とんがりボウシ
肌寒くなってきた冬の初め頃。私ことミライは、昨日この町に新しいクラスメイトがやってきたということを耳にした。
私が魔法学校に入学した時に決めたことの一つ、クラスメイトと親密になること。私も相手も人なので合う合わないは存在するが、できる限り話ができるように心がけている。そのため、例のクラスメイトに挨拶したい。昨日はお店の方が忙しく、学校に行っていないからせっかくのチャンスを逃している。私は人が多くいそうなショッピングモールに向かった。
「……いない」
散々歩き回った私は今、ショッピングモールからすぐ近くのベンチにぐったりと座っている。1階から3階まで一通り見て回ったけどそれらしき人は見当たらなかった。別のクラスメイトは、「ひょうたんのような見た目をしているからすぐに分かる」と言っていたけど、どこを見回してもひょうたんはいない。疲れた。
今日はもう会えないんだろうか。ボーっと地面を見つめながらそんな考えが頭をよぎった時、ガチャリとドアが開く音がした。音の方を首を回し、……いた。アパートから出たのは一見ひょうたんに手足が生えているように見えるけど、中央くらいに顔があり百パーセント探していたクラスメイトだった。
(本当にいた。ひょうたんの人)
ざわついた心を落ち着かせるように深呼吸をする。私はベンチから立ち上がりその人の方に近寄り勇気を出し声をかけた。
「初めまして。キミは新しく来たクラスメイトかな?」
そう言ったら彼? はこちらを見て口を開いた。
「むむむ……そなた初めて見る顔であるな。名はなんと申す?」
おぉ、時代劇とかで聞くような話し方だ。おっと、自己紹介しなきゃ。
「私はミライ。キミと同じ魔法学校に通っているよ」
「ミライか、良い名じゃ。よの名はせいべい。今後はよしなにたのむぞよ」
「分かったせいべい、今後ともよろしく!」
こうして私とせいべいとの交流は始まった。
「せいべい、今日開いてる? 開いてたら遊びに行きたいんだけど……」
数日後、私は学校近くで歩いていたせいべいに早速遊びに誘った。転入してきた頃はガチガチになりながら言うのが精一杯だった頃と比べ、私も遊びに誘うのなれてきたなと思ってしまう。
「ん? おうミライか。いいぞ今のよは暇だからな」
そうせいべいは表情一つ変えることなくうなずいた。昨日も思ったけど本当に変わらないな。まあ、出会って数日だしそこまで仲良くなってないからな。そんなことを頭の片隅で思い、互いのことを話しながら町外れを探索した。好きな物、今話題のうわさ話、学校のことなど共通のことを冗談交じりに言いながら。
「そうか。ミライはお店をしているのか」
「そうだよ。主にケーキとかの洋菓子を売っていて、この前食事ができるカウンターも新たにできたんだ」
「今度行っても良いか?」
「いいよいいよ。ご来店、お待ちしております」
そんなやりとりをしていてふと空を見上げたら、オレンジ色の光が目に入ってきた。気がついたら辺りは薄暗くなっていてかなり時間がたっていたことが分かる。
「もう暗くなってる。時間がたつのは早いね」
「じゃあ今日はもう帰るか?」
「もうすぐ夜になっちゃうからね。そろそろお開きにしよっか」
「ああ」
そう言って私は寮の方へ、せいべいはショッピングモールの方へそれぞれ歩き出そうとした。その時、せいべいの呼び止める声が聞こえた。
「のう、ミライ」
「? なに?」
「明日も遊んでもいいか?」
「もちろん大丈夫だよ! 予定空けておくね」
「うむ、ありがとう」
そうして今度こそ私たちは家に帰った。部屋についてから今日のことを振り返る。少なくてもやらかしてはいないと思ってる。話していた話題も共通のものだったし、特に変な間があったとかなくスムーズに会話できた。明日も遊びたいと言ってくれたから成功した……かな?
