ジョニー・ライデンの帰還


「お帰り」

と、目の前の男は、あまりに優しい眼差しで私を見つめ、労るような柔らかさを持って髪に触れた。
よく知った顔をした、全く知らない人間のようで。
…それが、何故だか酷く淋しい気持ちにさせた。

短くない時間を独りぼっちで宇宙を漂っていたからか、人が側にいるという感覚に懐かしさを感じている。
会長に頭を下げ、スコットに姫と呼ばれ、初めて見た時から変わらない生真面目そうなジャコビアスと握手を交わし、全く知らないキマイラのメンバー達と顔を合わせた。
豊かなバストをした綺麗な女性とサングレ・アスルに救出に来てくれたバンダナの男性だけは、ほんの少し気安く接してくれる。

目まぐるしい状況の整理もつかぬままに宛がわれた部屋に入り、ぼすん、と真新しいベッドに倒れこんだ。
薄い洗剤の香り以外、何の匂いもしない。
シンとした室内が、あの独りぼっちの時間を思い出させる。

「…シャワー浴びよう」

もそもそと体を起こし、それから着替えが何もないことに気づいた。
どうしようか考えていると、ちょうどよく扉がノックされた。
返事をすると扉が開き、袋を持った女性クルーが立っていた。

「リミアさんの着替えです。アイシュワリヤさんから預かりました。適当に選んで持って来ただけなので文句はなしですよ、との伝言もあります」
「ありがとう。文句なんか言いませんよ」

着替えが手に入ったことで、ようやくシャワーを浴びることができる。
ノーマルスーツを脱ぎ、そのまま衣服も取り払う。
一人用の狭いシャワールームでお湯を浴びながら、ようやく深く息を吐いた。
知らずに力の入っていた首回りや肩をほぐす。
お湯の温かさと全身から過度の力が抜けていくことで、緊張の糸が切れたのか涙が溢れた。

「……良かった。帰ってこれた…っ」

あの状況の中では自覚していなかったが、心細かったのだ。
たった一人ですべてを動かすというのは。
自分の知識と理解力だけしか頼るものが無かった。
これでいいのかと不安になりながら、見つけてもらえるかと淋しく丸く縮こまりながら。

ポロポロと落ちて消えていく涙をしばらく見つめたあと、深呼吸をして顔を上げ、そのままシャワールームを後にした。


「姐さん!」

格納庫にでも行けば皆が集まっているかと考え、廊下に顔を出した瞬間だった。
部屋の前で待っていたらしいユーマに大きな声で名前を呼ばれ、思わずびくついた。
大型犬のような青年は、快活な普段の様子と異なり、何も言わずにこちらを見つめたあと、ゆるゆると瞳を歪めて今にも泣き出しそうな笑みを浮かべた。
細められた瞳にはうっすらと水の膜が張っている。

「…姐さん。オレ、ジョニーとの約束を破って、あんたを一人にしちまった。オレが護るって約束したのに」
「あれは私の独断のせいだから、あなたは何も悪くないわ」
「ジョニーも、そう言ってオレを許してくれた」
「なら、それでいいじゃない。私こそ、あなたに約束破らせてしまって申し訳ないわ」
「…優しいな、姐さん」

─でも、ジョニーのあんな顔を見るのは嫌だったんだ、と。
俯いた青年は、ぽつりと零した。
きっと私が見たこともないような表情をしていたのだろう。
それは、この青年にとっては辛さをもたらすものだったのだろうと、その言葉を聞いて思った。

「なぁ、姐さんは抱き締めたら怒るかい?」
「…苦しくない程度なら」
「ありがとう。お帰り、姐さん」

ぱぁっと笑って、約束通りに静かなハグを交わした。
子どもっぽい勢い任せなハグではなく、互いを労るような穏やかなハグだった。
普段の無邪気な言動とは裏腹にがっしりとした青年らしい肉体に包まれ、静かに目を閉じる。
ドクン、ドクンと鼓動する心臓の音を間近に聴きながら、彼にも辛い思いをさせてしまったと今さら後悔を感じた。
体を離した時には、すでに私のよく知る子どものようなユーマ・ライトニングに戻っていた。

