【その執事、凶悪につき】



とある休日の午後。
特にすることがなく、あまりにも退屈だった監督生。勉強しろよ、とツッコむような者も身近にはおらず、以前外出許可をもらって街に出かけた際、本屋で何冊か小説や漫画を買っていたのでそれを自室で読むことにした。
「こっちの世界でもこういうのあって助かったー」
ちなみにグリムはグルメ巡りに出掛けているためオンボロ寮にはいない。これで邪魔されずじっくり読める。
そうして彼女が本棚から取り出したのは一冊の過激な性の描写がある恋愛小説──彼女の世界でいうところのTL小説だった。

内容は、というと。貴族の世間知らずなお嬢様が結婚させられそうになり、ずっと好きだった自分の執事に気持ちを打ち明け、執事はベッドにお嬢様を押し倒し彼女の体を蹂躙するのだが、泣き出してしまったお嬢様を見て寸前で我に返り、好きだとかそんな感情は貴方に抱いていない、と彼女を振ってしまう。ショックを受けたお嬢様は家出をしてしまい、暴漢に襲われそうになるところを執事が助けに入り、本当は自分もお嬢様が好きだった、と両想いだったことを告げそのまま肉体的にも結ばれる…といったようなもの。
まぁ普通に考えればめちゃくちゃな話だが、こんなものが読みたいお年頃なのだ。

「はぁ…執事って…やっぱり良いよねぇ…」
読みながら脳内に思い浮かんだのは一人の男。オクタヴィネル寮の副寮長であるジェイド・リーチだ。
別にジェイドは執事でもなんでもない。ただあの所作と喋り方、アズールに従う様などは執事そのものにしか見えない、と監督生は常日頃思っている。まぁ実際のところ彼らはお互い利害が一致しているから、そんなふうに見える付き合い方をしているだけなんだろうけど。
ジェイドのことは出会い方こそ最悪だったものの、最初に感じていた苦手意識は薄まり、何かと自分にちょっかい…というかイジってきたりする事もあり、一緒にいる時間が楽しいとまで思うようになった。ただでさえ長身であの見た目で話し方も優しいのだから、憧れの気持ちを抱いても仕方のないことだろう。

もし先輩がこの本の執事みたいだったら…と妄想し始めた彼女は、小説の中で執事が言った台詞を、脳内のジェイドに言わせてみた。
(……あ、これはだめだ…だめだめ刺激強すぎ…!!)
無理無理ー!!と枕を抱きしめてベッドの上でジタバタする。そんなふうにゴロゴロと読後の余韻に浸っていると。
『ドンドンドン』と玄関のドアノッカーを叩く音が寮内に響いた。
誰だろうと玄関に行くと、立っていたのはさっきまで脳内にいたジェイドだ。
(うっわ、ホンモノが来た…いや、じゃなくて!)
「あ、あの……何か用ですか…?」
妄想の中でジェイドのイケナイ妄想を繰り広げていた監督生は、彼の顔を直視出来ず、少し視線を逸らして尋ねた。
「すみません、突然お訪ねして。実は貴方に少しお願いがありまして…」
そういうと持っていた紙袋の中を広げ、監督生に見せてきた。中には何やら食べ物が入っている。
「以前『抹茶』というものを使ったマフィンの作り方を教えてくださったでしょう?それで抹茶を使ったスコーンを試作したのですが…モストロ・ラウンジのメニューに加える前に貴方の意見が聞きたくて。今、お時間ありますか?」
「あー、そういうことですか!…大丈夫ですよ。どーぞ!」
あははと乾いた笑いを出しながら、ジェイドを寮の談話室に招き入れる。
「お茶、用意しますね」
「それなら僕が。このスコーンに合うと思う紅茶をいくつか持ってきたので、僕に用意させて頂けませんか?」
そういうことなら、と了承すると、ジェイドはキッチンに向かって行った。
たまにジェイドはこんな風にお願いなどをしにくるので、やりとりも既に何度かしたことがある。キッチンのどこに何があるかなど、ジェイドはもう分かっていて自分が手伝う必要もなく、監督生は大人しくソファに座って待つことにした。


