機甲猟兵メロウリンク


グラスを回すと、たっぷりとした艶を持つ液体が緩やかに波立つ。
今日の勝負は勝ち続きで、調子が良かった。
少し高めの良質な酒を頼んで、幸運な日に祝杯を挙げる。
そうして、この放浪も一人ではなくなったことを思い出した。
懐に余裕のある客向けのバーでの仕事のお陰で、野卑な人間との接触は少ないだろうと用心棒代わりのメロウは連れて来ていない。
ホテルで律儀に待っているのだろうと、うぶな少年を思い出す。
彼を好きだと自覚してから、彼と過ごせることに胸が踊る。
残念ながら、彼が私をどう思っているのかは知らない。
が、少なくとも嫌悪はされていない。
笑みを向ければ照れ、子どもじみた触れあいに拒否はない。

「…坊やがどう思ってるのか知れたらいいんだけどね」

マスターに同じ酒をボトルでお願いし、手土産として持って帰ることにした。
実家で差し出したワインは罠の一部に利用されていたが、今晩の酒はきちんと彼と楽しみたいものだ。


「ただいま~!」

意気揚々と部屋の扉を開けると、扉の影からメロウが飛び出した。
片手にナイフを構えているのが見える。
入ってきた人間を把握したのか首筋に添えようとしていた動きが止まり、ホッとしたように息を吐いた。

「ルルシーか…」
「もう…いい加減慣れなさい。ほら、その物騒なものも早くしまって」
「すまない」

申し訳なさそうに頭を下げ、ギラリと鈍い光を放つナイフが仕舞われた。
扉を閉め、気まずい空気を切り替えるように咳払いをする。

「で、私に言うことは?」
「?」
「ただいまって言ったんだけど」
「 おっ、お帰り…」
「そうそう!挨拶は大事よ、坊や」

照れたように頬を染める彼の頭を撫でて、徐々に人間らしい生活を学んでいく姿に笑みを溢す。
大事に抱えていたボトルをテーブルに置き、コートを脱ぐ。
露出控えめとはいえ身体のラインに添う細身のドレスの裾が揺れる。
そんな程度でも彼は頬を染めるのだから、本当にうぶな男の子だ。

「ねぇ、坊やはお酒飲めるでしょう?」
「まぁ…多少は」
「なら良かった。今日の私のツキの良さを坊やと楽しもうと思ってね」
「ルルシーは強いのか?」
「さぁ?どうなのかしら。酔い潰れるまで飲んだことないわね。まさか坊や…私を酔い潰してアレコレするつもり…!?」
「っ!? す、するわけないだろ!」
「あはは、冗談よぉ」

揶揄うと、今度こそ顔を赤くしてそっぽを向かれてしまった。
むくれるメロウを宥めて、ひとまずボトルを開ける。
グラスに注ぎ、そのまま静かにグラスを合わせた。
毒物でないかをじっと確かめながら液体を睨むメロウに苦笑を漏らし、グラスに口を付ける。
それほどアルコールは好まないが、仕事柄口にすることは多い。
酔い潰れて何をされるか分からない世情において、自衛も兼ねて前後不覚になるほど飲んだことはない。
その代わり、酔い潰れる男たちは目にしてきた。
この真面目で純朴な青年はどんな姿を晒すのだろう。
あまり良くない興味が湧いてくる。
ようやくグラスに口を付けたメロウは、眉間に皺を寄せて渋い顔をしていた。

「美味しくない?」
「…オレには合わないらしい」
「あら残念」

それでも律儀にグラスに注がれた分は飲み干そうとする彼を眺め、クスクスと笑みを溢した。
今日の燃えるような勝負の話をしながら、空になりそうな互いのグラスにもう一杯注ぐ。
他愛もない話をするだけで、こんなにも満たされたことがあっただろうか。
聞き手がいて、口数は少なくとも相槌を打ってくれる。
時々聞き手になって、彼の朴訥な話を聞く。
それだけで楽しかった。
幼い頃の幸せだった時間を思い出すほど。
音楽もかかっていない質素な部屋でありながら、この満たされた空間に身を浸す。
暫く目を閉じて微睡んでいると、ゴト、という鈍い音で目が覚めた。
ちょうど二人の間に位置する場所に、空になったグラスが落ちていた。
寝落ちていた間に手から滑り落ちたのだろうか。
拾おうとソファーから立ち上がり、ふと向かいに座っているはずのメロウの反応がないことに気づいた。

「坊や?」

グラスを拾い、そのまま彼の肩を揺さぶる。
振動に抵抗することなく、彼の頭がぐらぐらと揺れた。
口元に耳を寄せれば、健やかな寝息が聞こえた。

「ウソ…寝ちゃったの?ちょっと坊や!せめて横になってから寝なさいって!メロウっ」

強く揺さぶっても目を開ける気配はない。
せっかく快適な寝床があるというのに、こんな窮屈な椅子に座って眠るなんて勿体ない。
腕を引っ張り、頬を抓ったりして諦めずに起こそうと奮闘する。
ふと、ようやく眠そうな目を開けたメロウと目が合った。

