首の姫と首なし騎士

公務で城を出ていた主に付き従い、日も暮れた頃に漸く城に戻った。
未だ顰めっ面をして書類を睨む主にため息を吐きつつ、堅苦しい服を脱げることに安堵する。生来キッチリした服を好まない為、いつも煩わしく感じているのだ。しかし、主が望むならば致し方ない。

部屋に蝋燭の柔らかな光が満たされてきた頃、控えめに小さく扉を叩く音が響いた。主が入るように声を掛けると、僅かに開けられた扉からぴこょんと幼い少女が顔を出した。不安げに主を見つめると、少し綻ばせた顔をすぐに泣き出しそうな表情に変えた。

「お祖父様…っ」

小さく幼い手を目一杯に伸ばし、主の元に駆け寄る。俺はいつもと変わらず、二人が視界に入り、且つ身を隠せる場所に移動した。柔らかに微笑んだ主に優しく抱き上げられて膝に座った途端、堪えていたモノが溢れるように、ぽろぽろと涙を零して泣き始めた。

これが、いつもの流れだ。
この部屋に来ては主に縋って泣いて、お伽話のように小難しい本を読み聞かせると、楽しそうな嬉しそうな笑みを零す。優しい言葉を用いて沢山の事を教え、主は孫の中でも特に彼女のことを愛している。
しかし、今夜は長いらしい。どれだけ宥めても、なかなか泣き止みそうにない。困ったように眉を下げながら、それでも嬉しそうに笑みを浮かべる主を見て、今夜の惚気話は長そうだと悟った。

暫くしてようやく涙も止まり始めた頃、数人の足音と本来の私室の扉を叩く音が聞こえてきた。その音につられ、少女が僅かに身を固くした。それに気づいた主は辛そうにため息を吐いた後、膝に座る孫に数言告げて支度を整える。護衛として従おうとした時、部屋に残るようにと指示された。

「頼んだぞ、アルベルト」
「…了解」

不敵に微笑むと、王としての威厳に満ちた足取りで服を翻して部屋を出て行った。小さくため息を吐いて、取り残された少女の様子を見守る。豪奢な椅子に座り、俯きながら扉の方をじっと見つめている。また滲んだ涙を拭って、彼女は左頬を押さえた。どうしたのかと目を凝らすと、そこは微かに赤みを帯びている。
それが理由だったのか。
今夜に限ってなかなか泣き止まなかったのは、彼女の父親ー主の息子ーにまた手を上げられたのだろう。
アイツには主も頭を悩ませている。いっそのこと首を刎ねてやろうかと言っても、毎回首を横に振る。
可愛い孫娘を優先すればいいのに。情とは面倒なものだ。

一応手当でもしてやろうと手近にあった布を水差しで濡らし、そっと物陰から出る。それに気付いたのかびくりと体を跳ねさせ、こちらに顔を向けた。
聡明そうな大きな瞳とかち合い、思わずそれに魅入った。

「…だぁれ…?」
「…あんたは知らない方がいいだろう、気にするな」

舌っ足らずな言葉でじっとこちらを見つめる瞳は、何処か主と似ているように感じた。
少し屈んで頬に布を当ててやると、されるがままになり、警戒心が無いのかと俺の方が不思議に思う。

「ありがとう…ございます」
「……」
「いつも、お祖父様の側に居る人…よく、見かけるもの…」

ぽつり、ぽつりと話し始めた彼女の声を聴いていると、不意に「羨ましい」と漏らした。

「?」
「…っ」

唇を噛み締め、またぽろぽろと涙が溢れ始めたのにぎょっとし、表には出さなかったが、理由も分からずに慌てた。こんな所を主に見られたら、説教と言う名の惚気が始まるだろう。すっとその場を離れ、物陰に戻る。

声を押し殺しながら泣く少女に、主が大切にする理由が、朧気に解ったような気がした。

暫くして泣き声が止んだと思ったら、彼女は泣き疲れたのか椅子に小さくなって眠っていた。ちょうどその時主が部屋に戻り、椅子で眠る孫娘に微笑みかけてから手に握った布と赤くなった目元を見て、俺に視線を寄越した。説明を求める視線に、今夜は長いと改めて腹を括る。

「…部屋に連れてけばいいんですか」
「起こさないようにな」
「はいはい」

静かに椅子へと歩み寄り、慎重に抱き上げる。僅かに身動ぎしたものの、起きることなく腕に収まった。

コツコツと廊下を進み、彼女の部屋に入り寝台に寝せる。目尻に溜まった雫を拭って、気配を消しながらそっと立ち去った。
シンとした廊下を歩きながら、無くなった重みを思い出して腕に目を遣る。
軽くて、温かくて、か細い。
脆弱な命の象徴のようで、 知らずに手を握り締めていた。

主の部屋に戻るとすぐに孫娘の様子を訊かれ、事細かに説明させられると、仕事をこなしながら惚気話を聞かされた。

「…もうウンザリですよ、主」
「お前にはロッティの話し相手になって欲しいからな。出だしは良好だな、アルベルト」
「……気のせいじゃないですか」

満足そうに笑うその顔は、国の頂点に立つ王のものではなく、ただ孫が可愛くて堪らない祖父の顔そのものだった。


その夜、珍しく夢を見た。

主の後ろに隠れていた幼い少女が、あっという間に成長していた。哀しくてどうしようもない心を持て余して泣いていた少女は、何にも頼ることなく一人で立ち、凛々しく前を見据えた立派な女になっていた。
涙ばかりが溜まり、不安と寂しさが揺らいでいた瞳は、優しさと強さが宿り、人の心を見透かしてしまいそうな不思議な光が宿っていた。
ー惜しむならば、笑顔じゃないことか。

誰にも気づかれることなく。
少女は、女性へと静かにその羽を柔らかに広げ始めるのだ。
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