事もせずに走り去って行ってしまった少年の後ろ姿を、トーマスはもちろん、ユリアンの両親や村の大人たちが茫然と見送る。
「まあ! なんて失礼な子なの!」
「死食で家族を失った悲しみは分かるけどね。トーマス様は、このシノン一の豪農ベント家の御曹司なんだよ。それを……」
「す、すみません! あとでよく言って聞かせますから!」
「大変なのは、みんな同じなんだ。本来なら、うちらだってよそ者を受け入れる余裕なんてないんだよ。
……ここに来たからには、この村のルールに従ってもらう。それができなければ、他をあたるんだな」
ひたすらに頭を下げ続けるノール夫妻と冷ややかな村人たちをよそに、トーマスは、ユリアンが去って行った方角を複雑な気持ちで見つめる。
ユリアン・ノール――鮮やかな黄緑色の髪に赤い瞳の、二つ年下の少年。第一印象は、決して良いものとはいえなかった。
翌日。
その少年が、朝から騒ぎを起こした。村人たちに請われるまま祖父と共に現場へと向かい、トーマスは、驚きに目を見開く。
人々の輪の中心でユリアンが頬を押さえて尻餅をつき、向かい側には、拳を握り締めて彼と対峙たいじする一人の少女の姿があった。ユリアンと同年齢のカーソン農場の長女、エレンだ。
「何事だ」
「ベント様! こちらです!」
村人に誘導される形で初老の男が渦中の子供たちの間に割って入り、興奮冷めやらぬ形相で少年を睨みつけている少女へ、状況説明を求めた。自他共に厳しい男を子供や若者たちは揃って恐れていたが、エレンは
「……そいつ、サラにひどいことを言ったの。『死食で生まれたばかりの生き物はみんな死んだのに、どうしてそいつは生きてるんだ、化け物だ、そのうち魔王になって世界を滅ぼすんだ』って。だから、あたしは悪くないわ」
怒りと同時に、悔しさや悲しさも込み上げたのだろう。語尾は涙声だった。幼いながらも泣くまいと気丈に手足を踏ん張るエレンを静かに見つめ、男はユリアンと、彼の
「事情を知る前にサラと接触してしまったか。近日中には話すつもりでいたのだが。
――トーマス、ノール夫妻をカーソン家へ。エレンは自宅へ戻り、御夫人にこのことを。他の者たちは、
トーマスの祖父の指示で人々が去って行く中、一人残されたユリアンは男に無言で見下ろされ、反射的に身を
「骨に異常はないようだな。……『生命の水』」
「!」
ひんやりとした感覚と共に、腫れて熱を持っていた頬と切れた口内の痛みが消えた。初めて目にした回復の術に驚く少年に、男はわずかに表情を和らげる。
「ユリアン、お前も来なさい。この村の住人となったからには、子供と言えどもサラのことは知っておかねばならん。……知った上で、エレンにきちんと謝りなさい。あの子も、お前に怪我を負わせたことを悔いているはずだ」
骨張った大きな手が、小さな頭をぽんと撫でる。少年のつぶらな赤い瞳がみるみるうちに潤み、大粒の涙が零れ落ちた。ついにはしゃくり上げて泣き出した少年の手を引いて、男はゆっくりと歩き出す。
「ごめん、なさい」
「それは、私に言うことではなかろう」
「ケガ……治してくれて、ありがとう」
「うむ。これからは、人には素直に接するようにな」
「一言も口を聞いてもらえませんでした」と肩を落としていた孫の顔も明るくなるようにと、男はひそかに願った。
この日ノール一家は、辺境の開拓村が抱えることになった重い秘密を聞かされた。
エレンの妹、サラ・カーソン。彼女は死食を生き延のびた「宿命の子」であり、いずれは避けられぬ戦いの渦に巻き込まれて行くだろうということ。だが今は生まれたばかりの、何も知らぬただの赤子。彼女が
「その……エレン、さっきはごめん。オレ、すごくひどいこと言った」
「あたしも、殴ったりしてごめん。ケガは大丈夫?」
「うん。この人に治してもらったから、もう痛くないぞ」
この人、とトーマスの祖父を無遠慮に指差したユリアンを、彼の両親が慌てて
「トーマスも。昨日は無視してごめんな。せっかくあいさつしてくれたのに」
「えっ? ううん、いいよ。もう終わったことだし。だから、今日から友達になれたら嬉しいな。――改めてよろしく、ユリアン」
差し出されたトーマスの手をユリアンが握り返した、その時だった。二人の少年の間に流れた親密な空気につられるように、赤ん坊の無邪気な笑い声が響く。
「あ、サラが……」
「まあ! この子がこんなに無邪気に笑ったのは初めてだわ。……みなさん、サラをよろしくお願いしますね。この子が宿命の子であることはシノンの中でだけの秘密、どうか普通の女の子としてたくさん遊んで学ばせて、うんと愛情を
うっすらと涙を浮かべて懇願するカーソン夫人を見上げながら、エレンとトーマスは、サラが生まれた日のことを思い出していた。
突如闇に覆われた世界であらゆるものの新しい命が次々に失われて行く中、たった一人生き残ったサラに対する人々の反応はさまざまで、その様子は、村中を奔走していた祖父と共にいたトーマスも見ていた。忌み嫌う者、恐怖を
