運命と踊る


騎士団長に就任してから、そろそろ四年が経とうとしている。
それは、友人が国王になってから同じく四年が経つのだ。
即位後の一年間は、暗殺未遂が頻繁に起こっていたが、もはやそれも無きに等しい。
送り込んだ刺客がすべて返り討ちに遭えば、それ以上の直接的な策を練ることも諦めたのだろう。
暗殺と公務に忙殺され、時折体調を崩していた病弱な友人の体調も、最近は安定している。
ようやく前国王の残滓を振り払えたとほっと息をつけるようになった頃合いだ。
暗殺と並行して行われていた友人の妹に対する私利私欲にまみれた政略結婚も鳴りを潜めている。
表面上は静かな日々が訪れ、友人の愛する妹姫も心穏やかに過ごしているようだ。
そんな情勢における最近の友人の悩みは、もっぱら彼の妹に関することだけだった。

「アレク…ここ最近の城内は安定しているよ。君のお陰だ」
「そうか、それは良かったな」

友人の私室で開かれる真夜中の雑談。
少量のワインが注がれたグラスに口をつけた友人が、美しいと表現する外無い完璧な笑みを浮かべる。
こういう時の友人は、概ねろくでもない事を口にする。
心の中で構えていると、予想通りろくでもない事を口にした。

「この安定した状況を考慮して…そろそろクレアの婚姻を本格的に考えないといけないと思うんだ」

途端、後頭部に重い一撃を食らったような衝撃が走った。
何も口にしていなくて良かった。
何か口に含んでいたなら、盛大に噎せていた気がする。
サイドテーブルに両肘を付き、組んだ手に口元を寄せて真剣な顔をする友人に視線を戻した。

「…クレアも18になった。小さくて可愛らしかったあの子は、今は立派な淑女だ。作法も知識も申し分ない。あとは彼女を愛し、護れるような相手と添うだけだ」
「…お嬢さんは、婚約を望んでいるのか?まだ自由でいたいと考えているんじゃないのか。お前と同じく窮屈な人生だったろう。そもそも、お前がそれを許すとは思えないが」
「そう…私にとっては、あの子が他人のモノとして見られるような状況は許しがたい。けれど、私の我が儘であの子の評判を落とすような事態は避けたい。貴族の娘なら、もう相手がいて当たり前の年齢なんだ」

彼女の政略結婚を頑なに拒否し続けてきたのは、本人よりも目の前の友人だ。
その友人が事態を進めるというなら、それに従うのは当たり前だ。
そう理解している一方で、腹の底に重たい何かが澱んでいく。

「それにね…君は気づかない振りを続けるけれど、あの子は心に決めた相手がいるよ。分かっているだろう?」

伏せられていたはずの友人の金色の瞳が、真っ直ぐに己を射貫いている。
諦めろ、と言外に伝えるその眼差しが、最近は酷く不快になる。
友人と同様に慕ってくれる彼女の眼差しに、憧れとは異なる感情が滲むようになっているのは気づいている。
閉鎖的な環境で育ち、兄や侍女以外に真に愛情を向けてくれる他者が少なかった彼女にとって、己はただ珍しい存在だっただけなのだろう。
彼女が抱くそれは、きっと勘違いなのだと言ってやりたいが、それを否定できるほどの意志は無い。
己の中にある感情を、否定しきることができないのだから。
この無限ループのような問答が、最近増加している。
ハッキリしない己も、解っていて問いかけ続ける友人も。
それらが苛立ちを増幅しているのだと解っている。

「この件はまた後で考えようか、アレク」
「……あまり考えたくはないな」
「ふふ、君の分のアルコールも用意しておくよ。さて──ここからが本題だ」

緩めていた顔を引き締め、冷徹な男の口調が冷えた。
そもそも友人に呼ばれたのはこの為だったのだ。
グラスを置き、隣接する執務室に移動する友人の背中を追う。
本棚から地図を取り出すと、執務机にそれを広げる。
国内の詳細なものではなく、近隣諸国が描かれた世界地図だ。
ペンを持った友人が、自国─グラディス国に印を付ける。
そこから左に移動すると、リーン国に印を付けた。

「…先日、この国から書簡が届いた。君にも見せたね?」
「共同戦線の件か」

引き出しから例の書簡を取り出すと、そのまま手渡された。
内容を再度確認するために目を通す。
そこには、リーン国とその隣国との紛争の概要、リーン国への助力を求める旨が書かれている。
そもそもリーン国は軍事においては稚拙であると評判の国だ。
軍事国家でないくせに、かの国王は短気であるとの噂があり、遊戯のような紛争をよく起こしている。

