Z・ZZ


──バチン、と頭の奥で光が迸った。

果ても分からぬ暗い宇宙の真ん中で、その光は衝撃となって全身を駆け抜けた。
嫌な予感というのだろう。
全身が総毛立ち、冷や汗が背筋を伝う。
誰かの呼ぶ声が聴こえた。
コックピットに備えられた回線からは、混乱する戦況しか入ってこない。
回線越しに呼ばれた訳ではないのは理解していた。
直接心を撫でるような感覚。
左後方へと機体を向け、己を呼んだものを探してスラスターを噴かせた。


心臓が耳に移動したのかと思うほど、ドクドクと五月蝿く拍動している。
はぁ、はぁ、と口から漏れる荒い息を他人事のように聞いていた。
バチバチとスパークする様をモニター越しに見つめ、ジリジリと押し負けている左腕の軋みを知覚する。
振り上げられたヒートホークをシールドで受け止めたはいいものの、反撃するタイミングを見失った。
単眼の巨人のモノアイがギラリと光り、あっ、と声を出す間もなく左腕に掛けられていた圧が消え、身構えることもできずにそれ以上の衝撃が機体を揺さぶった。
最後の砦であったシールドが蹴られ、衝撃で半壊したのか、バラバラとパーツが宇宙の藻屑となって流れていく。
ライフルはとっくに手放してしまい、残ったのは頼りないビームサーベルのみ。
モニターから目が離せない。
この一振をミスしたら、あっという間に死ぬだろう。
マシンガンを構えたハイザックの銃口が、真っ直ぐに自分に向けられている。
ひく、と喉が震えた。

──死が、眼前に迫っている。

何をすればいいのか分からない。
自分には、あと何ができるのだ。
嫌、嫌だ。
こんな真っ暗なところで死にたくない。
助けて。
誰か、私を。
助けて、助けて。

「──カミーユ……!!」

それは、必死の祈りだった。
直後、目の前の敵機を、真っ直ぐに伸びた光線が二筋貫いた。
頭上から降ってきた雷のような光線は、暗い宇宙の彼方を照らすように伸びて、すぐに見えなくなった。
敵機の爆発による衝撃が機体を揺さぶったが、そんなことを気にする余裕が無かった。
頭を守るように身を縮こめて、ずっと離せなかった操縦桿から手を離した。
今さら震える指先を握り込み、まるで氷の中に閉じ込められたかのように冷えきった身体を抱き締めた。
視界に水滴が浮かんでいるのに気づき、ヘルメットのバイザーを上げる。
汗と涙だろうか。
開放された水滴がコックピット内を漂っている様子を呆然と眺めていると、何も聞こえていなかった耳に音が入ってきた。
ガサガサとした音が、徐々に意味のある言葉に変化し、ようやく名前を呼ばれているのだと理解できた。

『ファ!ファ・ユイリィ…!』
「……カ、ミーユ…?」
『そうだよ、俺だ!生きてるな!?』
「…えぇ、生きてる…」

彼の愛機の他に、自機と同型が一機接近してくるのがモニターに映る。
もはや戦えないのは分かっていた。
恐怖に呑まれた自分が、戦場にいれば死ぬことは明白だ。
機体同士が接触した振動が微かに全身を揺らし、そのまま深みのあるグリーンの機体に連れられて、最前線から引き離されていく。
彼の愛機はぐんぐん加速して、火球の瞬く最前線に消えていった。


アーガマに帰還して、コックピットから這い出てようやく息ができたような気がした。
メカニックやパイロットが忙しなく動き回る格納庫の隅に移動して、ボロボロになったネモを見上げる。
パイロット見習いを始めてから、片手で足りるほどの実戦経験しか無い。
それまで敵機との遭遇が無かった訳ではない。
けれど、一人で対峙したことは無かった。
誰かが側にいた。
次第に戦場は混戦が増え、複数箇所での戦闘が多くなった。
それに合わせて部隊は分散され、一人で敵と対峙することが増えた。
そして、実戦に出るようになって、身近に『死』を感じるようになった。
どれだけシミュレーションを重ねても、この恐怖を感じることはなかった。
敵も、味方も。
一瞬の爆発に呑まれて消えていく。
それが、今度は自分だったのかもしれない。
治まったはずの手の震えを自覚して、逃げるように自室に戻った。