……結局せいべいの無表情以外の顔は見れなかったな。でも感情がないわけじゃないと思う。虫を捕まえた時は「やった!」と手を上げて喜んでいたし、最近落ち込んだことを話してた時は肩を落としていた。あれがせいべいにとっては普通なのかな。出会ったからには仲良くなりたいな。そしてできることなら、いつか笑った顔をみてみたいな。
雲一つない寒空の下、私は遊びの約束通りせいべいと海釣りに来ていた。釣り糸を垂らしながら隣にいるせいべいをチラリと見る。無表情だけど、いつ魚がかかってもいいように集中している。
楽しんでるのかな? と思いながら私は海の方に向き直り魚がかかるのを待つ。その間とりとめのないことを考えていた。
昨日いろんな話をしたけど、どんな物が好きなのか聞いてなかったな。誕生日とかどんな生活をしていたのかを知ったけどそのあと他の話で盛り上がってしまって流れてしまったな。今日釣りに誘ったのは私だけど大丈夫だったかな? いやいや、さっき自分で楽しんでるのかなって思ったばっかじゃないか。
「おい、引いてるぞ」
自問自答していたら隣から声が聞こえた。糸を見たらぴんっと張っていて魚が食いついたことが分かる。
「あっ」
急いで釣ろうとしたけど時既に遅し。引く力がなくなり針だけが糸にぶら下がっていた。
しまった、ぼんやりしてたから逃がしてしまった。少しの悔しさをなくそうとするように釣り竿を消そうとしてふと自分の手を見る。いつの間にか指先が冷え切っていて真っ赤になっていることに今気がついた。感じた寒さを紛らわせるように両手をゴシゴシとこする。
「そろそろ移動するか?」
「そうだね、寒くなってきたしショッピングモールとかに行こうか」
釣り竿に変えていた杖を元に戻しショッピングモールに向かった。
屋内に入ると明るい蛍光灯と暖房が効いた空気が私たちを出迎えた。それに安堵の気持ちが出てくる。やっぱり光と暖かさは安心感を得ることができる。
私もせいべいも長時間立ちっぱなしで疲れていたので、比較的お店が入っていない方のベンチに並んで腰掛ける。そのままぼうっと宙を眺めているとせいべいが口を開いた。
「……ミライ。頼みがあるのだ」
ん? なんだろう。行きたいお店があるのかな。せいべいの方を見るとなにか真剣そうな雰囲気が漂っている。
「何?」
「よと…………友達になって欲しいのだ」
言われた言葉に一瞬思考が固まる。私今なんて言われた? 聞き間違えかと思ったが、生憎私の聴力は正常だ。ということは、彼が言ったことは本当だ。それを理解していくと同時に心の中にじわじわとある感情がにじみ出る。
よかった。ここ数日で仲良くなっていたって感じたのは私だけじゃなかった。
「ありがとう」
思わず心の声が出た。羞恥心が頭をかすめたが、この湧き上がる嬉しさの前では消え失せてしまった。
「私もキミと仲良くなりたいと思っていたんだ」
「お、おうそうか、ありがとうミライ」
「こちらこそ!」
そんなやりとりをした直後、少し遠くで学校のチャイムが聞こえショッピングモールのBGMがガラリと変わる。それが私達の関係が変化したようにも聞こえた。
「ミライにとっての愛とは何なのか?」
「いきなりどうしたの」
学校が終わった後、私たちは公園で最近あったことについて話していた。せいべいと友達になってからあっという間に数週間がたった。一番変わったところは以前より彼の感情がより一層分かってきたということだ。声色とか雰囲気など細かいところでどのように感じているのか、興味関心が惹かれるのかがわかりやすくなって仲良くなってきたと実感する。あとは、強いて言うなら毎日時間の差はあれど遊んでいることくらいかな。そんなところで上の発言が出た。
「以前よは『愛とは追う者追われる者』だと言った」
「言ってたね」
「だが、この前一緒に見た映画では『惜しみなく与える物こそが愛だ』と言ってた」
「うん」
「だから愛とは一体なんなのだろうと考えていたのだ」
「哲学だね。それで私の意見を聞きたいと?」
「そうだ」
なるほどね。愛かあ。愛について考えたことは……ほとんどないな。んーどう応えれば良いのか。
「えーと、まあ愛っていろいろ種類があって」
「おう」
「友達に向ける友愛、家族に向ける家族愛、あと恋人とか好きな人に向ける恋愛」
「ふむふむ」
「関係や行動とかで示しているパターンが多いね。まあだから、私が愛を行動で表すなら
んー……」
私が考える愛の定義は。
「『一緒にいること』かな」
「なぜだ?」
「だって、人の時間は有限だよね。その時間の中でできるだけ愛する人とと多く過ごしていきたいって私だったら考えるから……かな」
「それがミライにとっての愛なのか」
「そうだよ。愛した人と交わした話も、一緒に分かち合った感動とかも、その人と一緒にいたいと思うことこそが私の愛だよ」
そこまで言って残っていた息を吐き出す。白い空気が溶けるのを横目にせいべいの方をうかがう。さすがに、ちょっと真面目すぎたかな。でもせいべいは考えるように顔あたりに手を当てて黙っている。
「つまり、愛は人それぞれだよねってこと」
そう私は恥ずかしい気持ちをごまかすために明るく言い、頭を雑に撫でた。
「なるほど……よも愛はあるのだろうか」
「あるんじゃない? 私も愛を持ってるし、お母さんとか大好きだなあって家族に思う気持ちとかは愛だと思うよ」
「……うむ」
聞こえるかどうかの声でそう呟くとまた黙ってしまった。私は何か言おうとしたけど、言葉が見つからず同じように無言になる。寒さが強まった風の音が私たちの間を流れている。
どうしよう。『冷えてきたからラーメンでも食べに行く?』と声をかけようとしたその時せいべいが口を開いた。
「ミライ」
「う、うん」
せいべいは少しためらったような仕草を見せたけど意を決したように言った。
「……大事な話があるのだ。恋人岬まで来てくれ」
頭が真っ白になる。よりにもよって、もうすぐなのか。キミと会えなくなるのが。
ぽちょんと、川の流れる音の中に魚がはねた音が聞こえた。
『明日でいいなら』
そう答えるのが精一杯だった。せいべいも少しほっとしたような様子で受け入れた。
