UC


光沢のある深紅のマントをはためかせ、細い肢体をピンと伸ばして佇む背中を見るたび。
──あの子は、ただの女の子なのに、と。
今さら考えても仕方のないことばかりを考えてしまう。
そうした家系に生まれ、そうした星の宿命のもと生きる。
己の立場を受け入れて生きることを選んだのは、彼女自身なのだから。

生家の扉を潜り、二階へと続く豪奢な階段を昇る。
光の漏れている扉をノックし、その中にいるであろう女の子に呼び掛けた。

「オードリー」

誰も呼ばない、彼女が選んだ唯一の名前。
頑なにその名を呼び続けることを、誰も止めることはなかった。
だから、今でもその名を呼び続ける。
きっと、これからも。
その名を呼ぶ度に、彼女はほんの少し普通の女の子になることができる気がした。

「バナージ?まだ哨戒中なのでは…」
「ちょうど交代だったんだ。オードリー宛に荷物が届いてたから、渡すついでにさ」
「そう…ありがとう」

部屋の中心に置かれた椅子から立ち上がったオードリーに、綺麗なラッピングの施された荷物を手渡す。
中身を確認した彼女が嬉しそうな笑みを溢した次の瞬間には、困ったような素振りを見せた。

「荷物の中身を見てもいい?」
「えぇ…」

ラッピングを綺麗にほどくと、皺ひとつない若草色のスカートが現れた。
一緒に包まれていた箱を開けると、美しい光沢を持ったエメラルドのパンプスが入っている。
装飾品の良し悪しやブランドなどには疎いため、贈られた品の価値は分からなかったが、それでも値の張るものなのだろうと思った。

「素敵なもので、とても嬉しいけれど…私には着る機会がないわ」
「着てみよう。オードリーならきっと似合うよ」
「でも…」
「俺が、見てみたいんだ…ダメかな」
「……」

困ったように口を閉ざしてしまったオードリーに、さらに言い募るのも可哀想に思える。
せっかく似合わない軍服から解放される時間を、一瞬でも作れないかと考えたのに。
言葉にして伝えるのは難しい。
飾らぬ言葉でないと、本当に相手に伝わることはない。
元より聡い彼女相手ならば、それはより顕著になる。
言葉を選び、上手く言い表せぬうち、諦め半分に言葉を紡いだ。

「一緒に、出掛けない?」
「どこへ?今の私たちは、表舞台には出られないでしょう」
「この中でいいんだ。ただ、君とデートがしたいと思っただけなんだ」
「で、デート…」

そこまで言葉にして、ようやくただ普通の女の子の格好をした彼女と一緒に過ごしたかっただけなのだと気づいた。
思いがけない言葉にうっすらと赤く頬を染め、戸惑ったように視線を彷徨わせるオードリーの手を握る。
普通の格好をして、恋人みたいなことをして。

「一日くらい…普通の女の子として生きたっていいじゃないか」

一瞬、オードリーが息を呑んで固まる。
それからすぐに、嬉しそうに小さく微笑み返した。


贈られた品物に着替える準備をするオードリーを、一階のホールで待つ。
あの綺麗な装いになる彼女に釣り合うだろうかと、今さらなことが気になってしまう。
かと言って、釣り合うような服を持っているわけでもない。
等身大が一番だ。
着飾った姿が好きなわけではない。
彼女だから、好きなのだ。
ドキドキと落ち着かない心臓を押さえながら、じっと彼女の支度が終わるのを待ち続けた。
コツコツ、と階段を下りる靴音が響く。
ヒールの軽やかな音が、落ち着かない心臓をさらに逸らせる。

「バナージ、お待たせ」

いつも凛とした声が、ほんの少し気恥ずかしそうに震えていた。
白いブラウスに、若草色のスカート。
足元は、彼女の瞳と同じ深い光沢を持つエメラルド色のパンプス。
思わず、一瞬目を逸らしてしまった。
綺麗で、何と声をかければいいのか分からなかった。
今、目の前には普通の女の子がいる。
業の深い特別な家系の末裔である現実から、ようやく解放されているのだ。

「綺麗だね…あんまり綺麗だから、なんだか緊張する」
「バナージが似合うと言ってくれたのよ」
「うん、すごく似合ってるよ」

誰かに見せるのがもったいないくらいに。
そんなことを思う権利も、力も無いけれど。
独り占めしたいと思ってしまうくらいには、貴重な瞬間なのだ。

彼女の手を引いて、いつもよりゆっくりと歩き出す。
重厚な扉を押し開いて、眩しい日射しに晒された。
青々と伸びた草花を踏みしめて、初めて訪れた時よりも朽ち果て始めた生家を飛び出す。
この小さな世界の中なら、彼女と自由に過ごすことができる。
それを感じる度に、嬉しくて、時々泣きたくなる。
小さな世界を巡る人工的な風に吹かれ、彼女のスカートがひらひらと揺れた。
その色に、強く、優しかった女性の面影を見た。
彼女の愛機であった若草色のMSが宇宙を踊る姿を思い出し、ツキン、と胸が痛んだ。
いつまで経っても、あの喪失は胸を抉る。
いつか穏やかに受け入れられる時が来るのだろう。
それまでは、ずっと痛みを抱え続けるしかない。

「オードリー」
「どうしたの、バナージ」
「君と、ずっと一緒にいられたらいいな」
「…そうね。私もそう思うわ」

大切な誰かを喪うことは、とても、とても辛いことだった。
誰よりも大切な彼女が傷つかぬように、泣かないように。
そして、どこかに行ってしまわぬように。
そんなことばかりを考えている。
彼女の出自上、永遠に自由は得られないだろう。
それでも、たとえ何があったとしても、自分だけは彼女を独りにすることはしない。
どこまでも、いつまでも。
一緒に生きていくための方法を探していく。

細い小さな手を、ぎゅうと握り締めた。
掌に収まってしまうその手が、とても愛おしい。
真っ白な愛機に乗って、彼女を護りたいと願った。
その特別な愛機も喪われてしまったが、彼女への想いは抱き続けている。
オードリーの隣に並び、鮮やかな金髪に頬を寄せるようにして、ほんの少し頭を寄せた。

「俺は、ずっと側にいるよ」
「えぇ…信じています」

─好きだ。
彼女のことが、何よりも。

喪わないことだけを考えて。
今日も、小さな世界の中で夢をみる。
9/9ページ
スキ