運命と踊る


幽閉されていた妹を連れ出す方法を実行して以降、目に見えて友人は機嫌の良い日が増えた。
叛乱とも取れる友人の独断は、兄妹の接触を避けたがっていた国王派の更なる妨害を招くかと警戒していたが、懸念していたこれまで以上の妨害は無かった。
視察と称して顔を合わせる場所を、国王配下の騎士団の管轄内に限定していることが要因なのだろう。
叛乱の兆しを見せれば、いつでも始末できるという安心感故の油断とも評価できる。
あんな雑魚どもの腕前で、己と友人を抹殺できると考えているなど笑わせる。
頻回な顔合わせは更なる妨害を招く危険もあり、月に一度程度に押さえている。
それでも、会えずに身を焦がしていた期間を考えれば、直接顔を見られる状況になるなら、友人は幸福なのだと笑った。

「──アレクさんは、現状に満足なのですか?」
「何に満足するんだ?」
「そうですねぇ…自分が口を出すことでは無いので言いません」
「お前が振った話だろうが」

ルインの剣を撥ね飛ばそうと右手に狙い定める。
しかし、察した青年が身を引き、皮一枚の所を掠めただけだった。
妙に懐き、一番優秀な手駒となった青年は、時々不思議な話を振っては何も言わずに終える。
また悪癖か、とため息を吐こうとした瞬間、訓練場の空気がざわついた。
──例の二人のご登場だ。
一度目の案内こそルインに任せたが、二度目以降は友人自身が連れ出す役目を担っている。
兄妹水入らずの時間も必要なのだろう。
妹の登場に伴い、団員たちの浮わつきも顕著になった。
姫と呼ぶに相応しい成長を遂げつつある彼女に対し、周囲が欲を向けるようになってきた。
手を出さなければ何もしないとは言っているが、友人の瞳は常に不穏に瞬いている。
友人に連れられ、王家の鑑賞用のスペースに置かれた椅子に腰を下ろした彼女が、花が綻ぶような笑みを見せた。
それが己に向けられていることに気づくと、彼女を見つめていた周囲の視線が己に集中する。

「…余計なことに巻き込まれたな」
「挨拶に行かれますか?」
「友人の方にな」

剣を下ろし、友人たちの居る場所へと向かう。
にこやかに笑って手を上げた友人に目だけで返事をする。
真剣な眼差しで訓練を見つめる彼女を一瞥し、友人は笑みを消した。
側に寄るよう指示され、肩の触れあう距離で僅かに耳を傾ける。

「……悪い報せなんだ」
「…お嬢さんか?」
「…婚約の話が出たらしい。一週間後に挨拶する予定だ」
「……随分と急いでいるな」
「…あの子を奴らの駒にさせる訳にはいかない──時が来たんだ」

一瞬視線を交わし、どちらからともなく頷いた。
友人は王位を継承し、己は騎士団長の座を奪う。
友人を虐げてきた者すべてを排除するべき時が来た。
それをしなければ、友人の最も愛すべき存在が喪われる。
まずは、国王の護りの要である騎士団長を舞台から降ろす。
その為に、先に事を進めるのは己だ。
王家の力の象徴である騎士団を束ねる者──騎士団長さえ落とせば、あとの有象無象は己の手駒で処理できる。

「……オレが動く」
「…私は、私の準備を進めるよ」
「…あぁ、事が済んだら教える」

ちらりと視線を向ければ、いつの間にかこちらを見ていた少女と目が合った。
うっすらと頬を赤く染め、外に出てきますとだけ告げた。

「─ルイン」
「はい」

訓練用の道具を片付け始めていた青年を呼び、外に出て行った少女を追うように目で指示を出す。
頷いて、静かに外に出て行った青年の様子を見て、指示が伝わったことを悟った。

「おや、キミも過保護になったね…私に似たかな」
「お前ほど過保護じゃない。ここは敵地だぞ」
「あぁ、そうだったね…キミがいるから安心してしまうよ」
「安心するのはもう少し先だな」
「ふふ、楽しみだ」


騎士たちの訓練の激しさか、それとも憧れの彼と会えたからなのかは分からないが、少し頭がぽーっとする。
熱気に逆上せたのだろうか。
火照った身体には、吹き付ける空っ風が気持ち良い。
既に暑い盛りも終わり、ここ数日は過ごしやすい日々だったが、もうじき厳しい冬へと移り変わっていくだろう。
冬の訓練場は寒いだろうかと考えていると、数人の騎士が訓練場から出てくるのが見えた。
ぼんやりとその光景を眺めていると、視線に気づいた騎士たちが恐る恐る近づいてくる。
憧れの彼は、とても触れがたい迫力を持っているが、他の騎士にはそうした迫力は無いらしい。
何処にでも居そうなありふれた少年や青年だ。
兄や憧れの彼以外との異性の交流はほとんどないため、その感覚が本当に合っているかは分からない。
数時間前に婚約者の話が出されるまで、そんなことを気にしたことも無かったのに。