「頂きます」
ジェイドが入れた紅茶を飲みながらスコーンの試食を始める。咀嚼をはじめると口内に抹茶の良い苦味と、その後には仄かな甘さが広がった。
「めっちゃ美味しいです!」
正直前に自分が作って渡したマフィンなんかより断然美味しくない?まぁこの人たちラウンジ経営してるくらいだから当然なんだろうけど…とちょっと嫉妬気味な少女。しかし自分の語彙力のなさがつくづく情けなくも感じる。めっちゃ美味しいって、小学生か。
「それは良かった。貴方の折り紙付きであればラウンジで出すのに申し分ないでしょう」
ジェイドは言いながらにこやかに袋からもう一つスコーンを取り出し渡してきた。
「これは別の味なんですが…これも試食して頂けませんか?」
「いいですよ…何味なんですか?」
正直二個もスコーンなんか食べたらお腹いっぱいなんだけど…と思いつつ、憧れているジェイドの頼みとなると断りづらい。それで何度も痛い目にあってるのに悪いことはすぐ忘れる、良い性格をしている監督生である。
「それは食べてからのお楽しみです」
悪意があるのかないのかもう分からないくらい爽やかににっこり笑うもんだから。監督生はそんな笑顔にコロッと騙され、受け取ったそれを何も疑わず口に運んだ。
もぐもぐと噛む。すると口の中はびっくりするほど甘くなった。
「…あ、あっま!!!」
何の味かは分からないがとにかく甘い。甘すぎて飲み込めないから、苦味のある紅茶でなんとか胃まで押し込めた。
「甘すぎます…なんなんですかこれ…」
げっそりした顔で問うと、ジェイドは口に手を当て、うーんという顔で監督生を見つめる。
「監督生さん、それは甘かったですか?」
「え?はい、どちゃくそ甘かったです…」
「実は…それには『好きな相手の隣で食べると甘くなり、興味がない相手の前で食べると無味、そして苦手もしくは嫌いな相手の前で食べると苦くなる魔法の薬』が入っていたんです」
困ったように眉を顰めてはいるが、口角は上がっている。何か良くないことを考えている時にする表情だ。
「…は?」
一瞬意味が分からず、ジェイドの言葉を脳内で反芻してみる。
(好きな…?相手の前で食べると甘くなる…?)
どんな薬だよ、そんなもんあってたまるか!と思うが、ないとも言い切れないのが切ないところ。
「へっ、あのっ、じゃあ…」
「『どちゃくそ甘かった』んですよね?監督生さん……。まさか僕のことを」
「そ、そそんなこと!!絶対ありえない!!ですから!!!」
ジェイドが言い切らないうちに全力で否定する。こんなやり方で自分の気持ちが暴露されるなんてやるせないにも程があるってもんだ。
──っていうか人の体をなんだと思ってんのよこの人はぁ!人体実験すんな!…第一自分は別に先輩のことなんて…!!──
「おや?そうなんですね…。ではあの薬は偽物だったようだ…残念です」
わざとらしくしくしくと泣くふりを見せる。
「う、あの…ウチは別にっ…いや、先輩のことは、す、す、好きですよ…?」
分かりやすすぎる嘘泣きだとは百も承知だが、それでも心苦しい気持ちになってしまい、結局肯定するしかなくなった。
「でもでもそれは異性に対するものとかじゃなくて!あ、憧れとかそういう意味の好きであって…!!好きにも色々な形があると、思うんです!!」
顔を超絶真っ赤にさせながら力説するその姿は、ジェイドの目にはとても愛らしく映る。
「だからその薬は偽物じゃないです!たぶん!!」
やけくそに叫んでみた。何を言っているんだろう自分は。泣きたくなってきたぞ。もう穴があったら入りたい、そんな気持ちで俯いた。
「…ふ、ふふっ」
頭上から笑い声が聞こえたので顔を上げてみると、笑いを押し殺したようなジェイドがこちらを見ている。
「貴方、騙されやすいって言われませんか?いつも思うのですが、素直すぎますね」
「だま…って、まさか?!」
「ジョーク、ですよ。あのスコーンにそんな薬は入っていません。砂糖より甘いステビアを少し多めに入れただけです」
それはもう楽しそうにくつくつと笑うウツボ。
くぅ、悔しい…またしてもやられた…と思うが、正直なところ、こういう扱いを受けても嫌いになんかなれないのが不思議である。自分はドMなのだろうか。
「…あーそーですか。いたいけな後輩をからかって楽しむ良い趣味をお持ちで!」
「はい、とっても楽しいですよ」
嫌味なんか通用しないし、ほんとに自分は良いオモチャだな。まぁでも嫌われるよりかはマシかな、なんて思ってみたり。
はあ、とため息を零し、ふと窓の外を見ると空は茜色。
「あ!もうこんな時間だ!洗濯もの取り込まなきゃー!ちょっと待ってて下さい!」
そういうと監督生は二階のテラスまで慌てて洗濯物を取り込みに行ってしまった。
「長居してしまいましたねぇ…」
監督生さんにイタズラした時の反応がいつもおもしろくて、つい構ってしまいたくなる。彼女が戻ってきたらお暇しましょうか、とジェイドが考えていると。
バサっとソファの後ろで何かが落ちる音がした。
立ち上がり音のした方へ視線を向けると、そこには一冊の本が無造作に落ちている。それを拾い、表紙を眺めたあと頁をペラペラと捲ったジェイドは、驚きに目を見開いた。
「……おやおや、これはこれは」
 大変なものを見つけてしまいました、とギザギザの歯を光らせてニヤリと笑う。




