ジョニー・ライデンの帰還


道に迷っている自覚は無かった。
一年戦争を終え、FSSでパイロットをやって。
そこそこありふれた人生を歩んでいると思っていた。
幾度かの戦争を越え、五体満足で生きているだけで十分だった。
FSSという組織に秘された、世界の暗部が押し込められた不穏な裏の役目さえ気にしていなければ、何の不自由もない日々を過ごしていた。

──あの日。
一人の女に会い、彼女の言葉を聴くまでは。



『レッド・ウェイライン』
それが己を定めるものであり、己を形作る記憶の主だ。
連邦軍の兵士として一年戦争に従軍した。
エースと呼ばれるほどの腕前ではなかったが、ひとまず死ぬことなく終戦を迎えた。
その後は戦争に参加せず、FSSに参加した。
実験機のデータ集め用のパイロットとして仕事をこなしていた。
チームメイトのアシュレイとは付き合いが長い。
貴重な人材であったエンジニアをチームに引き入れようとして、ジオンから来たリミアがチームに加わった。
腕は確かだが、人使いの荒い女だ。
そして、彼女との出逢いによって、運命は狂ったのかもしれない。

『ジョニー・ライデン』
多くの人間が、これこそが己の本来の姿だと願い、望む存在。
謎多きキマイラ隊所属のエースパイロット。
この騒動の中心人物であり、騒動を収めるための重要な鍵。
彼を心酔する人間が集い、散々になっていたはずのキマイラ隊すら集まっている。
どれだけ違うと否定したところで、彼らは己こそが『ジョニー・ライデン』なのだと確信しているらしかった。
ユーマも、ジョニ子も。
そして、サイコミュの共鳴が齎す記憶に無いはずの記憶が、己の根幹を揺るがし始めている。
──ユーマとジョニ子を見守る日々。
──エイシアの最期。
──ユーマの暴走を止め、撃たれた瞬間。
──シャア・アブナブルとのやり取り。


「ジョニー!なぁ、ジョニー!!」
「何だ、ユーマ…聞こえているから静かにしろ」

近い距離で喚くユーマから距離を取り、わんわんと反響する音を消すように耳に指を突っ込んだ。
さっきまで自機のメンテナンスをしていたような気がするが、それも終わってしまったのだろう。
ここ最近にしては珍しく一人で過ごせる時間が確保できた為、キマイラ隊メンバーから距離を置いていた。
一人一人の様子を眺めて落ち着いて頭の整理をしようと思ったが、ユーマはそんな時間すら持たせてくれないらしい。

「ぼんやりしてたから心配だったんだ。疲れてるなら休んでくれ。ジョニーに倒れられたら、オレが暴れちまう」
「オレが居なくても大人しくできるなら、少しは休めるだろうな」
「大丈夫だ!ジョニーが居なかったら、代わりに姐さんに怒られるだけだ」
「何をもって大丈夫なんだ?」

大型犬のようなユーマは、妙にリミアに懐いている。
『姐さん』という彼女の不本意であろう呼び名は、彼の中ではすっかり定着しており、リミア本人も否定することに疲れたのか結局そのままになっている。
彼女が不愉快でないなら良いだろう。

「そういえば…リミアはどこにいる?」
「姐さんなら、クリストバルたちのシミュレーションに付き合ってたよ」
「なら良い」
「何か用があるなら呼んでこようか?」
「いや、急ぎじゃない」

何となく彼女が長時間己の視界にいないと落ち着かないだけだ。
目の届かぬところで、また無茶をされていたら困る。
あの救えなかったという後悔にも怒りにも似た感情は、もう二度と味わいたくはない。
広大な格納庫をぼんやりと眺めていた己をちらと見ながら、ユーマが笑みを溢した。