それから約束の時間を決めてなんだかぎこちない感じで別れた後、自分の部屋にたどり着く。服もそのままにベッドに身を投げ枕に顔を埋める。泥のように鈍った思考をなんとか動かしながら今までの交友関係を振り返る。
自分で言うのも何だが今の私は友達が多い。自分の苦手分野である人との交流から逃げたくなる心を必死に引き留めながら話しかけ、できるだけ相手の気持ちを考えながら付き合うことを行ってきたのでその結果が現れたんだろうと思う。それ故に相談事をよく持ちかけられる。これから先流行しそうな物は何なのかという軽い物から好きな人のこととかの恋愛についてのことや……転校のこともよく相談される。
新しい場所に行くことを応援するか待ったをかけるか。それを相談されるとき、本人はもう答えが出ているけど言いたいときか、本当に迷っているときだ。少しでも迷いがあるなら私は引き留めて相手が考えるようにしているが、決心している場合は背中を押すようにしている。
最後に相談されたのはせいべいと初めて会った日の二週間前。私は背中を押した。みんな相談する場所は、いつも決まってあの岬だった。
私はせいべいが決心していたら引き留められるだろうか。背中を押したあの子と同じように笑顔で応援してるよと言えるだろうか。
翌日になってもモヤモヤした気持ちが頭の中に充満していて浮ついていた。朝階段を踏み外し危うく落ちそうになったり、先生に当てられた質問の答えを間違えそうになったりと明らかに心がどっかに行ってる。他のクラスメイトも違うことに気付いているのか授業中こちらを気遣うような手紙が回ってきた。心配かけて申し訳ないということを思い、それを授業終わりに返信しながら今日のことについて考える。約束した夕方までまだ時間がある。どうすればいいのか。
「……という訳です」
「なるほどねえ」
ジャズがかかっている空間で私はラズベリージュースが入ったグラスを両手で持ちながら、目の前の女性に今までのことを相談した。話を聞いていたライムライトの店主であるメルシィさんは面白そうな、だけど寄り添うようなまなざしで私を見る。
「話を聞いてると……ミライはせいべいに離れたくないって思ってるようにとれるわね」
「まあ、そうです」
結局のところそれなのだ。昨日も色々思いだしていたけど、せいべいが転校するなんて嫌でやっぱりやめたと言ってほしいのだ。
「どうして離れて欲しくないの?」
「えっ」
そこまで考えてなかった。どうしたら転校を引き留めるのかを考えてばかりでそこまで気にもとめてなかった。
「……そこまで考えてませんでした」
「じゃあ仲良くなったなと感じた思い出とか聞かせて」
「えーっと……」
そこから毎日遊んでいること。初めて自分のお店に来てくれたこと。自分の価値観とかを話したことなどを語った。せいべいがこんなことを言ってた、二人で釣りに行って危うく川に落ちそうになったこととかをその時の気持ちをふり返りながら話す。するすると自分の口から出てくる思い出に耳を傾けながら彼について思う。
……気づいてしまった。私がせいべいのことを気にかけようとしていた理由。それは表情が何をしても変わらなかったところだ。楽しそうにしていても、落ち込んでいるときも、誰かにイタズラをされて怒っているときも。気をつけてみてないとつまらないのかなという勘違いをしてしまいそうな無表情顔を私はずっと見てきた。
いつからだろう。その変わらない表情を崩したいと強く思ったのは。
いつからだろう。その最初の瞬間は私に向けた笑顔であればいいのにという願望が濃くなったのは。
せいべいは私の他にも友達もいて、もうその顔は誰かが見ているかもしれないって分かっているのに。
「あらあら大丈夫?」
突然話を止めてうつむいてしまった私にメルシィさんは心配そうに声をかけた。
「自分の、せいべいに対する願望とか、執着心とかがあることに気付きました」
「あら、良かったじゃない今気付けて」
その言葉に私はふしぎな顔をしたのだろう。メルシィさんは微笑んで話し始めた。
「だって転校しちゃうんでしょ、せいべいは。……離れてから自分の気持ちに気付くより後悔とかないと思うわよ」
「そうだ、転校……」
「まだ遅くないわ。今まで通りじゃなく、自分の気持ちを伝えるってこともあなたの持ってる選択よ」
自分の選択か。少し前に問いかけられたこと。『どうして離れたくないのか』これについてまぶたを閉じ、思考を巡らせる。出会った時のこと、初めて遊んだ時のこと、友達になって欲しいと言われたこと。そのどれも違った表情が見たいという気持ちがあった。けど、だんだんいつも一緒にいることが日常になって、その明日が来ることに何の疑問も持たなかった。この気持ちを言葉にするなら。絡まった糸のような感情を1つ1つほどいていき、最後がほどけたその時、視界が開けたように思考がクリアになった。
「ああ」
なんだ、簡単なことじゃないか。もっと一緒にいたい、そんな単純なことだった。
まぶたを開け手に持っていたジュースを一息に飲む。氷が溶けきったことによる冷たさとラズベリーの甘酸っぱさが、さらに頭の中を洗い流す。
「決めたみたいね」
「はい、ありがとうございます」
「んふふ……お礼なんていいわ。……頑張って」
「頑張ります……!」
さあ、ここからが正念場だ。覚悟を決めよう。後悔はそれをやりきった後にするんだ。
私は自分の部屋の椅子に座り、机の上の数行文章が書かれた紙をにらみつける。だいたい私は大切なことを相手に伝えるときに文字に起こし整理をするようにしているが。
「あー、だめだ」
今日ばかりは考えがまとまらない。今まで、少なくとも魔法学校に入学してから私は特定の個人にこんなに強い執着を抱いたことがないのだ。だからこそ、彼にどのように伝えたらいいのかが分からない。
ペンを置き天井を見上げる。いつも無理に引き上げていたテンションが全く上がらない。最近ではプラスの方に考えることになれてきたのに、一人になるといつもこうだ。一旦頭を落ち着かせるために立ち上がり、シンクに置いてあったコップの水を飲んだ時、ふと気付いた。
(ちょっとまって今何時?)
グリンと目玉を壁に掛かっている時計の方を見ると約束していた時間の五分前を指していた。それを認識した瞬間私はドアノブを回し自分の部屋から出ていた。
肝心要の約束時間を忘れるな自分!!
