Fantastic Beasts

ティナがこちらの国に出張として一週間ほど訪れるということを知ったのは、二週間の調査旅行のちょうど二週目に差し掛かった時だった。
届いた手紙を握り締め、タイミングの悪さを呪った。

「…帰ったとしても、ティナは忙しくて、きっとすぐにアメリカに帰るんだろうなぁ」

今すぐ帰りたい。
しかし、動物たちの観察や保護も自分にとっては大事なことだ。
お互い誇りを持つ仕事の為に会えないのは仕方ないとしても、自分が会えない間にテセウスは彼女に会えるのだという事実が何よりも腹立たしい。

コートの胸ポケットから顔を出して心配そうに見つめるピケットを撫でて、深く深くため息を吐いた。


「やぁ、ティナ」
「お久しぶり、テセウス」
「今回のこちらでの仕事は、今夜のパーティーでこっちの闇祓い達と少しばかり顔を合わせるだけで終了だ」
「え?」
「あとの日程は、仕事で忙しい恋人同士の時間に使ってくれ」
「まさか…そう、気遣ってくださったのね」
「うちの弟の可愛らしい恋人を気遣うのも、兄としての大事な役目さ」

軽く片目を瞑り、魅惑的なウインクをしたテセウスに頭を下げて、とりあえず今夜のパーティーの支度に向かった。



「おはよう、ニュート」

昨日の遅くに帰国し、絶望を身の内に抱えた状態で泥のように眠りについたはずだった。
今、目の前にいる女性は誰だろうか。
まさかティナのはずがない。
彼女は仕事で忙しいのだから。
会いたいと願っていた故に、夢でも見ているのだろうか。
ここにいるはずがないのだから、彼女は幻影なのだろう。
ならば、きっとこれはやはり夢だ。

「……うん、ティナは仕事だからね。これは僕の願望だよ。会いたくて会いたくて…」
「ニュート!」

ぴしゃり、と空気を裂くような鋭い呼び掛けに、朦朧としていた思考が明瞭になっていく。
二人分のコップを持って立っているティナがいる。
この匂いは、彼女特製のココアだ。

「ティナ…本物?」
「だいぶお疲れみたいね、信じられないなら触って確かめてちょうだい」

ふわふわとした夢見心地な幸福感とともに、もちろん!と意気込んでベッドから体を起こしたものの、ふと冷静になった。
昨日は帰ってきてからシャワーを浴びただろうか。部屋着に着替えた記憶はない。

「…あの、ちょっと水浴びしてくる」
「お風呂の支度はしてあるから、とりあえず水浴びはやめて」
「はい」

数日ぶりの石鹸の匂いに、ヒトの世界に帰ってきたのだと実感した。
そのままもう一度寝こけそうになりながら、会いたかった彼女が来ていることを思い出して、早々に風呂を飛び出した。
着替えと一緒に置かれていたココアを飲み、身支度もそこそこに地下室に駆け降りて、動物たちと戯れていたティナを抱き締める。
細く、頼りない熱を宿した肢体。
線の細さとは裏腹に、強い焔を宿した魂。
触れあった肌を通じて、彼女の存在を確かめた。

「あぁ…ティナだ…」
「ふふ、信じてもらえたかしら」
「うん、夢みたいだよ。何でティナがここにいるの?仕事なんだろ?」
「貴方のお兄さんのおかげよ」

簡単に経緯を説明すると、幸せいっぱいに緩んでいたニュートの顔が渋い表情に変化していく。
兄の好意に感謝したい反面、してやられてきた事が多いので、素直になれないのであろう複雑な弟の気持ちが窺える。

「テセウスには…仕方ないけど、あとでお礼を言うとして…ティナ!今日は?今日は時間あるんだよね!?」
「当たり前でしょう、だから来たの!その前に食事はいかが?スキャマンダー先生」
「君の手料理?うん、お腹ペコペコだ!」

