JOJO


鏡に映る沈んだ顔を見て、小さくため息を吐いた。
髪の手入れを終えて、爪も整えて、今の自分は抜群に輝いているはずだ。
自分の望む綺麗な状態になったと、自信を持って言える。
しかし、それでも気分が上がることはなかった。

狭苦しい亀の中で、よく知りもしない男たちと一緒に過ごし初めて数日は経った。
目まぐるしい移動と、激しい死闘を重ねて。
ようやく彼らとともに自分の運命に向き合うことを決めた。
けれども、初対面のつっけんどんな態度が災いして、彼らとは微妙な距離がある。
こちらに対して丁寧な物腰をしているが、彼らはれっきとしたギャングだ。
これまでの人生において、そうした人種と関わったことはない。
どんな風に関わればいいのか分からず、一人でため息ばかり吐いていた。

「なんか悩んでるのか?トリッシュ」
「ナランチャ…そう、そうね…悩んでいるのよ」
「勉強以外なら、オレが悩み聞いてあげるよ!勉強はさ~さっきもフーゴに怒られたばっかだから勘弁してくれよォ」
「えぇ、あなたになら話しやすいかもしれないわ」

フォークを刺されたという傷痕を押さえながら、ナランチャは人懐こく笑う。
胸の裡に抱えた言い知れぬモヤモヤとしたものを、ぽつりぽつりと語った。
キラキラと輝いていたナランチャの瞳が、苦いものでも食べたような険しいものへと変化していく。
首を捻って、一生懸命悩んで、唸っている。

「えーっと、オレにはちょっとばっかし難しいけどさァ~…オレだったら、好きなことを一緒にやったら仲良くなれると思うな!飯食ったり、遊んだりさ~皆と色々やるのは好きだぜ!」
「好きなことを一緒に…」
「トリッシュの好きなことは?オレにもできることだといいなァ」

好きなことは、何だろう。
自分磨きは好きだ。
母は綺麗な人だった。
母への憧れもあり、綺麗でいることへの拘りはある。
あぁ。
母に、髪を梳かしてもらうことは好きだった。母の髪を梳かしてあげることも。

「髪を…」
「かみ?」
「髪をね、梳かしてあげるのが好きだったの。だから、あなたの髪を梳かしてもいい?」
「いいけど…あんまし綺麗じゃあないぜ?」
「いいの。あたしが綺麗にしてあげるわ」

ヘアバンドを外したナランチャが、ブルブルと犬のように頭を振った。
いつもより乱れた黒髪を一房摘まみながら照れたように笑って、近くに椅子を持ってきて座った。
愛用のブラシを片手に、少し細めの黒髪を梳かす。
ところどころ癖が強いのか、梳かしてもピョン、と髪が跳ねる。
それが可笑しくて、ブラシを持つ手が震えた。
鏡越しにこちらを見ていたナランチャも、我慢できずに吹き出した。

「ブラシよりオレの髪の方が強いんだ!」
「あははっ」
「あ!あのさ~トリッシュが頭撫でてくれるの気持ちがいいな。ブチャラティも優しいけど、トリッシュのもいいなァ」
「そうかしら?グラッツェ、ナランチャ」
「…そこの二人は何をしてるんです?」

呆れたような眼差しを向けるフーゴが、亀の中へと現れた。
見張りの交代だろうか。
少し疲れたような顔をしている。

「トリッシュと仲良くなれるようにさ、トリッシュの好きなことしてんだ」
「フーゴも良かったら」
「いや、そんな…ボスの娘にやらせることじゃあありませんよ」
「フーゴはトリッシュと仲良くなりたくないのか?」
「そ、そんなことは言ってないだろ!」
「だよな!ほら、オレと交代なっ」

ナランチャに背を押され、その強引さに負けたフーゴが椅子に座った。
気まずそうな、それでいて照れたような雰囲気を漂わせながら、フーゴは借りてきた猫のように大人しくなって縮こまる。
普段の大人びた振る舞いと掛け離れた姿を可笑しく思いつつ、意外と芯の強い髪を梳かし始めた。
芯が強くストレート気味な髪は、ブラシに抵抗することなく梳かせる。

「ナランチャは癖っ毛だけど、フーゴはストレートね」
「…そういう細かなことは僕には分かりませんけど、とても気恥ずかしい気持ちでいっぱいです」
「仲良くなってるってことだよな!」
「まぁ…トリッシュが、僕らに対してそう思ってくれているっていうのは嬉しいことですよ」
「おー!なんか仲良さそうじゃあねぇか~オレも混ぜてくれよ」
「ミスタは髪短いんじゃあねぇの?絶対梳かせないじゃん」