「姫様、騎士団の視察は如何でしょうか。退屈ではないですか」
「私の目にはすべてが新鮮に見えます。皆様の厳しい鍛練のお陰で、私は健やかに過ごせているのだと感謝しております」
「それが我々騎士団の役目ですから」

胸を張って微笑む騎士たちの笑みには、隠せない喜びが浮かんでいる。
どんな人だろうと、褒められれば嬉しいのだ。
こうしたささやかなやり取りを通して、自分の見識を深めていかなければ。
人との関わりで学ぶことは多くあるはずだ。
しかし、それが叶わぬ現状であることを思い出し、思わず顔を俯けてしまった。
騎士たちの狼狽える様子に気づき、ずっと気になっていたことを聞くことにした。

「あの…アレク様は、どのような方なのか教えてくださいませんか」

憧れの彼の名前を出した瞬間、穏やかだった騎士たちの顔が強張った。
何かいけないことを聞いてしまったのかと思ったが、何故なのかは分からない。
同じ騎士団の人間から見て、どんな人なのかを聞いただけだ。

「ひ、姫様は…アレク様がお好きなのですか…?」
「…!そ、そんなことは……っ」

これまで何度も考え、その度にそうなのかもしれないと思い至った想いを言い当てられ、否定も肯定もできなかった。
ただ、冷めていたはずの頬が熱を持った自覚があり、恐らく彼らにはバレてしまったとは思った。
子どもの憧れだと笑われるだろうか。
それは嫌だ。
それでも、子どもなりに偽りなく慕っているのだ。
言葉に詰まり、声が出せない私に向けて、一人の騎士が口を開いた。

「姫様…これは、まだ少数しか知らぬことなのですが…」

──その騎士が語った内容に、淡い恋の終わりを宣告された。



休憩していた彼女が戻ってきてから視察が終わるまでに、違和感を感じた。
あれほど楽しそうにしていたのに、明らかに元気が無くなっている。
友人もその様子に気づいていたが、こちらも原因が分からないようだった。
体調が悪い訳では無さそうだ。ならば、気持ちの問題なのか。
様子を見させていたルインに目を向ければ、首を振られてしまった。
何か知っているが、今は言えないといったところか。
何も聞けずに視察は終わりを迎えてしまい、彼女が口を開くことは無かった。

それから一週間後、不満気な友人と顔を合わせた。
前日に噂の婚約者との顔合わせがあったというのだから、不機嫌にもなるだろう。
中庭で行われた顔合わせの様子を見ていたという友人は、家柄は問題ないのだろうが、頭の出来が悪そうだと嗤った。
傀儡にするなら頭は悪い方が都合が良いのだろう。
その男も、彼女も、奴らの傀儡にされる未来しか無い。

「…アレク」
「どうした」
「…クレアがね、泣いていたんだって」
「婚約のことか?まぁ、お嬢さんはまだ子どもだからな…」
「違うよ、キミのことでだ」
「──は?」

思いも寄らぬ言葉に、何を言われたのか理解できなかった。
彼女との接触など限られた程度であり、泣かせるほど言葉を交わした記憶もない。
兄妹の睦まじい姿を眺めているくらいだ。

「アレク…婚約者がいるなら、もっと早くに教えてほしかったよ…」
「あ?そんな話あるわけないだろ。まず、家から追い出したい人間に婚約者なんか用意しない」
「うん、そうだよね。あはは、キミのことは誰よりも信頼してるよ。そうなると…あの子はどこからそんなデマを聞かされたんだろう?」

一瞬前の悲痛さを消し去り、すべて演技だったのかあっけらかんと振る舞う友人に脱力した。
一瞬でも焦った己のみっともなさを記憶から抹消してやりたい。
そして、ふと何かを知っているらしいルインから話を聞いていなかったことを思い出した。
友人をその場に残し、馬の世話をしていたルインを呼んだ。
ひとまず着替えるのを待ち、そのまま青年を連れて中庭に戻った。

「やぁ、ルイン。キミの知っていることを教えてほしい」
「アレクさんのデマの話ですよね?」
「そうなんだ。私の可愛い妹が悲しみに暮れているんだ…許しがたいね」

にこりと微笑んだ友人の眼差しは、冷え冷えとしている。
少しばかり背筋を伸ばしたルインが、なんとか強張った笑みを返した。


「姫様が訓練場の外に出た時、数名の騎士と話をしました。アレクさんのことを聞きたいと仰られた姫様に対し、その騎士の一人が婚約者がいるという嘘を伝えたようです」
「…名前か顔は?」
「興味が無いので名前は知りせんが、顔は覚えています。丁寧に締め上げましたら、姫様の好意がアレクさんに向けられているのが憎かったらしく、そのようなデマを流したと言っていました」

