運命と踊る


本来の王位継承の儀式では、神殿で通例の儀式を執り行った後、まずは国王を通して一族へ報せが送られる。
その前に、国王に継承者として相応しいかを継承者本人が確認を取り、国王の許可を得ていることが条件となっている。
報せを受けて一族が集った場で、改めて継承者の能力、人格、実績などの情報から、継承するに足るかを判断される。
そして、一族全員が納得した上で、正式に継承者と認められることになる。また、その結果は国民に対しても掲示される。
一族、国民が見守る中で、国王の手によって継承者へ王冠を載せられる戴冠の儀を以て、王位継承が為され、新たな国王の誕生となるのだ。

…そう。
本来ならば、それだけ面倒な手順を踏まなければならない。
通例の儀式を終え、たかだか数日で行えるわけがない。
しかし、今日を以て、あの男から絶対的な権力を奪うのだ。
腰に吊るしたレイピアを撫で、深く息を吐き出した。
最愛の妹は既に城内を出ている。
友人が信頼するルインという若手の騎士に護衛は任せてあり、恐らく視察は問題なく進行されるだろう。
少し遅くなるよう言付けてあるから、帰城は陽が暮れてからになるはずだ。
それまでに、己の果たすべき役目を果たし、安心して妹を迎えなければ。
私室の扉がノックされ、先日から城内に住み始めた友人が顔を覗かせた。
黒の礼装に身を包み、普段よりも険しい面持ちをしている。
彼も緊張しているのだろう。

「…クレト、いいのか」
「─行こう、今日で決着をつける」


国王という男は、特別な事が無い限り、私室か玉座の間にいることが多い。
街に出る訳でもなく、他国と交流する訳でもなく。
ぼんやりと己の権力にしがみつき、胡座をかいているだけなのだ。
それで何かが為せるのかと疑問に思うが、小賢しい一族が手足となって動いているのだろう。
傀儡というほど落ちぶれてはいないが、それでも君主としての威厳があるとは思えない。

玉座の間を訪れると、護衛の騎士数名しかいなかった。
当の本人は私室に籠っているらしい。
先日の通例の儀式の件以降、己に怯えているらしい男の話を聞く度に、笑いが堪えられなかった。

「国王は私室かな?」
「はい、少し休まれると仰られて先程戻られました」
「ありがとう」

私室の扉をノックし、返事を待たずに開く。
皺の多い顔を険しそうに顰めていた男が、突然の侵入者に対して緩慢に視線を向ける。
そこに立つ己の顔を見て、驚いたように目を見開き、仇敵でも見るような敵意の籠った眼差しに変化した。

「貴様…!何の用でここに…っ」
「おや、子が親に会いに来てはいけませんか」
「…白々しいことをほざくな」

友人には外で待つように指示をしてある。
扉を閉めれば、親子水入らず──というほど響きの良い顔合わせではない。
お互いを憎み合う者同士が、相手の息の根を止めようと対峙している。

「単刀直入に言います。私に王位を譲ってください」

ハッと、鼻で嗤った男は、忌々しいとでも言いたげな眼差しを向ける。

「断る。お前にはその資格は無い…王位継承の儀式すら行っておらんではないか」
「ふふ、儀式の手順を踏めば一考するとでも?」
「…しないとは言っておらん」

予想通りの展開に、思わず笑みが零れてしまった。
ここまで頑なだと笑うしかない。
権力のみに固執し続ける無能に用はない。
こちらに干渉し続け、己の愛おしい者にまで害を為すことに我慢の限界を迎えたのだ。
徹底的に排除しなくては気が済まない。

「私は貴方に何の期待もしていないのですが、貴方の周囲は過剰なほど私に危害を加えようとする。そんな彼らが私の王位継承を認めるとは到底思えませんね」

彼らが求めているのは、彼らに甘い密を与えてくれる無能な王だ。
彼らは責任を負わず、ただ堕落していく。
決して腐敗しきった彼らを許さない。
己は、彼らの傀儡になるつもりもない。
己の愛おしい者を護る為に、己が権力のすべてを握って平穏な国に造り変えるのだ。

「…仮にも国王の息子に手を出す愚か者を、こうも平然と使えるのは才能とでも呼べば良いのでしょうか」
「…何のことだ」

継承の儀式など行うつもりはない。
この男の薄いプライドを破壊する。
恐らく気づいていないと高を括ってきた事実を突きつける。
そして、己の恨みを晴らそう。

「貴方もご存知だと思いますが、私は九歳の時に毒を盛られました。幸運にも一命を取り留め、今もこうして生きていますが、その犯人は貴方に近しい一族の人間だ」
「何故、それを…!」
「貴方はそれを知ってなお、その人間を処罰することもなく、相変わらず手足として利用している。人でなしとしての面は、権力を持つ者として見習うべきなのでしょうが、被害者である私にとっては憎しみ以外の何も生まなかったようです」

