JOJO


杉本鈴美が、あの世へと旅立って数ヶ月。
幾度かオーソンを利用したが、やはり二度とあの小道に迷うことは無かった。
地図通りの地形が広がっているだけである。
逝ってほしくないと願った気持ちに嘘は無い。
しかし、この地に縛られ、逝くべきはずの場所へ逝けないのは、苦痛であったはずだ。
だから、これでいいのだ。
これが、正しい姿なのだ。

「…そうじゃなくちゃあ、僕のしてきたことの意味がない」

必死になって、たった一人の男を追いかけた。
自分の命さえも天秤にかけて、死にそうな目にばかり遭って。
生きる為に、自分の好きなモノを護る為に。
そして、たった一人で戦い続けた少女の魂に報う為に。
漫画を描き続けることだけが生きる目的だったのに。
とり憑かれていたのかもしれない。
殺人鬼という未知の狂気と、杉本鈴美という幽霊に。
後者にとり憑かれている分には良かったけれども。

カフェのテラス席で、一人でコーヒーを楽しんでいた。
家にいると、どうしても彼女ばかりを思い出してしまうからだ。
既に今週分の仕事は終えていた。
続きを書くほどの気力もなく、残りは適当に過ごしていたかった。
あの濃密な体験は、確かに漫画への意欲を掻き立てた。
クオリティも増した。描いていて楽しかった。
それでも、描き上げてしまうと言いようもない虚しさを残す。
その原因を知っているから、余計にやりきれなかった。

「……似ているか。そんな訳もないのにな」

誰を見ても、彼女に見えてくる。
ショートカットの髪が靡くと、淡いワンピースの裾がはためくと。
あの馴れ馴れしい幽霊を思い出す。
『露伴ちゃん』
と、幼い子どもを呼ぶような優しい声を思い出す。
呼んでほしい、と。
そう願っているのだ。

「……忘れられなくしやがって」

ずっと忘れていた。
あまりに幼い頃のことを知らされていなかったし、知る必要もなかった。
今思い出しても、現実味は薄い記憶だ。
朧気な記憶しかない。
杉本家との縁は、二度と結ばれるはずがなかったのに。
この町に戻ってきたことも、スタンド使いになったことも、あの小道を見つけたことも。
すべて必然だったとしたら。
漫画なら、熱くなるような展開だっただろう。
現実はそうもならない。
ならなかったが、忘れられなくなったのは間違いない。
彼女との関わりの中で、ひとつ、後悔していることがある。
何故、最後の別れの時に、きちんと彼女の顔を見なかったのか。
照れくさかったし、淋しかった。
逝ってほしくないと言葉にもした。
しかし、それでも素直な態度を見せることができなかった。
横目でしか彼女の顔を見ていない。
だから、彼女の淋しげな笑みばかりが印象に残ってしまった。
もっと花が綻ぶように笑っていた時もあったのに。
彼女の笑顔を、忘れてしまった。
どんな顔で笑っていただろう。
…その顔が、好きだったのではないだろうか。

スケッチブックを開いて、ペンを滑らせる。
何度も描こうと思った。
描けば、きっと思い出せると思ったのだ。
描くたびに、気に入らずにボツにしてしまった。
顔を描き直して、直し過ぎて真っ黒になった。
スケッチはダメか。
なら、自分の得意なものに昇華するしかない。
──ずっと考えては馬鹿馬鹿しいと捨ててきた手段を、ようやく実行することにした。


ある日買った少年ジャンプに、岸辺露伴の作品が二作品も掲載されていた。
代表作である『ピンクダークの少年』と『真夏の残滓』という作品だった。
週刊連載に飽きたらず、新たな連載でも始めるのかと驚いたが、どうやら今回限りの読み切りらしい。
相変わらず『ピンクダークの少年』は面白かったが、『真夏の残滓』は普段とは違う作品だった。
一人の少女との交流と、別れを描いたモノであった。
実は幽霊だった少女と主人公の、たった一週間の恋。
主人公の語りではあったが、一切主人公の顔は描かれず、シルエットや体の一部分しか登場しない。
何より、ヒロインは杉本鈴美に似ていた。いや、そのものだったのかもしれない。
ショートカットにカチューシャ、ワンピース。
漫画寄りのデザインに変更されてはいたが、知っている人には分かるキャラクターだった。
よく笑うヒロインは、出逢いから別れまで、ずっと笑顔を浮かべている。
普段と違うと感じたのは、これが岸辺露伴なりの『恋愛漫画』なのではないかと思ったからだ。
直接好意を伝えあう描写は無かったが、それでもヒロインの笑みや主人公の語りに、じんわりと好意が滲んでいた。
お互いに何も言わず、何も伝えず、静かな別れを迎えた。
劇的な展開は無い。
ただ、淋しさはあっても、どこか満ち足りたような読後感だった。

試しに仗助や億泰にも見せてみたが、口を揃えて「小道の幽霊だ」と発した。
やはり自分の感じ方は間違っていないようだ。

「あの憎たらしい露伴の野郎がこんなの描いたのかァ~~~~?おいおい、康一よォ、作者名が間違ってるっつーことはねぇのかよ」
「それは僕も思ったけど、どう見ても露伴先生の絵なんだ」
「マジか…ファンのお前が言うならそうなんだろうな…」
「原案が別の人なのかもと思ったけど、あの露伴先生がそんなのを引き受けるとも思えないし…」
「そりゃそうだな」
「……なんかよォ」

じっと漫画を読んでいた億泰が、ぽつりと言葉を漏らした。

「前に兄貴が貰ったのをこっそり読んだことあんだけどよ、ラブレターみてぇだな。うん、そんな感じだ」
「………は?」

まさか。まさか、そこまで不器用だというのか。
思い出と、その中に滲んだ恋心を、こんな形でしか表せなかったのか。
いや、岸辺露伴にとっての漫画は、彼の感じた世界そのものだ。
漫画は、自分の気持ちを素直に表せる唯一の方法なのではないだろうか。

「…一番読んでほしい人がいないのは、淋しいね」
「それでいいんじゃあねぇのか。たとえ本人がいたって、あの男が素直に言うわけねぇよ。俺たちが読んで、揶揄うネタにした方がよっぽどいいさ」
「そんじゃあよォ、ちょいと露伴先生んとこへ行くか!」
「おうよ!」
「えぇ!?このしんみりした気持ちは!?」
「そんなの無視だ、無視!普段の仕返しの方が最優先だぜッ!」

颯爽と走っていく二人の背中を見送り、ため息を吐いた。
いつも振り回されている分、少しは仕返しができれば、それはそれで面白い気もする。

─ただ、どうかこの作品が、あの人の元に届けばいいのに、と。
叶わぬ恋路の行く末を願った。
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