ルインが話した騎士たちの特徴と団員の顔を、頭の中で一致させていく。
全員を一致させ終えると、確かに話に関わった人間は全員団員のようだ。

「最近、騎士団の空気が変わったようだが、心当たりは?」
「そのデマが面白おかしく広まったのか、騎士団内では事実のように認知されています。その……姫様を弄んだ不埒な騎士として」
「あの鬱陶しい視線はそれだったのか」
「アレク…キミは自分に向けられる感情に疎すぎるよ。せめて好意的なものくらいちゃんと受け止めておくれ」

友人の忠告を聞き流し、どう誤解を解けばいいかと思案する。
いや、誤解なのだと分かったのだから、友人から彼女に伝えてもらえばいいのだ。
友人が接触できないなら、ルインを使えばいい。
よくよく考えれば誤解を解かねばならぬ理由もないが、知り合いが落ち込んでいるなら慰めることくらいするだろう。
これもその一種だと思い込ませ、友人に後は任せようと口を開くより先に、右手を掲げて制止をかけた友人を怪訝に思った。

「ここは本人に誤解を解いてもらおう」
「おい、お前からで十分だろ」
「いや、これはキミの曖昧な態度が招いたことだよ。有象無象に私の可愛いクレアを悲しませる原因を作ったのは、キミの態度だ。キミのその鈍さが招いたことだ。友人とはいえ、あの子を悲しませた責任は取ってもらうよ」
「……仰せのままに」



「姫様、お客様がいらっしゃるそうです」

先日の一件以来、気持ちが落ち込んでいる自覚がある。
自身の婚約の話もショックではあったが、王家の娘として避けられない現実であることは理解していた。
気持ちが落ちるほどのショックではなかったが、それを越える衝撃から、未だに立ち直れていなかった。
婚約者と呼ばれた青年との顔合わせは、何を話したのか、どんな姿だったのかも覚えていない。
ショックから外に出るほどの元気もなくなり、ずっと張り付いていた見張りもいない時間が増えた。
そんなタイミングで、暫く心配そうな顔をしていたハンナが、穏やかな笑みを浮かべて両手を握ってくれた。
整えましょう、と背中を押され、鏡の前に連れられる。
ここに来るのは兄だけだ。
少し乱れていても笑って直してくれるだろう。

「きっと驚かれますよ」
「お兄様ではないの?」
「ふふふ」
「ハンナ、教えてください」
「なりません」

ハンナの手にある紙に、きっと誰が来るのか書いてあるのだ。
はしたないがそれを見せてもらおうと手を伸ばす。
それを察して軽やかに避けてしまうハンナとの攻防を続けていると、突然ノックの音が響いた。
乱れてしまった私の髪を整えると、ハンナが扉を開いた。
開けられた扉の向こうには、これまで一度も訪れたことのなかった人であり、今最も顔を会わせたくない人が立っていた。
突然の訪問に思わず悲鳴を上げかけたが、にこりと微笑んだハンナが部屋の外に出て、扉を閉めてしまった。
彼と二人きりだ。
以前なら、跳び跳ねたくなるほど喜んでいただろう。

「き、騎士様…何故、こちらに…?」

夜闇のような髪の隙間から、紺碧の瞳がじっと見つめている。
言葉を探しているのだろうか。
端整な顔を微かに顰めて、最後はため息を吐いてしまった。

「……余計なことを吹き込まれたと聞いたので、その誤解を解きに」
「婚約者がいるというお話ですか…?」
「根も葉もない嘘だ」
「……本当ですか?」
「なら、オレとその他大勢のどちらを信じる?」

兄と同じくらい信頼している。
しかし、彼のことなどほんの僅かしか知らないのだ。
友人である兄は、多くの時間を共有している。
私は、そこに少しだけ混ぜてもらっているだけだ。
それでも。それでも。

「……騎士様を、信じます…」

そう言ってから、急に感情がぐちゃぐちゃになってしまった。
そして、涙が溢れてしまう。
悲しくないのに、嬉しいはずなのに。
噂が事実だったらどうしようとばかり考えていた。
十分にあり得る噂を聞かされただけで、何もできなくなってしまうほどショックを受けた。
本人から嘘だと聞けただけで、涙が出るほど安堵した。
叶わぬことは解っているのに、淡い想いは日に日に大きくなっていく。

「…泣くな、お嬢さん」

革手袋を着けた手が、不器用な手つきで涙を拭ってくれた。
たったそれだけの触れあいも、胸が五月蝿くなるほど嬉しい。
頬を撫でるように添えられた手に、思わず頬を擦り寄せた。
この温もりは、私を護ってくれるもの。
私の大事な人も、愛するものも。
無力な私を、大事にしてくれる。

