【介抱デボーション!】


大型連休の前日。
今日はモストロ・ラウンジでバイトがある日だ。
監督生はオクタヴィネル寮に足を踏み入れ、労働の準備を始める。
開店前のホールに出ると、気怠げに足を広げて客席に座っているフロイドを見つけた。
「フロイド先輩、こんにちは!今日もよろしくお願いします」
「あ〜小エビちゃん、おすー」
挨拶を交わしつつあたりをチラリと見回すが、この人魚の片割れの姿が見えない。
「ん。ジェイド探しても無駄だよぉ」
額に乗せた帽子から覗く垂れたオリーブ色の瞳がいやらしく弧を描く。
「べ、べつに探してはいないです…!ジェイド先輩、今日はお休みの日でしたっけ?」
確かシフトでは今日は出勤の日だったはずだ。記憶違いか、何かあったのだろうか。
「えぇー…。まぁ小エビちゃんになら言ってもいっか」
フロイドはそう言いながらスクっとソファから立ち上がって、ぬらりと前屈みになりつつ、優海の顔を覗いた。
「あいつさー、今熱出して寝込んでんだよね」
「熱…ジェイド先輩が?!寝込むくらいの高熱なんですか?感染症とかですか?!」
何と言うか、体調不良とは全くもって縁のなさそうな人間…いや人魚だと思っていたから、フロイドの言葉に驚いてしまった。
「んー、一応保健のせんせぇに見てもらったらただの風邪だってさ。熱は38℃あるかないかくらい」
魚も人魚も人間と同じように風邪にかかることはある。しかし陸に棲む生き物とは違い、海の生物は熱とは無縁なのだとフロイドは語る。
「オレもアズールも陸で一回風邪引いたことあんだけど、熱自体が初めてだからさぁ。めちゃくちゃ熱くて怠くてなーんも出来なかったんだよね」
人魚にとって発熱はありえない経験だったのだろう。人間にとっての微熱でも彼らにしてみれば未知の領域。
と言うことは。
「ジェイド先輩は今回が初めて陸で風邪引いたってことですよか?」
「そーそー。めちゃくちゃ大袈裟に『僕、このまま泡になって消えるんでしょうか』なんていうからめっちゃおもしれーんだよな」
そんなに苦しいのだろうか。先輩戻って看病してあげた方がいいんじゃないんですか、とフロイドに言うと「ガキじゃねーんだし。飯くらいは作ってやるけどさ」と吐き捨てるように答えた。
「オレが風邪引いた時、あいつこれみよがしに料理にきのこ混ぜやがったんだよな。『これは身体に良いんです』とかなんとかほざいてさぁ」
その光景が目に浮かぶ。あの人ならやりかねないな。
「ん。小エビちゃん、ジェイドのこと心配〜?」
にたりと笑うその顔は、憎たらしいほどに今苦しんでいるであろう人魚にそっくりだ。本人たちは片割れと似ているとは思っていないようだが。
「そりゃ…まぁ…心配っちゃ…心配ですけど」
「じゃあさ、小エビちゃんがジェイドの看病してあげてよ。オレ明日から2日間バスケ部の遠征試合でいないんだよねー」
遠征とかめんどくせーけど、相手のチーム強いらしくて、そこは楽しみなんだよねぇ、と言いながら優海の顔を見下ろす。
「えっ…看病…でも」
「小エビちゃんが看病してくれたら、ジェイドもすぐに元気になるんじゃねー。ま、嫌なら別にいーけど」
「いや…じゃないですけど…」
むしろ嬉しいと思う自分がいる。しかし迷惑ではないだろうか。彼をよく知る兄弟や同郷のアズールが看病するのと、赤の他人の自分がするのとでは違いすぎる。
「じゃ、よろしく〜」
監督生の気持ちを知ってか知らずか。フロイドの声は楽しげに弾んでいた。