『エレン、僕も一緒にサラを守るよ。君の家にはいつもお世話になっているし、おじいさまから習った色々なことも教えてあげられると思うんだ。だから、一人で全部を背負わないで』
二つ年上の少年の心強い言葉に、少女はぽろぽろと涙を溢れさせながら頷いた。
トーマスの申し出は、素直に嬉しい。けれど自分はサラの家族で、実の姉。大人に守られるだけの弱い子供ではいられない、めそめそ泣くのは、今日で終わり。あたしは、誰よりも強くなる――。
突如扉が開け放たれ、誰かが急速に遠ざかって行く足音で意識が引き戻された。案の定、ユリアンの姿が見当たらない。
「ユリアン! ……ごめんなさい。あの子ったら、また……」
「いいえ、つらいのはあなた方も同じでしょう。亡くなられた妹さんとサラを重ねて見てしまうのは仕方のないこと。こちらこそ、こんなことを言ってしまってごめんなさいね」
度重なる息子の非礼にノール夫妻はすっかり
いち早く行動を起こしたのは、トーマスだった。
「僕が行きます。あとはお願いします」
「あっ!? ベ、ベント様……!」
「良い。ここは我が孫に任せよう。年の近い男子同士、距離を縮めるきっかけとなるやもしれん」
二人の少年が出て行った部屋の出入口を見つめたまま、男は
駆けて行くユリアンを小走りで追いかけ、
「ユリアン」
「……なんで追いかけてきたんだよ」
「急に出て行ったんだから当然だよ。心配だし」
「ウソだ。どうせあのおじさんに言われたんだろ? お金持ちでユウトウセイのおぼっちゃんだもんな」
刺々しい言葉の数々に、トーマスの顔が悲しげに曇った。やっと打ち解けられたと思ったのに。友達になろうと、握手を交わしたばかりだったのに。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。唇をきゅっと引き結び、トーマスは努めて冷静に返す。
「違うよ。僕が来たくて来たんだ。僕は君と仲良くなりたいし、できる限り力にもなりたい。こんな時だからこそ協力し合って、少しでも毎日を楽しく――」
「オセッキョウなんて聞きたくない! その偉そうな態度と恰好もイヤだ。ミブンだって違うし、最初からトモダチになんてなれっこなかったんだ」
「身分……は、どうしようもないけど。じゃあ、毎日一緒に泥んこになるまで遊んだら、友達になってくれる?」
予想外の返答に、ユリアンは目を丸くした。いかにも高価そうな服を、毎日泥まみれに。しかしそれはかえってこちらが罪悪感を覚えるだろうし、トーマス自身も、あの怖そうな男に叱られ続けるだろう。だがトーマスの表情は真剣で、突っかかったことに対して怒っている様子は
「……ヘンなヤツ」
「そ、そうかな? ませてる、とは言われるけど。
……戻ろう。みんなも、僕たちが帰ってくるのを待ってるよ」
とどめに、小首を傾げて優しい微笑。本当に「育ちがいい」のだろう。今まで見てきた、どの男の子とも違う。シノンに住む以上は家族ともども何かと関わって行くことになるに違いないし、仲良くしておいて損はない――いや、仲良くなりたい。穏やかだけれどしっかり者のトーマスが
「――」
「……うん? 何か言った?」
「んーん、何も」
『ありがとう』。二つ年上の少年の少し後ろを歩きながら、ユリアンは小声で呟いた感謝の言葉をそっと飲み込んだ。
家の前に並んでいるカーソン家、ベント家、ノール家の人々を見て、既にトラブルメーカーのレッテルを貼られつつあるユリアンは、覚悟を決めた。一瞬の
「急にいなくなって、ごめんなさい!」
「ユリアン! 無事で良かった……トーマス様、うちの子がすみません。本当にありがとうございます」
「いえ、お礼なんて。もったいないです」
浅い会釈で返す孫とそれを見つめるノール家の一人息子を、初老の男は無言で見守った。目配せをして頷き合っているということは、真に打ち解けたのだろう。孫に初めての同性の親友ができたことに男は安堵し、静かに喜びを覚えた。伝統あるベント家の名を冠するにふさわしい男にと思う一方で、七歳の子供らしく健やかに、のびのびと育ってほしいという思いもあるのだ。
サラを腕に抱いたカーソン夫人を、ユリアンは見上げた。夫人は少年にサラの顔を見せるようにしゃがみ、優しく微笑ほほえむ。
「……ときどき、遊びに行ってもいい?」
「ええ、もちろんよ。お兄ちゃんになってくれたら嬉しいわ」
「うん。オレ、この子のおにいちゃんになる。すぐに死んじゃった妹の分まで、たくさん遊んであげるんだ」
「ユリアン君……」
「……エレンはカイリキだけど、女の子だからな。やっぱり男もいたほうがいい――」
「誰がカイリキよ!」
すかさず拳を振り上げたエレンを、トーマスが慌てて押し止める。そんな姉の大声に驚いたサラが目を覚まして泣き出し、束の間、その場は騒然となったのだった。
ユリアンが健康的で美しいエレンに恋心を抱き、以降報われないアタックを続けるようになるのは、もう少し後の話。
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