「すみません先輩…!洗濯もの取り込み終わりました!」
監督生は二階から談話室へと戻ると、お客様をほったらかしにして家事をしたことを詫びた。そもそも勝手に押しかけてきたのはジェイドの方なので彼女は気にしなくても良いのだが。そういうお人好しさというか、律儀さが人魚には新鮮に感じる。
「いえ、お構いなく。それより監督生さん」
「はい、なんですか?」
ジェイドは立ち上がると、自分のすぐ側に来た監督生に向けて、さっき拾った一冊の本を片手でかざして見せた。
「……?はっ!そ、それは…!!なな、なんで先輩が??!!」
本の表紙の文字を見るやいなや、監督生はあわあわと焦り青ざめる。
何故だ、あの本は自室に置いてきたはず。まさか自分がいない間に部屋に入ったのか?この人ならやりかねない…!といろいろグルグルと考えた。
「この本ですか?ソファの後ろに落ちていました。貴方のもの…ですよね?」
ジェイドは本を持っていない方の手でいつものように曲げた指を口に当てて笑う。
「いや、そ、それは…」
「貴方でもこういった内容の本を読まれるんですね。失礼ですが中を少しだけ拝見させて頂きました」
「なっ?!」
嘘でしょ、そんなのもう死刑宣告じゃん…!!と、今度は顔を真っ赤にして、目の前の男から顔を逸らした。すると『ここから逃げ出したい』と思うより先に、ジェイドが監督生の腕を掴み、そのままソファに押し倒す。
「…え?」
何が起きたか全く理解できない。目をぱちくりさせると、ソファに寝転がっている自分を見下ろす様にジェイドが跨っているではないか。
ジェイドは被っていた寮指定の帽子を脱ぐと、魔法を使い静かにテーブルの上に置く。
そのあと、ゆっくりと彼は白い手袋をはめた指先で少女の頬をそっと撫でた。触れられた部分からゾワゾワとしたものが監督生の体中を駆け抜ける。
「『僕のお嬢様、貴方をこの手に入れられるなら…他には何もいりません』」
「ふ、ぇ?あっ…」
本の中の執事が貴族のお嬢様と心から結ばれる時の台詞。それを今ジェイドが目の前で言ったのだ。破壊力がハンパない。
「し、死んじゃう…」
顔がもう茹でタコ状態。でも憧れの人の口からそんな言葉が聞けるなんて。死んでもいいかもしれない。
「貴方は執事がお好きなんですか?以前僕のことを『まるで執事みたいですね』とおっしゃっていましたし」
「あ〜、えーっと……執事が好きというか…」
ジェイドのことが気になったから執事系の話が読みたくなった、というのが正解だ。だがそんなこと言えやしない。
というかこの状況はなんなんだろう。自分は一体この海のギャングに何をされてるんだ。
「ん?もしや優しい執事より、この物語の中のような激しい執事がお好みで?」
いやそんな事言ってない!と反論しようとしたら、徐々にジェイドが顔を近づけてきた。
