誕生日


「お前さんは、花が好きなのか?」

ライルの唐突な質問に、その意図が読めずに首を傾げた。
シミュレーターを終え、休憩室で結果の共有をしていた流れにしては唐突な気がした。
ライルとの話題の中で、一度でも花について話したことがあっただろうか。
戦うことしか知らない己が、何かを愛でるという行為はしたことがない。
美しいものを見れば心は動くのだろうが、今の己にはその姿を想像することはできなかった。

「花を…特別大事にしているつもりはないが、嫌いではない」
「そうか。てっきり前に花に例えて話をしてたから、好きなのかと思ったのさ」
「花に例えて…」

ライルの会話はその後も続いていたが、彼が何を指しているのか分からず相槌を打ちながら考え込む。
そして。
あぁ、と何かに思い至った声は、音にはならなかった。

アニューを喪った彼の嘆きを聞いた時。
絶望する彼に投げかけた話の中で、ある人物を思い浮かべながら話をした。
世界から疎まれていた己の組織の在り方を考えると、会話の中でさえ彼女の名前を出すのは憚られた。
そもそも彼女を想定していた話ではないのだ。
ただ、ふと「花」と例えた瞬間に、彼女の姿が浮かんでしまった。
例えであった花は、乾燥した祖国であっても咲くことのできた白い花となり、その花を慈しむ人間は、運命だと思えた彼女の姿に変化した。
花を平和の象徴として例える話は多く聞く。
ただ、その花を咲かせる──平和への礎を築く人が必要なのだとも思っていた。
それは武力という破壊ではなく、対話という穏やかだが根気の必要な手段によって。
破壊の後の再生。
それらは繋がっているのだと思えるようになったのは、恐らく彼女に出逢ったからだろう。

「なぁ、刹那。お前にだって、好きな相手くらいはいるだろ」
「仲間は大事にしているつもりだが」
「違うって、俺にとってのアニューみたいな存在だよ」

何と答えるべきか考えあぐねて沈黙を貫いた己を、ライルは笑っただけだった。
彼にとってのアニューとは、つまりは恋人だと言うことだろう。
そういう相手はいない。
何かある度に彼女との関係を揶揄されるが、己と彼女はそういう関係ではないのだ。

「……お前と話をした時、俺も未来の為にって考えていたが、ただ過去を振り返りたくなかっただけなんだと思ったよ」
「誰だってそういう過去はあるだろう」
「ハハッ、そりゃそうだな…でもな、アニューと一緒に生きたいと思ったから、きっと未来について考えられたんだよ。何も分からない道を、一人で歩くなんて淋しいだろ」

苦笑を浮かべるライルは、遠くを見る眼差しをした。
そして、彼はそれきり言葉を紡がなかった。
そっとしておくべきだと考えて、休憩室を後にし、自室に向かうことにした。

彼の言うことは、疎い己でも何となく理解できるものだ。
未来を考えたことはなかった。
すべては忌まわしい過去を消し去りたいだけだった。
仲間ができ、目的ができたから、きっと未来について目を向けることができるようになった。

自室のベッドに身体を横たえる。
ぼんやりと照明が付いているだけのほぼ闇に近い室内で、何も考えずに目を閉じた。

そして、不思議な夢をみた。
花の咲き乱れた平原に、ぽつんと立っていた。
雲ひとつなく晴れ渡った青空の下で、呆然と立ち竦む。
爽やかな風が頬を撫でていく。
馴染みのある祖国の風景とは、決して似ても似つかない世界だ。
何処に向かうべきなのかも分からず、ぼんやりと周囲を見回す。
ふと背後に気配を感じた。
振り返ると、視線の先に地面に屈み込んでいる人影が見える。
その人影は地面に座り込み、こちらに背を向けている。
反射的に、その人の側に行かねばならないと思った。
足を向け、ゆっくりとした歩調で人影に近づいていく。
傍らに咲く花々を慈しむように花弁を撫でていた人影が、側に近づいた己を見上げた。
澄みきった青空か海のような色をした瞳が己を見つめる。
風が彼女の艶やかな黒髪を通り抜け、ふわりと広がった。
白い面差しに、穏やかな笑みを浮かべた。

「…マリナ」

声もなく言葉を発した彼女の唇は、己の名前を形作っていた。
座っていた彼女が立ち上がると、こちらに背を向けて遠ざかっていく。

あぁ。
きっと、こんな世界が見たいのだ。
彼女が種を蒔いて育てた平和という花が咲いて、彼女がそれを暖かく見守るような世界。
すべてが終わって、目的を果たした末の世界が、こんな風になっていてほしいのだ。
そこに己が居なくとも、彼女の残滓が残っていれば良い。
たとえ再会は叶わずとも、きっと何の後悔も無い。

遠ざかっていく彼女が、また何処かで屈み込む。
何かを手にした彼女が、こちらに戻ってくるようだった。
手を、と彼女に促され、両手を彼女の前に晒した。

「これを、貴方に」

両手に置かれたのは、祖国でよく見た白い花が一輪。
穏やかに微笑む彼女が、それ以上言葉を重ねずに静かに佇んでいる。
そろりと伸ばされた細い指が、己の頬を撫でていく。
それだけで、胸が一杯になるような心地になるのは何故だろう。
これが夢だと解っているのに。


目を明けると、見慣れた薄暗い自室だった。
身体を起こし、己の手に目をやったが、何も残ってはいなかった。
夢の中で渡された白い花を思い出し、花を彼女に送りたい、と。
子どもめいた欲求に駆られた。
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