「おい、廊下を走るんじゃねーぞ」
「ごめんなさい!! 行ってきます!」
テツさんの注意を背中で聞き、謝りながら玄関を開ける。
容赦のない寒さと日が沈みはじめの夜空が目に入る。まずいまずいと頭の中がパニックになりながらカバンからホウキを取り出しまたがる。人が通るようなところは避け、全速力で飛ぶ。浮遊感とともに凍るような冷たい風が顔に当たる。視界がかすむような乾燥した空気の中を進んでいる。ショッピングモールが見えてきた。ホウキ禁止の場所ギリギリまで飛んで降りる。勢いがついていたから靴に砂が入る。ざらついた不快感をできるだけ無視し、走りにくくなった足を動かし砂浜を走る。
岬までの距離が永遠のように思えた。
リンゴーン……リンゴーン……。
鐘が鳴る音がする。約束の時間になった合図が海岸に響く。
言わなきゃ、伝えなきゃ、私の思いをたとえどんな結末になっても。
「はっ、はっ……はっ」
必死に足を動かし駆け上がる。肺と喉が爆発しそうなくらい痛い。頂上へと続く階段がこんなに長く感じることはこれから先ないだろう。最後の一段に足をかけた時、見覚えのあるシルエットが岬の先に見えた。
(せいべい)
後ろ姿とオレンジ色の光で表情は分からない。だけど、私が求めている彼であることは分かる。
「せいべいっ、せいべい」
息を整える間もなく彼の名を呼ぶ。せいべいは驚いたように振り返り私を目に写した。
「ミライ……」
安堵したような声色。それを感じ取り泣きたくなるが、奥歯をかみしめそれをこらえる。
「ギリギリになって、心配させてごめん」
「……大丈夫だ」
首を横に振りながら彼は答える。昨日見たどこか決意をしたような目で。
「……っ」
そのまなざしに気圧されかける。けれど、私にも伝えたい…………届いてほしい想いがあるんだ。
「せいべい」
1歩2歩と彼との距離を縮める。
「私も、キミに、伝えたいことがある。先に言ってもいいかな?」
「……」
彼は無言でうなずいた。それを見て私は肺に空気をため心の内を外に出した。
「私、キミともっといたい。もっとショッピングモールとかで一緒に買い物して、私が作った新作のケーキ食べたりして、一緒に学校行って授業受けて分からないところ教え合って」
整頓されていない気持ちが口から止めどなくこぼれ出る。
「仲良くなれたのに離れるなんて嫌だ。キミと離れたくない。………………お願い、転校することについて、ちょっと考えて……」
そう言い終え、恐る恐るせいべいを見上げた。引いてると思った。けれど、その予想は外れ困惑と嬉しさが混じった複雑そうな顔をしていた。
「よが、転校すると?」
「うん。ここで伝えたいことがあるって、そういうことでしょう?」
「ちがうぞ」
「え?」
「よが転校する予定なんてないのだ」
「………………ええっ」
訳が分からない。伝えたいことは転校の相談や決意ではない?
「じゃ、じゃあ私をここに呼び出したのは別の用事ってこと……?」
こくりとせいべいがうなずく。つまり。
「私の、勝手な勘違い」
「そういうことになるな」
ガクンと力が抜けしゃがみ込む。頭の上から大丈夫かとせいべいの焦った声が聞こえる。ああなんだ、私の一から十まで勝手に想像したことじゃないか。恥ずかしい。スコップになって穴掘って入りたい。
「ごめん。なんか、1人で暴走して……」
「いや……」
立ち上がり、顔の熱さを逃がすように手で仰ぐ。ちょっと表面温度が下がり、気恥ずかしさを抑えせいべいの方を見る。
「それで、転校の相談じゃないってどんなことを伝えに来たの?」
「う、うーん…………」
せいべいは言葉に詰まり顔を林檎色に染める。そう数秒逡巡していたが覚悟を決めたようにこちらに向き直った。
「ミライ」
「うん」
「以前ミライに愛について聞いたことがあったのを覚えておるか」
「うん。確か私の考えを言ったのを覚えてるよ」
「それを聞いて思ったのだ。よはカップルとしてミライと、お互いの愛について今よりもっと知っていきたいと。………………ミライが好きだ。だから、よの、恋人になってください」
「…………」
せいべいは顔をさらに赤くしながらそう言い切った。私の答えは、とうに決まっている。
「はい、付き合いましょう」
「ほ、ほんとか!!」
「うん。それに、こんなに執着心を抱いたのキミが初めてだったからね。だから」
目の前の彼の手を取りひんやりとした手のひらを両手で包む。
「私もキミが好きだよ。せいべい」
「………………! ありがとうミライ」
微かに目を細くし、口角が緩やかに上がる。今まで見たことのないその表情に私は目を見開いた。
「…………キミの笑顔。初めて見た」
「それはそうじゃ。よはいつでもクールだからのう」
彼の胸を張り調子づいた感じで言うその姿に笑顔になる。ああ、ずっと一緒にいたい。この光景忘れたくない。こう思ってしまうのもきっと相手がせいべいだからだろう。
「さて、早速だがミライ」
「ん? 何?」
「デートに行かないか?」
「……! うん!」
熱かった頬がさらに温度が上がるのが分かる。ホウキもなしに空を飛べそうな高揚感でいっぱいになる。こんなことは初めてだ。
恋人岬の鐘の音と沈んでいく夕日が私たちを祝福するように包み込んだ。
