誕生日


乾いた砂が頬を打つ。
ザラザラとしたその感覚が、懐かしさを纏って誘う。
両親を撃ち抜いた拳銃を握り締め、家を後にした虚ろな瞳をした少年たちの群れに混じる幼い自分。
身の丈並みの銃を抱えて走り回り、崩落した家々を縫うように逃げるボロボロの自分。
神と等しい存在に救われ、憧れた無邪気な子ども。

『ソラン』と呼ばれたかつての自分を。
時折、誰かが揺り起こしているのだ。

未だに痛む過去を抱えきれず、誰かに吐露したのは覚えている。
極度の疲労と銃創の疼痛によって朦朧としていた。
傍らに座っていたのは、誰だったろうか。
艶やかな黒髪を長く伸ばし、穏やかに微笑みかけたのは。


「気がついたのね、刹那」

機械越しの声が、喜んだように呼び掛ける。
スメラギの声だ。
トレミーにいるのか。
声の方に目を向けたつもりだったが、視界は真っ暗なままだ。
目を開けようと考えると、徐々に真っ白な光が視界に満ちてきた。

「気分はどう?まだ無理はしないでちょうだいね。アニューに精密検査を続けてもらうから」
「……俺は」
「トレミーと合流後に意識を失ったのよ。数時間くらいね。酷い怪我をしていて驚いたわ」
「……そうか」

じわじわと鈍く痛んでいるのか、右上腕の感覚が薄れているような気がする。
メディカルブースに横たわっているらしく、ブース越しに真っ白な天井が朧気に見える。
纏まらない思考で、唯一大量の汗と血液が付着したパイロットスーツが脱ぎたいと思った。
メディカルチェックは数分後には終了し、異常なしと判断された。
出血による若干の貧血は見られるが、それ以外に気になる所見はないとのことだった。
心配していた仲間たちに礼を言ってから、ようやく自室へと向かった。
パイロットスーツを脱ぎ捨て、ふらつきながらシャワールームに入る。
熱めの湯に打たれ、ようやく思考がはっきりしてきた。
鎮痛薬によって銃創の疼痛は和らいだが、疲労による倦怠感は残っている。
愛機の整備に行きたかったが、イアンには無理をするなと釘を刺されたため、このまま横になることにした。
冷たいシーツの感覚が、湯上がり直後の身体には心地よい。
投げ出した端末をチェックする気力はなく、静かに目を閉じた。


愛おしそうに髪を撫でる手。
いつも側にいた人。
抱き締めようと、迎え入れるために広げられた両手。
その手を。
無惨にも振り払ったのは。

『刹那』

母とよく似た、母ではない女性に呼ばれ、眠りの底から目を覚ました。
心臓がズキズキと痛むような錯覚に襲われた。

「……マ、リナ…」

そうだ。
手当てをしてくれたのは彼女だ。
彼女の元に、無意識のうちに向かってしまったのだ。
未だに痛む過去を吐露したのも。
傍らに座っていたのも、彼女だ。
縋ってしまいそうになったのだ。
遠いあの日を追い求めて。
失くしたものを取り戻したくて。
─あの日の過ちを、赦してほしくて。

もう誰も呼ばなくなった。
二度と呼ばれることのないはずの。
哀れな少年兵の名前を。
彼女の小さな唇から、零れ落ちることを期待しているのだ。

「マリナ…」

唯一のひと。
俺に、何かを与えてくれる人。

白い衣装に身を包んだ彼女とともに、マリナと子どもたちの穏やかな声が甦る。
唄を聴く約束をした。
それが、彼女と交わした初めての繋がりだった。

聴きたい。
無性に聴きたくなった。
しかし、聴ける術はなかった。




「刹那」
「…マリナ」
「眠っていたのね。起こしてしまってごめんなさい」

どうやら微睡んでいたらしい。
木目調の古びた天井が視界に映る。
声を頼りに彼女のいる方へと視線を向ければ、窓際のオルガンの前に座って微笑んでいた。

「眠るなら、音楽はいかがかしら」
「いや、起きている。それでも聴かせてもらえるだろうか」
「えぇ、もちろん」

ソファーから身体を起こし、椅子を持ってオルガンの側に移動する。
穏やかな横顔を眺めながら、ゆったりとしたテンポで演奏される曲に聴き入った。

「…ようやくキミとの約束を果たせた」
「ふふ…長かったわね」

初めて交わした約束。
初めてお互いの心に触れた時の、忘れがたい衝動を思い出す。
生きてきたことに意味を見出だせるようになったのは、彼女のお陰なのだ。

「…ソラン、と。呼んではくれないだろうか」

己の人生を肯定してくれたのは。
彼女だったのだから。

「ソラン…素敵な名前ね。貴方自身の名前なのね」

これで、ようやく。
戦い続けてきた人生を終わりにできる。
武器を持たず、爆音に怯えず。
美しい花に触れることができるのだ。

「貴方に出逢えて良かった。私がここまでこれたのは、貴方のお陰だもの。これからは、同じ時間を重ねられると嬉しいわ」
「キミと生きてもいいのなら…俺はこの地で生きていきたい」
「もちろんよ。この地は、貴方の故郷なのだから」

唯一のひとだった彼女が治めることになった亡き故郷。
荒れ果てた過去とは違い、今はアザディスタンの中に存在し続けている。
彼女は次世代の王の座を譲ったが、俺の祖国の姫は、今でも彼女一人だ。

─長い長い里帰りを果たし。
微笑む彼女をそっと抱きしめて、数十年ぶりに涙が溢れた。
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