【蜂蜜ラベンダー!】


【蜂蜜ラベンダー!】



部屋の窓にゆったりと泳ぐ魚たちの影が映る。
オクタヴィネル寮にあるゲストルーム。そこにジェイドと優海はいた。


今日は祝日だ。授業もないし、整備点検で珍しくモストロ・ラウンジも閉店しているため、久しぶりにゆっくりとした『恋人との時間』を満喫中の二人。
優海は七分袖の白いプルオーバーの長めのトップスにショートパンツ、そしてニーハイ。ジェイドはシャツにスラックスという、どちらも比較的ゆったりとした格好をしている。
せっかくの休みなのだから少し遠出をしましょうか、というジェイドの提案に、優海は「ゆっくり部屋で映画を見たりする方が良い」と返した。それは日頃色々と忙しい自分を労っての言葉だと言うことを、ジェイド本人はもちろん分かっている。

最近はこういう風に過ごすことが多い。付き合う前はオンボロ寮の談話室で会うことが多かったのだが、付き合うとそうもいかない。さすがに毎回グリムにどこかに行ってもらうのも気が引けるので、この寮のゲストルームを一時的に使用させてもらっている。そのせいでジェイドはアズールに無理難題を押し付けられることが増えたようだが、彼は「どうってこと、ありませんよ」とひと笑いした。




*****


ローテーブルの上には優海が焼いて持ってきたシフォンケーキと、ティーセットが置かれている。ジェイドがそのティーカップに淹れたばかりの熱い紅茶を注ぐと、優海は鞄の中から瓶を取り出した。
「それは…蜂蜜ですか?」
「はい。でも普通の蜂蜜じゃなくて、ラベンダーの蜂蜜!なんです」
「ラベンダーですか。蜂蜜にも色々な種類はあるとは聞いていましたが、そのようなものもあるのですね」
瓶には確かに『ラベンダーハニー』と書かれたラベルが貼られている。
「紅茶にも合うって聞いて。…蜂蜜は疲労回復にも効くし、いつも頑張ってる先輩に食べてみてもらいたかったんです!」
優海も最近ラベンダーの蜂蜜があるということを知ったらしい。店に置いてあるかサムに聞くと「In stock now!実は今日注文したものが届いたばかりなんだ!キミはラッキーだね!」なんて言われたからすぐに買い求めたのだ。少しお高めな値段だったが愛する人魚のため。いつも平気そうな顔をしているが、きっと疲労は溜まっているだろうと。
それはつい昨日の話である。なのでまだ味見をしておらず、どんな風味かは未知のままだ。
可愛い恋人の献身的とも思える言葉にきゅんとなるジェイド。
ソファに座る少女の横に腰掛けると、ポンポンと自身の太ももを叩いた。
「?どうしたんですか…?」
「ここに座ってください」
「へ?」
ここって?まさか先輩の脚の上に座れって事?と、困惑する。
別に恋人同士になってからそういうふうに所謂『イチャつく』ことは初めてではない。でも今からお茶するのに?と。
そんな優海を尻目に、ジェイドはニコニコ笑いながら彼女を見つめている。
「座ってください。ね?」
「はぁ…」
こうなったら座るまで先に進むまい。仕方なく優海はジェイドの足に横向きで座ることにした。手に蜂蜜の瓶を持ちながら。
誘導するように人魚は両手で恋人を支える。
「その蜂蜜、僕に食べさせてください。優海さんの手から」
優海が自分の膝の上にちょこんと座ると、ジェイドは彼女を見つめそう言い放った。
「は…え?!食べさせるって…?」
「指で掬って、僕の口に入れてください」
「い、いやいやいや!指で直接なんて汚いですよ」
何を言い出すんだこの人は。いつも変なこと言ってるけど今日も絶好調じゃん!
「貴方さっき手を洗っていましたし、大丈夫ですよ。ほら、早く」
「えぇ…でも…いや…うーん…」
いくらさっき手を洗ったとはいえ、自分の指をジェイドの口の中に突っ込むのは憚られる。そんな迷いの最中の少女を、面白いと言わんばかりに笑顔で眺める陸生活三年目の人魚。彼は優海の肩をグイッと引き寄せると、彼女の耳元に唇を寄せて。
「僕のために買ってくれたのでしょう?はやく──食べさせて?」
艶っぽい音色で吐息混じりに囁いた。
「ひぅ…み、耳元で話さないでっ…ていつも言ってるでしょ…!」
顔を赤くして身を捩り肩をすくめる。擽ったいのもあるが、恥ずかしいというのが一番だ。それにジェイドの声はただでさえ色気があるのだから、こんな風に囁かれるとゾクゾクしてしまう。フェロモンマスターか何かなのかな、この人。
「貴方が僕の願いを聞いてくれたら、やめますよ」
クスクスと笑う声が耳に響く。
あぁもう!こういう状況になったらジェイドは言った通り指で蜂蜜を食べさせないかぎり、自分を離してくれないんだろう。観念するしかなくなった少女は瓶の蓋を開け、蓋の中に蜂蜜を少しだけ注ぐ。瓶は自分の太腿の上にとりあえず置いたが、溢れるといけないと思ったのか、ジェイドがそれを手に持った。
優海はふぅ、と息をひとつ吐くと、蓋を恋人の口元の近くまで持っていき「あーん、してください」と言いながら中の蜂蜜を右手の人差し指で掬う。
ジェイドは笑いながら言われた通り口を開ける。ゆっくりと蜂蜜に濡れた指をその口の中に入れようとすると。紅く長い舌がするりと指先を舐め、同時に唇が閉じられた。チュパ…と吸われる音が耳に届き、ピクっと少女の身体が反応した。
鋭い吊り目のオッドアイが自分を射抜くように見つめ、彼の口の中にある自分の指が熱い舌に絡め取られ吸われている──こんな状況に優海の頬の火照りは強くなり、鼓動は馬鹿みたいに速くなる。


