キャプテン翼

夏が終わり、秋が深まるまでの夏の名残を感じる時期。
秋というには蒸し暑く、かといって夏ほどの暑さは感じられない
この微妙な時期にこそ、体育祭というものは異様なほどに盛り上がるのだ。

「あぁ~、今週末には体育祭か~!」

部活終わりの熱気が残る部室で、着替え途中だったシャツを放り投げた石崎が、幾分楽しみを滲ませながら天井を仰いだ。
つられて幾人かの部員も体育祭へと思いを馳せる。
個人競技、各クラスの勝敗が気になるのは当たり前だが、何よりも盛り上がるのは、やはり部活対抗のリレーだろう。
昨年は辛くもサッカー部が勝利を収めているものの、陸上部や野球部、バスケ部など運動量の多い部とは接戦を繰り広げた。しかし、それでも今年も優勝を目指しているのだから、今回も本気で勝利を搔っ攫うつもりだ。
サッカー部のこととなると団結力は他の部活に負けるはずがないと、謎の自信に満ち溢れている部員が多い。

まだ見ぬ勝利を夢想していると、部室の扉が叩かれた。
マネージャー達の声がかかり、今一番熱いネタが振られる。

「着替え終わったら、リレーメンバーの相談するわよ」
「早く着替えてちょうだいね」
「実際のところ、リレーのメンバーは決まってるんだけどな
今年も頼んだぜ、翼!」
「まだ決定したわけじゃないけどね、やるなら頑張るよっ」

グラウンドの片隅で提出に必要な資料を広げ、名前を書き込んでいく。
メンバーは来生、滝、井沢、翼の四人。アンカーはもちろんうちのエースだ。
昨年は現三年生も混じっていたが、すでに引退しているため次世代の二年生が中心となる。一年生にも脚の速い部員はいるが、まだ大舞台に立ち向かえる精神的な強さに欠ける。
負けの許されない勝負に出してやれるほど甘くはない。

「じゃあ、メンバーは決まりね。明日、実行委員に提出しておくわ」
「あと一週間もないから、部活で無理しすぎないでね」
「あぁ、気を付けるよ」
「試合も大事だけど、部活対抗で負けるわけにはいかねぇもんな!」

気合いの入るリレーメンバーを尻目に、相変わらずうちのエースはあまり表情を変えない。幾分気を引き締めたような雰囲気はあるが、どうにも分かりにくい。
実力は全く疑い無く信頼しているが、祭りの時まで冷静でいるのは面白くない。何か無いだろうかと考え、ふと素晴らしい案が浮かんだ。

「なぁ、部活対抗だけは、応援って自由だよな?」
「そうね、毎年部活ごとの特色のある応援してるし」
「今年はさ、うちもそれやらねーか?」
「今から準備するの?間に合うかしら」
「大丈夫大丈夫!俺に任せろって!」

この石崎の言葉に、のちに二名は大変な目に遭うことになった。


体育祭当日の天気は、雲一つ内快晴。
華々しい勝利の日にふさわしいほど、気持ちよく晴れている。

「早苗、支度終わったー?早くしないと始まっちゃうわよ~」
「ま、待ってっ、まだ…!」

ー心の準備ができていないから。

午前の部が終わり、今は昼休憩の時間だ。
この休憩が終わると、待ちに待った部活対抗リレーが始まる。
その前に応援の準備をしようと部室に籠り、部室に置かれていた段ボールの中身を見て愕然とした。
段ボールに入れられていたのは、一着の学ラン。
袖や裾のほつれ具合から見るに、誰かの私物らしい。
明らかにこれを着ろというアピールだろう。
部室に行く前に声をかけてきた石崎の企んだような笑みを思い出し、ふつふつと怒りが込み上げてくる。

部室の外では、ゆかりの急かす声が聞こえる。
部室の時計を確認すれば、開始まであと20分もない。

「着るしかない…!あとで覚えてなさいよ、石崎ー!」

ゴクリ、と唾を飲んで、段ボールから学ランを取り出し、体操着の上から上下を羽織る。
小学生の時は愛用していたとはいえ、暫くぶりに着ると照れくささが沸き上がる。
それに体格差の出てくるこの時期では、袖も裾も余ってしまった。適当に捲り上げて、動けばずり落ちてしまいそうなズボンをベルトでどうにかこうにか絞り、応援団の時に愛用していたハチマキを縛り直す。
ピシャリと頬を叩いて、ようやく部室を飛び出した。

「なっつかしいな~!」
「お、アネゴだ!」
「応援団長か、懐かしいな!」

口々に囃し立てる部員をジロリと睨み付ける。
そして、この流れに追いついていけず、ポカンとした下級生の視線が痛い。
満足気な石崎から、部員で作ったらしい応援旗を渡された。