「どうしてなのかは分からないけどさ、姐さんがキマイラたちと仲良くしてると嬉しいんだ」
「そうか」
「あ、姐さん!オレも混ぜてくれ!」

シミュレーターから出てきた第二小隊メンバーとやり取りをしているリミアに向け、ユーマが手を振ってシミュレーターの方へと移動する。
ユーマの声に反応したリミアが、端末から顔を上げてこちらを見上げた。
一瞬、彼女と目が合った気がした。
すぐにユーマに絡まれて視線は外れてしまったが、その一瞬に安堵を覚えた。
彼女自身に多少の縁があるとはいえ、曲者揃いのキマイラ隊に彼女が馴染んでいるなら良い。
己を心酔する者たちが、己のチームメイトを雑に扱うようなことがなくて良かった。
彼女は、己の根幹を留めていてくれるモノなのだ。
彼女が、どれだけ『ジョニー・ライデン』を求め続ける集団の中にいようと、出逢った頃と変わらずに『レッド』と呼び続けてくれるから。
道を失ってしまった己を保っていられるのだ。

専用カラーに染められたゲルググの群れの中で、ショートカットの茶髪が揺れる。
小柄な体格は、屈強なエースパイロットたちに囲まれるとすぐに見えなくなってしまう。
小さな背で、懸命に向き合う背中に手を添えてやりたいと思う。
その一方で、イヤホンに何かを吹き込む姿は、チームメイトとして目にしてきた彼女の有能さに満ちている。
こうして距離を置いてみると、様々な彼女の姿に、おかしいほど心を揺さぶられている。
己はこれほど目で追っているのに、彼女の視線とかち合うことは少なくなった。
彼女の視界には、己以外の人間ばかりが映っているのだろう。
彼女がキマイラ隊と親しくなることに損は無いだろう。
事態がここまで進んでしまったなら、いっそのこと深く関わりあった方が良いと思う。
パイロットとエンジニアとして信頼関係を築いておくことは、今後の戦況においても有効であるはずだ。
だから、彼女がキマイラ隊と関わることには何の文句もなかった。
それでも、胸の奥底で何かが燻っている気がしていた。


「ジョニーが何か考えてるみたいなんだが、姐さんは知らないか?」
「レッドが?」
「ずっと難しい顔してるんだ」
「さぁ…私は何も聞かされてないけど」
「姐さんが知らないなら仕方ないな」

首を傾げて聞いてきたユーマが、その返答で満足だったのか甚だ疑問ではあったが、けろりと笑った。
変わったとは思う。
彼が何を考えているのか、すっかり分からなくなってしまった。
彼の穏やかな眼差しを見る度に、知らない人間のように感じる瞬間はある。
それでも、自身にとっての彼は変わっていない。
それが彼に伝わっているのかは知らない。
伝わっていなくとも良いと思える。
だから、必要以上の言葉は口にしないようにしていた。

「リミア」

背中に投げ掛けられた声に、一瞬びくりとした。
まるで心が読まれたように思ったからだ。
後ろを向けば、苦い顔をしてこちらを見下ろすレッドが立っていた。
難しいというよりは、拗ねているようにも見える顔をして、今度はこちらが首を傾げてしまった。

「どうかした?」
「……」

何故、彼女に声をかけてしまったのだろうか。
見上げる瞳が、キラキラと瞬いている。
レッド、と彼女の唇が声もなくその音を形作る。
『道を導かれる者』
それは、初対面の彼女が言葉にした。
その言葉は、今になって己に救いを齎している。

「……オレを導くと言ったのは、お前だろ」

道を見失って、多くの人間が己が先頭を歩むことを望んでいる。
自分の存在は曖昧になり、誰なのかも分からない。
手を引いてほしいのは、本当は己の方なのだ。
闇の中を走り、何も見えない先を求めて。

彼女だけは。
そう、彼女だけは。
オレを導いてくれるはずの希望なのだ。
オレが、オレでいられるように。

ハッとしたような顔をして、リミアが微かに苦笑を浮かべた。
あの何気ない約束を、きっと思い出したのだろう。
それが妙に嬉しくて、ようやく口元が緩んだ気がした。
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