運命と踊る


訓練場に満ちていたざわめきが、静かな嘲笑に変化していく。
どうせ勝てる訳がないと高を括る奴らの鼻先を叩き折ってやる。
騎士団レベルの奴らに、己の実力を見せたことなど一度もない。
訓練など肩慣らし程度のレベルだ。
どれだけの命を屠ったと思っているのだ。
友人の命を護る為なら、死体を増やすことに躊躇はない。
その為に剣を奮い、その為に腕を磨いた。
お飾りの剣術と比べてもらっては困る。

「ま、待て…っ」
「止めるなよ、あんたが煽ったことだ」
「…っ、真剣での決闘は許さない!訓練用の剣にしろ。相手が降伏すれば、その時点で試合は終了とする…!」

やる気になる団員たちとは裏腹に、およその実力を把握している団長は青ざめている。
ルールを聞いて、余裕の笑みを浮かべた団員が目の前に立った。
最初の見せしめにはちょうど良い。
余裕を見せる奴を叩きのめせば、苛立ちも少しはスッとするだろう。
訓練場のど真ん中で向き合い、両腰に訓練用の剣を吊るした。

「──始め」

開始の声とともに、右手で引き抜いた剣を水平に構え、駆け出す。
こちらの速さに追いつけなかった相手が、慌てて剣を横薙ぎに振るった。
体勢を低くしてやり過ごし、剣の届く距離まで踏み込んだ瞬間、側腹部に剣を叩き込んだ。
腹が裂ける代わりに、息の詰まる衝撃を食らい、相手は堪えきれずに蹲った。
蹲り、無防備になった首を狙おうと構え直した一瞬で、相手が両手を上げて降伏してしまった。

「これからだってのに…」

剣を戻し、蹲る男を睥睨する。
数分で決着のついた試合を見ていた団員たちが、声も出さずに静まり返っていた。
凡庸だと侮っていた人間が、本当は違うのかもしれないと認識を改めているところか。
それでも、まぐれだと考える人間もいるらしく、すぐに次の相手が決まった。
団長の合図とともに剣を構え、一歩踏み込んでから今度は真っ直ぐに突き出す。
胸を突かれ、体勢を崩した相手の右手を強かに打ち、相手の手から剣が落ちた。
その剣が再び握れぬように剣を蹴飛ばすと、そこで降伏してしまった。

「生温いな。本物の騎士もたいした実力はないようだな」
「そ、それほどの実力を持っているなど…!」
「知らなかったと?相手の実力を判断できない奴らには分からないだけだ」

何人か連続でサッサと倒してしまうと、徐々に相手をしたがる団員は減った。
ようやく己の実力を身を以て知ったらしい団員たちが、訓練場の片隅で震えている。
己の身を守りたい奴らが、剣を交わさず降伏したがる素振りを見せ始めた。
しかし、団長に従う誰も彼もを許すつもりはない。
友人を侮辱し続けてきた国王派の考えに同調していた奴らを、己が許す訳がない。
何も考えず、権力に従うだけの能なしどもに安寧は必要ない。

「全員相手にしてもいいぞ。その代わり全力で応戦するがな」
「──待て」

息を呑んで固まる団員たちをよそに、苦々しく事態を睨んでいた団長が声を上げた。
剣を柄に戻し、気怠く見やる。
まるで敵に向けるような眼差しで睨む団長を、無言で睨み返した。

「……私が相手をする」
「ほぉ…もっと後かと思ってたが、あんたが出るのか」
「これ以上団員を無為に消耗させる訳にはいかぬ。お前の遊び相手は私一人で十分だ」
「なら、あんたを越えれば団長の座は貰うぞ」
「…良かろう」