私が魔法学校に入学した時に決めたことの一つ、クラスメイトと親密になること。私も相手も人なので合う合わないは存在するが、できる限り話ができるように心がけている。そのため、例のクラスメイトに挨拶したい。昨日はお店の方が忙しく、学校に行っていないからせっかくのチャンスを逃している。私は人が多くいそうなショッピングモールに向かった。
「……いない」
散々歩き回った私は今、ショッピングモールからすぐ近くのベンチにぐったりと座っている。1階から3階まで一通り見て回ったけどそれらしき人は見当たらなかった。別のクラスメイトは、「ひょうたんのような見た目をしているからすぐに分かる」と言っていたけど、どこを見回してもひょうたんはいない。疲れた。
今日はもう会えないんだろうか。ボーっと地面を見つめながらそんな考えが頭をよぎった時、ガチャリとドアが開く音がした。音の方を首を回し、……いた。アパートから出たのは一見ひょうたんに手足が生えているように見えるけど、中央くらいに顔があり百パーセント探していたクラスメイトだった。
(本当にいた。ひょうたんの人)
ざわついた心を落ち着かせるように深呼吸をする。私はベンチから立ち上がりその人の方に近寄り勇気を出し声をかけた。
「初めまして。キミは新しく来たクラスメイトかな?」
そう言ったら彼? はこちらを見て口を開いた。
「むむむ……そなた初めて見る顔であるな。名はなんと申す?」
おぉ、時代劇とかで聞くような話し方だ。おっと、自己紹介しなきゃ。
「私はミライ。キミと同じ魔法学校に通っているよ」
「ミライか、良い名じゃ。よの名はせいべい。今後はよしなにたのむぞよ」
「分かったせいべい、今後ともよろしく!」
こうして私とせいべいとの交流は始まった。
「せいべい、今日開いてる? 開いてたら遊びに行きたいんだけど……」
数日後、私は学校近くで歩いていたせいべいに早速遊びに誘った。転入してきた頃はガチガチになりながら言うのが精一杯だった頃と比べ、私も遊びに誘うのなれてきたなと思ってしまう。
「ん? おうミライか。いいぞ今のよは暇だからな」
そうせいべいは表情一つ変えることなくうなずいた。昨日も思ったけど本当に変わらないな。まあ、出会って数日だしそこまで仲良くなってないからな。そんなことを頭の片隅で思い、互いのことを話しながら町外れを探索した。好きな物、今話題のうわさ話、学校のことなど共通のことを冗談交じりに言いながら。
「そうか。ミライはお店をしているのか」
「そうだよ。主にケーキとかの洋菓子を売っていて、この前食事ができるカウンターも新たにできたんだ」
「今度行っても良いか?」
「いいよいいよ。ご来店、お待ちしております」
そんなやりとりをしていてふと空を見上げたら、オレンジ色の光が目に入ってきた。気がついたら辺りは薄暗くなっていてかなり時間がたっていたことが分かる。
「もう暗くなってる。時間がたつのは早いね」
「じゃあ今日はもう帰るか?」
「もうすぐ夜になっちゃうからね。そろそろお開きにしよっか」
「ああ」
そう言って私は寮の方へ、せいべいはショッピングモールの方へそれぞれ歩き出そうとした。その時、せいべいの呼び止める声が聞こえた。
「のう、ミライ」
「? なに?」
「明日も遊んでもいいか?」
「もちろん大丈夫だよ! 予定空けておくね」
「うむ、ありがとう」
そうして今度こそ私たちは家に帰った。部屋についてから今日のことを振り返る。少なくてもやらかしてはいないと思ってる。話していた話題も共通のものだったし、特に変な間があったとかなくスムーズに会話できた。明日も遊びたいと言ってくれたから成功した……かな?
……結局せいべいの無表情以外の顔は見れなかったな。でも感情がないわけじゃないと思う。虫を捕まえた時は「やった!」と手を上げて喜んでいたし、最近落ち込んだことを話してた時は肩を落としていた。あれがせいべいにとっては普通なのかな。出会ったからには仲良くなりたいな。そしてできることなら、いつか笑った顔をみてみたいな。
雲一つない寒空の下、私は遊びの約束通りせいべいと海釣りに来ていた。釣り糸を垂らしながら隣にいるせいべいをチラリと見る。無表情だけど、いつ魚がかかってもいいように集中している。
楽しんでるのかな? と思いながら私は海の方に向き直り魚がかかるのを待つ。その間とりとめのないことを考えていた。
昨日いろんな話をしたけど、どんな物が好きなのか聞いてなかったな。誕生日とかどんな生活をしていたのかを知ったけどそのあと他の話で盛り上がってしまって流れてしまったな。今日釣りに誘ったのは私だけど大丈夫だったかな? いやいや、さっき自分で楽しんでるのかなって思ったばっかじゃないか。
「おい、引いてるぞ」
自問自答していたら隣から声が聞こえた。糸を見たらぴんっと張っていて魚が食いついたことが分かる。
「あっ」
急いで釣ろうとしたけど時既に遅し。引く力がなくなり針だけが糸にぶら下がっていた。
しまった、ぼんやりしてたから逃がしてしまった。少しの悔しさをなくそうとするように釣り竿を消そうとしてふと自分の手を見る。いつの間にか指先が冷え切っていて真っ赤になっていることに今気がついた。感じた寒さを紛らわせるように両手をゴシゴシとこする。
「そろそろ移動するか?」
「そうだね、寒くなってきたしショッピングモールとかに行こうか」
釣り竿に変えていた杖を元に戻しショッピングモールに向かった。
