Fantastic Beasts


開け放たれた窓から、バサバサと軽やかな羽音が聞こえた。
地下室で動物たちの世話をしていた手を止めて、音のする方に顔を向ける。ひらひらと舞うように落ちてくる白い何かを、手を伸ばしてキャッチした。

「!」

急いで差出人を確認し、そこに記された名前を見て、自然と頬が綻んだ。
遠い地に住む恋しい魔女からの、ずっと待ち焦がれていた手紙だ。

観察日記や標本、書類の束が広がる作業机の片隅の荷物を押し退けて、真っ白な手紙を、特別なもののように置いた。
椅子を寄せて、高鳴る胸を押さえて、ひとつ深呼吸をする。
まったく落ち着かないままに、丁寧にその封を破る。
急かすように鳴くピケットを宥める余裕もなく、目の前の手紙に意識が集中していた。
幾度目かの彼女からの手紙。
今まで届いたものは、すべてトランク内の小屋の机の引き出しにしまってある。
どんな旅の中でも、いつでも見返せるように。
そのお陰で、綺麗だったはずの手紙が少しずつ傷み始めてきたのが最近の悩みだ。
彼女との手紙の内容は、互いの近況報告が主である。
彼女の誇りある仕事のこと。
仲睦まじい妹や、マグルの親友のこと。
─元気なのか、動物たちは変わりないか。
きっと他の誰と文通をしても、微塵も気にかけてはくれないだろうことにも気遣ってくれる。

「活躍してるんだ、ティナ」

どうやら復帰後の彼女は大活躍らしい。
以前見かけたが、新聞に載るくらいだ。やはり彼女は優秀である。

さて、返事は何を書こう。
最近保護した動物のことはどうだろう。それとも、孵化したばかりのおチビさん達のことが良いだろうか。
書きたいことはたくさん浮かぶくせに、いざ言葉にすると悩んでしまう。
結局、動物たちの観察報告のような内容になってしまうのだ。
ふと、カタリ、と小さな音がした。
近くのテーブルに置いていたトランクの蓋が開いていて、ふよふよとリンゴが一つ浮いている。

「ドゥーガル」

名前を呼べば、リンゴを持ったまま透明になっていたドゥーガルが姿を現した。
ゆったりとした足取りで、椅子に座っていた自身の背中をよじ登り、背後から覗きこむような体勢に落ち着いた。
ふんふん、と手元の手紙に鼻先を寄せて、何かを確かめている。

「ティナからの手紙だよ」

名前に反応したのか、一瞬こちらを見たドゥーガルのつぶらな瞳を見つめ返す。
暫し匂いを嗅いでいるドゥーガルの真似をして、手紙に顔を寄せた。
ふわ、と甘い香りが残っている。彼女特製のココアの香りだ。
ココアを飲みながら手紙を書いていたのだろう。
鼻先に触れるありふれた紙のかさついた感覚すら愛おしいと感じるのだから、自分は大分参っている。
長年の夢だった本の執筆を進め、完成目前まで辿り着いた。
夢の完成の為と、彼女との約束の為に。
早く約束を果たしに行きたいのに、それが叶うことは無い。
自業自得とはいえ自由に彼女に会いに行けない状況は、思っているよりも己の精神に深刻なダメージを与えている。

…あぁ、苦痛だ。
ティナに会いたい。

遠い海の向こうで、きびきびと背筋を伸ばして生きているであろう彼女の姿を思い浮かべ、深くため息を吐いた。

「…うん、返事はあとにしよう」

丁寧に封筒に戻し、大きく伸びをする。
一息入れようと部屋に戻り、単身者の殺風景なキッチンで、煩雑な戸棚からカップを取り出して何も考えずに淹れた中身に、自分自身が驚いた。
よほどあの遠い地での思い出が恋しいらしい。
帰国してから、興味本意で買って放っておいたココアを淹れていた。
甘い香りがする。
苦笑しながら一口飲んでみたが、やはり彼女の淹れたものとは違うのだろうな、と淋しい気持ちが沸き上がった。
動物たちが心配だったとはいえ彼女の好意を突っぱねて、彼女の淹れてくれたココアを飲まなかったことを、今さら後悔している。
何か隠し味は使っているのだろうか。それとも、こだわりの手順があるのだろうか。
直接聞かなければ分からない、彼女と話したいことばかり浮かんでくる。
美しい彼女を目にすれば、上手く話すことなどできないのに。
せめて、手紙くらいは上手く伝えることができればいいのだけれど。

「…返事を書こう」

考えていても仕方ない。
どれだけ拙くとも、きっと彼女は笑って読んでくれる。
関わりあったのはほんの一時だったけれど。それでも、そう思えるくらいに彼女は美しく優しい人だった。

地下室に降り、再びドゥーガルを背負って、散乱した原稿の隙間から便箋を探し出す。
少しよれた紙を広げて、ペンを構えた。
シャリ、シャリと二つ目のリンゴを齧る音と、サラサラと紙を滑るペンの音。
書くことは、愛おしい動物たちのこと。そしてそこに、ほんの少し自分自身の日々のことを交えて。