********


「結局…来てしまった…」
空が清々しく晴れ渡る休日の朝。ジェイドとフロイドが棲まう寮室のドアの前で両手に荷物を抱えた優海は独り言ちた。

バイト終了後、半ば強制的にフロイドにアズールの元へと連れられ、監督生がジェイドの看病をするという許しを得た。
「アイツがいないとホールが回らないことも多いので早く快くなってもらわなければならないのは事実です。明日からフロイドもいませんし。貴方にはフロイドが帰るまでの2日間、ジェイドの看病をお願いします」
もちろん付きっきりで世話をしろとは言いません、できる範囲で構いません──それから、くれぐれも『間違い』は起こさないで下さいね、と神妙な面持ちで告げる。
間違い?なんの?という表情を取ると、「男女の、という意味です」という慈悲寮寮長の忠告とも言える言葉に、意味を理解した優海は顔を真っ赤にさせた。
「あ、あ、あるわけないじゃないですか!変なこと言わないで下さい!!」
「万が一があっては困りますのでね。まぁ貴方とアイツに限ってそんな心配は不要かと思いますが」
じゃあ言わないで下さいよ!とご立腹の少女。
その後、必要なものがあれば遠慮なく僕に申し付けて下さいと言って、それからフロイドに寮室の合鍵を渡された。

それが昨日の出来事。


とりあえず扉をノックするが、返答はなかった。フロイドはすでに部屋を出た後なのだろう。
鍵を差し込み開錠し、ガチャリ、と静かに扉を開く。
「失礼…します」
寝ているであろうジェイドを起こさぬようにと、そっとドアを押しつつ入室する。パタンと静かに閉まるドアの音が部屋の中に微かに響いた。
部屋の中は薄暗い。唯一暗めのライトが点けられているが、それはどうやらベッドサイドに置いてあるランプの光のようだ。
深海を模したような寮室には両壁際にそれぞれベッドやクローゼットなどが置かれている。向かって左側のベッドやクローゼットは服や物が散乱してお世辞にも綺麗とは言い難い。そして向かって右側のベッドには──。
「ジェイド先輩…」
パジャマをきっちり着ている風邪引き人魚は、規則正しく眠っていた。
こちら側は打って変わって整理整頓がなされている。左側はフロイドのベッドなのだろう。こういうところでも兄弟の違いがはっきり出ていて、思わず優海は笑った。
ゆっくりベッドに近づくと、若干呼吸が荒い寝息が聞こえ、シーツに隠された胸は大きく上下している。
目を瞑ったままのジェイドの端正な顔には汗が滴り、頬は赤い。額には朝出る前にフロイドが準備したであろうタオルが置かれている。少女はそれを手に持つと、すでに意味をなさない温さになっていた。持ってきた鞄の中から一枚のシートを取り出す。片面がジェル状になったそれは、熱を取る効果があるらしい。似たようなものは優海の世界にもあったが気休め程度のものだった。しかしこちらのものは魔法で作られたもののため、効果は抜群なのだとか。もちろんこれもいつもの如くサムの店で購入した。
ジェイドの前髪をそっと上げ現れた額にシートをピタっと貼り付ける。目が覚める気配はない。
それから次に取り出したのは氷枕。しかしこれを使うには一度ジェイドを起こして枕の上に置くしかない。せっかく寝ているのだから起こすのは気が引ける。
(うーん、どうしようかなぁ…先輩の目が覚めた時でいいかな?)と迷っていると。
「…フロイド…?」
人がすぐそばにいる気配を感じ取ったのか、目を瞑ったままジェイドが発した。
「あ、すみませんジェイド先輩。起こしちゃいましたか?フロイド先輩は部活の遠征に行っちゃいましたよ。フロイド先輩が帰るまでウチがジェイド先輩の看病、しますね」
「…え?」
優海がベッドサイドにしゃがんで話すと、ジェイドは両目をカッと見開いて少女の姿を瞳に捕える。
「ユウさん?!なぜここにっ…!」
ガバッと上半身を起こし後ずさるような体勢の人魚。
「ああ!ダメですよ急に起きちゃ、安静にしてないと!」
「僕の看病ですって?なぜ」
「なぜって…フロイド先輩いないしアズール先輩もラウンジのことで忙しいから看病する人いないって聞いて。先輩一人じゃ大変かなって思ったんですけど…」
ジェイドの驚きように優海もびっくりした。こんなに驚かれるとは。──もしかしてウチに看病なんか、されたくないのかな──と思う。
「…迷惑でしたらすぐ帰りますね。でもご飯はその状態じゃ作れそうにないかなって思うので作ろうと思うんですが…」
見るからにシュンと肩を落とした監督生を見たジェイドは慌てて「迷惑なわけがありません!」と取り繕った。
しかし内心は。
(僕が熱を出して寝込んでいるこんな無様な姿をユウさんに晒したくはなかったから、あれだけフロイドには口止めしておいたのに)
まぁ、あのフロイドが口約束を守る訳がなかったですね…とジェイドは優海に気づかれない程度のため息をこぼす。
人魚は──特にウツボの人魚は自分の弱った姿を他者に見られるのを好まない習性がある。雄は殊更気に入った雌の前では弱った自分をさらけ出すのを嫌う。それは一重に好いた雌にはいつでも強い自分を見ていて欲しい気持ちがあるからだろう。ウツボ自身は臆病な部分があり、所詮は虚勢を張っているようなものだ。
かと言って自分を心配してわざわざ看病をしに来てくれた少女を追い返すなんて男が廃るにも程がある。ここは彼女の好意…否、厚意を有り難く受け取ろう。
「僕のためにわざわざ貴重な時間を割いてくれて嬉しいです。では申し訳ありませんがよろしくお願いします、ユウさん」
眉を下げてにこりと微笑む。監督生はホッとした表情で同じように微笑んだ。
「朝の薬は飲みましたか?」
「いえ、まだです」
「じゃあ飲む前にお腹に何か入れてたほうが良いから、朝食用意してきますね。食べたいものとか何かありますか?」
「あなたが用意して下さるものならなんでも食べたいです」
ほんのり赤い顔の人魚は風邪のせいか、ほわりと笑う。
(可愛いな)と一瞬胸がきゅんとした監督生だが、それを悟られないようにすくっと立ち上がり「じゃあ準備するから待っててください、キッチンお借りしますねっ。先輩は寝てて下さい」と手荷物を持って寮室内に備えつけられた簡易キッチンの方へと向かった。
言われた通り、ジェイドはふたたびベッドに体を横たえる。
(彼女にこんな風に看病されるなんて……)
「風邪も悪くはありませんね」
ふふっと笑うと、瞼を静かに閉じた。