屋内に入ると明るい蛍光灯と暖房が効いた空気が私たちを出迎えた。それに安堵の気持ちが出てくる。やっぱり光と暖かさは安心感を得ることができる。
私もせいべいも長時間立ちっぱなしで疲れていたので、比較的お店が入っていない方のベンチに並んで腰掛ける。そのままぼうっと宙を眺めているとせいべいが口を開いた。
「……ミライ。頼みがあるのだ」
ん? なんだろう。行きたいお店があるのかな。せいべいの方を見るとなにか真剣そうな雰囲気が漂っている。
「何?」
「よと…………友達になって欲しいのだ」
言われた言葉に一瞬思考が固まる。私今なんて言われた? 聞き間違えかと思ったが、生憎私の聴力は正常だ。ということは、彼が言ったことは本当だ。それを理解していくと同時に心の中にじわじわとある感情がにじみ出る。
よかった。ここ数日で仲良くなっていたって感じたのは私だけじゃなかった。
「ありがとう」
思わず心の声が出た。羞恥心が頭をかすめたが、この湧き上がる嬉しさの前では消え失せてしまった。
「私もキミと仲良くなりたいと思っていたんだ」
「お、おうそうか、ありがとうミライ」
「こちらこそ!」
そんなやりとりをした直後、少し遠くで学校のチャイムが聞こえショッピングモールのBGMがガラリと変わる。それが私達の関係が変化したようにも聞こえた。
「ミライにとっての愛とは何なのか?」
「いきなりどうしたの」
学校が終わった後、私たちは公園で最近あったことについて話していた。せいべいと友達になってからあっという間に数週間がたった。一番変わったところは以前より彼の感情がより一層分かってきたということだ。声色とか雰囲気など細かいところでどのように感じているのか、興味関心が惹かれるのかがわかりやすくなって仲良くなってきたと実感する。あとは、強いて言うなら毎日時間の差はあれど遊んでいることくらいかな。そんなところで上の発言が出た。
「以前よは『愛とは追う者追われる者』だと言った」
「言ってたね」
「だが、この前一緒に見た映画では『惜しみなく与える物こそが愛だ』と言ってた」
「うん」
「だから愛とは一体なんなのだろうと考えていたのだ」
「哲学だね。それで私の意見を聞きたいと?」
「そうだ」
なるほどね。愛かあ。愛について考えたことは……ほとんどないな。んーどう応えれば良いのか。
「えーと、まあ愛っていろいろ種類があって」
「おう」
「友達に向ける友愛、家族に向ける家族愛、あと恋人とか好きな人に向ける恋愛」
「ふむふむ」
「関係や行動とかで示しているパターンが多いね。まあだから、私が愛を行動で表すなら
んー……」
私が考える愛の定義は。
「『一緒にいること』かな」
「なぜだ?」
「だって、人の時間は有限だよね。その時間の中でできるだけ愛する人とと多く過ごしていきたいって私だったら考えるから……かな」
「それがミライにとっての愛なのか」
「そうだよ。愛した人と交わした話も、一緒に分かち合った感動とかも、その人と一緒にいたいと思うことこそが私の愛だよ」
そこまで言って残っていた息を吐き出す。白い空気が溶けるのを横目にせいべいの方をうかがう。さすがに、ちょっと真面目すぎたかな。でもせいべいは考えるように顔あたりに手を当てて黙っている。
「つまり、愛は人それぞれだよねってこと」
そう私は恥ずかしい気持ちをごまかすために明るく言い、頭を雑に撫でた。
「なるほど……よも愛はあるのだろうか」
「あるんじゃない? 私も愛を持ってるし、お母さんとか大好きだなあって家族に思う気持ちとかは愛だと思うよ」
「……うむ」
聞こえるかどうかの声でそう呟くとまた黙ってしまった。私は何か言おうとしたけど、言葉が見つからず同じように無言になる。寒さが強まった風の音が私たちの間を流れている。
どうしよう。『冷えてきたからラーメンでも食べに行く?』と声をかけようとしたその時せいべいが口を開いた。
「ミライ」
「う、うん」
せいべいは少しためらったような仕草を見せたけど意を決したように言った。
「……大事な話があるのだ。恋人岬まで来てくれ」
頭が真っ白になる。よりにもよって、もうすぐなのか。キミと会えなくなるのが。
ぽちょんと、川の流れる音の中に魚がはねた音が聞こえた。
『明日でいいなら』
そう答えるのが精一杯だった。せいべいも少しほっとしたような様子で受け入れた。
それから約束の時間を決めてなんだかぎこちない感じで別れた後、自分の部屋にたどり着く。服もそのままにベッドに身を投げ枕に顔を埋める。泥のように鈍った思考をなんとか動かしながら今までの交友関係を振り返る。
自分で言うのも何だが今の私は友達が多い。自分の苦手分野である人との交流から逃げたくなる心を必死に引き留めながら話しかけ、できるだけ相手の気持ちを考えながら付き合うことを行ってきたのでその結果が現れたんだろうと思う。それ故に相談事をよく持ちかけられる。これから先流行しそうな物は何なのかという軽い物から好きな人のこととかの恋愛についてのことや……転校のこともよく相談される。
新しい場所に行くことを応援するか待ったをかけるか。それを相談されるとき、本人はもう答えが出ているけど言いたいときか、本当に迷っているときだ。少しでも迷いがあるなら私は引き留めて相手が考えるようにしているが、決心している場合は背中を押すようにしている。
