聖闘士星矢


真っ白な花を集めた花束を手にし、聖域内で一番ひっそりとした場所を目指していた。
聖域で暮らす聖闘士や訓練生たちに道を聞きながら進むうちに、どんどん人の気配は無くなっていった。
数多の聖闘士たちが葬られた墓地は、数多の石碑が置かれただけの忘れ去られた世界の片隅のような場所であった。

「…ここに、我が師が…」

そう呟くと、師との壮絶な戦いをまざまざと思い出す。
魂までが凍りつくような凄絶な凍気に包まれた瞬間と、目の前が美しく白く輝いた光景。
再び目を覚ました時には、既に師は眠りについていた。
極寒のシベリアの大地で見守られ続けた優しげな微笑みが、酷く悲しみを揺さぶった。
その美しく、哀しい亡骸を見た時には、これが夢であってほしいと心の底から願った。

ひとつひとつの墓標を確めながら、真新しい石碑の前に立つ。
聖衣の階級と名前が刻まれただけのシンプルな石碑である。
そこには、ワインとグラスが置かれていた。
黄金聖闘士たちの誰かが参っているのだろう。
我が師を『友』と呼ぶのは一人だけではあったが。

ずっと抱えていた花束を、ようやく捧げるべき場所に置いた。
そして、枯れてしまわぬよう、静かにフリージングコフィンをかけた。
凍りついては台無しになってしまうかと思ったが、青白く輝く氷の棺の中で、真っ白な花々は美しく咲き誇っている。

「─見事なものだ。流石は水と氷の魔術師と謳われたカミュの弟子だな」
「ミロ…やはりあなたが弔っていたのか」
「ははっ、友を大切にするのは当たり前のことだろう。それより、これほど近くにいるのに気づくのが遅いぞ、敵だったらどうする」

石碑の群れの中に、ぽつん、と蠍座のミロが立っていた。
優しい顔をしたと思った次の瞬間には、厳しく窘められる。
初めて顔を合わせた時から。
彼は、その苛烈な強さをぶつけてきた。
死と隣り合わせの戦いの中で、彼は常に厳しかった。
それが、師を考えての行動故であったことは、師の最期に気づいたのだった。

「どうだ、せっかくだから寄っていかないか。海底での騒動も終わって、少しは休む時間も必要だろう」

静かな墓地を抜け、通いなれた聖域の階段を進む。
多くの黄金聖闘士たちが護っていたはずの各宮は、その半数が主人を失って静まり返っている。
生き残った黄金聖闘士たちに会う度に何とも言えぬ気持ちになるが、彼らは穏やかに微笑むだけである。
その強さと志に敬意を抱いた黄金聖闘士たちの後継者として認められることは、素直に嬉しい。
下級である青銅の身からすれば、それはとても光栄なことでもあった。
しかし、命からがら刺し違え、尊敬する師まで喪って。
そして、盟友であった彼らを引き裂くことになったことは、たとえ敬愛する女神の為であったとはいえ、一生消えぬ罪業だろう。

「お前を見ていると、カミュを思い出すよ」
「何故?」
「常にクールにいろ、と言うわりに、全くクールになりきれていない奴だったからな」
「そんな馬鹿な…我が師カミュは、常にクールに振る舞っていた」
「クールな奴が、弟子との思い出ひとつひとつに泣くものか」

ぶっきらぼうな口調でありながら、ミロはどこか懐かしそうに笑う。
師の泣く姿など想像できず、ミロの言葉は知らない世界を語っているようだ。

弟子にしたこと。
聖闘士として聖衣を授けたこと。
兄弟たちの抹殺を命令したこと。
聖域に来ることをきつく止めなかったこと。
大切にしていた母の亡骸を沈めたこと。
己の最大の拳を以て、弟子を屠ろうとしたこと。
そして、その中でさえ弟子の成長を嬉しく思っていたこと。

「お前を氷漬けにしたあとのあいつは、泣いていたさ」
「ま、まさか…」
「涙を直接見たわけじゃない。だが、何も言わずとも分かるのが友だろう」

夜明け前のような深い紫色の瞳が、労るような温かみを持って向けられた。
友と呼ぶだけあって、眼差しの優しさは師と似ている。
似ているから、師を思い出して泣きたくなる。

「…ちゃんと悲しめる時には悲しんだ方がいい。お前たちには辛いことばかり押し付けていたからな。こんな時くらいしか時間があるまい」

武骨な、大きな掌が。
不器用な力加減で、わしゃわしゃと頭を撫でた。

優しい人たちばかりだ。
この聖域には忌まわしい記憶と、暖かい記憶が渦巻く。
だから、嫌いになれない。
嫌いになりたいと願う日もあるのに。

いつまでも。
優しい記憶に包まれている。
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