「…言っておくが、お嬢さんに嘘をついたことは無いからな」
「はい」
「……ごく単純な疑問なんだが…お嬢さんは何にショックを受けたんだ?」
「そ、れは………あの、騎士様との時間が、減って…しまう、と……」

嘘をついてしまった。
いや、本当のことが言えなかった。
恋焦がれている人に、他に相手がいれば悲しくなる。
この想いは、叶わないのだと突きつけられたのだから。
今回は嘘だったと分かったから、微かな希望は残っている。
しかし、目の前で不思議そうに見つめる彼の顔を見て、慕っているのは私だけなのだと理解してしまった。

「…そろそろ見張りが戻って来るようです」

ハンナの声に、ハッと現実に引き戻された。
既に身を翻した彼の背を見送り、代わりにハンナが部屋に入ってくる。
また泣いてしまったことを告げて、彼の噂が嘘だったことを伝えた。
それはとても嬉しくて、けれども彼に想いが伝えられなかったことを残念に思う。
顔を上げられず、俯いてしまう私を抱き寄せて、ハンナが穏やかに笑いかけた。

「まだ機会はあります。騎士様を魅了できるよう、ハンナも気合いを入れて姫様を着飾りますからね」
「…ハンナがやってくれるなら心強いです。私も頑張ります」

落ち込みかけて気持ちを奮い立たせて、再び前を向くことを受け入れられた。



泣き出してしまった彼女の姿が、脳裡から消えない。
彼女の私室を出て、振り返ることなく宿舎まで歩いた。
腹の底が煮えくり返っている。
熱いものが、ドロドロと沸き上がっては澱のように溜まっていく。
中庭を抜けると、訓練場の裏口でルインが待ち構えていた。

「首尾は?」
「全員揃えてあります。いつでもどうぞ」
「あぁ」

訓練場の扉を蹴破り、全員の注目を集める。
目当ての人間の顔があることを確認し、声高に宣告した。

「──アイン、カロ、サス、見習いのシグ。お前たちに用がある。オレに絡まれる理由は分かっているよな?」

名前を呼んだ四人が見えるよう、何事かと警戒する団員たちが訓練場の隅へと避けていく。
呼ばれた四人は、悔しそうな顔を向けた。

「…何か用ですか、アレク」
「オレの嘘を流したな?それはどうでもいいが、その嘘がお嬢さんを泣かせた」
「…我々の嘘が姫様を傷つけたことは申し訳ないですが、姫様は貴方の恋人でも何でもないはずですよね?貴方に責められる謂われはありません」
「……良い根性だ。叩きのめしてやるよ」

柄に手を添え、二歩踏み込んでから一気に引き抜いた。
アインより半歩前に立って身構えていたカロが一撃を受け止める。
カロの持つ模擬の剣を切り裂いてやろうと柄を握る手に力を込めた。

「し、真剣でなんて…!殺す気か…!」
「多少痛めつけても良さそうだと思ってな」
「──止めないか」

鬱陶しい声が邪魔をし、気分が削がれた。
剣を引き、仕方なく距離を取る。
声の方に顔を向ければ、騎士団長が入口に立っていた。
誰かが呼んだのか、勝手に戻ってきたのか知らないが、邪魔されるのは不愉快だ。
ルインに目配せし、状況を説明させる。
ルインの報告を黙って聞いていた団長は、静かに嘆息した。

「噂の原因である四人には、主君である姫様を傷つけたことは反省してもらう…アレク、お前も無関係ではないぞ」
「何の事だ」
「王家に対して不用意な接触は控えろ。お前の行動は、国王への叛乱として警戒されている。身勝手な行動は慎め…そもそもお前の行動がなければ、姫様が傷つくこともなかったのではないか」

今まで己の行動に一切関知しなかった団長が、ここに来てハッキリと警告をしている。
ザワザワとした気配が広がっていく。
野放しにして、ついに危機感を感じたのか。
友人の存在は、国王の地位を脅かすものにまでなったのだ。
友人を潰すよりも先に、己という目障りな障害を排除することにしたのか。
それなら、それで良い。
事を起こす時期が来たのだ。

「…お前は、騎士には相応しくないのやもしれんな」

その言葉に、ブチン、と頭の何処かが派手に切れた気がした。
どの口が騎士を語るのだ。
権力に諛うだけの能しか持たぬ人間が、命を張れる訳が無い。
護るべき信念も存在もない奴らに劣るつもりはない。

「そこまで言うなら、本物の騎士とやらの実力を見せてくれ」
「何…?」
「多対一でもいいが、オレと試合をしよう。まぁ、本物の騎士とやらは己の力だけで挑むと思うがな。誰からやる?今すぐにでも始めるぞ──審判はあんただ、団長殿」
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