機甲猟兵メロウリンク


一人で生きていけると思っていた。
護りたいと願ったものを喪って、歩むべき道を見失って。
一人きりになってしまった。
それでも、生きていけると思っていたのに。

飽き飽きした長い戦争下に生まれ、物心ついた頃には武器を持って戦場を駆けずり回っていた。
その地獄のような世界で、家族同然だったシェップス小隊での日々は、何も持たない己のすべてだった。
無惨に奪われた幸福──あれだけ心を揺り動かしたものとは、二度と出逢えないだろうと諦めていた。
復讐を終えたあとの事など考えてもいない。
殺されるくらいなら殺してやろうとは思っていた。
戦場以外の生き方は知らなかった。
人並みの幸福というやつも分からなかった。

──ただ、たった一つだけ。
胸を焦がすものを見つけた。
およそ血腥い戦場には似合わない綺麗なドレスを着て。
宇宙のような深みのある青紫の髪を結って。
宝石のように輝く緑色の瞳を細めて。
作り物めいた端整な顔に、あの優しげな笑みを浮かべる女。
その笑みを向けられる度に、どうしようもなく心が逸る。
五月蝿くて、激しくて、暖かくて。
──護りたい、と。
失ってしまったはずの願いが生まれる。
何も守れなかった過去を思い出しても、今度こそはと願ってしまう。
復讐の旅路をともに歩むことになったのは偶然だったが、それでも一緒に戦いたいと言葉にしてくれたのは、酷く嬉しかった。
護る戦い方を知らなかったから、彼女を護ることは不得手だった。
そんな最中に彼女を奪われた時は、背筋が凍りついた。
ようやく護りたいと願う存在を見つけ、それをむざむざと奪われてしまった己の不甲斐なさに、全身を焼くような怒りを感じた。
小さくなっていく彼女の姿。
もはや手が届くはずがない。
……嫌だ。
─それは、もう嫌だ。


「───メロウ!」

つんざくような悲鳴じみた声が鼓膜を揺さぶった。
闇の底から意識が浮上して、混乱する思考は霧散していく。
額に乗せられたひやりとした感覚が、酷く心地よかった。
目を開ければ、闇の中でも分かる白い顔が、心配そうに己を見つめている。
ひやりとした感覚の正体を探ろうと腕を動かせば、それは彼女の手だった。

「……ルルシー?」
「魘されてたけど大丈夫?」
「夢を…みていた気がする…覚えてないんだが…」
「急に私の名前を呼び始めたから驚いたわ」
「…あぁ、あんたが居なくなる夢だったかもしれない」
「…坊やも夢を見て寂しくなるのねぇ」

上から覗き込むようにしていた身体を横たえ、隣で彼女が笑う気配がする。
恥ずかしい所を見られたような気はするが、現実に彼女がいることに安堵した。

「そんなに心配なら、手でも握ってくれてたらいいのに」

左隣に横になっている彼女の手が、行き場を失っていた己の左手を包んだ。
指まで絡めて、まるで厳重に鍵をかけるような手つきだ。

「この手を離さなければ、私はあなたとずっと一緒ね。離さないでよ、メロウ」

薄闇の中で、彼女の息遣いをすぐ側に感じる。
夢の中では、彼女の気配はまったく感じられなかった。
遠ざかっていくものを追いかけていたような、そんな朧気な記憶しかない。
ただ彼女を喪うことに恐怖を感じたような気がする。

「たとえ手を繋いでいたとしても、怪我もさせちまったし…あんたは、簡単に死んじまう」
「そりゃそうよ。私は坊やみたいな超人じゃないもの。きっと呆気なく死ぬわ」
「…あんたに、死なれたくない。ルルシー…死なないでくれ」
「ちょっと勝手に殺さないで。どうしたのよ、メロウ…淋しい?それとも怖い?」
「……分からない」

どくどくと心臓が五月蝿いのは、不安なのか、恐怖なのかは分からない。
冷や汗が背筋を伝って、ぞわりとした寒気をもたらす。
繋いでいた手に、力を込めてやり過ごす。
薄闇の中では、己を象る輪郭が曖昧になっていく。
世界に溶け込むというのか、一体化するような感覚に包まれるのだ。
それは周囲に溶け込むことを意識していた戦場ならば有効だったのだろうが、今はそれが不安にさせているのかもしれない。
確かなものなど何もないのだ、と。
そう突きつけられるような感覚は、己が見ている世界をすべて否定しているように思えた。
だから、今は夜が来るのが恐ろしい。
闇の中ではすべてが曖昧だ。
現実も、夢も。
復讐という確かな道を歩んでいた間は、何も気にならなかったのに。

「……眠っている間に、あんたが居なくなってしまったらどうしようかと、そんなことばかりを考える」

一人の時には、考えたこともないような事ばかりを考えてしまう。
それは、きっと手離しがたい温もりを知ってしまったからだ。
もう一人では生きていけない。
もし生きられたとしても、埋められぬ空虚さは存在するだろう。

「私は、坊やを置いてどこかに行くつもりはないわよ?むしろ坊やの方が一人でどこかに行っちゃいそうだけど」
「そういう予定はないが…?」
「なら一緒にいられるじゃない」

あっけらかんと言い放つ彼女の率直さには救われる。
何でもないことのように笑う彼女が、距離を詰めてくる。
肩に触れる癖のある髪がふわりと肌を撫でた。

「ねぇ、なら約束をしましょう」
「約束?」
「眠る前にキスをして、抱き合って眠って、起きたらキスをするの。これが毎日の約束。どう?」

彼女の提案は、まるで子どもの戯れのような響きを持っている。
それでも、その子どもじみた約束の提案は、不安定な気持ちを僅かに安定させた。
天井を眺めていた視線を、隣に横たわる彼女に向ける。
そのままぐるりと身体を横に向け、彼女の身体を抱き寄せるように腕を動かした。

「…眠っている間に、腕からすり抜ける可能性は…?」
「私の全力の抵抗だとしても、坊やの身体に敵うわけないでしょう?自分の身体をちゃんと見なさい。それだけ鍛えられた逞しい身体に敵うと思う?」
「そうだな…すまない、バカなことを言った」

──おやすみ、坊や。
彼女の声に誘われ、ゆるやかに目を閉じる。
首筋に軽く触れたしっとりとした熱が、張り詰めていた精神の糸をプツリと切った。
微睡む感覚に身を任せ、意識は静かに霧散していった。



白い闇に包まれる。
それは闇の底を照らして、意識を揺り起こす。
光に晒されたような眩しさに目を開ければ、カーテンの隙間から陽光が射し込み始めていた。
腕の中では、彼女が静かに呼吸を繰り返している。
それが妙に嬉しくて、すり寄るように彼女の頭に顔を埋めた。
もぞもぞと暖かい温もりが動いて、眠そうな目をした彼女と目が合った。

「……よく眠れた?」
「あぁ、夢もみなかった」
「なら良かった…おはよう、メロウ」

返事を返す前に、唇の端に彼女の唇が触れた。
再び夢の中に戻ったらしい彼女の寝息を聞きながら、同じように目を閉じる。
このまま二度寝をしても良い。
何も喪うことは無い。

あれほど怖くて怖くて堪らなかった闇が、いつの間にか気にならなくなっていた。
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