どうやらどこかの物陰に紛れ込めたらしい。
亀の天井からは、真っ暗な闇しか見えない。
外での見張りを一度中止したのか、ミスタに引き続いてアバッキオ、ブチャラティ、ジョルノの三人も亀の中に戻ってきた。
案の定ミスタは髪を短く揃えてあり、梳かす意味も無さそうだ。
アバッキオもきっちりとセットされており、それを崩すようなことはしたくない。
ブチャラティとジョルノは何やら言葉を交わしており、声をかけるのは憚られた。
何より、ブチャラティに触れるのは気恥ずかしいような気がする。
梳かすことも終わりか、と少し残念に思っていると、意外にもミスタから提案がなされた。

「髪を梳かす以外の好きなことすればいいんじゃあないのか?それ以外にだってあるはずだろ?」
「そうね…爪を整えるのも好きよ。マニキュアを塗ったり、爪の形を整えたりね」
「爪か…オレはそんなの気にしたことねぇなぁ」
「ほんとね、あなたの爪最悪だわ」
「おいおい~そこまで言うことないだろ」

ミスタの指先を支えつつ、一本ずつ丁寧に磨く。
他人の指を磨くのは初めてだったこともあり、緊張からほんの少し指先が震えた。
それでも、傷をつけることなく整えることができて、誇らしさを感じた。

「へぇ~やれば綺麗になるもんだな。それによォ、上手いもんだな、トリッシュ」
「グラッツェ!これからも整えればいいのに。きっと素敵よ」
「爪が整ってなくたってなぁ、オレはいい男だと思うぜ?」
「こないだナンパしてフラれてたのに?」
「おい!ナランチャ!なんつーこと言うんだっ!タイミングを考えろよ!」

ミスタとナランチャの口喧嘩が始まり、コソコソとその場を離れた。
ソファーで寛いでいたアバッキオの隣に移動して、雑誌を捲る指先を見つめる。
爪は整えられ、薄紫のマニキュアが塗られている。
これでは、髪型同様に自分が手を出せるところはない。
どうしようかと迷いながら見つめていると、アバッキオが微かにため息を吐いた。
迷惑だったろうか。
アバッキオはいつも不機嫌そうな顔をしているから、一番関わりにくい。

「…オレに似合う色を、お前のセンスで選んでくれ。今度、それを使ってみる」
「えぇ…!きっと似合う色を見つけるわ。たくさんオススメするわね」
「フン、楽しみにしてるぜ」

あぁ、ようやく距離を感じていたチームメンバーと近づけた気がする。
言葉を交わして、好きなことを共有して。
そうして、絆を深めていくのだ。
きっと。これから先も──



「─トリッシュ」

その声に、突然現実に引き戻された。
ジョルノの心配そうな眼差しが向けられている。
亀の中ではなく、ここは現パッショーネボスであるジョルノの部屋だった。
亀の中での出来事は、確かに経験したことだった。
懐かしい夢を見ていたのか。

「今日はたくさん移動しましたから、疲れが出たんですね。ここには余っている部屋もありますし、今夜は泊まっていった方がいいですよ」

アバッキオ、ナランチャ、ブチャラティの遺体を回収したという連絡が、数日前にジョルノから届いた。
彼らの故郷であるネアポリスに埋葬するのは元々決めていたことだが、どこに埋葬するのかは相談していた段階だった。
現在のアジトには広大な庭もあり、そこの一画に彼らを埋葬することに決めたという連絡でもあった。
自分で花を選んで買って、彼らの墓標に添えた。
悲しくて、淋しくて、涙が溢れて止まらなかった。
ジョルノとミスタとともに、屋敷に戻ってきてから眠ってしまったようだ。

「……えぇ、そうさせてもらうわ」
「こんなことを聞くのは不粋だと思うんですけど…君は、ブチャラティに好意を抱いていたんですか」
「…分からないわ」

特別な感情を抱いていた自覚は無かった。
けれども、彼はとても親身になってくれた。
父との対面に怯えていた時も、父の本心を知ってからも。
彼は、ただただ優しかった。
憧れていた父親像を見出だし、大人びた包容力に救われた。
好きだった。それは、憧れだったのかもしれない。

「でも…多分、あの時のあたしにとっては、特別な人だった」
「…ブチャラティが所有していた家の鍵を預かっているんです。良ければ君に、と伝言も預かっていたので、君の気持ちを確認したかった」

差し出された鍵は、薄暗い室内で鈍く輝いた。
彼を思い出すと、今でも胸が痛む。
だから、ジョルノの掌に置かれた鍵を隠すように、彼の指を折り畳んだ。

「あたしには勿体ないわ。あなたが預かっていて」
「分かりました」

しん、と静まり返った室内は、微かに息苦しい。
言葉もなく、お互いの距離を掴み損ねている。
お互いの関係性の形を見出だせずに。

「…仲良くなるには、好きなことを一緒にするといいのよ」
「トリッシュ?」
「前にね、ナランチャが教えてくれたの…そして、あなたとはできていなかった」
「今、それをやると?」
「あなたが嫌じゃなければ」
「いいですよ」