「んじゃ、サッカー部のために全力で応援しようぜ、アネゴ!」
「…もう!今日だけよ!」
「ほらほら、アネゴを最前列に移動させるから場所空けろー」
「私を団長にするなら、ちゃんと声出しなさいよ!手抜いたら、翼くんに言ってキツいメニューにしてもらうから!」

走順の最終確認をしていたメンバーの耳に、周囲のどよめきが聞こえた。何かあったのかと目を向ければ、不意に自分たちに視線が集まった。

「な、何だ?」
「さぁ…何もしてないぞ」
「お前ら、サッカー部だよな?」
「あぁ」

言葉が出てこないのか無言で示された方向を見ると、我らがサッカー部の応援席だ。
その中央に佇む懐かしい姿を見つけて、思わず笑ってしまった。
冷静に周囲を眺めていた翼でさえ、驚いたように固まっている。
石崎の策略を知っている三人は、これは成功したな、とほくそ笑んだ。

「サッカー部、ファイトー!」

周囲の声援も掻き消すようなよく通る声が響き、声に合わせて大きな応援旗が振られる。
あのアネゴの復活だ、と知っている人間の中では懐かしいものとして受けとめられ、何も知らない人間はあまりの衝撃に処理が追いついていない。

第三走者までバトンが渡り、各部ほぼ同時にアンカーにバトンが託された。
抜いては追いつかれ、勝負はゴール寸前まで縺れている。
そして、あと数メートルで勝負が決まる。

「アネゴ、ラストスパート頼むぜ!」
「いっけー!翼くん!」

本当に一瞬、こちらに目を向けた翼の眼差しを受け止め、さらに声を張り上げた。


「よっしゃー!今年も俺たちの優勝だー!」
「お疲れー!」
「やったな!」

二連覇に喜ぶ部員の姿を眺めつつ、最後の最後で少しばかり無茶をした足首にテーピングを施してもらいながら、ちらりと未だ学ランを着たままのマネージャーを盗み見た。
ブカブカな学ランから、いつもより細く見える腕が伸びている。
テキパキと手が動くたびに、捲り上げた袖が落ちてしまいそうだ。

「はい、これで終わり」
「ありがとう、マネージャー…今日の格好、久しぶりに見たよ」
「久しぶりに着るとちょっと恥ずかしかったわ」

あと15分で午後の部が始まるというアナウンスが流れた。
着替えてくるから、と部室に戻ったマネージャーを見送り、そのあとに替えの体操着に着替えようと、ぼんやりと考えていた。
先に行ってる、と伝えに来てくれた石崎から、衝撃的な言葉が放たれるまではー。

「あの学ラン、お前のだぞ」
「え?」
「だから、アネゴの着てたやつだよ!」

にしし、と悪戯が成功した子供のように笑い、恐らく全てを知っている部員たちにも肩を叩かれ、その場に置き去りにされた。
そういえば、朝に着替え終わったあと、石崎に学ランを貸してほしいと頼まれた覚えがある。体育祭で急遽使うことになっただとか言っていたはずだが、これに使うつもりだったのか。

「翼くん、これは誰に返したらいいかしら」

着替え終えて、部室から顔を覗かせるマネージャー。
何も知らない彼女に何と言えばいいのだろう。
散々悩んだ挙げ句、素直に伝えることにした。

「それ、俺のなんだって」
「……え?」
「だから、その…俺の、学ランなんだ」

みるみるうちに真っ赤になり、声にならない悲鳴を上げて、マネージャーは顔を隠してしまった。手にしていた学ランで顔を隠しているから、さらに気恥ずかしいのだけれど。
数瞬前の真っ赤な顔を思い出し、つられて自身の頬も熱を持ち出したのを感じた。


ボールを蹴りながらのいつもの帰り道。
普段と違うのは、幾分疲れていることだけだ。
…なんて、上手くはいかなかった。

今自分が身につけているものと同じものを着ていたはずなのに、あの子が着ていたら、あんなにもブカブカに見えた。
袖も裾も余って、腰なんてベルトを目一杯絞っていた。
何よりも今一番悩ましいのは、普段はしない匂いがしていることだ。
石鹸のような、けれど花のような。そんな不思議ないい匂いが残っている。
そのせいなのか、全然頬の熱が引かない。

なんてことをしてくれたのだと、普段は頼もしいメンバーを恨めしく思った。

ーその後数日間、練習メニューがキツくなったと嘆くサッカー部員たちの姿が見られた。
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