30分ほど経った後。
「先輩、お待たせしました」
トレーにボウルと水の入ったコップを乗せ、優海が戻った。
「起き上がれます?ベッドで食べますか?」と尋ねるとジェイドは「はい」と答えた後、ゆっくり起き上がり魔法でベッド用のテーブルと優海が座るための椅子を出した。そのテーブルの上にトレーを置く。ボウルの中身は具材がたくさん入ったスープのようだ。
「一応チキンスープなんですけど…初めて作ったから味は自信なくて…すみません」
風邪を引いて熱を出した時、自分の世界ではお粥や雑炊などを食べるのが一般的である。しかしこの世界ではあまりそういった料理に馴染みがない。だからエースやデュースに熱を出したら何を食べるか聞いたところ、「チキンスープ」が定番だと教えてくれた。とりあえずここに来る前にスマホで作り方や材料を調べ、作ったことはないがさほど難しい料理でもなかったのでちゃんと味見をしつつ作った。
「とても美味しそうです。僕のためにありがとうございます」
そう言いつつ、ハァハァと呼吸が荒く辛そうだ。
(あ、そういえば先輩って人魚だから熱い食べ物苦手なんだっけ…?)
ただでさえ熱でしんどい時に熱い食べ物は咳き込みそうだ──そう思った優海は何気なしにボウルを持ち上げスプーンを手に取り、具とスープを掬いフーフーと息を吹きかけたあと、そのスプーンをジェイドの方へ向ける。
これには流石のジェイドも目を見開いて驚いたような表情になる。その顔を見た優海は初めて自分のやったことに気づき、一瞬で頬を赤く染めた。
「す、すみません!つい癖で…!ウチの息なんか吹きかけた食べ物なんて気持ち悪いですよね!ごめんなさいすぐ新しいの持ってきます…!!」
幼い頃は猫舌だった彼女は熱を出した時、今自分がしたように母親や祖母がお粥の熱を息で冷ましてから食べさせてくれていた。だがそれは家族の間だからこそ出来る行為であって、先輩にしていいような事ではないだろう。
「ダメです!」
「えっ?!」
声を荒げたジェイドに今度は優海が驚く。
「あっ…いえ…僕は熱い食べ物は少し苦手でして。むしろ冷ましてくれるのはありがたいです。そのまま食べさせて頂けると嬉しいです」
コホン、と咳払いを一つ。歯を見せて子供のように屈託のない笑顔を監督生に向ける。
「えっ…いや…でも」と困惑する少女。ジェイドは今度は口をあーん、と開いた。
(えっ?!なに、ほんとに食べさせろって事??)
スプーンを持ったままおろおろしていると、発熱人魚は人差し指で口を指す。やはり食べさせろということのようだ。
観念した優海は、そっとスプーンの先をジェイドの口に入れた。唇が閉じ、ごくんと喉が鳴る。薄く開いた口から優海が手を引いてスプーンを取り出すと、今度はゆっくり咀嚼し始めた。
「とても良い味のスープですね、それに野菜やチキンも柔らかく食べやすい。すぐに元気になれそうです。あなたはお菓子作りだけでなく、料理の腕も素晴らしいのですね」
「スープ作ったぐらいで大袈裟ですよ…でもそう言ってもらえて嬉しいです。先輩の口に合わなかったらどうしようって思ってたので」
ジェイドのストレートな称賛の言葉に、優海は照れながら返す。そんな少女を熱い視線で見つめながら再びジェイドはあーんと口を開ける。
「えっ、まさか…全部今みたいに…?」
「ええ、もちろん。僕の看病…して下さるんでしょう?」
口角をクイッとあげてギザギザした歯をニヤリと見せつける。いつもの意地悪ジェイドだ。
はぁ…と溜め息を零した監督生は、しかし親鳥から餌を貰えるのを待っている雛鳥のようだ、と内心微笑ましく思う。ボウルからスープを掬ってフーフーと冷まし始めた。頬をほんのり朱色に染めながら。




