ゴールデンカムイ


狩りを終え、暫く道なりに進んでいると、少し開けた森の中に澄んだ小川が流れていた。
岩場に荷物を置いて、靴を脱いで、ズボンの裾を捲る。そして、バシャバシャと音を立てて、ひんやりと気持ちの良い清水に踏み入れた。
白石を筆頭に、アシリパと自身が続く。
尾形は銃を抱えて大木の根元で縮こまり、水を嫌う猫のように見えた。

「ひゃっほー!北海道は水がキレイだねぇ~」
「そこらじゅう自然に囲まれてるもんな、スゲーよ」
「お前たちもすっかりこの地に馴染んだな。私にとっても嬉しいことだ」
「アシリパさんが良いところを何でも教えてくれるからだよ」
「そうそう!アシリパちゃんのおかげだね」

照れたように頬を赤くして、強く可愛らしいアイヌの少女は満面の笑みを浮かべた。
水をかけあったり、川辺に座って静かに身を清めたり。
殺伐とした日々を忘れるように、できうる限り全力で遊んだ。

「そろそろ行こうか、アシリパさん」
「そうだな、明るいうちに進んでおこう」

不意に、目の前が黒く染まった。
サラサラと光を浴びて艶やかに光るそれが、普段は鉢巻で纏められているアシリパの髪だと気づくのに少し時間がかかった。

「こら!白石!」
「うふふ、何となくイタズラしたくなっちゃった。でもさ、アシリパちゃんって綺麗な髪してるんだから、もっとそういうのアピールしていいんじゃねぇの?」
「あぴーる?」

誰に、とは言わないが。
存外、男という奴は女の髪が好きだったりするものだ。
もちろん、こんなくだらないことをする自分だって、綺麗な髪が靡けば自然と目が行ってしまう。
こんなことをすれば過保護な杉元に怒られると予想していたが、
予想に反して奴からの反応は無かった。

「どうした、杉元」

アシリパが不思議そうに顔を覗き込めば、呆然としていた杉元の意識が戻った。

「あ、いや…何でもないよ。アシリパさんは瞳も髪も綺麗だね」

耳だけ真っ赤に染めて、ぽかぽかと殴る小さな手を受け止めながら、数瞬前まで考えていたことを想い起こした。

サラサラと流れた黒髪は、いつまでも消えずに視界に映り続けた。
見惚れて、思わず目が追っていたのだ。
そして、その鮮やかな髪から覗いた横顔があまりに綺麗で、美しく成長した彼女を見ているのかと錯覚した。

ー幼いはずの少女が、急に大人びて見えた。

遠くないいつの日にか、彼女は美しい女性になってしまうのだろう。
それは良いことだ。
大きな青い瞳に、艶やかな黒髪。
溌剌とした顔つきや、思慮深く真っ直ぐな心。
美しくなる素地は出来上がっている。
だから、そう成長するのは当たり前なのだ。

この騒動が終幕を迎えたら、彼女は元通りアイヌで生きていく。
そして、いつか結婚して、子どもをもうけて母となるのだ。
その相手は、俺では…無いだろう。
あぁ、想像できない。
彼女の隣に並ぶのは、どんな男なのだろう。
彼女は、どんな人間を選ぶのだろう。
祝福したいと思う一方で、彼女の隣に並ぶのがどれだけ優れた奴であっても、許しがたいとも思う。
それではまるで、俺が彼女の隣を望んでいるようだ。
彼女が家族を増やすその時に、俺は彼女の隣にいるのだろうか。
俺は、いつまで彼女の相棒でいられるのだろう。
この騒動が終わるまで生きているのかも、その後も生きていられるかも確証は無い。
『不死身』だと言い聞かせているだけで、絶対に死なないとは断言できない。
仮に生き残ったとしても、俺では誰も幸せにできないと自覚しているのに。

彼女の幸せを奪うことしかできないのか。
幸せになってくれ。
彼女には、幸せになってほしい。
時代の為に担ぎ上げられ、強くならざるをえなかった純粋な少女に。

それから、嫌気が差して頭を抱えた。
とうに夜を迎え、焚き火の爆ぜる音だけが響く静かな森の中で。
何度考えても、彼女の選んだ人間を殺してしまう想像しかできない。
殺すまではいかなくとも、どうしても受け入れられず、激しい拒絶を暴力という形で発露してしまう。
なんて。なんて醜く酷い男だろう。

涼しいはずなのにだらだらと流れる汗を拭って、大きく息を吐き出す。
傍らで眠るアシリパの寝顔を見て、ぐっと息が詰まった。
先のことは考えたくない。考えるべきではないのかもしれない。
今はただ、何者からも彼女を守り抜き、相棒としてその隣に立っていたい。

穏やかに眠るアシリパの頭をそっと撫でて、ようやく体を横たえた。
子どもらしい高めの体温が心地よい。
冷えていた心臓が正常に戻っていく。

平穏な世界の中で、目映く輝く彼女と一緒に生きてみたい、と。
叶わぬ夢をみた。
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