静まり返っていた場が、再びざわめいた。
騎士団長直々の手合わせも、団長が変わるかもしれないという危機感も。
彼らの頭では処理の追いつかない現実なのだろう。

「──団長様…!王がお呼びで御座います…!」
「アレク、相手をするのは一週間後だ」

サッサと終わらせてしまおうと思ったが、慌てた様子で駆け込んできた使用人の一言に邪魔をされてしまった。
それだけを告げて訓練場を出ていった団長の背中を睨み付けた。

「……あんたが逃げるなよ」

こんなタイミングで国王に招聘されるなら、友人の方も何か動き始めたのかもしれない。
ようやく友人が自由を得るまで、もう少しだ。
友人が自由と権力を得るなら、彼女も穏やかに生きていけるだろう。
そうなれば、ますますかつて交わした賭けの話が現実味を帯びてくる気もするが、賭けに勝てばいいのだと言い聞かせる。
彼女の見せる、花が綻ぶような笑みが脳裡をちらついた。
決して個人的な好意は無い。
あるのは、あくまで友人の妹が健やかでいてほしいという願いだけ。
そして、友人への忠誠と、友人が愛するものへの敬意だけだ。
訓練用の剣を放り投げ、怯えと安堵を混ぜた視線を向ける団員たちをぐるりと見回した。
もはや誰も抵抗する気は無いようだった。
団長の座を奪えば、ひとまず支配下に置けるだろう。
そうなれば、現国王の誇る武力は失われる。

「ルイン、あいつを呼んでくれ」
「はい」


状況を聞こうといつもの顔合わせ場所で待っていると、そこに現れたのは待っていた人間ではなかった。

「お嬢さん…?」
「騎士様がいらっしゃっても会えないから代わりを任せるとお兄様から言われましたので」
「クレトは何処へ?」
「神殿に行かれました。儀式の始まりを執り行いに行かれたのだと思います」

神殿とは、城から少し離れた丘にある教会のような建物だ。
かつては教会として機能していた記録もあるが、知らぬ間に教会としての役割は消えている。
信仰だけは残り、この国を守護していると伝えられる天使を象った天使像に対し、王家が民の平穏を願う際に利用されてきた。
教会ではなくなって以降、『神殿』と喚ばれている。
また、神殿は儀式の始まりであり、終わりの場としても王家が訪れる場所だ。
身を清めて天使像に誓いを立て、その後三日間を神殿で過ごす。
それが済んでから世俗の決まり事を実行することができるのだ。
そして、誓いの結果を天使像に報告し、神殿で一夜を過ごすことで儀式が終わるといった流れになっている。

「今日行くことになりましたので、お帰りは三日後になると思います」
「なるほど…儀式の始まりを察して慌てたのか」
「何のことでしょう?」
「いや、お嬢さんは気にしなくていい」
「…お兄様も騎士様も、私にはあまり多くのことを教えてはくださいませんね。それが優しさ故だとは理解していますが、寂しさもあります」

それまで微笑んでいた彼女が、ぽつりと零した。
友人とともに、彼女の無垢な心が傷つかないことだけを願ってきた。
それが幸せなのだろうと、勝手に思い込んでいた。
あの無垢な子どもは、既に成長している。
彼女は、何も知らぬ子どもではなくなっているのだ。
兄の不穏な動向も、国王が求める権力維持への策略も。
彼女なりに察して、考えているのだろう。
微かに俯いた瞳が、暗く陰った。

「……事が済めば、きちんと伝える」

嘘のような響きはあったが、現状話せるだけの言葉を伝える。
それを聞くと、俯いていた顔を上げ、再び笑みを見せた。

「約束ですよ」
「あぁ」

細い手が己の右手を引いて、両手でぎゅっと握った。
もう一度「約束です」と呟いた彼女の声をうっすらと聞き留めたが、意識の方は、細く白い指の動きを目で追っていた。
不思議なことをするものだ。
時々、己の予測を無視した彼女の行動は、妙に背中をむず痒くする。
解放されてもなお微かな熱の残る右手が、ほんの少し煩わしかった。



一週間後だと告げられてから、ついに約束の日を迎えた。
公務の関係で時間ができるのは夕暮れになると使用人に言伝てられてから、とっくに陽は暮れている。
今後の騎士団の行く末に関心を寄せる団員たちが、訓練場に集まり始めていた。
真剣での勝負を望みたい所だが、恐らく拒否されるだろう。
仕方なく模擬の剣を振り回しながら、身体を解すことにした。

「来ませんね」
「来ないなら部屋まで押し入ってやるだけだ」

審判を任せるルインと軽口を叩いていると、団員たちがざわめいた。
訓練場の入口に、軽装の騎士団長が立っている。
苦々しい面持ちで、静かに勝負の場へと足を進めた。
向かい合い、深くため息を吐いた。

「…待たせてすまない」
「早く始めるぞ」

互いに無言で睨み合うと、周囲のざわめきが引いていく。
息が詰まるほど静まり返った瞬間、ルインが合図を唱えた。
一歩引き、剣を構えて様子を窺う。
同じように距離を取った団長と威嚇しあいながら、ほぼ同じタイミングで剣を振りかぶった。
鈍い音が響き、剣が交差する。
グッと体重を掛けると、鍔迫り合いを嫌がるように身体を引かれた。
一瞬体勢が崩れたが、身体を引いて手首を狙った一撃を躱す。
足元を整え、団長の左脚に蹴りを叩き込んだ。
その勢いのまま身体を回転させ、続けざまに下から切り上げる。
辛くも剣を受け止めた団長が、横薙ぎに振るった。
互いに距離置き、呼吸を整える。

