機甲猟兵メロウリンク


クメンに潜伏して、おそらく一週間が過ぎた。
延々と続く自然豊かな熱帯雨林の景色は、独特の熱気と湿気と相まって、既に飽き飽きとした憂鬱な気分を作り出している。
荒涼とした大地ばかり見ていた己にとって、こうした自然豊かな景色を珍しいと思えたのは精々二、三日だった。
幾ら自然豊かとはいえ、変化の乏しい景色はすぐに見慣れた光景に変わってしまったのだ。
機甲狙撃中隊・特務狙撃班に編入され、スタブロス館の護衛に配置されてから、さらにそれは悪化した。
煌々と光を絶やさぬ醜悪な館には、さぞご立派な身分の客人たちが延々と出入りしている。
噂では悪どい手法で成り上がった男だというから、ビーラーゲリラの格好の標的にされているらしかった。
護衛とは名ばかりのただの監視。
ゲリラたちが『狩り』という名目で命を踏みにじられていく様を、ただずっと眺めているだけだった。
心を閉ざせば、何も感じないで済む。
護衛対象であるスタブロスという男が、復讐の標的の一人である『スヌーク少佐』の可能性があるという事実がなければ、こんなことを続ける意義は無かった。


三日に一度、他のメンバーと交代してアッセンブルEX10の基地に戻る。
宛がわれた部屋で横になって、ようやく閉ざしていた心という機能を再起動させることができた。
ただ眠るだけの部屋には何もない。
薄い壁の向こうで、傭兵たちが談笑しているのを聞くともなしに聞いている。

「最近、ニイタンのバーにけっこう可愛い新人が入ったらしいぜ」
「あぁ、見た見た!こないだカードの勝負して大負けした奴らも見たな」
「可愛い顔しておっかねえ女だぜ」
「話してたら見たくなっちまったな。今夜も会いに行くとするか」

ガヤガヤと賑やかな笑い声が遠ざかっていく。
彼らの話題に上がっていた女は、己も知る人間だろう。
ムナメラ河の河畔に位置するニイタンという町は、一見ただの田舎町に思えるが、この基地の兵站補給の為に利用されている。
ジャングルはビーラーゲリラの領域であり、ジャングルと基地との境に位置するその町は、いわば内紛の最前線と呼んでいい。
夜間は傭兵たちを癒す歓楽郷になり、そこに気前の良い若い女が増えたとなれば、血気盛んな男たちの話題に上がらないはずがなかった。
彼女の話題を耳にする度に、まだ居るのかと不思議な気持ちになる。
ニイタンがアッセンブルEX10の兵站補給の町であることはゲリラも把握しており、時々ゲリラの強襲があるらしい。
誰がやられた、どこがやられた、と。
ここに居れば否応にも耳に入る。
飽き飽きした百年戦争がようやく停戦を迎え、幻のような平和が訪れたというのに、何故彼女はこんな危険な場所を仕事場として選んだのだろうか。
クメンに渡りたかったのは己であり、彼女は成り行き上たまたま付いてきたとでも言えばいいのか。
彼女は、カードディーラーとして腕が良いらしい。
もっと安全な場所で稼げばいいのに、と己は無関係なのにそんなことを思う。
彼女と自分は無関係なのだと己に言い聞かせる為に、傭兵として雇われてからは彼女が働く店に一度も顔を出していない。
ニイタンまではここから車で五分程度の距離ではあったが、足を向けるつもりはなかった。
このまま縁が切れても良かった。
彼女は、己の復讐には何の関係もない。
たまたま助けてもらって、借りがあるだけなのだ。
それもタビングで精算できたはずだ。
だから、もう関係はないのだ、と。
そう嘯く己を責めるように、胸の奥がチクリと痛んだ。


ジャングルにいる間は、心を閉ざしているせいか時間の感覚が曖昧になる。
三日という時間が、長いのか短いのか分からない。
名前も知らない交代の傭兵と言葉を交わし、再び基地に戻った。
任務上、基地を離れている時間は長く、ジャングルという敵地のど真ん中でゆっくりと身体を休める時間もない。
交代で基地に戻った時は、休める為に身体を横たえて、時々聞こえる噂を耳にするだけで十分だった。
彼女に幾ら負けた、何を話した、何を着ていた。
そんなことを聞きながら、綺麗に結われた青紫の髪が揺れる様を思い出す。
タビングで見た青貝色のドレスは、彼女によく似合っていた。
無防備に晒された丸い肩や細い腕を思い出し、ここでもそうした露出が多いのだろうと思うと、言い知れぬ不快感が胸の奥底で蠢く。
噂があるということは、彼女は生きているのだろう。
危険しかない最前線を離れることもなく。
その事実に安堵してしまう己が不可思議だった。

