JOJO


ヒールのリズミカルな音を響かせ、少女が石畳を走る。
ブーツだから良いものの、これが普通のサンダルだったらすでに転んでいただろう。
イタリアを牛耳るパッショーネは、先日新たなボスが誕生した。
恐怖で抑えられていた他組織が、新生パッショーネを潰そうと躍起になっているらしい。
関係者であることがバレているらしく、何人かの男たちに追われていた。
スタンドを使えば対処できてしまいそうだが、街中で注目を浴びたくない。
振り切ることに集中して、人の波を泳ぐようにするすると走り続けた。
そのうち何かに躓いて、一瞬視界が暗くなる。
しまった、と思ったが、むしろ思わぬ味方の登場に驚いた。

「そんなに急いでどうされたのかな、お嬢さん。何か大切な約束でも?」
「えぇ、そうなの。大切な友人との約束があって」
「おやおや、それは一大事だ。私がカボチャの馬車になってあげよう」
「あら、亀でも素敵だと思うわ」

そう微笑み返せば、亀の中に住み着いた幽霊──ジャン・P・ポルナレフは穏やかに笑った。
天井を見上げれば、追いかけていた男たちが通り過ぎていくのが見えた。
予定の時間に約束の場所へ辿り着けなかった自身を案じ、恐らくポルナレフと亀を用意してくれたのだろう。
ポルナレフが広げていた地図には、合流地点が印されていた。
そこで誰かと落ち合うのか。
きっとその誰かは、ミスタだろう。
一番暗殺向きなのだと、よく話していた。

「ねぇ、ポルナレフさん、私の荷物は?」
「君の荷物の場所は変えていないさ。女性の荷物に無断で触れるのはご法度だろう?」
「グラッツェ!」

しばらく見ない間に内装が変わって、家具の配置も変更されていたが、ここに置きっぱなしにしてある荷物はそのままにしてくれていたらしい。
背の低いチェストの引き出しから化粧道具を取り出し、鏡を翳してひとまず乱れてしまった全身のチェックを行う。
そして、紅を引いて、髪を梳かす。
くるりと回って、これで整った。

「いつも思うんだが、恋する女性ほど素敵なものはないな」
「恋なんてしてないわ。そんな相手もいないもの」
「こんな美女を放っておくなんて、君の周りの男の目は節穴だ!」
「うふふ!嬉しいわ!」

ノロノロと亀の案内は続き、予定よりも十五分ほど遅れて約束の場所へと着いた。
闇に溶け込むように佇む人影は、やはりミスタだった。
亀から飛び出し、ミスタに声をかける。
人好きのする笑みを浮かべたミスタが、軽く手を上げて応えた。

「よォ~!元気だったか、トリッシュ~!半年ぶりくれぇじゃあねぇか?」
「ミスタも元気そうね!早く会いたかったわ!」
「おいおい~そんな口説き文句は、お前さんを待ってる奴に言ってやれって。それよりよ、追手は撒いたな?」
「えぇ、亀には気づいてなかった」
「よし、そっちの片付けはあとでやっとく。とりあえずこっから移動するぞ」

再び亀の中に入ると、ミスタがその亀を抱えて移動し始めた。
街中から少し外れ、窓を開ければ海が望める場所に、現パッショーネボスの過ごす屋敷がある。
元ボスは正体不明のため、アジトの場所さえ不明であったが、代替わりをした現ボスは隠れることはしない。
隠れはしないが、敵対する相手には容赦しない。
爽やかな海風を纏ったような少年は、己の正義に揺るがない自信を持っており、ギャングらしく荒々しい手段も行える。
身内を護る為に、彼の下で誰もが戦うのだ。

華美過ぎない落ち着いた建物に着くと、ミスタがゆっくりと玄関の扉を開ける。
閉じる直前まで建物の周囲を気にしていたが、追手はいなかったらしい。
拳銃をしまうと、ようやく亀から出る許可が出た。

「ジョルノは三階だ。オレは片付けの指示だけ出して、あとから行く」
「分かったわ」
「ちゃんとポルナレフさんも連れてってくれよォ」
「もちろん」

亀を抱き上げ、深紅の絨毯が敷かれた階段を上がる。
建物全体が風通しの良い造りになっており、時々吹き込む潮風が心地よい。
三階の突き当たりに、重厚な雰囲気を持つ扉が見えた。
緊張からか、鼓動が速くなる。
護衛をつける必要のないほど本人が強いからか、誰にも護られていない扉をノックした。
名前を名乗って返答を待っていると、一拍置いて扉が開けられた。
光を放っているような眩いブロンドが現れ、にこやかな笑みを浮かべたジョルノが姿を見せた。

「久しぶりですね、トリッシュ」
「ジョルノも元気そうで良かったわ」
「さぁ、中へどうぞ。女性をもてなせるようなものはありませんけど」

最後に見た時より、背が伸びた。
彼を見上げる視線が、少し上向いた気がする。
結われていた後ろ髪は背中に適当に流され、緩く波打ったブロンドが風に遊ばれていた。
顔立ちにも精悍さが増して、知らぬ間に青年になりつつあるジョルノに戸惑いさえ覚える。

「みんな、大人になってるのね」
「君は、出逢った時から素敵な女性ですよ」
「あなたも冗談を言うのね、驚いた。それとも、そういう変化なのかしら」
「どうにも、君には僕の言葉は信用してもらえないらしい」

ため息交じりに、ジョルノが呆れたように微笑んだ。
力強い瞳が柔らかに細められ、愛おしいものを見つめるような優しさを帯びる。

「いつになったら、僕は君が好きなのだと信じてもらえるのだろう」
「いつまでも、きっと冗談だと思い続けるわ。そういえば、無駄なことは嫌いなんじゃあなかったの?」
「一度で済むことを何度も繰り返すことは無駄です。確かに、僕の嫌いなことだ。けれども、こればかりは何度も伝える必要があるんです。信じてほしい相手に伝わらないというなら、信じるまで繰り返すしかない」

こちらに伸ばされたジョルノの手が、すいと右手を掬った。
彼の端整な顔が近づいて、手の甲に熱が触れる。
それだけで、心臓が口から飛び出てしまいそうなほど五月蝿くなってしまう。

「いいんです、トリッシュ」
「な、なにが…」
「僕が、勝手に想っているだけですから。どんな時でも、君が幸せであることを願っています」

怖いのだ。
好きだと、大切にするたびに。
誰もが私を一人にするから。
母も、アバッキオも、ナランチャも、ブチャラティも。
大切だったのに、私を置いて逝ってしまった。

「……ジョルノは、私を一人にしない?」
「えぇ、君が僕を拒絶することがない限り」
「そう…あなたが言うなら、きっとそうね」

淋しい。
独りぼっちになることは。
耐え難い悲しみを与えてくるから。

「約束よ」
「?」
「自分でも幸せになれるけど、あなたが私を幸せにしてちょうだい」
「…必ず」

ハグをするのは照れくさく、ただそっとお互いの手を握った。
それから少しずつ距離を詰め、お互いの身体に凭れかかり、ようやく互いの背に腕を回せた。
間近に聞く鼓動の速さに赤くなりながら、込み上げる涙を堪えることができなかった。

「……好きよ。きっと、ずっと前から」
「良かった。とても嬉しい」

抱き締める腕に力が入り、確かな温もりが何よりも嬉しかった。
眩いブロンドが頬を撫で、唇に熱が触れた。
見た目によらず熱烈なのだ、と。
照れ隠しのように微笑み返した。
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