ティナが軽やかに杖を振ると、近くのテーブルに置いてあった小さなバケットがふわふわと漂い、そのまま自身の腕に収まったバケットの中には、サンドイッチが詰まっていた。
何でもお見通しの彼女と生活の場を共にしたなら、きっとこんなやり取りが増えるのだろうな、と知らずに夢想した。


「…ティナ、本当に良いのかい?」
「どうして?」
「えっと、買い物とか…街に出掛けた方が、もっとティナも楽しいかなって。あ、僕はティナがいればそれだけでハッピーなんだけどっ」
「買い物も楽しいけれど、ニュートは旅行で疲れてるでしょう?それに、貴方の大事にしてる場所に入らせてもらえるんだから、私にとってはその方が特別だわ」
「そ、そっか」

照れたようにへにゃり、と笑ったニュートを見つめ、クスクスと笑みが漏れた。
彼は、感情の変化が分かりやすくて微笑ましい。
久しぶりだから、彼の愛する魔法動物たちに会いたいと言った時も、満面の笑みで了承してくれた。
地下室にいた動物たちへの再会を済ませ、今度はトランク内に移動した所で、徐々にそわそわと不安そうな表情に変化し、先ほどの会話になったのだ。
せっかく安堵していたはずなのに、今度は先ほどとは異なる落ち着きのなさを漂わせ始め、恐る恐るといった風に視線を合わせた。

「ねぇ、ティナ…昨日のパーティーは、ドレスとか着たの?」
「えぇ、一応ね」
「あの、触られたりとか…そういう不愉快なことはされなかった?」
「あら、そんな心配いらないわ。私なんかより魅力的な女性はたくさんいるもの」
「ダメだよ!そんなこと言わないで!君はとても美しいんだから。それに、こ、…恋人なんだから、僕だってそんなことがあれば不愉快だし、とても心配するよ」

恋人だから、と二度言ったニュートに、思わず頬が熱くなる。
自分たちの関係を、改めて意識してしまった。
お互いいつまで経っても恋をしたての少年少女のような域から進めていない気がする。

「そういえば、貴方のお兄さんはダンスが上手かったわ。さすがは英国紳士ね」
「…テセウスはそういうの得意だから」
「ニュートは?」
「あんまり…ダンスとか避けてたし、そういう場面自体得意じゃないから」
「ふふ、求愛ダンスはお得意なのにね」
「そう!彼らの求愛は種や個体によって違いは大きいし、まだまだ僕も練習中なんだよ」

俯きがちだった顔を上げ、パッと瞳を輝かせて語るニュートの話を微笑ましく思いながら聞く。
彼の情熱は、愛するものだけに注がれているのだ。
体を使って表現し、懸命に説明してくれるニュートを見ていて、思わずその熱さに笑ってしまった。

「ふふふっ、ごめんなさい。貴方の動きが、あまりにも他の人だったら表現できないだろうなって思ったから」
「ううん、平気。それより、君が笑ってくれた方が嬉しいっ」

変わり者だと言われ、それを受け入れて生きてきた身としては、嘲笑ではない、楽しげな純粋な笑顔を見られるということが何よりも特別なことだった。

「ニュート、私と踊らない?」
「え、求愛ダンスを?」
「違うわ、人間の方のダンスを」
「下手だと思うよ…?」
「大丈夫よ、私だってまともに踊ったことないわ」
「雰囲気だけってことだね」
「そう」