「昨日のゲリラの強襲はヤバかったな。俺たちの憩いの場が無くなったかと思ったぜ」
「まさかファンタムクラブの真ん前に砲撃が落ちるとはな。ま、ガラスは多少吹っ飛んだらしいが、店自体は無傷らしい」
「ゲリラの奴らも必死だってことかね」
「その分、俺たちの金も増えるだろうよ」
「そりゃそうだな!」

傭兵たちの会話に、一瞬身体が凍りついた。
彼らが口にした店の名前は、彼女が働いている店の名前だった。
ゲリラの強襲は珍しいことではない。
この基地も、ニイタンも、常にゲリラの標的にされている。
多少ニイタンの方がゲリラの強襲規模は小さいように思える。
民間人も多く、町は利用価値があるのだろう。
町の人間も慣れきったものらしい。
だから、ニイタンの強襲の報の際は、それほど動揺したことはなかった。
他人事のように思っていたのかもしれない。
目と鼻の先にいながら、彼女と関係を絶とうとしていたから。

横たえていた身体を起こし、外套だけをひっ掴んで部屋の外に飛び出した。
血のような真っ赤な夕陽はとうに沈み、黒をぶちまけたような闇が満ちていた。
基地の照明と周囲を照らす探照灯の灯りだけが、ぼんやりと闇に浮かんでいる。
何もしていないのに、全力疾走した後のように心臓が五月蝿い。
五月蝿く拍動する心臓につられて、息が上がる。
彼らの話しぶりでは、店は無事らしい。
彼女の話も、他の人間がしていたのを聞いている。
だから、きっと彼女は無事なのだ。
そう必死に言い聞かせて、それでも己の目で見ていないことは信じられないと、もう一人の己が叫ぶ。
自分には関係ないのだと言い訳をして、それでも心配なのだと他の己が喚く。
会ってどうする。
無事かどうかを確かめたかったと言うのか。
そんな理由も、義理もないのに。
考えの纏まらない己が忌々しかった。

「お前さん、こんなところでどうした」
「! あんたは…っ」
「すっかり顔見てなかったが、交代で帰ってきやがってたのか。どうだ、眠れねぇなら一杯付き合わんか」

思わぬ救いの神の登場に、散々纏まりのない会議を開いていた己が静まった。
軍人崩れが集う物騒な基地に似合わぬ羽振りの良さそうな陽気な衣装の親父は、ここに斡旋してくれたゴウトであった。
ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべて、距離を詰めてくる。
このまま誘いに乗れば、問答無用で彼女の働く店に連れていかれる気がした。

「…酒は遠慮しておく」
「なんでぇ、付き合いが悪ぃな」
「ゲリラに店がやられたと聞いたが」
「あぁ、店の窓が粉々だ。ま、それ以外は目立ったキズが無くてな。多少埃っぽいが、そんなもんいつものこった」
「怪我人は、いなかったのか」
「うちの従業員どもはピンピンしとったな。しぶとい奴らだからな」

豪快に笑うゴウトの声に、渦巻いていた不安が消えていく。
いつの間にか詰めていた息を吐き出し、情けない己を嗤うように苦笑が漏れた。



戦場にいるのだと、初めて自覚した。
戦争中から、前線基地への慰問団に同行することは度々あった。
前線基地といえども、そんな暢気な一団を歓迎するのは大概前線から一歩引いた場所に位置するようなものばかりだった。
仮にバララントとの交戦があったとしても、基地そのものが襲撃されるようなことはなかった。
そのせいか戦場の最中にいるという自覚は薄かった。
それが、このクメンに来てからは常にそんなことを思う。
百年戦争はひとまず終わったというのに、ここは内紛の真っ只中だ。
週に二、三回は、この田舎町はゲリラの強襲を受ける。
多少の建物の損壊と数人程度の犠牲はあったが、町の人間はすぐに日常に戻れるレベルの規模ばかりだった。
昼でも夜でも、それは変わらない。
そんな空気にも慣れた頃だった。
傭兵相手のカードの勝負の真っ最中。
夜はまだまだこれからだと言わんばかりの熱気に包まれていた店の外で、低い地響きと轟音が聞こえた。
暗いはずの夜空が疎らに明るくなり、ゲリラだという誰かの叫びを聞いた瞬間だった。
店の外が閃光に包まれて、次いで爆発音とともに熱風が全身に絡みついた。
世界が無音になったように、一瞬の空白があった。
窓ガラスが吹き飛んでいた。
店の間近に砲撃があったらしいと気づいたのは、立ち上がった拍子に見えた道路が抉れているのが見えたからだ。
ひっくり返ったテーブルの影にいたお陰で、幸いほぼ無傷だった。
窓際や入口近くにいた人間に多少の怪我はあったが、それでも軽いもので済んだようだった。
片付けも含めて、すぐに店は閉められた。
ガラスの破片を掃きながら、微かに震える指先に気づかぬ振りをした。

