Novel

ポケットの中身


黒板の隅の画用紙のコウモリ。机の上に残った紙コップ。窓から差し込む夕方の光が、床の紙吹雪をオレンジに染めている。

奏太(そうた)は、オオカミの耳をつけたまま鞄を肩にかけた。右ポケットに、手を入れる。指先に触れた小さな包みを、そっと押し戻す。

「トリックオアトリート!」

背中に声が刺さった。振り向くと、美月(みづき)が机に腰かけて、片手を突き出している。ポニーテールの横で、ふわふわの耳が揺れた。

「お菓子ちょうだい、奏太」

「……ない」

「ない?」

「ないない。全部配った」

自分でも声が大きいと思った。
美月は目を細めて、机からひょいと降りる。

「ほんとに?」

「ほんとだって」

一歩、近づかれた。奏太は一歩、下がる。背中が黒板にぶつかって、チョークの粉が舞った。

「じゃあ、いたずらだね」

美月が笑った。八重歯が夕日にちらっと光る。

「ガオー!」

両手の指を曲げて、爪を立てるみたいなポーズ。
奏太は、思わず目を閉じた。何も、来ない。おそるおそる目を開けると、美月は奏太のオオカミの耳を、ちょんと指でつついていた。

「……耳、曲がってた」

「え」

「直しただけ。はい、おしまい」

美月はけろっとしている。奏太の心臓だけが、まだ走っていた。

「いたずら、それだけ?」

「それだけだけど?」

首をかしげる美月に、返す言葉が見つからない。美月は鞄をごそごそ探って、何かを取り出した。

「あ、そうだ。はい、これ」

手のひらに、小さな包みが乗っている。奏太がいつも買う、お菓子だった。

「奏太の分。あたしも、持ってたんだよね」

偶然だよ、と言いたげな顔だった。ただ視線だけが、ほんの少し奏太から外れていた。
奏太は、そのまま固まった。右ポケットの包みが急に重くなる。

「……っ」

次の瞬間、手が勝手に動いていた。ポケットから出した包みを、美月の前に突き出す。

「ガオー!」

教室が、しんとした。美月の肩が、びくっと跳ねた。

「……っ、びっくりした!」

その顔に、奏太は得意げに鼻を鳴らす。

「へへっ、さっきの仕返しな」

美月は一瞬ぽかんとして、それから吹き出した。

「なにそれ!」

笑いながら、奏太の手から包みを受け取る。それは美月が、前に「おいしい」と言っていたお菓子だった。

「やっぱり持ってたじゃん」

「……うるさい」

「仕返しにしても、渡し方おかしいでしょ」

「忘れてくれ」

「やだ」

美月は、もらった包みをポケットにしまった。
いつもは雑に突っ込むくせに、その手つきだけ、やけに丁寧だった。

奏太は、オオカミの耳の下まで赤くなった顔を、窓のほうへそらす。夕日のせいにできるのが、ありがたかった。
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