毒殺未遂が、己の運命を定めた。
国王への叛乱を決意し、その為に能力を磨いた。
知識も、剣術も。
すべてはこの男を抹殺する為の力だ。

「…有能な者を徴用するのは当たり前だろう。ふん、毒殺の件は私の預かり知らぬことだ」
「別に非難している訳ではありません。それが貴方のやり方なのでしょう」

己のことなどどうでもいい。
どうにでもできるような力を身につけたのだから。
何よりも許しがたいのは、最愛の妹を巻き込んだことなのだ。
何も知らぬ無垢なあの子を、次代の傀儡候補にした。
奴らの息の掛かった人間と添わせ、奴らの系譜が国を仕切るような未来の為に。
誰からも愛され、慈しまれるべき命を。
誰からも見捨てられた己を、純粋に慕ってくれる特別な少女を。

「──クレアを、利用しようとしましたね」
「…国の安定の為に娘を使って何が悪い。子は親の所有物だろう。利用するも、しないもない。それが当たり前なのだ」
「えぇ、貴方はそう言うだろうと思っていました。ですから私は、貴方の王としての資質を、その程度の下衆めいたものでしかないと判断しました」

声も上げず、怒りで顔を赤くした男が立ち上がった。
憤怒と憎悪で彩られた眼が向けられるが、何の感情も沸かなかった。
ずっと憎んで生きてきた。
己の死を望んだ男が、のうのうと生きていることが許せなかったのだ。
長く長く煮詰めてきた憎悪は、何物にも揺らがぬ原動力となり得た。

「─我が友人と妹の平穏のため、私がこの国を治めます。そのために、もはや貴方は邪魔なのですよ」
「き、貴様…!親に向かって何を…!」

腰に吊るしたレイピアを構える。
鈍く煌めく剣先を、男の首を目指し、ひたと据える。

「き、騎士団長!おい!アドロス…!」

武器も持てぬ醜い男が、彼の最後の頼みの綱を求めて喚いた。
しかし、既に頼みの綱は切ってある。
それすら気づけない男の愚鈍さに、いよいよ苦笑を殺すことができなかった。

「貴方の騎士はもういません。既に次代の騎士団長が誕生しましたから」
「何…!?あやつを排除したと言うのか!?」
「えぇ、とっくに騎士団長は代替りをしていますよ。ただし、貴方のような小細工はしていません。彼の実力が認められただけです」
「構わん…っ、新たな騎士団長も私の手駒にするだけだ…!」

玩具を取られた子どものように、みっともなく顔を歪めて喚き続ける。
これ以上癇癪を起こす子どもを相手にするつもりはない。

「残念ながら、次代の騎士団長は貴方に仕える気はないそうですよ。護る者と護られる者として密接に関わるはずの騎士団長が貴方の元に訪れていないのが、その証拠です」

扉が開き、騎士団長となった友人が姿を現す。
己の右側に移動し、半歩前に立ったところで足を止めた。

「き、貴様が騎士団長だと言うのか…!?」
「貴方の自慢のアドロス様を打ち倒した結果です。死闘については多くの騎士たちが見ていますから、確認したければご自由に」
「そんな馬鹿な…っ、アドロスは…」
「生家に戻られました。静かな余生を送れることでしょう」

最後の頼みの綱さえ喪い、国王だった男が膝から頽れた。
呆けたような顔をして、不安そうにこちらを見返す。
何の威厳もなくなった男は、一気に老け込んだように見える。

「もう一度言います。私に王位を譲ってください」
「そんなこと…っ」
「そうですか。では、最後の警告をしましょう──貴方に残された道は、王位を譲るか、ここで死ぬかです」
「──あんたの役目は終わりだ。それでも抵抗するなら、躊躇いなく剣を抜く」

恨みを深めた男の命など救う価値が無い。
こんな茶番をやらずとも、さっさと殺して奪っても良かった。
それをしなかったのは、最後のチャンスを与えたかったからだ。
人の親としての情を、見せるだろうかと。
己の所業を省みて、『すまなかった』とたった一言でも謝ったなら、結末は違っていただろう。
しかし、それは叶わなかった。
もはや親子としての関係は修復できぬほど崩壊していて、互いの命を狙う最大の敵になっていた。

「この悪魔どもめ…!!」
「──鏡を見て発言しなさい。人でなしが」

大事に大事に被っていた王冠を床に叩きつけ、男が喚いた。
ガシャンと派手な音が響き、散りばめられていた宝石が砕ける。
それが、唯一できる抵抗だったのだろう。
その姿を見て、価値観の違いに絶望した。
破壊された王冠を被ることに、己は何の意味も見出だしていない。
そんなものは、権力の象徴として側にあればいい。
力を振るうのは己なのだと、周囲に知らしめるだけの役目しか持たない。
しかし、目の前の男にとっては、その飾りが大切だったのだろう。
破壊されることは、男には耐え難い仕打ちなのだろう。
破壊された王冠を拾い上げ、ため息を吐いた。