結局全て監督生がチキンスープを食べさせた後、水で薬を飲んだジェイド。満足気にベッドに潜った時には呼吸も少し落ち着いていた。
(あぁ、熱を出すとはなんと素晴らしいことなんでしょう。こうしてユウさんに優しくしてもらえるのは悪い気がしない。というか『風で落ちた果物』ですね。完全にラッキーです)
「とにかく風邪の時はゆっくり休むことが大事なので、たくさん寝てくださいね」
「ええ、ありがとうございます」
「じゃあウチ…昼前にまた来るので…もし何か欲しいものとか、して欲しいことあったら連絡ください。オクタヴィネルの談話室にいるので連絡もらえればすぐ行きますから」
ジェイドの心内など知る由もない優海は、そう言いながら椅子から立ち上がろうとする。
「今、して欲しいことがあるのですが」
パッと布団から手出したジェイドは去ろうとする監督生の腕を掴み、立つのを遮った。
「えっ、な、何ですか?」
「眠るまで…あなたの歌が聞きたいですね。心地良い子守歌をお願いします」
「はぁ?!歌??!!やですよ!何言い出すかと思えば!!」
「先ほど『何かして欲しいことがあったら申してください』と言ったのは貴方のほうですよ?」
それとも、あの言葉は嘘なのでしょうか?慈悲の精神に基づくオクタヴィネル寮生として見過ごせませんね──そこまでいうと、グッと唇を噛み締める優海の顔が見えた。
彼女の性格はもう熟知している…と断言しまうのは少々言い過ぎだが、こう言えば目の前の少女は諦めるということをジェイドは知っている。
「…でも…騒音にしかならないですよ…」
「あなたの歌声は知っています。良い声を持っていらっしゃる。…では僕もあなたの願いを一つ聞きましょう。それでどうです?」
「ウチの願い…?」
うーん、と天を仰ぎ考える素振りを見せるが、すぐ思い浮かんだ。これしかない、と。
「先輩の歌が聞きたいです」
「僕の歌…ですか?」
まさかそう来るとは思わなかった…わけではない。前から聞きたいとは言われていた事もあるし。
ふふ、実に簡単な願いだ──ジェイドは内心ほくそ笑んだ。
「良いですよ。僕の風邪が治ったあとでしたら」
「やった!絶対ですよ!約束破ったらタダじゃすませませんからね!」
ジェイドの歌が聞けるとなってよほど嬉しいのか、優海は頬を紅潮させ笑顔を振りまく。
「慈悲寮の精神にかけて、お約束します」
ジェイドもまた、にこやかな表情を彼女に見せた。
「…じゃあいますぐ目を閉じてください。歌ってる顔見られるの恥ずかしいから…」
優海の言葉に、フフっと笑いながら言われた通りにジェイドは瞼を閉じる。