戦闘を終えて帰還してから、急いでコックピットを飛び出した。
休んだら整備を手伝ってくれ、と疲れた様子で漏らすアストナージに曖昧に返事をして、格納庫を出ようとした瞬間。
突然、目の前に二つの影が現れ、そのまま抱きつかれた。
それがシンタとクムだと分かり、一瞬強張った身体の力が抜ける。
声をかけてやろうと思ったが、真っ直ぐに向けられた子どもたちの泣き出しそうな顔に負けて、ひっそりと息を吐いた。
子どもたちの大好きな彼女を心配しているのが分かる。
何があったのかは何となく知っているのだろう。
何も言わずに頭を撫でて、子どもたちが心配している彼女の元へと向かった。

シュン、と音を立てて開いた扉の先には、真っ暗な闇の中で蹲るファの姿があった。
膝を抱えて丸くなり、音に気づいたのか顔を隠す髪の隙間から、ちらと視線を向けている。
彼女のベッドに腰かけて、怯えたような瞳と向き合う。
何も言わないファに何と声をかければいいのかと悩んでいると、ファがぽつりと零した。

「……怖かったの」
「うん」
「…それから、死にたくないって思ったわ」
「それが普通だよ」

顔を上げた彼女の目には、涙が溢れていた。
死への恐怖を思い出したのかもしれない。
もしかしたら、己の言葉に納得できなかったのだろうか。

「…助けてほしくてカミーユの名前を呼んだの。そうしたら、本当にあなたが来た」
「うん…呼ばれた気がしたから。間に合って良かった」

拡大したモニター越しに、敵機の銃口がコックピットを狙っている様を見た。
あの時の全身が凍りついたような感覚を、二度と味わいたくはない。
あと一瞬遅れたら、彼女は死んでいた。

「…嬉しかったけど、それじゃダメなのよ。私はあなたの助けになりたくて、自分であの子たちを守りたくてパイロットになったのに」

パイロットになんて、なってほしくなかった。
どこかのコロニーにでも避難して、そこで新しく暮らせば良かったのに。
それを伝えれば、また喧嘩になることは分かっている。
だから、今回だけは何も言わなかった。

「もう戦場から離れたのに…まだ怖くて、震えが止まらないの」

怖かった、と繰り返すファの姿に、ただ胸が痛む。
気の強い幼馴染みは、どこにもいない。
目の前には、繊細で、泣き虫な女の子がいる。

「俺が守るよ」
「…私は、カミーユに守られたいんじゃないの」
「いいんだ、俺が守りたいから守る。だから、ファは生きていてくれればいいさ」
「……カミーユは、強いのね」

悲しげに笑みを浮かべたファとの間に、見えない壁ができたように思った。
何も変わらない。
俺は、特別な『何か』ではない。
死ぬ──と思うことは、多々ある。
けれど、死にたくないから、その時々で必死になっただけだ。
それで助けが来るときもあるし、自分で窮地を抜け出すこともできる。
恐怖に呑まれた先には、死しかないのだ。
それを振り払おうとしているだけだ。

ようやく膝を抱えていたファが顔を上げ、寄りかかってきた。
身体の半分が温かい。
その温もりが、何よりも嬉しかった。

「…私たち、変ね。ついこの前まで学生だったのに。どうして戦場なんかにいるのかしら」
「本当に…オカシイよ。他に行ける場所だってあったのにさ」

コロニーでも、地球でも。
この死の最前線から遠ざかる機会は何度もあったのに。
それでも、行くべき場所は見つからなかった。
大事なものを守る手段は、これしかなかった。
戦う以外の方法を知らなかった。
気ままな学生生活だって続けられたのかもしれないのに。

「……無知で幸せだったあの頃に帰りたいわ」
「…うん」

お互いだけを見て、お互いだけを気にかけて。
それが、小さな幸福だったのに。
──遠くなってしまった。
一番側にいたはずなのに、想いがすれ違ってしまう。
お互いを想っているはずなのに。
上手く伝えられず、胸の奥底で澱んでいく。
それでも、彼女を想い続けている。

…未だ震える彼女の両手をとって、震えを止めるように強く握り込んだ。
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