金色のガッシュ


炎の揺らめきと砂塵の中で見たのは、みっともない泣き顔だった。
目の前に置かれた魔本を見て、それを読めと促した己を。
ただ真っ直ぐに見つめる青い瞳を覚えている。

何故、こんな女なのかと思った。
ただでさえ弱い生き物と組まねばならないなら、男の方がまだ丈夫だろう。
未成熟の女など、足手まとい以外にならない。
他の魔物を見るに、成熟した男をパートナーとする奴らもいた。
それが魔物自身の強さに繋がるかどうかは怪しいが、パートナーの負傷というリスクは下がるように思えた。
パートナーが動けるならば、魔本を護れる可能性は高い。
それでも、選んだのは己だ。
魔本が選んだパートナーになり得る幾つかの可能性を確かめもせず、みっともなく地面に座り込んだ女を選んだ。
情けなく死を受け入れようとしていたのを止めてまで、己が選んだのだ。


「──目を瞑るな!攻撃の先を読め!」
「ぐ…っ、この…!」

敵の攻撃に見立てた鈍器を愛用の杖で辛くも受け止め、勢いを殺し切れずに後ずさる。
全体のバランスが崩れたまま無理に踏ん張り続けるシェリーの足元に、片手に構えていた長物をぶん投げた。
足元が崩れ、そのまま勢いよく倒れ込む。
粉塵に紛れて鈍器での追撃をかますと、鈍い衝撃が武器越しに伝わってきた。
一瞬、悶えるような悲鳴が上がり、すぐに押し殺された荒い息に変わる。
視界が拓けると、床に倒れたままのシェリーの足に、先ほど振り回した鈍器がめり込んでいた。

「こ、んな…ことで…っ」
「そうだ。それでいい。お前の憎悪を見せろ」

激痛を堪え、不自然に捻られた脛を押さえながら、シェリーが立ち上がった。
青い瞳が、ギラギラと燃えている。
確かにそこには憎悪という強い怒りが滲んでおり、普段の穏やかな面影は無い。
生死を賭けた戦いに、甘さは要らない。
どれだけ生を望み、執着し続けるかだ。
普段なら決して向けられることの無い魔物への純粋な憎悪を受け止めて、床を蹴って彼女に突っ込む。
研ぎ澄ました爪を、彼女の首に向けて突き出す。
避けた彼女の首──その薄皮を微かに切り裂き、真っ赤な雫が滲んだ。
杖を振るって殴ろうとする腕を掴み、床に引き摺り倒す。
必死に掴んでいた杖さえ手放してしまったようで、そろそろ限界なのだろうと思った。
ぐるぐると変わる視界に追い付けない様子など無視して、トドメのつもりで再度顔面に向けて爪を突き出した。

「……お前の執着だけは本物だな」

声も出せず、ただ荒い息を繰り返すシェリーの拳を空いていた片手で受け止めた。
最後の抵抗さえも受け流し、シェリーから離れる。

「訓練は終わりだ。オレは一人で身体を動かしてくる」
「…ありがとう、ブラゴ…」

背を向けた己に向けられる眼差しには、既に憎悪は消えていた。


魔物の気配を捉えることもなく、連日彼女の屋敷で訓練を繰り返した。
覚えた術を試す時間も作ったが、それ以上に彼女の戦闘能力の低さを補うことを優先した。
元々の知能の高さと相まって、戦術を叩き込めばそれを実践できる程度のセンスはある。
しかし、感情が追いつかないのか、肉体の未成熟さのせいなのか、それとも両方なのかは知らないが、瞬発的な実践しかできていない。
戦い慣れしていれば、己の直感で戦い抜くこともできるだろう。
彼女は人間だ。しかも、女。
そうなると、肉体的な強度を上げねば、得た戦術も十分に発揮できない。
メインで戦うのは魔物である己自身だとしても、パートナーまたは魔本を狙うのは当たり前の戦術だ。
己の身を護り、隙を見て攻勢に出られる程度の強さは必要だ。

「また目を瞑ったぞ、シェリー!避けることばかりに囚われるな!往なしてみせろ!」
「受け流すなんて…っ」
「弱音を吐くな!!」

怒りとともに振り抜いた己の拳を、シェリーがギリギリのタイミングで両腕で受け止める。
痛みに呻きながらも、距離を取るように無闇に振り回した杖を掴み、彼女の動きを止める。
杖を手放し、よろめいて床に倒れ込む。
その一瞬、彼女の手が何かを握り込み、振りかぶる。
眼前で散らばったのが礫であることに気づき、咄嗟に距離を取った。

「…小賢しいが、良い手だ。お前は敵に距離を詰められないことを優先すべきだからな」
「厳しい先生の、お陰ね…っ」
「訓練初期に比べれば、目を瞑る回数は減った。敵から目を離さなければ、幾らでも打つべき手は見つかる」
「そうね…」