(ひっ!)
肩をピクリと震えさせるとカチンコチンに固まる。それでもお構いなしに、彼は顔を至近距離まで詰めると、彼女の耳元に唇を寄せ。
「『お嬢様は淫乱ですね、僕の指でこんなにも淫らに乱れて………』」
吐息混じりにあられもない台詞を囁く。
──だぁぁぁぁ???!!!──
脳内は爆破寸前。
ジェイドが来る前、脳内で勝手にジェイドで再生していたシーンが全て目の前というか耳元でリアルに再現されてしまった。島一個くらい吹っ飛ぶくらいの威力があるだろう、少女にとっては。
「ふぇっ、も、もうやだぁ…死なせてくださいぃ……」
両手で顔を隠しながら、耳や首元まで真っ赤に染めた監督生は弱々しく呟いた。もうだめだ、こんな本を読む変態な子とジェイドに思われた。なんなんだ、死刑よりキツいわ。
「こ、こんなの…無理ぃ…お、お嫁に行けない…死ぬ…。ウチもう死にましたぁ…」
ジェイドはそんないたいけな少女の姿を見て、笑いを堪えるのに必死だった。しかしとうとう耐えかね、吹き出す。
「…くくっ、あはは!」
珍しくいつもより大きな声で笑うと、ジェイドは組み敷いていた少女から離れた。
「すみません、つい…。貴方の反応がおもしろくて…可愛らしくて」
うふふ、とまだ笑っている。
監督生は両手を顔からゆっくり離し、ソファの端に座った先輩を怪訝な顔で見つめた。顔はまだ火照っているし、羞恥心と怒りの両方でさらに赤くなる。
「うぅ〜〜!!バカァ!!!!!」
ソファに置いてあるクッションを思いっきりジェイドに向かって投げつけると、甘んじてジェイドはそれを顔面で受け止めた。
「貴方といると本当に飽きませんねぇ」
「こっちはいい迷惑です!」
プイッとそっぽを向ける。でも、彼がいう『飽きない』という言葉は最上級の褒め言葉だということは分かっているので、内心では少し嬉しかったりするから余計に腹立たしい。
「貴方に嫁ぐ先がないなら、僕が養ってあげますよ」
すっと立ち上がりながらジェイドはテーブルに置いた帽子を魔法で持ち上げ頭に被せた。
「…さすがにもう騙されませんから!」
放たれた監督生の言葉に、ウツボの人魚はニヒルな笑みを浮かべ「今日は本当にありがとうございました。またよろしくお願いしますね」と礼を述べてから扉の方へと向かって歩く。
少女は玄関まで見送るため、その後ろに着いて行った。

なんだかんだ、ジェイドにからかわれるのは好きなのかもしれない──そんな事を頭の片隅に浮かべながら。





終われ




あとがき。
執事みたいなジェイドが書きたかっただけの駄文。
本が談話室に落ちてたのは、恋の妖精の悪戯だったり。

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