誕生日


国際ニュースの画面を開きながら、その片隅に小さく表示していた中東方面の報道に、一瞬時間が止まったように感じた。

『アザディスタン皇女、倒れる』

飛んだ思考をすぐさま呼び戻し、焦燥する気持ちを落ち着けるために冷静に考える。

何が起きたのだろうか。
テロの報道はない。
可能性は低いが、一番起こりうるものだ。
しかし、テロならばスメラギから事前に阻止する為のミッションが渡されるはずだろう。
そうしたものは、ここ最近のミッションには無かった。
ならば、突発的な事故か。
いや、もしそうならば、もっと彼女の身体状況や事故現場の現状に関して詳しい情報があっても良いはずだ。
手元にある情報が少ない。
倒れるとは何だ。
何が起こったのだ。
ダメだ、答えが見つからない。
考えれば考えるほど、焦燥が増していく。
──彼女は、生きているのか。

「……マリナ」

それからどう行動を取ったのかよく覚えていないが、気づけば寝静まった夜のアザディスタンへと辿り着いていた。
いつもと変わらない侵入ルートを駆けて、私室のテラスへと舞い降りる。
微かに震える手に気づき、扉を開ける前に一度きつく握り締めた。

音もなく開いた扉とともに室内へと身を滑り込ませると、吹き込んだ風に、寝台を覆う布がゆったりと揺れた。
その布を少し開き、そっと中を覗く。
濡れ羽色をした美しい髪が寝台に広がり、ほっそりとした綺麗な面立ちの皇女は眠っていた。
月光に照らされた薄明るい室内では、その白い肌が余計に白く、青ざめているようにも見える。
死を感じさせる気配に、徐に彼女の首筋に手を当てた。
トクトクと命の巡る感覚が指先に伝わる。

「…生きて、いるのか」

いつの間にか詰めていた息を吐き出し、眠る皇女を見つめる。
ようやく気配に気づいたのか、彼女にしてはあまりにも遅く目を覚ました。

「せ、つな…?」
「すまない、起こしてしまった」
「どうして、ここに?」

体を起こした彼女の動きに、どこか不自然な点が無いか観察する。
怪我をしているわけではないようだ。
ただ、少し動きが鈍いように思える。

「倒れたというニュースを見た。何があったんだ」
「心配して、様子を見にきてくれたの?」
「…生きているのか、不安になった」

笑みを零すマリナに、ようやく安堵した。
寝台に腰掛けて、ゆっくりと話す体勢を整える。

「外交や他国との交流に関わる仕事が続いて緊張したのかしら、少し具合を悪くしたの。体が怠くて、これ以上悪くならないように少し休みなさいと、シーリンにも怒られてしまって」
「今は落ち着いているのか?」
「えぇ、心配かけてごめんなさい。でも嬉しいわ、ありがとう」

むず痒さに室内へと視線を移動させれば、寝台近くのテーブルにコップと薬が置かれていた。

「…まだ回復はしていないんだろう。俺ももう戻る、マリナも休め」

そう言って腰を上げようとした時に、くん、と小さく袖を掴まれた。
不思議に思って目を遣れば、困ったように笑うマリナがいる。

「…あの、もう少しだけ…側に居てもらえないかしら?」
「お前の眠りの邪魔にならないのか?」
「居てくれた方が、むしろ嬉しいわ」
「了解した」

言われるがままに、寝台に座り直す。
安心したように微笑んだマリナが、身体を横たえた。
さらりとした髪が再び寝台に広がり、寝台についた俺の手に触れる。
壊れ物を扱うような手つきで、その髪に触れた。
目を瞑りながら、マリナはくすぐったそうに微笑む。

「…お願いを、もうひとつしてもいい?」
「俺にできることならば」
「手を、握っていてほしいの」
「手を?」
「ダメかしら…」

人殺しを重ねている手で、その穢れを知らない手に触れていいのかと逡巡する。
初めて触れるわけではない。
それでも、触れることには躊躇してしまう。
彼女の不安そうな声音に、一抹の緊張とともにそっと触れた。
滑らかで、細くて、温かい。
勝手に罪が浄化されていくような錯覚を覚えながら、恐る恐る指を絡めた。

「…人は体が弱ると、誰かに側に居てほしくなるのね。心細くて、淋しいのかしら」

頬をうっすら染めて、絡めた指先に軽く力が籠められた。
籠められた力の分だけ握り返して、ぽつりぽつり、と言葉を紡ぐ。

「…マリナが弱っていると、心がざわつく。早く良くなれ、ずっと笑っていてくれ」

画面の向こう側でいい。
生きて、穏やかに過ごしている姿を見ていたい。
貴女の存在が、俺の存在意義なのだ。

「…本当に、心配させてしまってごめんなさい。そんな顔をしないで。貴方の熱を貰ったから、きっと明日には良くなっているわ」

優しく頬に伸ばされた手に、手を重ねた。
見つめた面差しから青白さはいつの間にか失せて、仄かに赤みが戻っている。
死を予感させる気配は遠退いていた。

「…ありがとう、刹那。やっぱり、貴方は優しい人ね」
「マリナには敵わない」

声に出さずに、小さくお休みなさいと唇だけで形を作り、静かに寝入った彼女の頬に触れる。
その手に、確かな熱が感じられる。
怖い、と思った。
手の届かない場所で、この熱が消えることが。

「…生きてくれ、生き続けてくれ」

俺が、護るから。
手は届かなくとも、きっと護り抜くから。


数日後、画面の向こうで、言葉通りに彼女は笑っていた。

「刹那、何を笑っているんだい?」
「アレルヤ。いや、笑ってはいないが…」
「そうだね。ただ心なしか嬉しそうに見えたから、何か素敵なものでも見たのかと思って」
「あぁ…花が咲いていただけだ」

砂漠に咲く花。
護ると決めたもの。

一瞬驚いたような表情を浮かべたあと、アレルヤは何かを察したのか柔らかに笑った。
彼はしつこく聞かないお陰で話しやすい。

「君が笑うくらいなんだ、きっと素敵な花なんだろうね」
「あぁ、これからも咲き続けるといい」

そこに在るだけでいい。
多くは望まない。
ただ願うなら、笑っていてほしい。
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