そろそろ限界か。
立ち上がったシェリーは、ふらふらしている。
取り戻した杖を支えにしなければ、立っているのもやっとだろう。
肩で息をし、何度も深い呼吸を繰り返す。
唇から血を流し、汚れた顔を袖口で拭う。
次の一打で終わりだろう。
震える脚を崩し、倒れたら終わりにしよう。
一歩踏み込み、一気に距離を詰めた。
左腕を構え、首を掴むような動きをちらつかせ、彼女の目が予想した通りに動いたのを捉える。
右足をコンパクトに払い、彼女の左脚にぶち当てた──はずだった。
ベキッと折れるような、砕けるような音はした。
肉では無い感触に違和感を持ち、視線を下げると、それは彼女が持っていた杖だった。
紙一重で脚への攻撃を交わし、杖を犠牲にして倒れるのを堪えたのか。
その直後、額から眉間にかけて鈍い痛みが疾った。
一瞬眩んだ視界の向こうに、限界まで見開かれた青い瞳を見た。
絶対に逸らさないという強い意志が宿っていた。
赤くなった彼女の額から血が垂れている。
……まさか。
頭突きを食らったのか。
彼女が日頃口にする淑女とやらならば大事にするはずの美しい顔さえ捨てて、そこまで必死に食らい付こうとする意志の芽生えに、柄にもなく胸が踊った。
弱いと見くびっていたが、これは予想外だ。
無力さに泣いていたはずの未成熟な女は、確実に成長している。
己が望むパートナーになり得る。
さすがに魔物の皮膚の丈夫さには勝てなかったらしく、己に最後の一撃を食らわせたシェリーは、そのまま意識を失った。


「お嬢様が望むならばお止めすることはできませんが…少々怪我が多いのは心配で御座います」
「フン、オレへの嫌味か」
「いいえ、ブラゴ様との出会いはお嬢様にとっての救いで御座いましょう…ただ、無茶をし過ぎるのが心配なだけに御座います」

彼女の部屋で、彼女の手当てを終えた老執事はそっと嘆息した。
頭を下げ、静かに部屋を出ていった老執事を見送り、ベッドで眠るシェリーに視線を向けた。
痛々しいほど全身に巻かれた包帯の下が、傷の無いまっさらな肉体だとは言わない。
彼女の幼少時代の扱いは知っている。
しかし、確実に消えにくい傷を増やしているのは己が原因だ。
元が透き通るような真っ白な肌のせいか、打撲、出血などの赤みは嫌に目立つ。
連日の訓練で、きっと消えない傷を増やしただろう。
肉体的な疲労さえ、普段よりも多く眠らなければ回復しきらないらしい。

音を立てずにシェリーの眠るベッドに近づく。
深く眠っているのか、全く起きる気配は無い。
薄暗い部屋の中で、少し青ざめたように見える生気の薄い寝顔を眺める。
頬に掛かる髪を払い、輪郭をつぅ、となぞった。
幸い顔に傷は残らなかったらしい。
首元には、数日前に掠めた傷がうっすらと残っていた。
身体の線をなぞるように手を移動させ、その細さに眉間に皺が寄る。
筋肉など申し訳程度にしかない。
あの厚い魔本を片手で構えるのさえできなさそうな華奢な腕はなんだ。
こんなもので戦うのか。
舌打ちしたくなるのを堪え、枕元に置かれた魔本を見る。
──何故、こんな脆弱な人間を選んだのだ。
…いや、選んだのは己だ。
肌を嬲る炎の揺らめきと、鬱陶しい砂塵の中で。
ただ真っ直ぐに見つめ返した輝く青い瞳を覚えている。
青い瞳が、何にも負けずに輝く瞬間は好ましい。
それは、彼女の強さの象徴だ。
肉体が追いつかなくとも、精神の強さの片鱗だろう。

「………ブラ、ゴ…?」

触れていたのに気づいたのか、ようやくシェリーの意識が戻った。
掠れた声が己を呼ぶ。
無理に目を開けようとしたのを止めさせ、掌で目元を隠す。
眠れ、と静かに告げれば、すぐに規則正しい寝息が聞こえた。

強くなるなら、己がなればいいのだ。
敵が、己のパートナーなど気にする余裕が無いほど。
そんなことは解っているが、無力なままでいて欲しくない。
仮にも、パートナーならば。
己が選んだならば。
──対等でいたい。
護ることもするだろう。
誰よりも、何よりも優先するだろう。
それでも、隣で立ち続けるような存在でいてほしいと願う。
護られるだけの弱者でいてほしいとは思わない。
だから、彼女に強さを求めるのだ。

「……傷は必要ねぇがな」

怪我をしないで済むなら、それがいい。
醜い傷痕も必要無い。

包帯の下の肌の白さを思い出して、祈るように包帯をなぞった。
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