「起きた?まったくもう…ベッドに横になってから寝なさい」
「ん…」

立ち上がった彼の手を引いて、ベッドまで促す。
普段のきびきびとした足取りとは程遠い子どものような不安定な動きが可笑しかった。
ベッドに座らせ、そのまま横になるよう声をかける。
それでも眠そうな目でジッとこちらを見ている彼に首を傾げれば、不意に腕を掴まれ、世界がぐるりと回った。
多少の衝撃を感じたのち、暖かいものに包まれている。
毛布よりも重さを感じる。
首元が擽ったくて、瞑っていた目を開けてみた。
目の前に、幼さの残る寝顔があった。
首元に顔を埋められるようにして、寝惚けたメロウに抱き締められている。
状況を理解した途端、酔いとは違う熱さが全身を巡った。
少なからず好意を抱いている相手と接触しているのだから、心臓が五月蝿くならないはずがない。
照れとも言える恥ずかしさを彼に知られたくなかったが、あの重たいライフルを持って戦場を生きていた少年の逞しい腕から逃れる術は無かった。


──身体が暖かい。
心地よいものがすぐ側にあるらしい。
眠くて眠くて、目を開けて確認する余裕はなかった。
それは生きているのかもぞもぞ動いて、何かを喋っているようにも思えた。
それが何かは分からないが、殺気は無いからどうでも良かった。
とても暖かくて、知っているような知らないような甘やかな匂いがする。
戦場とはかけ離れた匂いが、無性に心を落ち着かせる。
もっと匂いを確かめようとすると、鼻先に柔らかな肌が触れた。
あぁ、これは人間か。
こんな匂いのする人間は、ただ一人しか知らなかった。

「……ルルシー…」

彼女の側は、酷く安心する。
すり寄ると、恐らく頬と頬が触れあった。
柔らかな肌が、ぴとりと吸い付くように気持ち良い。
声が聞こえる。
何かを喋っているのか。
肌の触れていない頬に、彼女の手が触れた。
頬を撫で、首から肩に移動する。
肩に添えられると、グッとそこに力が入れられた。
触れていた頬も離れ、彼女の熱が腕からすり抜けていく。
─寒い。
─行かないでくれ。
─もう一人は嫌だ。
腕から逃れようとする熱を、掻き抱くように抱き寄せた。
腕に力を入れると、トクトクと命を刻む音が聞こえた。
それが酷く嬉しくて。
ぷつり、と意識が遠退いた。



外の喧騒が、ざわざわと鼓膜を揺さぶる。
眠りの底から、徐々に意識が浮上してくる。
妙に寝づらい気がする。
それでも、身体が暖かい。
多少頭が痛い気もするが、よく眠れたように思う。
枕にしては随分と柔らかいものに頭を預けている。
目を開けると、見慣れぬものが視界を占領していた。

「……?」
「…ずっと枕にされてると、私が苦しいんだけど」

頭上から降ってきた声に、半ば強制的に意識が覚醒させられた。
頭上から彼女の声がして、耳からは心臓の拍動する音が聞こえる。
慌てて身体を起こすと、どうやら抱き枕代わりにしていたルルシーが深くため息を吐いた。
ツン、と横を向いた彼女から、冷ややかな視線を向けられる。

「すまない…!」

頭を下げ、夢だと思っていたものが現実だったのだと自覚した。
あの温もりも、匂いも、柔らかさも。
頬だけに留まらず、耳まで熱い。
子どものように甘えてしまった。
好意的な関係とはいえ、彼女に不用意に触れてしまった。
ようやく良好な関係を築けてきたのに、彼女の機嫌を損ねるのはマズイ。
かと言って、言葉がすらすらと出てくるような質でもない。
口を開いては閉じることを繰り返していると、怒っていると思われたルルシーが肩を震わせた。

「ふふふ…っ、怒ってないわよ、坊や」

クスクスと笑うルルシーに、縮み上がっていた心臓が落ち着いていく。
怒っている振りだったと分かり、詰めていた息を吐き出した。

「このルルシー様を枕にしてたんだから、ゆっくり眠れたでしょう?坊やにはちょっと強かったのかしら」
「…あまり覚えていないが、本当にすまない。酒は暫く遠慮しておく」
「ふふっ、おはよう、メロウ」

挨拶とともに、頬に、彼女の唇が触れた。
それは、まるで母から子どもへの戯れのキスのようだった。
己はあれだけ意識して慌てたのに、その彼女からは子ども扱いされているのが、妙に悔しい。
ベッドを降りようとする彼女の腕を掴み、グッと引き寄せた。
再度ベッドに倒れこみ、そのまま唇を重ねた。
柔らかさと、溶けるような熱が思考を掻き乱す。
ハッとして、急いで身体を起こした。
己の下で、珍しく顔を赤くしているルルシーを見て、今の行動が今さら強烈に恥ずかしくなってきた。

「…意外と熱烈なのね」
「ち、が…っ」
「私はそういう坊やも好きだけどね」

照れ笑いを浮かべるルルシーを見て、心臓がぎゅっとなる。
この悩ましい衝撃も、暖かな熱も。
彼女のことが好きなのだ、と。
遅い初恋を自覚したのだった。
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