「…本気で私を越えるつもりか」
「冗談だと思ってたのか?」
「国王に楯突くなど馬鹿げたことを、と思っていただけだ…!」

突き出された剣を剣で受け止め、横に弾いてそのまま突っ込む。
左肩に一撃を叩き込もうとした瞬間、体勢を建て直して振り下ろされた剣に阻まれた。
同じタイミングで剣を振るい、致命傷を与えられずに鍔迫り合いが続く。

「この程度では勝負にならんな…っ」
「言われずとも本気でやるさ」
「…その腕を、国王の為に振るう気は無いのだな」
「無い!」

後継者である友人を疎い、娘である少女を道具としてしか見ていない。
あの二人が求めたのは、人の親としての愛情だけだ。
しかし、権力に固執し続ける奴は、子どもたちに何も与えなかった。
そして、そんな人でなしに仕える己が父である団長も許せない。
奴の在り方を咎めるどころか称賛しているなど言語道断だ。
睦まじい兄妹が幸せになることだけを願っている。
この国で自由に生きる為に、友人が権力を手にする。
本当なら、国が滅んでもいい。
彼らを雁字搦めにするものから解放すればいいのだから。
彼らを縛る国など必要ない。
彼らが自由と幸福を得られればいい。
──その為に、己が行動するのだ。
膠着しかけていた状況を打ち破るため、奥の手を晒すことにした。
空いていた左手で、右腰に吊るした剣を引き抜き、そのままがら空きの胴へと叩き込んだ。
ようやく有効打が決まり、団長がよろめいた。
追撃として蹴りを入れたが、それは剣を盾代わりにして防がれてしまった。

「両手とは…っ」
「本気で行くと言ったぞ。お飾りの剣術なんか必要ない」
「アレク…!貴様は何に腹を立てているのだ!?」
「友人の安寧を邪魔する者に対して」

構え直し、振り上げた剣がぶつかり合う。
鈍い音を立て、ギリギリと力が拮抗する。
左手に構えた剣を振るって首を狙ったが、均衡を崩され両手ともに弾かれた。

「いや、それ以外にもあるはずだ」
「…彼女の好意を、奴の為に利用したことは許しがたいな。彼女の無垢な心を無遠慮に侮辱するなよ、クソ親父」

左右に構えた剣を揃え、一度に両腕を振り下ろした。
両手で受け止められ、それでもなお構わずに体重を掛ける。
ギャリ、と耳障りな音を立てながら、ジリジリと団長の上体が沈んでいく。
舌打ちをした団長が、剣を振り抜いた。
剣を弾かれ、続けて切り結ぶ。

「貴様…っ、本気で、好いているとでも…!?」
「あんたも老いたな…そんなことしか考えられないのか。国王の慈しむ者を護るのが騎士団長の役目だろうが!」
「国王は…っ、あの娘を愛しては…っ」
「以前に告げたはずだ。オレの仕える国王は、あんたとは違うと!」

──決着をつける時が来た。
右手に力を込め、押し切るように全身を前に押し出す。
左手を振り、団長の視線がそちらに向き、一瞬視線が外れた。
わざと左手を大きく振って注意を背け、その腹の立つ顔に頭突きを食らわせた。
後ろにふらついた隙を突き、団長の右手に剣を叩きつける。
その勢いのまま身体で突飛ばし、背面から床に倒れ込んだ男の横に、
左手に構えた剣を突き立てる。
本命の右手に構えた剣は、男の首にピタリと添えた。
誰もが息を潜めていた空間に、小波のようにどよめきが広がっていく。

「──あんたの地位は貰った」

その宣言を以て、騎士団長という面倒な地位を奪った。
己の役目を果たした。
これにより、友人の叛乱は加速する。
友人の歩むべき道を邪魔する者を、すべて排除するのだ。

「老いたな…まさか息子に負けるなどと考えたことも無かった…いや、私が変わってしまったのか」
「国王に仕えていながら、その暴挙を止められない臣下など必要ないだろ」
「…お前なら、もしも王子が心変わりしても、きっと止められるのだろうな」

