運命と踊る


友人以上に特別な人間はいないと考えていた。
きっとこの先も、それは変わることはないと思っていたのだ。
だから、少なからず好意めいたものを寄せてくれる彼女を認めるわけにはいかなかった。
あの花が綻ぶような眩い微笑みが向けられる度に、愛おしいと思ったとしても。
彼女だけが呼ぶ『騎士様』という愛称も、小さな唇が嬉しそうにそれを紡ぐことも。
恐怖に曝された彼女が己に助けを求めることも、安心したように身を預けることも。
彼女との触れあいの何もかもが己の心を揺さぶって、彼女に同じものを返してやりたいと思ったとしても。
それは気の迷いであり、認められるべきものではないと戒めていた。
その持て余していた感情が、彼女を特別視しているからだと認めた時、友人への忠誠を裏切ることになるのではないかと勘違いしていたのだ。
同じくらいに特別視しても良いのだと、友人はずっとそうした在り方を示していたのに。
己と彼女を、同じだけの熱意を持って対等に慈しんできた。
どちらかを切り捨てる必要はないのだと、散々説かれていたのに。
今さらだ。
今さら、そんなことに気づくなど。
『君は、自分のことには疎いからね』
そう言って苦笑する友人の姿が容易に思い描ける。


ガシャ、と鎧を着た兵士が馬から落ちて地面に叩きつけられた。
足下には血溜まりが広がり、乾いた大地に吸い込まれていく。
今静かにさせたばかりの指揮官の首を、随伴していた部下に向けて放り投げる。

「それを掲げて、相手を黙らせろ。それでも抵抗する者は排除しろ。捕虜の扱いは国王に指示を仰げ」
「はっ!」

指示を出して、すぐにその場を駆け出す。
背後でどよめきが広がっていくのを察し、概ね相手の戦意を喪失させられたのだと解った。
途中、すれ違った馬に友人が乗っていた。
一瞬、妹によく似た泣き顔を見せたが、すぐに冷酷な指導者としての仮面を被った。
任せると一言言葉を交わし、友人は最前線へ、己は彼女の元へと向かう。

最前線から離れたとはいえ、彼女がいた場所は未だに敵に囲まれていた。
指揮官を失って我を忘れた兵士たちが手当たり次第に剣を振るう。
ルインと数名の部下が応戦しているが、怪我人と彼女を庇った状況では防戦一方になっているらしい。
頼みの綱の馬も何頭か失っており、撤退にも踏み切れない。

「ルイン!下がれ!」

彼らを取り囲む円陣を蹴散らすように、真っ直ぐに馬を走らせる。
蹴散らしながら何人かを斬り伏せ、敵を掻き乱す。
その間に、ルインは怪我人を優先的に馬に乗せ、戦線から逃れるように指示を出した。
最後の馬に彼女を乗せようと手を伸ばしたルインが、何かを察して彼女を突き飛ばした。
剣を構えたルインが、満身創痍の敵兵と斬り結ぶ。
その背後から兵士を斬り捨て、白い頬を汚した彼女を抱き起こす。
青ざめた顔をしたルインが駆け寄ってきて、今にも泣き出しそうな情けない顔をした。

「姫様…!申し訳ありません!」
「だ、大丈夫です…護ってくださったのですから」
「すぐに脱出しましょう」

ルインの言葉に、弱々しく頷く。
立ち上がるのも億劫そうな彼女が震えていることに気づき、鎮めたはずの激情が燃え上がった。
部下の乗る馬に彼女を案内するルインに彼女を任せた瞬間。
背後に殺気を感じた。
反射的に剣を構えようとしたが、怯えた彼女が近すぎる。
ルインのように遠ざけてしまえば良かったのに、これ以上彼女の心に傷を作りたくないと思った。
馬に乗る寸前だった彼女を抱きすくめ、全身に力を入れた。
花のような素朴な香りが、鼻腔を擽る。
ルインの叫び声と背後の衝撃は、ほぼ同時だった。


「団長!!」

ルインの悲痛な叫び声が、何も分からない自分に良くない事態が起こったのだと知らしめた。
もはや個人の意思など微塵も影響力を持たない状況にまで事態が進み、振り回されるだけの自分が惨めに思えた。
そんな惨めな状況にあって、突然大きな温もりに抱きすくめられた瞬間、安心感から泣き出してしまいそうになった。
何もかもが怖い、と。
素直に吐露してしまいたくなる。
けれど、兄の為に役に立ちたいとここまで来たのだから、それはできないことだ。
大きな温もりの正体は、憧れの想い人。
ルインの叫びを聞いて、まずは彼の状態を確かめようと背中に手を回した。
ぬるりとした感触が指先に触れた。
熱い液体が手袋を濡らしていく。

「き、騎士様…?」

怖々とした呼びかけに返事は無い。
その代わり、ぐっと息を詰めたような微かな吐息が耳を掠めると、背中に回されていた彼の腕に力が入った。
彼の身体が傾いで、抱き締められたまま地面に倒れ込んだ。
すぐにルインが駆け寄ってきて、彼の腕に閉じ込められたままの私に気づいてくれた。
彼の腕をどうにか緩めようとしているが、まるでそのまま固まってしまったかのようにぴくりとも動かない。
数人の騎士団員が私からは見えない背面に移動して、何かをしている。

「団長!力を抜いてください!このままでは出血が止まりません!」
「脅威は排除されました!味方の兵士しかおりません!」

代わる代わるに部下の必死な声が聞こえる。
それでも、彼は力なく閉じた瞼を開けることも、力を緩めることもない。
あの生真面目なルインでさえ、取り乱して必死に呼びかけているのに。
きっと、護ってくれるという約束を果たしているのだ。
顔を上げれば、いつも焦がれて見つめていた彼の端整な顔がすぐ側にある。
脂汗の滲んだ白い顔に、死の気配を感じる。
その白い頬に、そっと唇を寄せた。

「あぁ…!今すぐに手当てを!」
「馬の準備をします!」

微かに力の抜けた彼の腕から、ルインが引っ張り出してくれた。
所々裂けたハンカチを渡されると、ようやく泣いていることに気づいた。

「……姫様、すぐに離れましょう。団長の代わりに、クレト様が前線におります」
「…お兄様がいらっしゃるなら安心ですね」
「我々は、あまりにも不甲斐ない…っ」
「いいえ、立派に役目を果たしています。私は無事ですから」

ルインへの言葉に偽りはない。
ボロボロと涙を溢すルインに、きちんと笑えているかが不安だった。
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