深夜を過ぎてホテルに帰り、一人になってからようやく怖かったのだと思った。
あの一瞬、自身の命が消えるような、そんな恐ろしい予感に包まれた。
ディーラーとして女一人で生きていくのは易くはない。
修羅場も潜り抜けてきた自負はある。
それでも、あの自身の存在そのものを塗り潰されて消されてしまうような恐怖を感じたことはなかった。
あの抗えない死の予感が、きっと本物の戦場なのだろう。
悪寒のような恐怖を忘れるために、自分を抱き締めるようにして横になった。

「……坊や」

どうして、今この場にいてくれないの。
そんな身勝手なワガママさえぶつける相手がいない。
炎と煙の匂いは、復讐に生きる少年を思い出させる。
一緒にクメンに来たというのに、あれきり顔を見せに来てくれない。
顔を見に行こうかとも思ったが、任務上基地にいない時間が多いのだとゴウトから教えてもらった。
顔を見に行って居なかったとしたらとても惨めな気がして、結局基地に足を伸ばすことはしなかった。
死んだとも、怪我をしたとも聞かない。
彼はしぶとそうな人だったから、生きているのだとは思う。
彼の復讐に興味があるから、勝手に協力者めいたことをしている。
こんなに不安になるのは、両親を喪って、家さえ失った時以来かもしれない。
彼の朴訥な声音と、純朴そうな顔を思い描く。
あまり目を合わせてくれないが、捨てられた子犬のような振る舞いに似合わない彼の強い瞳は好きだ。
今ここにいてくれたら、それだけで安心できるような気がするのに。

二日後の夕方。
店に顔を出すと、割れた窓ガラスの修理の目処が付いたのか、上機嫌にグラスを磨くバニラに出迎えられた。
午後四時過ぎの店は、客などほぼ居ない。
手持ち無沙汰にカードをシャッフルしていると、濃紺の夕空とともに、ガヤガヤとした気配が店の前に止まった。
次々と、顔馴染みになった傭兵たちが店に溢れる。
その中に、彼がいることを微かにでも期待してしまった自身に、心の中で舌を出した。
勝負に身は入らなかったが、負けはしなかった。
ゴウトが店に顔を出したのは、日付が変わる一時間程度前のことだった。
普段はもう少し早く顔を出しているが、基地の方で仕事でもしていたのかもしれない。
酔っ払いたちに苦笑を浮かべながら、バニラが居座るカウンター席に腰を下ろした。

「遅かったなぁ、とっつぁん」
「なぁに、面白い奴と話し込んでてな」
「あら、どんな人?」
「お前さんもよく知っとる奴だよ」
「まさか…坊や?」

目を眇め、意味深に笑みを浮かべたゴウトの反応に、それが正解であるのだと悟った。

「坊や…基地に帰ってきてたの?」
「ちょうどな。宿舎の外で突っ立ってたから声かけたのよ」
「そんなとこで何してたの」
「さぁてねぇ…ま、一昨日の騒動を知ってたようだし、ちっとはお前さんのことを気にしてたんじゃねぇのか?」
「うふふ、冗談ばっかり。顔も見に来ないのに?」
「まぁ、そう言いなさんな。伝言は預かったぞ」

彼と私を恋仲だと勘違いしているゴウトは、苦笑交じりにグラスを呷った。
たっぷりと間を置いてから、『無事で良かった』と。
五十路に差し掛かろうかという男は、彼の姿を思い出しているのか天井に向けてぽつりと呟いた。
その短い言葉は、朴訥な彼らしい言葉だと思った。
じわりと、何かが暖かく胸を満たした。

「信じる気になったかい?」
「そうね…あの子らしい言葉だわ」
「あーあーまったく…こんな親父に、こんな甘ったるい伝言させるんじゃねぇや。尻がむず痒いったらねぇよ」
「やだ、私のせいじゃないもん。坊やに言ってよぉ」

キャッキャッとはしゃいでみせて、胸の奥を衝き動かすモノには気づかぬ振りをした。
素朴なたった一言が嬉しくて、無性に彼に会いたいと思った。
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