あぁ。
たった一言だけでもいいから、君のことを想って過ごしていることを添えられたらいいのに。

『─君のココアが飲みたくて作ってみたけど、上手くいかなかったよ。やっぱり君が淹れた方が、』

「……いや、これはちょっと、僕が恥ずかしいな…」

慣れないことはするべきではない。
別の便箋に最後の文を消して書き直し、ほぅ、と息を吐いた。
彼女に関することと向き合っている時が、一番神経を使うが、一番満たされたような幸福感を感じる。

自身と動物たちの呼吸や鳴き声しかしない穏やかな昼下がりに、ガタン、と騒々しい音が響いた。
音のした方に顔を向ければ、悪戯者たちが光るものを追いかけて巣から脱走していた。

「こら、お前たちは本当に…そんなに悪戯だったら、彼女に会わせてやらないぞ」

毎度のことに、ため息混じりに、けれど愛おしく思いながら腰を上げた。
──背中から降りたドゥーガルが、気づかぬうちに驚くことをしていたとは知らずに。


「ティーニー、手紙が届いたわ」
「ありがとう、クイニー」
「うふふ、ティーニーの待ちに待った人からだったわよ」
「もう、からかわないで」

仄かに頬を染めて照れる姉を、微笑ましい気持ちで見つめた。
ニュートとの出逢いが、確実に姉を変えているのは一目瞭然だ。
それは、とても素敵なことである。
自分自身と向き合って、自分を着飾ることを始めた。
長い間くすんでいた本来の輝きを取り戻して、日に日に姉は魅力的になっていく。

「早くしないと、ティーニーを素敵な人に奪われちゃうかもしれないわね」

ここにはいない手紙の送り主を思い浮かべる。
再会した時の彼の反応が楽しみだ。


仕事着からラフな部屋着に着替え、ベッドに腰かけて妹から手渡された手紙の封を切る。
大抵1、2枚のやり取りだったが、今回は4枚だ。
何か連絡するべき出来事でもあったのだろうか。
そわそわとしながら読み進め、思わず首を傾げてしまった。

「…同じ内容?」

1枚目と3枚目の書き出しが同じだ。
それから最後まで読み進め、思わず笑みが零れた。
途中まで書かれた文の不自然な終わり方。
あぁ、書き直したのか。きっとこれは、送るつもりのなかった手紙なのだろう。
ならば、何故一緒に送ってしまったのか。
慌てていたのだろうと理由を推測してから、ふわりと爽やかな果実の匂いを知覚した。
これは、リンゴの香りだ。
たったそれだけで、こんなお茶目な事をしてくれた犯人の名前が分かってしまった。

「ティーニー、ご飯食べましょう?」
「えぇ、今行くわ」
「…あらあら、ニュートってば見た目によらず情熱的なのね」「…クイニー、心の中で手紙の内容を盗み見ないで」
「うふふ、ごめんなさい。でもね、私もティーニーの淹れてくれるココアが好きだから、彼も同じことを思ってくれるのは嬉しいわ」
「ふふ、夕食の後に淹れてあげる」
「大好き!」

喜んで抱きつくクイニーに頬にキスをされ、お返しに白い額にキスを返す。
料理上手な妹の作った夕食を食べ、ようやく明日の準備を終えてほっと息のつける時間を迎えた。
約束通り二人分のココアを淹れて、手紙の返事を考える。

「嬉しかったってことを書けばいいんじゃない?」
「そうね、あの子にお礼も書いておかなくちゃ」



「あれ…どこにやったかな、片した記憶は無いんだけど…」

ガサガサと机をひっくり返して、お目当てのものを探す。
処分するつもりでいたはずが、手紙を出したあとからどこかへ消えてしまった。
かれこれ一週間ほど探しているが、一向に見つからない。

「……まさか?」

いやいや、そんなはずはないだろう。
送ってしまったのかもしれない、なんて。

コツコツ、と窓を叩く音を聞き取り、杖を用いて窓の鍵を外し、窓を開ける。
フクロウの声とともに空から降ってくる手紙を受け止めて、差出人を確認し、慌てて中身を確認した。
その数瞬後、あまりの迂闊さに膝から崩れ落ち、顔を覆って暫くその場から動けなかった。

『─私のココアを気に入ってくれてありがとう。次に会えた時に、必ず振る舞うわ。
それと、ドゥーガルにお礼を伝えておいてください』

「ドゥーガル!」

リンゴを頬張り、きょとんとした眼差しを向けるドゥーガルを抱き上げて、とりあえずティナからのお礼を伝えた。

「君ってやつは…手紙を入れる動作まで覚えたのかい?まったく凄いなぁ。でも、勝手に封筒に入れるのは良くないからね」

理解をしたのか判断しにくいが、こくりと頷く返答があった。
今度からはきちんと確認してから手紙を送ろう。

「…でも、君のお陰でティナと会う楽しみが増えたから、それはそれで嬉しいんだ、ありがとう」

はぁ、と長いため息を吐いて、届いた手紙を抱き締めた。
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