金色のガッシュ


金糸がさらりと揺れると、空の青さを閉じ込めたような宝石が瞬く。
真っ白な布に身を包み、その白さに負けない透き通った肌が微かに覗く。
淡い色をした唇が、よく通る声で己を呼ぶ。
たったそれだけのことが、不思議と胸を擽る。
己のパートナーとなった人間は、いつも眩しく輝いている。


美醜に疎い自覚はある。
そうしたものに価値を見出だしていないからだ。
強さ以外に、価値のあるものはなかった。
それがどれだけ素晴らしいと説かれたところで、心を揺さぶることは無い。
景色の一部として流れていくだけだ。
人間界に来たとて、それは何も変わらない。
…いや、変わらないはずだった。


「爺!どうかしら、おかしくない?」
「はい、問題御座いません」
「良かった…ダメね、久しぶりのパーティーだからって緊張し過ぎだわ」

彼女の部屋の中で、何度も似たようなやり取りが繰り返される。
彼女は、貴族のくせに落ちこぼれとして扱われてきたらしく、家が絡むことでは必要以上に緊張している。
もはや誰も文句は言わないだろう振る舞いを身につけていたとしても、過去の扱いはトラウマとして胸に残っているらしい。
彼女の血筋と近しい家柄だったか、それとも家の利益のためだったか。
そんな優先度の低い有象無象が参加するパーティーに顔を出さねばならないなら、何とも無駄な時間だ。
参加者の誰かが魔物でも連れていたら、話は別なのだが。

「ねぇ、ブラゴ」
「なんだ」
「……一緒に参加する気はない?」
「寝言は寝て言え」

ピシャリと拒絶を示せば、目に見えて彼女の肩が下がる。
あの窮屈そうな衣装を纏うのも、見下している人間に好奇の目を向けられるのも胸糞悪い。

「…そうよね。分かっているわ」
「お前の側に寄るつもりはないが、会場には居る。魔物がいればいいがな」
「あら、会場に貴方がいるならいいわ。一緒に参加してるのと同じよ」

衝立の向こうから顔を出したシェリーは、にこやかに笑った。
そうして視界に入った彼女のドレスに、思わず言葉に詰まった。
普段の衣装とは違い、目に毒なほど白い肌が曝されている。
首から肩、腕にかけてのラインはすらりと伸び、身体全体を支えるには不安がよぎるような細い腰がある。
腰から下はたっぷりと余裕を持ったスカートが広がり、そこから折れそうな頼りない足首が覗いていた。
自慢の金髪は結われ、顔の横には幾束かの髪が垂れている。
後頭部で纏められた金糸には、見馴れぬ髪飾りが添えられていた。
鮮やかな紅を引いた唇が、まるで別の生き物のように蠢く。
全身を見せるように佇んだシェリーの動きに合わせ、彼女の瞳に似た鮮やかなブルーのドレスがさらりと揺れた。

「パートナーとして一言くらい感想をくれてもいいのよ?」
「…動きにくそうな服で、もし魔物と会ったらどうするんだ?」
「貴方って子はそればっかりなんだから…っ、動いてみせるわよ!」
「フン、ならいい」

それ以外に何を求めるのだ。
さすがにドレスで魔本を持ち歩くことはできず、今回ばかりは己の腰に据えられることになった。
有象無象の中に放り込まれる彼女に持たせて奪われるリスクを上げるなら、己が持っていた方が良さそうだ。
長ったらしいドレスの中に隠すスペースは無いのかと投げかけてはみたが、裾を捲る姿にゾワリと肌が粟立ったので撤回した。


広いホールの装飾の一部に腰を下ろし、会場を見下ろすように眺める。
人工的な匂いが満ちた空間は気分が悪かったが、会場にいると言った手前どうすることもできない。
舌打ちをして、有象無象に囲まれるシェリーを見つめる。
……眩しい。
彼女に光が当たっているのだろうか。
チカチカと目が痛むような気がする。