──私には止められなかった、と。
哀しげな声音が、ぽつりと本音を溢した。
身体を起こして埃を払うと、団員の一人に預けていた団長の纏う豪奢なマントが差し出された。

「…アレク・ライデン、これよりお前が団長となる。その証を授けよう」
「オレが団長になるなら、あんたの居場所はここにはない」
「分かっている…私はすぐに立ち去るさ。その前に…挨拶だけはしておこう」

団長であった男が視線を向けた先には、呆然と佇む少女がいた。
乱れた息を整えながら、困ったように隣に立つルインや己を見つめている。

「……お嬢さん?」
「お兄様が…騎士様が、怪我をしているかもしれないから、と…」

勝負の結果を、ルインが伝えに行ったのだと思われる。
彼女にまで知らせる必要はなかったとは思うが、友人の目の代わりなのだろう。
そのため、友人の方は、用心して姿を見せなかったのかもしれない。
そろりと近づいてくる少女に向けて、元団長が恭しく頭を下げた。

「…姫様、たった今から彼は騎士団を束ねる者になります…どうか末長く寵愛してくださいませ」
「騎士様が、騎士団長に…!」

嬉しそうに瞳を輝かせた少女が、じっと己を見つめた。
騎士団長は、王専属の近衛兵の役目を持つ。
国王の何よりも側にいることになる。
それは、城内に部屋を用意されることからも重宝されていることは分かる。
そうなれば、友人はもちろん彼女とも顔を合わせる時間は増えるだろう。
それを嬉しいと感じている己の機微が良く分からないが、顔を合わせることに損はない。

「私は今夜中に城を出ます」
「騎士様が城内に住むなら、アドロス様はどちらに行かれるのですか…?」
「私の生家は城下にありますから、そこに戻ります。今後は、彼が貴女を御守り致します」
「騎士団には残らないのですか?これからの騎士の指導に必要な人材だと思いますが…」
「…いつか王子や姫様が必要だとお思いになることがあるならば、喜んで参上致します。それまでは、今までの己を振り返る時間を頂きたいのです」

静かに身を引き、団長であった男は、何も言わずに訓練場を出ていった。
困惑する少女が、何かに気づいて己に手を伸ばす。
その手から逃れ、今さらになって痛みを訴える箇所を拭い、手の甲に付いた血液を忌々しく睨んだ。
激しく剣を交わした衝撃が、痺れとなって手の震えを引き起こしている。
みっともない。
腐っても騎士団長という座を守り続けた実力はあったのだ。
まざまざと己の未熟さを突きつけられた。

「騎士様…?」
「…ルイン、お嬢さんを部屋まで送れ」
「はい」

ルインに連れられていく小さな背中を見送る。
心配そうな眼差しが一瞬だけ向けられたが、それを振り切るように背を向けた。
団長の証であるマントを脇に抱え、足早に中庭へと向かう。
月明かりが照らす噴水の側で、友人が待っていた。
こちらに気づいた友人がほっとしたように笑みを浮かべた。

「流石私の友人だね。ルインからあらかた聞いたよ。おめでとう、騎士団長殿」
「オレの役目は果たした。次はお前の手伝いだな」
「そうだね、私の番だ」
「現状は?」
「儀式の始まりは執り行ってきた。これまで集めたものの最終確認も終えたし、あとは本人に宣戦布告をするだけだ」
「いつ行う?」
「三日後に行おう。キミの状態も万全なはずだし、その日はクレアが城にいないんだ。あの子には穢いものを見せたくない」
「分かった」

どんな時でも兄としての姿を忘れない友人が、にこりと笑みを深めた。
その作り物めいた笑みに、どんな事をしてでも王位を奪うという決意を感じた。

「そうだ、いつから城に来る?明日は多分片付けが入るだろうから、明後日以降になると思うけれど」
「入れるようになればすぐに行くつもりだ。たいした荷物も無いしな」
「キミが来てくれれば、城内でも安心して可愛い妹と会えるようになるよ。今から楽しみだね」
「…荷が重いな。これはお前に預けておく」

脇に抱えていたマントを、友人の手に渡す。
これを身につけるのは、友人が真に国王になった時だ。
友人の手から与えられることを望んでいる。
その時こそ、己は友人の剣であり、盾であることを体現するのだ。

「…あと少しだね」
「あぁ」

水の揺蕩う静かな音が、熱の冷めない身体をゆっくりと包み込む。
嵐の前の静けさが、ピリピリと肌を逆撫でた。
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