【たからもの】



賢者の島にある、さほど大きくはない映画館から出てきた二人の人影。
「映画、めっちゃ良かったですっ…」
優海はグズグズと泣きながら、ジェイドに貸してもらったハンカチで目元を拭う。
珊瑚の海の中でも有名な人魚のお姫さまを題材にした映画が一昔前に制作されたのだが、今回はその映画が新たにリメイクされ、ジェイドと二人で観に来たのだ。
「それは良かった。チケットを買った甲斐がありました」
人間の王子に恋をした人魚姫を憐れに思った偉大な海の魔女が自分の魔法で姫を人間に変えてやる、というストーリー。これは多少の脚色はあるものの、珊瑚の海に伝わっている実際にあった話だ。
海の魔女を尊敬しているこのウツボの人魚。しかしジェイド本人は魔女の話はともかく、人魚姫の話自体はそこまで興味はなかった。
『海の世界を捨てて陸に上がった人魚姫』
なんて愚かなんだろうと思う気持ちがあったから。
今は魔法薬のおかげで簡単に人魚から人間の姿になれ元に戻るのも容易いが、姫がいた時代にはそんなものはなくて。
もし自分だったら。たった一人の人間のために、生まれた世界を、家族を。何もかも捨てて陸に上がろうなんて思わないだろう。確かに陸には魅力的なものは多い。自分だっていまや陸の、とりわけ山の魅力に取り憑かれているようなものだし。しかしだからと言って一生人魚に戻らない、なんて選択を選ぶことはない。
──本当に、なんて愚かなんでしょう──
それなのに、この映画が上映されると知った時。まっさきに浮かんだのは目の前にいる監督生の顔だった。
以前、彼女の世界にも「人魚姫」の物語はあって、しかしその姫は人間の王子と結ばれず泡になって消えてしまう、という話を聞いたことがある。それを悲しそうに語る姿が何故だか目に焼き付いていて。そしていつの間にかこの映画のチケットを購入し、彼女に渡してしまっていたのだ。


映画が終わり劇場内が明るくなり、隣に座る監督生を見やると、文字通り大粒の涙を流していた姿を見た時には流石に驚いた。
「みっともなく泣いちゃってすみません…ハンカチもティッシュも忘れて来ちゃって…」
眉をハの字にさせながら言った少女。苦笑いを浮かべたジェイドは、自分が持ってきていた予備の綺麗なハンカチを彼女に渡し、今に至る。
「王子様と一緒になれたのも良かったけど、お父さんと解り合えて抱き合うところ、ほんとに良かったなって…」
「そうですね、素敵な物語でした。映画はもちろん脚色はありますが、兼、僕たちの世界に伝わる話の通りです」
二人はゆっくりと映画の感想を述べ合いながら、人通りを歩く。細い路地裏の奥に、骨董品屋らしき店がある事に優海は気づいた。
「あちらの店が気になりますか?入りましょうか」
じっとそこを見ていたのをジェイドが気づいたのか、少女に問いかける。はい、お願いします、と返してそこへ向かった。


店の中には色々な骨董品や雑貨が無造作に並べられている。監督生はまるで先程見た映画の中に出てきた王子の部屋のようだ、と思う。映画の中の王子は世界各国を旅するのが好きで、訪れた国の珍しい品々を買い集めるのが趣味だった。
優海とジェイドは別々に店内を見て回る。
「あ、これ…」
少女が見つけたものはガラス細工の人魚のオーナメント。手のひらサイズのそれを手に取り、うっとりとした表情で眺める。上半身は透明だが鱗の部分はグリーンとピンク色のグラデーションに色づいているそれは、かたちや色は多少違うものの映画の中で王子が人間の姿になった人魚姫にあげたものを連想させた。
「映画の中に出てきたものと似ていますね」
いつの間にか優海の側に寄ってきていたジェイドが発した。
「ですね!綺麗だなぁ…」
欲しいな、と思いオーナメントが置かれていた場所に立てられた値札を見る。
(……5000マドル…)
とても高い、というわけではないが安くもない。学食のちょっと高めのランチが数回注文出来る額だ。ちなみに現在財布に入っているのは7000マドル。
監督生は静かにそれを棚に戻す。
「おや、買わないのですか?」
「え、えぇ…」
「まさか。持ち合わせがない…とか?」
ギザ歯を見せてニッと笑うジェイド。映画の中の人魚たちとは違ってこの人魚ときたら本当に意地が悪い。
「…!くっ…なくはないですけど!っていうか分かってるなら言わないで下さいよ!」
彼女が貧乏生活を送っていることをジェイドは知っている。あまりに生活費が足りない時はモストロ・ラウンジでお手伝いと称し──つまりバイトをさせてくれと頼むことも。
「それに買ったところでただ飾るだけですし…。ウチ、けっこう雑貨とか買っちゃうんですけど、お母さんには無駄なものばかり買うのはやめなさいってよく怒られてたんですよ」
あはは、と情けなく笑う。
「あぁ…なるほど。僕もテラリウムなどに使う小物などを買ってはフロイドに『そんなにいっぱい買ってどうすんの〜必要ないじゃん』と呆れられる時はありますね」
自分では無駄なものを買っているつもりはないのですが、と苦く笑って語るジェイド。優海は彼と共感できる部分があり嬉しくなり、そうですよね、と深く頷く。
結局その後何も買わずに二人は店から出た。後ろ髪が引かれる想いではあったが。店を出る前、もう一度だけその人魚を目に焼き付けて。
(お金貯めて、今度買いにこよう…その時まで売ってますように!)