「元々、あの国は隣国との小競合いが続いてる。馬鹿みたいだと思って相手にしなかったが、その後リーン国について調査をさせてみた」
「…何かあったんだな」
「国外追放にした腐った親族の一部が、リーン国と敵対するアンチェ国で好き勝手しているらしい。甘い蜜を吸わせてくれる新しい隠れ蓑として利用したいのだろう。そして、紛争の結果次第で小国のこの二国が一つになるなら話は変わる」

そう言いながら、リーン国より右上に位置するアンチェ国に印を付けた。
アンチェ国は騎士団が有能だと聞いている。
後進の育成に力を入れており、年齢問わず場馴れしているらしい。
力のバランスは一目瞭然だ。
この紛争の結果で二つの国が一つになるなら、国のサイズとしては自国に匹敵する。
一つになった国で好き勝手するなら問題はないが、必ず奴等は復讐に駆られるだろう。

「…不穏の芽は先に摘んでおくに越したことはないな」
「先日の件を、承諾しようと思う」
「解った」
「明日リーン国へ返事を送る。そして、私たちが主導で作戦を進めるつもりだ」
「それがいいな。信頼してるぞ、作戦参謀殿」
「もちろん、君たちを死なせるつもりはないよ」


コツコツ、と静まり返った城内を歩く靴音が響く。
騎士団長になってから、その役目の為に友人の護衛として過ごす時間が増えた。
暗殺未遂が続いている間は身体が鈍ることもなかったが、これだけ落ち着いてくれば勘が鈍るだろう。
久方ぶりの戦場が近いこともあり、友人が私室に籠る時間に訓練場に行くことにした。
その間の護衛は、団長補佐として雑務を任せるルインに一任しておいた。
手合わせ相手用にルインを引き摺りながら訓練場に行くと、似つかわしくない人物が入口にいるのが見えた。
同様に気づいたルインが、その人物を見て姫様、と声を漏らす。
先日の友人とのやり取りを思い出し、思わず眉間に皺が寄るのを自覚した。

「お嬢さん、ここで何をしてる?そろそろ日も暮れるぞ。早く部屋に戻った方が良い」
「騎士様…お兄様から近々戦場に行かれると聞きました」
「あぁ、それが俺の役目だ」
「あの…私…」

顔を俯けた彼女の動きに合わせ、蜂蜜色の髪が不安げに揺れる。
艶やかな唇を噛み締めて、それ以上の言葉は続かなかった。
珍しく言葉に詰まる少女の姿に、何かを感じない訳はない。
ただ、それ以上先を聞きたいとは思わなかった。

「ルイン、お嬢さんを部屋まで護衛しろ。それが済んだら俺の相手をしろ」
「団長、まだ姫様は…」
「─ルイン、指示に従え」
「はい」

口を噤んで静かに頭を下げたルインが、彼女の側へと近づく。
ルインに促され、大人しく戻っていく少女が、一瞬だけこちらを振り返る。
感情豊かな顔を寂しげに歪めて、声もなく呼びかける姿に心臓を掻き毟りたくなった。


「──何故、それほど避けるんです?」

ギン、と模擬剣のぶつかり合う鈍い音が弾ける。
踏み込んだルインの剣を払い、一歩下がって距離を取った。
見込んだ頃は未熟だった青年も、一対一で手合わせを重ねていたお陰か随分な手練れに成長した。
息をするのも命取りな状況であっても、普段の小生意気な会話が続けられる程度の技量を身に付けている。
それが、今は何よりも厄介なことになるなど考えてもいなかった。

「団長の保護対象は、これからも永遠に国王と姫様だけのはずでしょう」
「お嬢さんはそのうち対象から外れるだろ。結婚すれば他国のものだ」

返答が気に入らなかったのか、ムッとしたような顔をしたルインに軽く笑う。
今さら何を言おうと言うのか。

「……仮に、ですよ。仮に、姫様が他国の王家と婚約なされたとしても、保護対象から外れるわけがない。貴方はそういう人です。貴方は、貴方の認めた人には何があっても付き従う」
「知った風な口を」
「それはそうです。これでも、貴方が指名した団長補佐ですからね」

同時に踏み込み、お互いを仕留めようと振りかぶった剣がぶつかり合い、派手な音を鳴らす。
ビリビリと指を伝う衝撃を感じながら、己の胸中を静かに見つめる。
信頼する右腕が諌める度に、寂しげな顔をした少女を思い出してしまう。
─何故、彼女を忌避するのか。
……今だけだ。
この心地よい不思議な関係が続くのは。
きっと、そのうち消えてなくなるのだろうに。
それが解っていて、何故これ以上無駄な時間を重ねることを選ばせようとするのだ。

「……あいつ以外に、心を許すつもりは無かったさ」

すべては友人の為だけに。
彼が護りたいと願うから、彼が愛するものを護ろうと決めただけだったのに。
彼の一部にしか考えていなかった彼女に、これほど心を掻き乱されるつもりは無かったのだ。
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