風を浴びて揺れる真っ青な草原で、二人きりで向かい合う。
僅かな緊張感の中、とんとん、とリズミカルな足踏みを合図に、両手を重ねた。
手を伸ばして身を寄せて、片手を離してくるりと回って、再び身を寄せて、誘うように腰を振る。
ダンスと言えるほどきちんとした作法に乗っ取ってはいないが、自由気ままな動きが楽しい。
ティナの肩口までの柔らかな髪が、動きに合わせてサラサラと流れた。
くるくると回るティナは、しなやかに回っては、するりと滑らかに身を寄せる。
一方、ぎこちなくリードする自分は、時折長く伸びた草に足元を捕られながら、それでも彼女と繋ぐ手だけは離さないようにしっかりと手を握った。
風を切ってくるくると回るたびに、クスクスと楽しげな彼女の笑い声が聴こえる。それを聞いて、つられるように頬が緩む。
成人した大人が踊るには拙く、子供が戯れに真似するような無邪気さを纏った小さな舞踏会は、興味津々に集まってきた動物たちに見守られながら、しばらくの間続いた。


パンツスタイルの彼女が回るたび、ゆったりした裾がふわりと広がり、白く細い足首が覗く。
これで彼女がスカートだったなら、大きく裾が膨らんで、露わになってしまう部分が多かったのではないかと、今さら気づいた可能性に対してひやりとした。
意外と彼女は無防備で、自分の魅力に無頓着なのが悩みの種だ。

「何か考えてるでしょう」
「え、」
「足元が疎かよ」

そう言われ、再び足を捕られそうになった瞬間に合わせて、とん、と足を引っ掛けられた。そのまま尻餅をつき、悪戯っぽく笑った彼女を見上げた。

太陽を背に、ココア色の髪がキラキラと光を反射して、白いブラウスが透けてしまいそうなほど眩しい。

目映い光の中で、穏やかに微笑むティナがー

ー綺麗だ、とても。

今まで目にしてきた美しいものたちよりも。
唯一無二の光を宿した彼女の魂は。

立つのを助ける為に伸ばされた手を掴む瞬間、そのまま自分の方に引き寄せる。簡単にバランスを崩してた倒れこんだ彼女を抱き留めて、力強く抱き締めた。すぐに非難の声は上がったが、静かに抱き締められることを選んだ彼女にほっとする。
たっぷりの陽を浴びた日だまりの匂いを感じながら、そっと目を閉じた。

あぁ、ティナだ。
愛おしいと、側にいてほしいと、護りたいと願った人。
何処か投げ捨てて生きていた人生の中で、手放したくないと欲した存在。

「…好きだ」

ぽろ、と零れ落ちた言葉。
彼女と向き合っていると、色んな感情が溢れて纏まらない。
そうして溢れた感情は、大概この言葉に集約されている。

「……せめて顔を見て言ってほしいわ」
「は、え!?」
「…口に出てたわ、ニュート」

また、やってしまったのか。
いつもちゃんと目を見て言おうと思っているのに。
目を見て言えるのは、肌を重ねている時くらいだ。

彼女の細い肩を掴んで、慌てて体を離した。

熱い。
間近で炎を浴びてるように顔が熱い。

恐る恐る覗き見た彼女の顔も、仄かに赤くなっていた。
照れると視線を外すのが可愛いな、と思う。
そんなことを考えている場合では無いけれど。

「ぼ、僕は…ティナが、す、…好き」
「えぇ、ありがとう。私は充分知ってるわ、私もニュートが好き」
「言っても言っても、足りないんだけど…うん、好きだ」

『好き』は、幾度も伝えた。
想いを確認し、恋人になってから。
言葉にして伝えないと、彼女への感情が溢れてしまいそうになるから。

しばらく見つめあい、どちらからともなく唇を重ねた。
久しぶりの愛おしい感覚。
離しがたい熱が、この腕の中にある。
遠距離の逢瀬を重ね、確実に『ある感情』が大きくなっていくのを自覚していた。

「……ティナ、いつ帰る?」
「…明後日の夕方」
「…そっか」

別れが来る。
また冷え冷えとした日々を送るのか。
彼女の熱に焦がれて。
会いたい、というどうにもならない感情を抱えて。
淋しい、というこれまで縁のなかった感情を自覚して。