会場に入るギリギリまで嫌そうな顔をしていたシェリーは、会場に着いてすぐに作り物めいた笑みを張り付けて、彼女に伸ばされる幾つもの手を避けている。
王族に近しい血族の生まれとして、こうしたパーティーの持つ意味は十分に理解している。
血を残すための優秀な番候補の選別。
早い話が、誰が彼女を手中に収めることができるかだ。
誇り高き家名の為に、血を引く者が利用されるのはどの世界でも同じだということらしい。
…いつかは、彼女も誰かのモノになるのか。
強く清廉な眼差しを、ふと浮かべる無邪気な笑みを。
太陽の下で、なお美しく輝く生命を。
己以外の誰かが、手にするのか。

──シェリー、と。
口癖のように零れ落ちる名前を、知らぬ間に紡いでいた。
一瞬、有象無象から視線を外した彼女とかち合う。
やはりチカチカと眩しい。
それでも、目が離せない。
すると、誰にも触れられないよう警戒していた彼女に隙ができたのを見逃さず、彼女の腰に無遠慮に誰かの手が触れた。
咄嗟に足下に術を放ってやろうと構えるが、彼女が本を持っていないことを思い出す。
使えるようになった術くらい自由に放てれば、どれだけこの面倒な状況を簡単に片付けられるだろうか。
吹き荒れる苛立ちを抑えるように舌打ちをし、腰に据えていた本を取り出して、壁を蹴って彼女の元へと飛んだ。
わざとらしく音を立てて飛び降り、驚いて彼女に触れていた手が離れたことを認め、その不愉快な輪の中からシェリーを連れ出すことにした。
もう彼女の役目は果たしただろう。
こんな場所に、彼女の番になれる雄はいないのだ。
いつものように腰を抱いて、魔本を渡して駆け出す。
壁に向けて真っ直ぐに突き出した右腕を見て、何をするのか察したシェリーが『レイス』を唱える。
魔力が壁を破壊し、その粉塵に紛れて夜闇にとけた。


「──いい気分だわ!」

彼女の屋敷に向けて草原を駆けていると、シェリーが高らかに叫んだ。
ちらと見れば、いつの間にか結われていた髪がほどけ、夜闇であっても目映い金髪が風に靡いている。
張り付けていた作り物めいた笑みが幻のように、晴れやかな笑みを浮かべてこちらを見つめ返した。
青い瞳がキラキラと輝いている。

「貴方がいなければ、ずっとつまらない人たちの相手をしなくちゃいけなかったわ」
「あの有象無象は、お前の婚約者候補だろう」
「そうだけど…今はそんなことに気を取られている時じゃないわ」
「当たり前だ」
「それにしても、皆とても綺麗に着飾ってたわね。あれだけいれば、ブラゴだって一人くらいは目を引く女性もいたでしょ?」
「…お前以外に女がいたか?」

何のことを言っているのだ。
彼女以外に女がいたのか。
全くもって認識していなかった。
そこまで考えて、ふと彼女ばかり見ていたことに思い至った。
金の髪が、動きに合わせて揺れる様を。
白い腕が、彼女の身を守るように躱す様を。
青い瞳が、己を探すように彷徨う様を。
ずっと見ていた。
彼女だけを見ていた。

「綺麗なのは、お前だろう。シェリー」
「…あ、貴方も…そんな冗談を言うのね…」

青白い月光の下であっても、彼女の頬が赤くなったのが分かる。
照れたのか、赤くなった顔を隠すように、ただでさえ近いのにさらに身を寄せた。
薄い布越しに、頼りないほど細い彼女の肢体が触れる。
思わず腰を支える腕に力が籠った。
胸の奥底で燃えるような衝動をやり過ごす。

魔物と人間。
時間の限りのある一瞬のパートナー。
そこに情は無い。
芽吹くものなど何もない。

だと言うのに、彼女が誰かのモノになることを酷く忌避する己がいる。
──強く清廉な眼差しを。
──ふと浮かべる無邪気な笑みを。
──太陽の下で、なお美しく輝く生命を。
この腕の中に閉じ込めておければいいのに。

彼女を選んだのは、己なのだ。
なら、彼女は己のモノであっていいはずだ。
しかし、この感情に名前は無い。
この激情を言葉にする術を持っていない。

「……シェリー」
「どうかした、ブラゴ」
「いや…」

何も言えずに、その代わりのように彼女の名前を呼んでいる。
3/13ページ
スキ