しばらくして耳に届いた、微かな旋律は──

(これは…)
聞き覚えのある曲。
陸に憧れた人魚の姫君の物語を知っているならば誰もが口ずさむであろうメロディ。
人魚姫と海の魔女を讃える映画でも使われ話題となったあの歌。
リメイクされた映画を、今たどたどしく歌っている少女を誘って鑑賞しに行ったのは先月の話だ。ストーリーに引き込まれた彼女が、映画が終わる頃にはポロポロと涙していたことは印象的で鮮明に胸に残っている。

陸の世界に魅了され、人間が海に落としていったものを拾い集めては宝物のように大事にしていた人魚姫。父親との確執もあり、地上への憧れは日を増すごとに風船のように膨らんだ。
そんな気持ちを歌い上げた曲だ。
実在したその人魚のプリンセスは、多くいる姉妹の中でも1番美しい歌声を持っていたという。
映画ももちろんその伝説を重要視し、素晴らしい役者を姫役にキャスティングしていた。
この歌自体は、先述した通り人間の世界、陸に憧れる歌だ。
その気持ちは大いにわかる。
NRCに入学する前、陸の生活に慣れるための学校に滞在していた時に人間の世界を学び、そこで得たものは海に生きる自分にはとても衝撃的だった。陸と海では何もかもが、こんなにも違うのか、と。
それまでさして人間になった人魚姫のことは興味がなかったが、初めて共感を覚えた。
そんな歌を、人間である優海が奏でる。
きっと何度も練習したのだろう。ところどころ不安定な部分はあるが、それでも可愛らしいく澄んだ声を旋律に乗せた歌は、すんなりと耳に馴染みひどく心地が良い。


うっすらと目を開けてみると、両目を閉じた少女の横顔が浮かび上がる。エンディングを迎える頃にはその双眸を見開き、そして溺れるように優海を瞳にそっと閉じ込めた。





*****



「良かった、もう熱下がったみたいですね」
「はい。あなたの献身的な看病のおかげです」
ジェイドの看護を始めて2日目の夜。夕餉の前に熱を測ると平熱の数値になっていた。昨日とは打って変わって怠そうな様子もない。
献身的な看病、とは言うがただご飯や薬の用意をして、額の熱冷ましシートや氷枕を取り換え、時折汗をかいた顔や首周りをタオルで拭き取ってあげたくらいなので少々オーバーな言い方にも感じた。
──ああしかしこの2日間、食事はスープやヌードル系が中心だったが、全部自分の息で熱さを冷まして食べさせてはいたな──今思えばけっこうとんでもないことをさせられてはいる。
そして今から食べさせるものも同じく…今回は卵雑炊だ。
「これは…リゾット…でしょうか?」
優海が出した夕食を物珍しげに見つめるジェイド。リゾットにしては汁気が多いような。
「これは雑炊って言って、ウチの国では病気になった人によく食べさせるんです。一応消化にも良いみたいだし、ネギと生姜は殺菌作用があるんです。解したカニと貝柱も入れて海鮮風にしてみました」
なるほど、それは美味しいに違いない。人魚は監督生の言葉を聞いて食べるのが楽しみになった。
「ではユウさん、熱冷ましお願いします」
それはもう楽しそうににっこり笑って。
(もう元気なのに、まだ冷ましてあげなきゃいけないの?!)と思いつつ、この笑顔が確信犯だと分かっていても優海は拒否しない。スプーンで具をひと掬いしフーっと息を吹きかけ、慈悲寮副寮長の口に流し込む。
「これは…とても美味しいです!シンプルにみえて醤油や海鮮の塩気がほどよく、生姜やネギの薬味が味を引き立てていますね!そして卵と炊いたお米が舌に優しく絡みます!」
これはバランスがとてもよく考えられていますね、栄養もつきそうで、流石病人食というだけあります──と、これでもかと褒め讃えるジェイド。優海はまたまた大袈裟ですよ、と返すが言われて悪い気はするはずがない。
次から次へ優海が冷ました雑炊がジェイドの口に吸い込まれていく。残ったら自分の夜食にすればいいか、と少し多めに作ったのだがジェイドは綺麗に平らげてしまった。これだけ食べてもらえたら、作った甲斐があったというものだ。
普段はちょっと意地悪な事を言うくせに、たまに本心っぽいことを言うから判断に迷うが、今はきっと本当に美味しいと思ってくれているのだろう。優海はこの2日間、ジェイドをしっかり看病出来たことを少し誇りに思った。