「……ここに、居て」
「…それは、まるでプロポーズよ」
「ティナ、好きだよ」
「私も」
「ううん、違うんだ…」
「違う…?」
「僕は、」
「貴方は…なぁに?」

どこまでも優しく微笑む彼女に、目頭が熱くなる。

ここに、居て。
僕の隣に居てほしい。
楽しいことも、嬉しいことも、悲しみも、憎しみも。
君と共有したいことがたくさんある。
君の笑顔を見ていたい。
君と生きていきたい。

あぁ。あぁ。
君のいない時間が、空間が。
酷く、酷く淋しいんだ。

「ー君を、愛してる…ポーペンティナ」

答えを知っている、という風に笑ったティナが、言葉もなく涙を流して、浮かべていた笑みを深くする。

「私も愛してるわ、ーニュートン」

涙が溢れてしまう前に、衝動に任せて深く唇を重ねた。

そのまま肌を重ねてしまいそうになったのをグッと堪え、立ち上がって土や草のついた服を叩く。
同じように服を払っているティナを見て、ハッと思い出した。

「て、ティナ!家に帰ろう!」
「どうして?」
「早く君に指輪を渡し、たっ、……ぃ…」
「え…?」

ここまできて、順番を間違えた。
彼女の人生を巻き込む一大事なのだから、きちんとしたプロポーズにしなければならないと思っていた。
マグルの大親友のジェイコブや、嫌々ながらもスマートさに定評のあるテセウスに相談しながら考えていたのに。

「…ふふっ」
「ティナ…?」

てっきり怒られるか、呆れられるかと考えていた。
口元を片手で隠して笑ったティナの反応に、思わずどう理解すればいいのか判らなかった。

「貴方ってば焦り過ぎなんだもの!いつの間に指輪を用意していたの?サイズは大丈夫かしら?」
「うん、君のことなら誰よりも知ってるから…」
「あら、そんなこと言ったらクイニーに怒られるわよ」
「あ、それは困る」

いつもと似たようなやり取りに、自分の失敗ながらも拍子抜けしてしまう。
なるほど、やはり彼女はこれまで出会ってきた人とは違うのだ。

「さ!早く帰りましょう?貴方の選んでくれた指輪、とっても楽しみだわ」

自分の仕事部屋の、色々な本やら標本やらが散らばった机。
その一番下の引き出しの、奥深く。
強固な保護魔法をかけてあるそこに、何日もかけて選んだ指輪がしまってある。

「…ティナ」
「何?」

くるり、と振り返った彼女に向けて。
ずっと考えてきた言葉を伝える。

「僕と一緒に、生きてほしい」
「えぇ、もちろん」

大股で先を歩いていた彼女の側に寄り、ゆるゆると彼女の手を引いて、そっと力をこめて握った。同じだけ力強く握り返してくれる彼女の熱に、我慢していたはずの涙が溢れた。

情けない。
大事な場面は、いつも格好よく決められない。
それでも。
泣かないで、嬉しいわ、と笑うティナの存在に。
自分はそれでいいのだと、これからも小さく縮こまらずに生きていけるのだろう。


「ティナ、今は元気?」

そのときは、不思議なことを聞くのだなぁ、と思っただけだった。
彼のテンポは独特だから、いつも通りと言えばいつも通りだ。

「そうね、少し踊っただけだし」
「今から買い出しに行かない?」
「夕飯の?」
「一緒に住むための」
「…だから!貴方は何でも急過ぎる!」
「ダメかな…?」

決断すれば即行動に移す。
それが私のよく知るニュート・スキャマンダー。
上目遣いに瞳を覗きこまれるのに弱いことも知っている上でやっているなら、尚更たちが悪い。

「もう!早く買い出しに行くわよ!」
「それが終わったら、ティナに指輪を贈るね」
「…楽しみにしてるわ」

怒ったふりをしながらも耳まで赤くした彼女を見て。
ようやく愛おしい人とともに生きていけるのだと、へにゃりと緩んでしまう頬を自覚した。
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