最後に相談されたのはせいべいと初めて会った日の二週間前。私は背中を押した。みんな相談する場所は、いつも決まってあの岬だった。
私はせいべいが決心していたら引き留められるだろうか。背中を押したあの子と同じように笑顔で応援してるよと言えるだろうか。
翌日になってもモヤモヤした気持ちが頭の中に充満していて浮ついていた。朝階段を踏み外し危うく落ちそうになったり、先生に当てられた質問の答えを間違えそうになったりと明らかに心がどっかに行ってる。他のクラスメイトも違うことに気付いているのか授業中こちらを気遣うような手紙が回ってきた。心配かけて申し訳ないということを思い、それを授業終わりに返信しながら今日のことについて考える。約束した夕方までまだ時間がある。どうすればいいのか。
「……という訳です」
「なるほどねえ」
ジャズがかかっている空間で私はラズベリージュースが入ったグラスを両手で持ちながら、目の前の女性に今までのことを相談した。話を聞いていたライムライトの店主であるメルシィさんは面白そうな、だけど寄り添うようなまなざしで私を見る。
「話を聞いてると……ミライはせいべいに離れたくないって思ってるようにとれるわね」
「まあ、そうです」
結局のところそれなのだ。昨日も色々思いだしていたけど、せいべいが転校するなんて嫌でやっぱりやめたと言ってほしいのだ。
「どうして離れて欲しくないの?」
「えっ」
そこまで考えてなかった。どうしたら転校を引き留めるのかを考えてばかりでそこまで気にもとめてなかった。
「……そこまで考えてませんでした」
「じゃあ仲良くなったなと感じた思い出とか聞かせて」
「えーっと……」
そこから毎日遊んでいること。初めて自分のお店に来てくれたこと。自分の価値観とかを話したことなどを語った。せいべいがこんなことを言ってた、二人で釣りに行って危うく川に落ちそうになったこととかをその時の気持ちをふり返りながら話す。するすると自分の口から出てくる思い出に耳を傾けながら彼について思う。
……気づいてしまった。私がせいべいのことを気にかけようとしていた理由。それは表情が何をしても変わらなかったところだ。楽しそうにしていても、落ち込んでいるときも、誰かにイタズラをされて怒っているときも。気をつけてみてないとつまらないのかなという勘違いをしてしまいそうな無表情顔を私はずっと見てきた。
いつからだろう。その変わらない表情を崩したいと強く思ったのは。
いつからだろう。その最初の瞬間は私に向けた笑顔であればいいのにという願望が濃くなったのは。
せいべいは私の他にも友達もいて、もうその顔は誰かが見ているかもしれないって分かっているのに。
「あらあら大丈夫?」
突然話を止めてうつむいてしまった私にメルシィさんは心配そうに声をかけた。
「自分の、せいべいに対する願望とか、執着心とかがあることに気付きました」
「あら、良かったじゃない今気付けて」
その言葉に私はふしぎな顔をしたのだろう。メルシィさんは微笑んで話し始めた。
「だって転校しちゃうんでしょ、せいべいは。……離れてから自分の気持ちに気付くより後悔とかないと思うわよ」
「そうだ、転校……」
「まだ遅くないわ。今まで通りじゃなく、自分の気持ちを伝えるってこともあなたの持ってる選択よ」
自分の選択か。少し前に問いかけられたこと。『どうして離れたくないのか』これについてまぶたを閉じ、思考を巡らせる。出会った時のこと、初めて遊んだ時のこと、友達になって欲しいと言われたこと。そのどれも違った表情が見たいという気持ちがあった。けど、だんだんいつも一緒にいることが日常になって、その明日が来ることに何の疑問も持たなかった。この気持ちを言葉にするなら。絡まった糸のような感情を1つ1つほどいていき、最後がほどけたその時、視界が開けたように思考がクリアになった。
「ああ」
なんだ、簡単なことじゃないか。もっと一緒にいたい、そんな単純なことだった。
まぶたを開け手に持っていたジュースを一息に飲む。氷が溶けきったことによる冷たさとラズベリーの甘酸っぱさが、さらに頭の中を洗い流す。
「決めたみたいね」
「はい、ありがとうございます」
「んふふ……お礼なんていいわ。……頑張って」
「頑張ります……!」
さあ、ここからが正念場だ。覚悟を決めよう。後悔はそれをやりきった後にするんだ。
私は自分の部屋の椅子に座り、机の上の数行文章が書かれた紙をにらみつける。だいたい私は大切なことを相手に伝えるときに文字に起こし整理をするようにしているが。
「あー、だめだ」
今日ばかりは考えがまとまらない。今まで、少なくとも魔法学校に入学してから私は特定の個人にこんなに強い執着を抱いたことがないのだ。だからこそ、彼にどのように伝えたらいいのかが分からない。
ペンを置き天井を見上げる。いつも無理に引き上げていたテンションが全く上がらない。最近ではプラスの方に考えることになれてきたのに、一人になるといつもこうだ。一旦頭を落ち着かせるために立ち上がり、シンクに置いてあったコップの水を飲んだ時、ふと気付いた。
(ちょっとまって今何時?)
グリンと目玉を壁に掛かっている時計の方を見ると約束していた時間の五分前を指していた。それを認識した瞬間私はドアノブを回し自分の部屋から出ていた。
肝心要の約束時間を忘れるな自分!!
