キャプテン翼

応援用の大きな旗を振りかざし、歓声の轟く試合の中でも聞こえる少し高い声が響く。
それが、たった三年前の当たり前の日常だった。


練習終わりのメンバーにタオルを渡しながら、楽しげに雑談を交わすマネージャー達。
女子三人という、男だらけの環境の中では貴重な存在。
その中でも、唯一長く付き合いのあるマネージャーは、楽しげな輪の中からこっそりと抜け出して、一歩離れた場所で眺めていた俺の傍らに立った。

「翼くん」
「どうしたの、マネージャー」
「右足首、大丈夫?さっき軽く捻ったように見えたんだけど、痛みとかない?」
「はは、マネージャーの眼には敵わないな。大丈夫だよ。痛みもないし、もちろん違和感もないから」
「そっか、なら良かった」

早苗!と西本マネージャーに呼ばれて、再び輪の中に戻っていったマネージャーの背を見送り、ふと先程指摘された右足首に目をやった。
さっきの言葉に嘘はない。
ただ、本当に一瞬のことであったから、誰も気づいていないと思っていた。
時折、そういう些細な怪我はある。
けれど、やはり一瞬のことであるから、練習の途中であったらすぐに忘れてしまう程度なのだ。
それでもかなりの確率で、練習後にはマネージャーに指摘される。
よく見ている。
…本当に、ほんの少し照れくさく思うほどに。


「なぁ、中沢さんって彼氏とかいるのか?」
「ごめんよ、俺には分からないから」
「サッカーのことしか頭にないお前に訊くことじゃなかったか~」
「サッカーが好きなんだから仕方ないだろ」

クラスメイトとのありふれたやり取り。
今まで無かったわけではなかったが、三年になってから急激に増えたやり取りではある。
直接訊いてみればいいと思うのだが、そうもいかないらしい。
それは仕方ないことだとして、何故俺に訊くのだろうと不思議に思う。

「まったくお前は本当に何にも知らないんだな。お前と中沢さんは付き合ってるって噂が多いんだぜ?部のエースとそれを支えるマネージャー。しかも付き合いが長いときたら、そういう可能性だって高いと思うだろ」
「そうかな?」
「なにより、あんなにお淑やかで可愛い子と付き合えたら最高だろ!?男の夢だ!」

興奮気味に熱く語るクラスメイトを、幾分冷めた目で眺めた。
マネージャーをそういう対象として見たことはない。
第一、恋愛というものに疎いということはなんとなく自覚しているし、現状では今すぐにそういう存在が欲しいとは思っていない。
早く、早くブラジルに行きたいだけだ。

「中沢さんって、普段の部活はどんな感じなんだ?」
「どんな感じって言われても…」

とても楽しそうだ。
メンバーの世話を焼いてるときも、部室の掃除や物品の管理をしているときも。
なにより、試合を見ているときが、一番に。

俺たちの勝利を信じ切った眼差しで。
ほんの少し笑った顔で。
真っ直ぐに、真剣に、試合を見つめている。
お淑やかなんて言葉は似合わないほどに、静かな熱さを秘めている。
けれど、そんなことを何も知らない人間に教える義理もない。
馬鹿にされた仕返しに、言葉を濁して答えることにした。

「…お淑やかでは、ないかな」
「は?」
「じゃあ、俺部活だから」

ポカンと、呆けたクラスメイトを置いて、チャイムが鳴ると同時に教室を飛び出した。
練習試合も近いのだ。早くグラウンドを走り回りたい。
勝利し続けることで、誰よりも喜ぶあの子の為にも。

今日の部活では、練習試合を想定した模擬戦を実施することになった。
司令塔としてメンバーに指示を出しながらも、自由にグラウンドを駆け回る。
エースとしてチームをまとめるようになり、またポジションも変わったことで、試合全体の動きを捉えられるようになった。
視野が広がったというのだろうか。
確実に、昔の自分よりも成長している。
楽しい。本当に楽しい。
サッカーをするたびに、自分の世界が広がっていく。

「翼くん、すごく楽しそうね」

テーピングを施してくれていたマネージャーが、静かな部室の中でクスリ、と笑った。
片付けやらで人の出払っている部室の中では、その小さな笑い声ははっきりと聴こえた。

「うん、サッカーは楽しいよ」
「調子も良さそうだし、練習試合も楽しみね」
「もちろん勝つさ」

にわかに騒がしくなってきた部室の外の気配を感じながら、窓からグラウンドを見つめるマネージャーの横顔を見るともなしに眺めた。
子供っぽさは鳴りを潜め、凛とした落ち着きを醸している。
そして、なにより優しい瞳が印象的だ。
何も知らない周囲の人間からお淑やかと言われる所以はこういう所なのだろうと、ぼんやりと思った。
少し怒りっぽくて、快活に笑って、元気いっぱいなイメージだったのに。
そんな変化が淋しいような、嬉しいような。
何故だか不思議な気持ちになった。

数日後の練習試合は、新たな戦術を試し、その改善点も評価できるほどに有意義な試合となった。
もちろん勝利を収め、気持ちの面でも十分に納得できる。

「ほんと、早苗ったら元気よねー!」
「…もう、恥ずかしいんだからやめてよ」
「いやいや、さすがあねご」
「ゆ~か~り~!」

勝利の余韻とともに賑やかに盛り上がるメンバーの中で、西本マネージャーとマネージャーがなにやら盛り上がっていた。
それに混じって、懐かしい呼び名も聞こえる。顔を真っ赤にして怒っているマネージャーの様子に、首を傾げた。

「マネージャー、どうしたの」
「ふふ、最後のシュートの時に、思わず大声で応援しちゃったのが恥ずかしいんですって。応援団をしてたなら、何もおかしくないのにっ」
「…恥ずかしいものは恥ずかしいのっ」
「応援は嬉しいよ」
「ほら!やっぱり応援は大事なのよ。それに、他の試合でだって応援しちゃうことあるでしょ~。今さら恥ずかしがることないじゃないのー!」

うぅ、と唸るマネージャーの姿がおかしくて、思わずクスクスと笑ってしまった。
あねご、とメンバーも面白がって呼び始める。
この空気は懐かしい。

全力で応援してくれていたあの頃をふと思い出し、それから今照れくさくそうに苦笑いする姿を見て、とくり、と胸が鳴った気がした。


応援用の大きな旗を振りかざし、歓声の轟く試合の中でも聞こえる少し高い声が響くことは減った。
当たり前の日常だった日々は無くなっていたが、こうして時折顔を覗かせる。
そして、変化している互いの距離感が、懐かしさ以外の感情を抱かせようとする。

どれだけ風を切って走っていてもよく聴こえる声を思い出しながら、静かに灯った感情を抱き締めた。
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