「姐さんはこれからどこ行くんだ?」
「一人でいるのもつまらないし、あのキマイラの人たちのことも知りたいんだけど」
「オレも今から行くんだが、格納庫なら多分ジョニー達もいると思うぜ」
「やっぱりそうよね。私も行くわ」

二人連れたって廊下を進んでいると、格納庫の入り口付近で今度はクリストバルと出会った。
目線だけで会話をしたキマイラの二人を見やり、クリストバルに視線を戻す。
彼は私に何かしらの縁があるらしく、とりわけ彼は気遣うような穏やかな接し方をしてくれる。
縁について教えてくれないのは、キマイラの機密性の高さからくるものなのだろうと勝手に結論付けている。
私はあくまでキマイラからすれば部外者だ。
機会があれば教えてほしいと、そんな我が儘を抱えていた。

「少しは休めましたか?」
「はい、少しは」
「そりゃ良かった。こんな目まぐるしい状況じゃ、少しでも休めれば上々ですよ」
「本当に」

…不思議な距離感だ。

ユーマとクリストバルに挟まれ、格納庫に足を踏み入れた。
気配に敏感なキマイラの優秀な戦士たちの視線が集まってくるのを感じる。
彼らの所有物だったものを勝手に起動させたのだ。
様々な感情を抱えているのだろう。

「リミア」
「…レッド」

穏やかな声音。耳馴染まない優しい声。

「ボロボロになっちまったんだが、戦闘データの解析できるか」
「…本当にボロボロね。すぐに解析するわ」
「頼む」

すれ違い様、ぽん、と頭に手を置かれた。
レッド・ウェイラインは、そういう労りを器用に表現できる男ではなかった。
彼の労りは、不器用なほどに分かりにくいものだった気がする。
当の本人は格納庫にいる見知らぬキマイラ隊員たちの方へと向かい、何かしらの話をし始めた。

「お嬢さん」
「泣きませんよ。悲しいことなんて、何もないのに」
「……そうですか」

困ったように微笑むクリストバルに向けてぎこちなく笑い、頼まれた仕事を始める。

─彼が誰であってもいい。
私にとっては、あの男はずっと『レッド・ウェイライン』なのだ。


一時間ほどデータと格闘し、抽出できた結果を格納庫で披露すると、シミュレーションに組み込んでほしいと頼まれた。
あのシャア・アズナブルとの再戦に向けてとのことだ。
激戦になるのは目に見えている。

「貴女の腕を見込んで、頼みたい」
「はい、すぐに準備します」
「こんなに小柄で可愛いのに、ジョニー・ライデンが信頼を置くエンジニアなのよ」
「そ、そんなことないですから」
「いや、姐さんは凄いぜ!」

エメと呼ばれるグラマラスな女性に抱き寄せられ、その夫である褐色の厳めしい男性や彼に付き従う隊員たちの視線に晒される。
ジャコビアスの呆れたような視線や、ああだこうだと盛り上がるユーマの声を聞きながら、こんなやり取りが小さな家族のようで、ほんの少し取り残されたような淋しさが消えていく。
静かで、穏やかな眼差しに囲まれ、姉や養父のことを考えた。
戦場のただ中にいるくせに、家族の温もりを感じるなんて。

シミュレーターにデータを組み込み、正常に作動するかチェックをする。
ふと、その作業を傍らで見ていたユーマやレッドに気づいてあることを思い出した。

「そういえば」
「どうした?」
「サングレ・アスルの中で、姉さんにレッドとユーマの三人で怒られる夢を見たわ。ジャブローでの派手なあれこれを姉さんってば、とっても怒ってたわよ」
「そりゃおっかないな」
「姐さんの姉さん?」
「その呼び方、ややこしいから止めてちょうだい」
「お姉さんもお元気で?」
「えぇ」

軽口を叩いて笑うレッドに、ようやく知っている男の面影を見出だし、ほっと息を吐いた。

システムを操作している為にちょうど中心に位置し、その周囲をキマイラの四人に囲まれている。
その姿が、幻獣を従えているようだと、壁に寄りかかって見守っているジャコビアスに思われているとも知らずに。
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