「おい、廊下を走るんじゃねーぞ」
「ごめんなさい!! 行ってきます!」
テツさんの注意を背中で聞き、謝りながら玄関を開ける。
容赦のない寒さと日が沈みはじめの夜空が目に入る。まずいまずいと頭の中がパニックになりながらカバンからホウキを取り出しまたがる。人が通るようなところは避け、全速力で飛ぶ。浮遊感とともに凍るような冷たい風が顔に当たる。視界がかすむような乾燥した空気の中を進んでいる。ショッピングモールが見えてきた。ホウキ禁止の場所ギリギリまで飛んで降りる。勢いがついていたから靴に砂が入る。ざらついた不快感をできるだけ無視し、走りにくくなった足を動かし砂浜を走る。
岬までの距離が永遠のように思えた。
リンゴーン……リンゴーン……。
鐘が鳴る音がする。約束の時間になった合図が海岸に響く。
言わなきゃ、伝えなきゃ、私の思いをたとえどんな結末になっても。
「はっ、はっ……はっ」
必死に足を動かし駆け上がる。肺と喉が爆発しそうなくらい痛い。頂上へと続く階段がこんなに長く感じることはこれから先ないだろう。最後の一段に足をかけた時、見覚えのあるシルエットが岬の先に見えた。
(せいべい)
後ろ姿とオレンジ色の光で表情は分からない。だけど、私が求めている彼であることは分かる。
「せいべいっ、せいべい」
息を整える間もなく彼の名を呼ぶ。せいべいは驚いたように振り返り私を目に写した。
「ミライ……」
安堵したような声色。それを感じ取り泣きたくなるが、奥歯をかみしめそれをこらえる。
「ギリギリになって、心配させてごめん」
「……大丈夫だ」
首を横に振りながら彼は答える。昨日見たどこか決意をしたような目で。
「……っ」
そのまなざしに気圧されかける。けれど、私にも伝えたい…………届いてほしい想いがあるんだ。
「せいべい」
1歩2歩と彼との距離を縮める。
「私も、キミに、伝えたいことがある。先に言ってもいいかな?」
「……」
彼は無言でうなずいた。それを見て私は肺に空気をため心の内を外に出した。
「私、キミともっといたい。もっとショッピングモールとかで一緒に買い物して、私が作った新作のケーキ食べたりして、一緒に学校行って授業受けて分からないところ教え合って」
整頓されていない気持ちが口から止めどなくこぼれ出る。
「仲良くなれたのに離れるなんて嫌だ。キミと離れたくない。………………お願い、転校することについて、ちょっと考えて……」
そう言い終え、恐る恐るせいべいを見上げた。引いてると思った。けれど、その予想は外れ困惑と嬉しさが混じった複雑そうな顔をしていた。
「よが、転校すると?」
「うん。ここで伝えたいことがあるって、そういうことでしょう?」
「ちがうぞ」
「え?」
「よが転校する予定なんてないのだ」
「………………ええっ」
訳が分からない。伝えたいことは転校の相談や決意ではない?
「じゃ、じゃあ私をここに呼び出したのは別の用事ってこと……?」
こくりとせいべいがうなずく。つまり。
「私の、勝手な勘違い」
「そういうことになるな」
ガクンと力が抜けしゃがみ込む。頭の上から大丈夫かとせいべいの焦った声が聞こえる。ああなんだ、私の一から十まで勝手に想像したことじゃないか。恥ずかしい。スコップになって穴掘って入りたい。
「ごめん。なんか、1人で暴走して……」
「いや……」
立ち上がり、顔の熱さを逃がすように手で仰ぐ。ちょっと表面温度が下がり、気恥ずかしさを抑えせいべいの方を見る。
「それで、転校の相談じゃないってどんなことを伝えに来たの?」
「う、うーん…………」
せいべいは言葉に詰まり顔を林檎色に染める。そう数秒逡巡していたが覚悟を決めたようにこちらに向き直った。
「ミライ」
「うん」
「以前ミライに愛について聞いたことがあったのを覚えておるか」
「うん。確か私の考えを言ったのを覚えてるよ」
「それを聞いて思ったのだ。よはカップルとしてミライと、お互いの愛について今よりもっと知っていきたいと。………………ミライが好きだ。だから、よの、恋人になってください」
「…………」
せいべいは顔をさらに赤くしながらそう言い切った。私の答えは、とうに決まっている。
「はい、付き合いましょう」
「ほ、ほんとか!!」
「うん。それに、こんなに執着心を抱いたのキミが初めてだったからね。だから」
目の前の彼の手を取りひんやりとした手のひらを両手で包む。
「私もキミが好きだよ。せいべい」
「………………! ありがとうミライ」
微かに目を細くし、口角が緩やかに上がる。今まで見たことのないその表情に私は目を見開いた。
「…………キミの笑顔。初めて見た」
「それはそうじゃ。よはいつでもクールだからのう」
彼の胸を張り調子づいた感じで言うその姿に笑顔になる。ああ、ずっと一緒にいたい。この光景忘れたくない。こう思ってしまうのもきっと相手がせいべいだからだろう。
「さて、早速だがミライ」
「ん? 何?」
「デートに行かないか?」
「……! うん!」
熱かった頬がさらに温度が上がるのが分かる。ホウキもなしに空を飛べそうな高揚感でいっぱいになる。こんなことは初めてだ。
恋人岬の鐘の音と沈んでいく夕日が私たちを祝福するように包み込んだ。