機甲猟兵メロウリンク


あの地獄の戦場で、すべてを喪った己には。
仲間の名誉を守るという、ただそれだけの復讐しか残らなかった。
その為ならば、残った命を捨ててしまっても良かった。
死ぬつもりはなかったが、生きることに執着していた訳でもなかった。
己を突き動かすのは、ただ許せなかったという怒りだけなのだ。
相棒である旧式の対A・Tライフルを構えたその先にいる仇を射貫くということしか考えていなかった。
それが、己が生きる意味だったのだから。


サラサラと心地よい風が頬を撫でていく。
ここは、自然豊かな美しい場所だ。
生命力で満ちた深緑の木々に、透き通った青い湖。
何故、こんな場所にいるのだろう。
戦争とは無縁の地で、かつての戦場のように身を潜め、確実に敵を撃墜した。
美しい森を薙ぎ倒し、燃え盛る炎がすべてを焼き尽くす。
己が生きる場所は、結局戦場しか無いのだろうか。

「坊や、中にいらっしゃい。少しでも休憩しておかないと身体が持たないわよ」
「…あぁ」

星空を溶かし込んだような艶やかな青紫の髪が靡く。
古めかしい城の入口から顔を出しているのは、同じ男を標的とする復讐者、もとい暖かな情を向けてくれる女カード師。
否、家族も、家の誇りも奪われた悲しき令嬢か。
軽い口調で語られた過去は、女一人で生きていくには辛いだろうと思わせるものだった。
彼女も狙われる身であり、共に逃げ出したのは偶然だった。
ただ彼女には借りがあり、度々世話を焼いてくれた。
敵わぬだろう敵に立ち向かう彼女の姿が、ほんの少し己に似ているのではないかと思った。
だから、彼女を護るような行動に出たのだと思う。
それは、もう一人の己を護るようなものだった。
共に逃げて、戦って。
そこで、彼女を奪われた時には背筋が凍りついた。
A・Tの手に捕らわれ、己の名前を呼ぶ彼女の姿は、今でも鮮明に瞼にこびりついている。
復讐心以外の強い何かが、腹の底で煮え滾った。
冷えた背筋とは反対に、まるで全身の血が沸騰したかのように身体が熱くなった。
──奪われてはならないものを奪われた、と。
それは、決して己のモノではないのに、まるで己のモノを奪われたような錯覚を覚えるほどだった。

「何か食べられそうなものでも探してくる?水の方がいい?」
「いや…今は何も口にしたくない」
「そう?何か必要があれば言ってちょうだい」

広い玄関ホールに、彼女の通る声はよく響いた。
まるで歌でも聴いているようだ。
大人びた横顔にクルクルと鮮やかな感情が乗せられる度に、凍てついた心臓が五月蝿く拍動する。
猫のように悪戯めいた光を灯す緑の瞳が、ゆっくりと細められた。

「どうしたの、坊や」
「…何が」
「そうね…泣き出しそうというか、迷子みたいな顔をしてるわ」
「意味が分からない」

ころころと変わる顔には、生気が満ちている。
ほっそりとして柔らかそうな頬は、淡く色づいている。
小さな唇からは心地よい音が響く。
ふと、彼女の端整な顔が近づいて、大きな瞳がじっと己を捉えた。

「辛いことでもあった?」
「ない、と思う」
「そうかしら、私の勘はよく当たるのよ」

彼女が、生きていることが嬉しい気がする。
首を絞められていたところを助け、気を失っていた彼女が目覚めるまでのたった数分が、長い長い悪夢のようだった。
名前を呼んでも目を開けない。
何度繰り返しても、誰からの返事もない。
それは、仲間たちの亡骸に呼びかけていた光景と重なった。
ぞっとした。
また、己は誰も助けられなかったのだ、と。

「…あんたが……ルルシーが、生きていて、良かった…」
「えぇ、貴方が助けてくれたのよ、メロウ」

細く長い指が、強張った頬を包む。
柔らかな熱が、じんわりと頬から全身へと広がっていく。
その手に誘われ、項垂れるように頭を下げた。
するすると首に彼女の腕が絡み、己よりも頭一つ分小さい彼女の腕に抱かれた。
それは、子どもを宥める母のようだった。
彼女の手が頭を撫で、背中を撫でていく。
頼りないほど細い腕が、ただ抱き締めてくれる。
僅かに顔を上げると、彼女の顔が思ったよりも近くにあった。
森を駆け抜け、銃撃を掻い潜ったせいか、彼女の肌にもうっすらと細かな傷ができている。

「…傷が」
「これくらいなら平気よ。すぐに治るわ。私より、坊やの方が傷だらけじゃないの」
「オレは問題ない。ただ…」

美しいものに傷がついてしまうのが嫌なのだ。
青ざめた顔も、弱い拍動も。
死を予感させるものは、彼女から遠ざけておきたいと思う。
彼女には、楽しげに笑っていてもらえればいい。
同じ道を選んだ者への情なのか。
それとも、違う何かなのかを考える余裕はない。
知らなくていい。
いつかは、彼女と道を違えるだろう。
この復讐の果てに、己が生きているのかなど分からない。
復讐を終えて、何をしたいという目的もない。
だから、この協力関係に別の名前を付けたいとは思わない。
ただ己が勝手に救われて、救いたいと願うだけなのだ。

「良かった。少し落ち着いたかしら」
「あぁ、もう平気だ」
「坊やってば無茶しかしないんだから。辛い時は誰かを頼っていいのよ」

少し休みなさい、と部屋まで手を引く彼女に大人しく従う。
束ねられた髪が揺れ、時々こちらを振り返る彼女の穏やかな笑みを見つめ返した。

──メロウ、と。
彼女が愛おしそうに呼んでくれる度に。
空っぽの己に、何かが満ちていく気がする。
そして、ただ五月蝿くなる心臓を自覚せずにはいられなかった。
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