「明日の午前中にはフロイドは帰ってくるようですね。今日まで看病ありがとうございました」
「いえいえ、どういたしまして。じゃあ合鍵、返しておきますね」
ポケットからリーチ兄弟の寮室の合鍵をベッドの中で座っているジェイドに渡そうと取り出す。ジェイドは何か含んだような顔をしつつ、「ありがとうございます」とそれを静かに受け取った。それと同時に優海の差し出された腕を自分の体の方へ強めに引っ張る。
「うわっ!」
急な事で体勢が保てるわけもなく。小柄な少女はバサリとベッドに倒れ込んだ。
「…ねぇ、ユウさん」
寝具から身を出したジェイドが優海を見下ろしている。つまりは押し倒されたようなかたち。これは一体──?
何が起きたんだと思考停止した少女の情熱的な色の髪を、翡翠色の髪をした人魚が大きな掌で優しくそっと撫で上げる。指先が首元をかすめると、ぞくりと震える身体。
「看病して頂いてなんなのですが…。今この部屋には僕とあなたの二人きりです。…この意味、分かってます?」
「は、ぇ?」
意味深な問いかけに、間抜けな声が出てしまった。
ふと脳裏に『くれぐれも間違いは起こさないで下さいね』というアズールの声がこだまする。いやいや、そんなまさか。ウチとジェイド先輩に限ってそんな関係になるわけないじゃないですか!と脳内一人ツッコミをしていると。
「それとも…僕はユウさんに男として見られていないのでしょうか。僕はこんなにもあなたを意識しているというのに」
「な、なに、言ってるんですか…」
(先輩、風邪引いた後遺症でおかしくなっちゃったのかも?!)
徐々に近づく端正な人魚の容貌。たまらず監督生は身を縮こめて目をギュッと強く閉じた。
(ア、アズール先輩ーー!!助けてーーー!!)
心の中で叫ぶ。無意味なこととわかっていても祈るしかなかった。

……
……あれ?……
しかし一向に自分の身に何も起きない。訝しげにうっすら片目を開けると。
「ふ、フフフっ」
ギザギザな歯を見せながら、口元に手を添えて笑いを噛み殺してるジェイドと目が合った。
「ま、また!!またウチを揶揄ったんですね??!!!」
優海は頬を噴火させて怒る。
──これで何度目だよ、引っかかるのバカでしょ!いい加減学習してよ自分!!!──と、ジェイドに対してだけではなく自分に対してもうんざりした。
「仮にも献身的に看病した者に対して失礼すぎますよ!毎回なんなんですか!」
「それでも、あなたは僕と距離を置いたりしないでしょう?それはどうしてですか?」
「えっ…」
そんなこと聞かれても。そもそも本気で嫌だったり苦手だったら関わりを持とうとは思わない。嫌よ嫌よも好きのうち、なんて言葉が彼女の世界にはあるが、優海は本当に嫌ならはっきり口に出すタイプではある。つまりはそう言うことなのだ。
返答に困り果てている少女に、相変わらずの笑みを浮かべたジェイドは優海の手をそっと取ると、優しく起こす。
「少し、意地悪でしたね」
「少しどころじゃないですよっ」
まだ胸が早鐘を打っている。弄ばれている、と感じる時も多々あれど、ジェイドは優海が本当に嫌だと思うようなことはしない。それこそ『イソギンチャク事件』でのあの時ぐらいなものだ。
自分はドMなのか?──と悩む時もあるが、こんな状況を心の底では楽しんでいるのかもしれない。

「……先輩の事、前みたいに苦手だったらそもそも看病なんてしません。先輩だって、興味ない人間に看病されたくないと思うし……お互い様なんじゃないですか?」
この気持ちを『好き』と名付けてしまうのは色々と弊害がある。それに相手からの気持ちを勝手に名付けてしまうのも思い上がりというものだし。
それでも、胸の何処かで(同じだったらいいのにな)と微かに願ってしまうのは、決して愚かなことではないだろう。

ベッドに腰掛けたままの二人の視線は甘く絡む。
優海の言葉に、ジェイドは一瞬目を見開くものの、すぐにいつも通りの面持ちで口元をほころばせた。


「そういうことにしておきましょう、今は」










後日談は後日アップします٩( 'ω' )و

あとがきもどき。

ただ熱い食べ物を監ちゃんの息で冷ましてジェイドに食べさせる部分が書きたかっただけ…なのに無駄に長くなってしまった(>_<)
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