「確かに、程よい甘さとラベンダーの香りが蓄積された疲労を緩和してくれそうですね。とても美味しいです」
「そう…ですか。先輩の口に合ったようで…良かったです」
第二関節あたりまでジェイドに吸われてしまった指を恥ずかしそうに見つめながら少女はぽそりと呟く。
そんな姿が本当に可愛らしい、もっと欲しくなる。欲というものは、一度味を占めると歯止めが効かなくなるものだ──とジェイドは思う。
「もっと食べさせて…くれますよね?」
「ふぇ?!?!」
意地悪気に口角を上げた顔を見せつけながら、彼女が持っている瓶の蓋の中に自分が持っていた瓶を傾け、ラベンダー味の蜂蜜をなみなみと注ぐ。
「〜〜〜!!そ、そんなに美味しかったんですね…」
「ええ。蜂蜜はもちろん…貴方の指も、ね」
「!!!」
なんてことを言うんだ、この人は。でも内心はまんざらでもない自分も似たようなものだろうか。
ふう、とまた一息ついて。優海は今度はニ本の指でたっぷりと琥珀色のそれを掬うと、大きく開けている人魚の口の中へ差し入れた。


すっかり蜂蜜と人魚の粘液に塗れてしまった指先を、やっと「満足」したジェイドが魔法で取り出したウェットタオルで丁寧に拭く。その間も優海はジェイドの膝の上に座ったままだ。
処理をしてもらっている間に、蕩け切った頭と火照りをどうにか冷まそうと少女は深呼吸を繰り返す。
「ふふっ。指だけでそんな様子では、これから先が思いやられてしまいますねぇ」
ニヤリと笑う人魚が言い放った言葉の意味。優海はすぐには反応出来なかったが、一拍置いて理解すると瞬時に顔を噴火させて叫んだ。
「っ!先輩の……えっ…えっち!」





*****



ローテーブルの上のシフォンケーキ。そしてちょうど良い温度になった紅茶。
「せっかくなので…紅茶にこの蜂蜜入れたいです」
「ああ、それは良いですね」
ジェイドはスプーンで瓶の中の蜂蜜を掬って、それぞれのティーカップの中に適量垂らし、優しくかき混ぜた。
「どうぞ」と差し出されたカップを優海は口に運ぶ。ゆっくり流し込むと口内には香りの強い紅茶とラベンダー蜂蜜のほんのりとした甘みが広がる。
「美味しい!砂糖より甘くなくて飲みやすいかも…!」
優海の声に、ジェイドも蜂蜜入りの紅茶を飲むと「本当にちょうど良い甘さでこの紅茶と合いますね」と感嘆の声をあげた。
それから優海が作ったシフォンケーキを一口サイズにフォークで切ると、添えられた生クリームを少し付けて食べる。
「うーん。優海さんの作るケーキはいつもとても美味しいですね。紅茶とも良く合っていて、いくらでも食べてしまえます」
「そう言って頂けると光栄ですねぇ」
恋人の口真似をして言って見せると、ジェイドは軽やかに笑う。
「ウチはお皿に乗った分だけで十分なので、残りは全部先輩が食べちゃってください」
「よろしいのですか?ではお言葉に甘えて、頂きますね」
本当に美味しいと思ってくれているのだろう。普段とは違って少し子供っぽく可愛らしく笑うその顔。胸がときめいた。


お互いが相手に感じる「ドキドキ」も「トキメキ」も。このラベンダーの蜂蜜のようにゆっくりと、優しく甘く溶けてゆく。






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