「貴方が手放した王冠を手にした私が、たった今から国王です」

剣の柄に手を添えていた友人が、スッと頭を下げる。
忠誠を誓う騎士らしい振る舞いに、思わず苦笑を浮かべてしまった。
儀礼を嫌う素振りを見せるが、なんだかんだと友人も騎士なのだ。
さすがは元騎士団長の子息と言ったところか。
項垂れる元国王を睥睨し、裁きを下す。

「お前に、二度とこの地を踏ませはしない。お前の妻ともども辺境に送る手筈になっている」
「何故、私がこの城から出ねばならんのだ…っ」
「今回に限り、お前を生かすからだ。辺境の地で己の所業を省みろ。そして、死ぬまで生き恥を晒せ」
「…この優しい国王に、感謝をした方がいい。オレはあんたを斬りたいんだからな」

もう話すことは無いと、背を向ける。
壊れた王冠を片手に抱え、友人を連れてさっさと私室を後にした。
玉座の間に控えていた騎士たちの顔ぶれが変わっている。
どうやら手筈通りアレクの手駒に入れ替わり、元国王の監視を行うようだ。
ひとまず監視は任せ、己の私室に戻った。



「─で、いつオレに渡してくれるんだ?」

己の私室に着いて、友人は開口一番にそれを望んだ。

「あぁ、そうだったね。待たせてしまってすまない」

壊れた王冠を執務机に置き、奥の書斎に大切に保管していた騎士団長の纏うマントを持ち出す。
黒地に金の装飾が施され、銀の刺繍で彩られた国章が薄暗がりの中で
淡く輝いている。
片膝を付き、静かに頭を垂れる友人を見下ろす。

「──アレク・ライデン。私の騎士団長として、キミにその証を授けよう」

マントを広げ、その逞しい背中を覆うように被せる。
右肩で金具を留め、徐に友人が身体を起こした。
闇のような布が揺れ、鈍い煌めきが闇の中で瞬いた。

「似合っているね」
「少々邪魔くさいな」
「ダメだよ、騎士団長殿。それはキミが死ぬまで身に付けるモノなんだから」
「分かっている」

暫く談笑していると、廊下を走る軽やかな音が聞こえてきた。
それが私室の前で止まり、控えめなノックがされる。
返事をすれば、愛おしい妹が顔を覗かせた。

「お帰り、クレア」
「ただいま戻りました、お兄様。まぁ、騎士様もいらっしゃったんですね」
「あぁ」
「クレア、彼をよく見てごらん」
「騎士様を…?」

おずおずと側に寄ってくる妹をニコニコと見守る。
暫く観察して、それに気づいたクレアが嬉しそうに微笑んだ。

「団長様のマントを纏ったのですね。騎士様が、正式に騎士団長になられたということですね」
「そうなんだ。これから、いつでも彼を頼っていいんだよ。彼は私たちの唯一の近衛兵なんだから」
「…ですが、騎士様が一番に護られるのはお兄様では…?」
「おや、私とお前に立場の差があると?私たちは兄妹だけど、どちらが上か下かなんて無いよ。むしろ、私はお前の方を大事にしてほしいくらいなんだから」

しょんぼりと視線を床に落とした妹を抱き寄せて、ちらりと友人の方を見やる。
意図を察した友人が、渋い顔をしてため息を吐いた。

「…オレは二人の近衛兵のつもりだ。お嬢さんも、必要があれば使ってくれ」
「ほら、アレクもあぁ言ってるんだ。お前もそんなことを気にしなくていいんだよ」
「はい…!」

満面の笑みを浮かべて、妹が嬉しそうに身を寄せる。
細い身体を抱きしめ返してから、視察の疲れもあるだろうと、早めに妹を部屋に戻した。
腕に残る妹の温もりを撫で、ほっと息を吐いた。
この幸福を護りたかった。
この暖かな時間が続くことを願っていた。
それが、ついに実現した。
友人と結託し、この日まで長い時間をかけて準備し続けた。
今さらになって、その喜びが込み上げてきた。
苦痛の日々から解放され、己の力で幸福を築きあげるのだ。

「…本当に、ありがとう…アレク。これからは、私とキミが自由を得るんだ」
「あぁ」
「そうして…私の愛する者が、幸福に生きていける世界を護ろう」

視界が歪んで、ぱたぱたと雫が頬を流れていく。
感極まって、言葉にならない想いが溢れた。
嗚咽が零れて、みっともない姿を晒してしまうが、友人は静かに窓の外に視線を向けてくれている。

「…神殿での報告を終えれば、ひとまず決着がつくね。邪魔な要素の排除はその後ゆっくりやろう」
「あぁ。なら、今日はもう休め」
「そうするよ」


──その晩は、十数年振りに夢を見ることもなく、ゆったりと深い眠りに落ちていった。
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