運命と踊る


夜明けとともに城を出発した。
規則的な馬の駆ける音を響かせながら、山岳を抜ける。
山を越えると荒野が広がっており、既に干上がっているかつては河だった道に隠れるように進行していく。
その道中、リーン国の一団が合流した。
あの胡散臭い使者たちは同行していないらしい。
河沿いの道を逸れると、小高い丘がある。
そこに友人が指揮を取る為のテントを設営する手筈になっていた。
護衛用に自ら選別した幾人かの団員を残していき、より最前線へと進んでいく。
ルインとともに馬に乗る彼女は、友人と別れて以降一言も声を発していない。
悪路を駆け抜け、目的の場所へとたどり着いた。
馬を止めて、目の前に広がる景色をじっと見つめる。
所々壁のように聳え立つ岩の陰に、標的であるアンチェ国の国旗が覗いていた。

「ルイン」
「はい」
「…お嬢さんを任せる」

頷いたルインが、力強く手綱を引いた。
ルインに護られた彼女は、ただ真っ直ぐに己を見ていた。
行って参ります、と。
声もなく告げられた言葉に、全身がざわめいた気がした。


戦列から離れ、数人の一郡が荒野の只中に佇む。
ルインが馬を下り、宥めるように馬の身体に手を添える。
馬上に一人残された彼女は、コートの内側に忍ばせていた文書を手にした。
兄の手によって纏められた停戦協定についての内容を読み上げようとした瞬間。
後方から、鋭い光が一閃した。
空気を切り裂く甲高い音が鼓膜を震わせながら、乾いた風に煽られて靡く髪を掠め、それは彼女の乗る馬の足元に突き刺さった。
それが矢なのだと気づく間もなく、突如ルインの手によって落ち着いていたはずの馬が暴れた。
跳ね上がった馬から投げ出され、無抵抗に地面に叩き付けられる。
間一髪抱き留めたルインとともに地面に転がり、すぐに身体を起こしたルインが異常を来す馬に目をやった。
馬の尾付近に一本の矢が突き刺さっていた。
戦場に不慣れだというリーン国には、遠距離支援を割り振っていたはずだ。
素早く周囲を警戒するルインは、これらの愚行が共同戦線を持ち掛けたリーン国によるものなのだと悟った。
執拗に無関係なはずの妹姫を、戦場に引きずり出そうとしていたのは聞いている。
彼らは結局勝てる見込みがないと判断し、我が国の国宝を相手への手土産とすることを選んだのだろう。

「姫様!すぐにこの場を離れますよ!」

暴れる愛馬から距離を取り、一番近い団員を呼び寄せて彼女を乗せることにした。
周囲を敵に囲まれている状況はマズイ。
何より、彼女を危険に晒すのは避けたい。
すぐにでも本隊と合流するべきだ。
地面に叩き付けられた衝撃で乱れた呼吸を整え終えた彼女が立ち上がり、懸命に部下の方へと歩き始めたことを確認する。
悪意に晒され、震える身体を叱咤しているような彼女の様子に、ただ胸が痛くなった。

「すぐに団長の所に戻りましょう、姫様。あの人の側なら安心できますから」
「はい…っ」

できるだけ落ち着いた声音を意識した言葉に、泣き出しそうな笑みを浮かべた彼女が不自然に固まった。
後ろ、と彼女が呟いたのが解り、咄嗟に身を翻した。
後方から飛んできた数本の矢を切り落とす。
すぐに彼女を乗せろと指示を出そうと振り返った瞬間。
彼女の胸元に、憎らしい矢が一本突き刺さっていた。



最前線の異常に気づいたのは、彼女が落馬した時だった。
受け身も取れずに投げ出された彼女は、糸の切れた人形のようだった。
その瞬間には、あらゆるものが思考から排除された。
リーンとアンチェを潰せと、ただそれだけを部下に伝えると、己は走り出していた。
こちらの乱れに気づいたアンチェ国も進軍を始める。
せめてもと彼女を最前線から連れ出そうとしているルインにも妨害が入っているようだ。
相手の指揮官さえ潰せば、あとは有象無象の集団に成り下がるだろう。
構えた剣の柄を握り直して呼吸を整えた瞬間、姫様!というルインの乱れた絶叫に、頭を殴られたように思えた。
普段見たこともないほどに慌てたルインの腕の中に、ぐったりと横たわったままの彼女の姿が見えた。
その胸に、矢が刺さっているのが解った瞬間、全身を焼くような激情が込み上げた。

「ルイン!」
「団長、姫様が…っ」
「早く彼女を連れて離れろ!」

ルインを庇うように馬を移動させ、乱れていた指揮を執り直す。
ルインの脱出を援護させつつ、前線を維持する。
大した脅威にもならないリーンは恐らくすぐに潰せるだろう。
リーンを排除し終えた部下たちが、徐々に戦列に戻ってきた。
体制を建て直す為に、一部に友人を前線へ連れて来るように命じる。
目を閉じたままの彼女を抱き起こそうとするルインの動きの中で、ケホッと微かな咳き込みが聞こえた。

「…ル、イン…様…」
「姫様!無理に話してはいけません、まずは矢をどうにかしますから」

意識を取り戻したらしい彼女は、ルインの制止を無視して、胸に刺さった矢を抜いた。
血が噴き出る光景を幻視したが、予想とは異なる事態になった。

「まさか、そんな……」
「これの、お陰で…助かりました」
「あぁ…そうか、ブローチに刺さっていたのですね」

彼女の胸元には、今にも粉々に砕けてしまいそうなサファイアが嵌まったブローチが光っていた。
ルインに支えられながら立ち上がった彼女の髪は乱れ、服は所々裂け、そこから覗く白い肌にはうっすらと血が滲んでいる。
淡く微笑もうとした彼女を振り返りもせず、愛馬を走らせた。

幾重の壁になって迫り来る敵兵を斬り伏せて、指揮官を目指して駆け抜ける。
風を切る音も、断末魔の絶叫も。
頬にかかる血飛沫の温さも、手に伝わる鉄と肉を切り裂く感覚も。
何もかもが己の五感には届かなくなった。
ただ、彼女に怪我をさせてしまった、と。
それだけの後悔に苛まれていた。
友人の約束を果たせなかったという後悔よりも、強く己を衝き動かす。
何故、何故、何故──!
何故、彼女を戦場に連れ出すことを許したのだろう。
ずっと傍にいて、護ってやれるわけではなかったのに。
怪我などしないと甘く見ていたのか。
友人が最前線に出なければ良いと思っていたのか。
覚悟を決めた瞳を見て、護りたいと思ったはずだったのに。
こんな最前線で、悪意の暴挙に晒されて。
泣き叫びもせず、取り乱すこともせず。
ただ気丈に振る舞うだけの少女に、何がしてやれるのだろう。
12/13ページ
スキ