Miraculous


夜のパリを散歩するのが好きだ。
昼間の街並みは鮮やかに彩られ、睦まじく過ごす人々の幸せそうな笑顔で溢れている。
一転して、夜は人の営みが生む光が微かに瞬いて、静かで穏やかな空気に変化する。
多くの視線から解放されて、自由を満喫するには最適の時間。
シャノワールのスーツは夜闇に溶け込むにはぴったりだし、夜目も利くのだから最高だ。
夜の散歩に相棒がいれば尚更良いが、あいにく今夜は平和な夜らしい。
平和なことは良いことだ。
──つまらない、という贅沢な悩みを除けば。

建物を華麗に渡り歩いていると、春先とはいえ肌寒い夜に薄手で空を見上げる少女を見つけた。

「こんばんは、プリンセス」
「シャノワール…!パリのヒーローはお散歩?」
「パトロールって言ってよ。今夜は冷えるから早く中に入りな。女の子は体を冷やしちゃいけないんでしょ?」
「貴方も温まる?鼻の赤い黒猫さん」
「ホントに?喜んで!」

時々ふらりと訪れるようになったマリネットの部屋。
女の子らしいパステルピンクの部屋は、いつ来ても楽しげだ。
デザイナーを目指しているだけあって、作品や、それぞれの道具が置かれている。
いつだか彼女がアドリアンのファンだと知ったから、大量の写真が置かれていることにも慣れた。
それに、彼女がファンであることは嬉しい。
しかし、自分がシャノワールであることは知らないだろうが、クラスメイトかつ親しい友達とはいえ、頻繁に女の子の家に訪れるのはどうだろうか。
あまり好ましくないことだろうとは思うが、つい居心地の良さに惹かれて寄ってしまう。
レディバグという美しい人に恋をしているのにも関わらず。

「はい、どうぞ」
「ありがとう!」

すぐに用意されたココアに口を付けると、その甘さと温かさに思考が溶けた。
難しいことを考えるのは止そう。
嫌だったら、きっと拒否してくれるはずだ。
相棒のいない寂しい散歩に、マリネットと過ごせることになって嬉しいことに変わりはない。
ニコニコとココアを飲んでいると、普段の彼女と何かが違うことに気づいた。
二つに結われている髪がほどかれ、夜空のような黒髪がふわりと広がっている。

「髪を下ろしてるのも似合ってるね」
「あ、ありがとう…」

照れたように笑ったマリネットの隣に腰を下ろして、流されたままの髪を梳く。
指通りの良い髪が、サラサラと揺れた。
髪型一つで、雰囲気が変わる。
まるで、知らない女の子のようだ。
どこか大人びたような雰囲気が、彼女と距離ができてしまったように思わせた。
感触を確かめるように触れて、変わっていないことに安堵する。
置いていかれるのではないかという、子どもじみた恐怖。
たったそれだけの理由で、彼女に変化が訪れることを恐れている。

「今夜はありがとう、マリネット」
「どういたしまして。お休みなさい、シャノワール」

頬にキスを交わして、軽やかに夜更けの街並みに消えた。


「今日も平和ね」
「それは、とっても素敵なことだね。ヒーローも少しは休憩できるってことだ。早速デートに行こうか、My lady?」
「ふふ、デートはお断りだけど、話くらいならしましょうか」
「やった!」

見晴らしの良い建物の屋根に腰を下ろして、賑わうパリの街並みを眺める。
ヒーローが休憩しているところはあまり見られたくないからか、自然と寄り添うように身を寄せ合う。
ヒーローの割に小柄な彼女の肩が触れあうだけで、心臓が喜びに溢れて五月蝿い。
あぁ、なんて幸せな時間だろう。
この時間が永遠に続けばいいのに。

「そういえば、キミの髪型は変わらないね。それもコスチュームの一部なの?」
「ん~…他のミラキュラスを纏ったことがないから分からないけど…これが一番楽なのは確かよ」
「楽?」
「作業の…じゃなくて、戦う時の邪魔にならないからね」
「なるほどね。とってもヒーローらしい理由だ」

鈴を鳴らすように、頬に触れた彼女の毛先を軽く弾いた。
毛先が擽ったく頬を撫でると、髪に悪戯をして怒ったのか彼女の身体が離れた。
慌てて温もりを追いかけるように、ぐぐっと身体を預ける。
重さに負けた彼女を押し倒し、悪戯っぽくニッコリと微笑むと、不機嫌そうに押し退けられてしまった。
大人しく元の体勢に戻るが、相変わらず肩は触れあっている。

「……私のコスチュームに何か文句でも?」
「とんでもニャい!My ladyは今の姿が一番だよ!でもね、どんな姿でも、キミが最高だってことは違いないんだっ」
「ふふ、調子のいい猫ちゃん」
「Meow!」

シャノワールのスーツで不思議なことは、本物の猫のようにゴロゴロと喉が鳴ってしまうことだ。
顎の下を擽られ、上機嫌に喉が鳴る。
好きだ、好きだ、と。
言葉にならない代わりに、喉が鳴る。

「ボクの最近の友達にね、キミに似た女の子がいるんだ」
「私に似てる?」
「前にキミに言われて助けた子だから、多分キミも知ってると思うけど、マリネットって──」

突然、視界からレディバグが消えた。
何かに慌てたせいで、バランスを崩して後ろ向きに倒れてしまったようだ。
腕を掴んで引っ張りあげると、誤魔化すように咳払いをした。
何かおかしなことを言っただろうか。
窺うように首を傾げると、彼女の視線はあらぬ方へと向いてしまう。

「…ど、どこが似てると思うの?」
「ん~…何となく?あ、彼女も創造するのが得意みたいだよ。でも、キミよりもおっちょこちょいかな。キミはいつでもクールだもの」
「そ、そう…あんまり市民と仲良くし過ぎるのはどうかしら。正体がバレても知らないわよ。もしそんなことになったら、貴方とは相棒でいられないわ」
「大丈夫!ちゃんと注意してるよ」

自分の居場所は、この美しい人の隣だ。
そんな世界で唯一無二の特等席を失うようなことはしない。
ただ、時折マリネットとレディバグが重なるような瞬間を感じる。
おっちょこちょいなはずの彼女が時々見せる強い眼差しは、アクマと戦うレディバグのように瞬いている。
夜空のような髪が風に踊る様も。黒猫の扱い方も。
似ている気がする。
それは、親しい友達の中に憧れの人がいればいいのに、と願う己の錯覚だろうか。

「あぁ…キミの素顔が知りたいよ」

ぽつりと零れた願いに、返答は無かった。
いつもなら怒るのに。
ちらりと見やれば、ほんの少し切なそうに目を細めてパリを見つめていた。
彼女も何かを抱えている。
お互いのすべてを晒け出せたなら、この辛さも軽くなるのに。

「私たちは、スーパーヒーローだからね」
「…うん、そうだね。ボクらはスーパーヒーローだ」

戒めのように紡がれた言葉は、言い訳めいた響きを持って、ひっそりと空にとけた。
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