あっさりと了承したジョルノに拍子抜けしつつ、結われることなく背中に流された後ろ髪に触れる。
さすがに驚いたらしいジョルノが、ほんの少し瞳を見開いた。
背を向けるように伝えて、ポーチに入れていたブラシを取り出す。
柔らかく波打つブロンドの癖っ毛を梳かした。
背中の中程まで伸びた髪が、彼らと出会ってから時間が経ったことを教えてくれる。
いつも、気にかけてくれていた。
直接やり取りすることも多くはなく、言葉数は少なかったが、それでもふとした時に視線を向けてくれていた。
そのさりげない気遣いが、ジョルノの優しさだったのだろう。
そこまで考えて、辿り着けずに悩んでいた想いの自覚をした。

「ねぇ、ジョルノ」
「何です、トリッシュ」
「今さら…今さら、あなたのことが好きかもしれないと言ったら、あなたはどう思う?」

沈黙が降りる。
髪を梳かす微かな音だけが、小さく小さく響く。
返答が怖い。
もう、言葉にしてしまったのに。

「…嬉しい、と思いますよ。僕も、同じことを考えていましたから」

決して、明確な感情ではなかった。
もしかしたら。それはあり得ない。
そんな風に考えて、打ち消していたものだった。
こうした触れあいがなければ、二度と自覚することは無かっただろう。

「…こんな風に理由を作らないと、あなたに触れるきっかけがなかったのね。ずっと、触れてみたかった」

ぽろぽろ、と涙が溢れていく。
悲しくはない。嬉しい。けれども、やはり切ない。
頬を伝った涙が、数滴、彼のブロンドに吸い込まれた。

「トリッシュ…泣かないでください。僕は、どうにも君に泣かれるのには弱いらしい」
「…ふふ、ジョルノに弱点なんてあるの?」
「もちろんありますよ。君です」
「あなたも冗談を言うのね…ねぇ、我が儘を言ってもいい?」
「どうぞ」
「─あなたに、あたしの一部を残させて」

たとえパッショーネのボスと顔見知りであるとはいえ、簡単にギャングと会うのは良くない。
お互いの安全を願うなら、適切な距離は護る必要がある。
明確な関係を築けたなら、きっとそんな心配もなくなるのだろうが、まだそこまでには至っていない。
会えない時間の方が長いだろう。
だから、そんなことを願った。

ジョルノと向き合い、彼の手を支える。
その整った指先に、お気に入りの淡いピンク色のマニキュアを塗った。
髪色よりも、少し淡いピンク。
自分の一部で、彼の指先を染めていく。
我が儘だ。
たとえ離れていても、想っているから。側にいるから。
そんな想いを込めて。

「トリッシュ、僕にも塗らせてください」
「ジョルノが?」
「僕に、君の爪を塗らせてほしい」

思わぬジョルノの提案に、返答をする間もなく頷いてしまった。
まずは今塗ってあるマニキュアを落とし、ポーチに入れていたマニキュアを全色並べてみる。
興味半分、真剣さ半分といった眼差しでそれを見つめていたジョルノが、ようやく色を決めた。
明るいレモン色。ラメの具合で金色にも見える代物だ。
彼の眩いブロンドに似ている。

「君の色を僕に塗るなら、僕も、僕の色を君に塗ります」
「同じことを考えたのね」
「いいですか、僕はこういったことは初めてなので、多分綺麗には塗れません。それでも、笑ったりはしないでくださいね」
「笑わないわ」

少し震える彼の指先が、こそばゆい感覚で指先に色を落としていく。
少しずつ、少しずつ。
彼の色に染まっていく。
不思議な気持ちだ。満たされるような、照れくさいような。
あぁ、でも。とても嬉しい。

「ふふ、可愛いわ」
「…笑わないと言ったのに」
「だって、嬉しくて」

少し歪なところが、とても愛おしい。
指先をじっくり眺めるように掌を空中に向けた。
その手がジョルノの手に阻まれ、彼の方に引っ張られた。
自分よりもがっしりとした手が頬を包み込み、瞳を覗き込むような距離まで顔が近づいた。
お互いの瞳しか見えない。
急に何をするのかと、言葉も出なかった。

「トリッシュ…僕の瞳の色を覚えてください」
「瞳の…」
「次に会った時に、お互いの瞳の色を塗りましょう。今度は僕が自分で選んで、君に塗ります」
「約束よ、ジョルノ」
「もちろん」

力強い返答とともに、唇が触れそうな距離から解放された。
泊まる部屋まで案内され、おやすみの挨拶を交わす。
いつまで経っても熱さの引かぬ顔を恨みがましく思いながら、緩んでしまう頬を枕に隠した。
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