骨董品店から出た後、少し遅めのランチも共にした。
最初はジェイドが奢ろうとしていたが、監督生は「映画のチケットとドリンクを買ってくれたのは先輩だし、昼食代は先輩の分もウチが出します!」と断固として譲らなかった。結局は割り勘という事で落ち着いたが。
ランチの後、街を散策しナイトレイブンカレッジに帰る途中。
夕日が海に沈む美しいシーン見れる場所があるので寄りませんか?と言われた優海は、そんな場所があるなら是非!と元気よく返事をした。
そこは学園の手前にある開けた高台。ちょうど真っ赤な夕日が海に沈もうとしている時間だ。
「映画と同じだ!綺麗だなぁ」
今日見た映画の中にも大きな太陽が水平線へと溶けてゆくシーンがあり、その美しさと同じ光景が瞳に広がった。
「連れてきてくれてありがとうございます!それに映画も…ほんとに良くて。もう一度観たいくらいです」
「喜んでもらえて僕も嬉しいです」
横に並び、高台の手すりに腕をかけて夕焼けを眺める。
優海は何か思うところがあるのか。少し虚な目でゆっくり沈みゆく太陽を見つめている。暫くして口を開いた。
「…この世界の人魚姫は幸せになれて良かったな。…でも、そう思うとますますウチの知ってる『泡になって消えた人魚姫』が可哀想だなぁ…って」
ぽそりと呟いた言葉は静かにジェイドの耳に届く。
いや、もちろんウチの世界の『人魚姫』の話はただの童話なんですけどね、と付け足したその顔は曇ったままだ。
──あぁ、なるほど。そういった感情を抱いたのですね、あなたは…──
「……貴方の世界の恋に敗れ泡になった人魚姫が、こちらの世界の人魚姫に生まれ変わって、そして王子と結ばれたのかもしれませんよ」
どうしてそんな言葉が浮かんだのかジェイド本人も分からない。分からないが、目の前の寂しそうな少女を少しでも笑顔にしたかったからかもしれない。
ハッとした顔で優海は夕日からジェイドに視線を移す。
優しく心を包み込むような人魚の言葉が、胸に響き渡った。
少女は表情を綻ばせて、愛らしく笑う。
「そうだと、いいな」
夕日に隠れて頬を紅く染めた優海を眩しそうに見つめ、ジェイドも柔らかく微笑んだ。





「あの人魚の置物欲しいから、今度モストロでバイトさせて下さい」
夕日を存分に眺めてから、学園へ帰る道のりの途中。監督生はジェイドにそう頼んだ。
「おやおや、最初から素直にそう言って下されば僕が買って差し上げましたのに」
「先輩に買ってもらったら後が怖いし、何より自分のお金で買いたいんです!」
「仕方ありませんねぇ。ではアズールと相談してシフトを組んであげましょう。…でも、貴方があの置物を買いに行く時までに売り切れてるかもしれませんが」
「うっ…相変わらず意地悪!」
クスクスと笑う人魚に、むくれた表情の少女。
でもどこか楽しそうな二人の弾む声は、薄暗くなった夜空に響く。


実は『誰の目にも留まらなくなる魔法』をひっそりとジェイドにかけられた人魚のオーナメントが、優海の『宝物』になるのはもう少し先の話。




終。


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