キャプテン翼

「それでさ、その時マネージャーがね…」

夕食時、その日一日あったことを楽しそうに話す息子を観察し、
前々から気になっていた、きっと誰が聞いても当たり前だと思うような疑問をぶつけた。

「ねぇ、翼」
「何?母さん」
「あんたね、マネージャーマネージャーって、サッカー部以外の子と話す時も名前で呼ばないの?」
「名前?だって、マネージャーはマネージャーじゃないか」
「それはそうだけど、他にもマネージャーはいるでしょ?誰の話をしてるのか分からないじゃない」

そんなことを言いつつも、サッカー馬鹿の息子が話す『マネージャー』は一人しかいない。
それを解った上で突っかかるのだから、我ながら意地が悪い。
たまにはこういう面で困るのも良い経験だろう。
サッカー一筋だった会話の中に、他のこと、しかも女の子の話題が出てくるとなれば、息子の青春が気にならないはずがない。
月日を重ねるごとに、話題に出る頻度も上がってきている。

「うぅん…それは、そうかもしれないけど…」
「ほら、翼の話したいマネージャーの子は誰?」
「えっと、あの…マ、…早苗ちゃんが…」
「うんうん、早苗ちゃんね」

どうにか話したいことを話し終えたあと、意地悪をされた息子は、困ったような怒ったような、それでいて照れたような顔をして部屋に戻っていった。
思わずにやけてしまう頬を両手で隠しつつ、屈託なく名前を呼ぶようになるのは何時になるだろうかと、まだ見ぬ未来を夢想した。


「どうした、翼?何か元気ないな」
「何でもないよ、大丈夫さ」

昨晩の母とのやり取りを思い出し、何となく頭を抱えた。
部活の休憩時間にベンチで休みながらも、精神の方が未だ落ち着いていない。

「ねぇ、石崎くんはさ、俺がマネージャーって言ったら誰のことか分かるよね?」
「ん?そりゃそうだな、サッカー部なら誰でも分かるだろ」
「どうして分かるんだい?」
「だって、お前他のマネージャーはちゃんと名前付きで呼ぶだろ」
「…そうなんだ」
「知らなかったのか?お前、それは無自覚すぎるぜ…」

何故だか肩を叩いて哀れむような視線を向ける親友にムッとしつつ、誤魔化すようにボールを蹴り上げた。
休憩終了を告げるマネージャー達の声につられ、再びグラウンドに舞い戻る。練習再開前にちらと向けた視線の先には、ニコニコと楽しそうに練習を眺めるマネージャーがいた。


「じゃあな!しっかりマネージャー送ってやれよ、翼!」

部活終わりに皆で下校し、ある場所に差し掛かると、皆にそう言われる。
満足そうな、したり顔をする部員たちに急かされ、最近の日課になりつつあるマネージャーとの帰り道を進んだ。
別に嫌な訳ではないし、女の子一人というのも心配だから何も文句は無いのだが、少々強引ではないかと思っている。
マネージャー達を皆で送るというのもアリではないかと考えつつ、二人きりの静かな帰り道も好きであるから、それが無くなってしまうのは淋しい。
非常に複雑な心持ちである。

「あの、マネージャーは」
「うん」
「…マネージャーも、名前を付けて呼んだ方がいいのかな?」
「名前?」

昨晩からの話題を説明すると、ほんの少し頬を赤くして、それからクスクスと笑った。
内心困ったように見つめたその横顔を、素直に可愛いと思った。

「ふふ、翼くんの呼びやすい呼び方でいいわよ」
「…じゃあ、やっぱりマネージャーがいいな」
「マネージャーだもの、それでいいと思うわ」
「それにさ、マネージャーってたくさん呼ぶから、やっぱり短い方が呼びやすいよね」

悩みがすっきりしたのか明るく笑う鈍感なエースを見て、さらに笑みを深めた。
他にいるマネージャーをあまり呼ばないから、そういう結論になるのだということには気づいていないらしい。
マネージャーと呼ばれて返事をするはずの人間は三人もいるのに、彼の呼ぶ『マネージャー』は、たった一人を示しているのだということを、本人以外は皆知っているのだ。

「もしも、マネージャー以外で呼んでって言ったら、翼くんは何て呼んでくれる?」
「マネージャー以外か…」

本名で呼んでね、と言われた記憶がある。
名字で呼ぶのがいいのだろうか。
けれど、それでは少し距離が遠い気がする。
かといって呼び捨てにするのはしっくりこない。
やはり呼びやすいのは、昨晩も口にした呼び方だろうか。

「…早苗ちゃん、かな」
「なんだか新鮮ね」
「うん、ちょっと照れくさいや。やっぱりマネージャーでいい?」
「もちろん!」

声を上げて笑い合って、陽が暮れて暗くなる中、たった二人の帰り道は明るい雰囲気のまま終わりを迎えた。


「でさ、その時早苗ちゃんがね」
「うんうん」
「……母さん、何で笑ってるのさ」
「だって、翼ったらサッカー以外だと早苗ちゃんの話ばっかりだから!」
「…そんなことないよ」
「マネージャーって誤魔化してたからどうなのかしらって思ってたら、やっぱり今までの話も全部早苗ちゃんなのね」
「間違ってはないけど…」
「お付き合いはしないの?母さん大歓迎よ!お父さんにも知らせてお赤飯炊いちゃうわ」
「し、しないよっ」

珍しく動揺した息子の姿に、これはその日が来るのも近いのかもしれないと期待が膨らむ。
にまにま笑ってしまうのを堪えつつ、もう少し詳しく二人の進み具合を確認したい。
とりあえず今日はこのくらいで勘弁しておこう。
期待していた未来は近いのだから、気長に待つのが得策だ。


うん、と大きく伸びをして、深く息を吐いた。
ここ数日のもやもやが晴れ渡ったお陰で、サッカーへの集中力も高まっている。
ただ一点の悩みは、面白がって質問攻めする母だけだ。
気分を変えるために休憩終了前にテーピングの巻き直しを頼もう。そのために、マネージャーを呼ぼうと口を開いた。

「あ、早苗ちゃん!」
「え、」
「ーえ?」

頬を赤くしてテーピング道具を落としたマネージャーの反応と、直前に滑り落ちた呼び掛けを思い出し、猛烈にその場から逃げ出したくなった。
しかし、現実はそんなに甘くない。
すぐさま耳聡い部員たちに囲まれ、逃げ場を塞がれた。

「翼~!今のは何だよ!」
「ついに付き合い始めたのか!?」
「いや、うっかりと言うか何と言うか…」
「お前、マネージャーの名前なんてぜんぜん呼ばなかったのに!」
「これは詳しく話を聞かないとな~」
「早苗!もちろんあんたもよ!」
「えぇ!?ご、誤解よっ」


その日のサッカー部は、部活終了の時間を過ぎても部室の明かりが消えなかった。
3/5ページ
スキ