お題〈キス22題〉

部屋に仄かに香るのは、甘めなお酒の匂い。
グラスに水を注ぎ、その香りの発信源の人間に手渡した。
僅かに紅潮した顔で優しく微笑むのは、紛れもなく私の兄である。

「大丈夫?兄さん」
「ん…ありがとう、ロッティ」

若干呂律が回っていない雰囲気だが、とりあえず意識ははっきりしているようなので、ほっと息をついた。
珍しく飲み過ぎた兄さんと廊下で会い、危なっかしくて近かった私の部屋に連れて、今の状態にある。

「…どうしてそんなに飲み過ぎたの?」
「……ふふ、何でだろうねぇ」
「教えてくれないのね」

チラリと視線をずらせば、部屋の隅でアルベルトが苦虫を噛み潰したような顔でこちらを窺っている。
もう少し酔いが醒めたら、彼に連れて行ってもらおう。

「俺の可愛いロッティ」
「何?兄さん」

無言でポンポンと自分の隣を叩いて私を呼ぶ。大人しくそこに腰を下ろすと、私の肩に凭れるように体を動かした。甘めなお酒の香りが仄かに強くなり、酒気に弱いのを自覚しているため、酔いそうになるのを堪える。
酔っているのか、普段なら私の前では見せないような行動に、思わず私の方が扱いに困る。どう対処したらいいのかと戸惑ってしまう。

「…酔ってるのね、兄さん」
「そうだね、もう十分ロッティに酔ってるよ」

返答は普段のシスコンな兄の振る舞いと何ら変わらない。意外と正常なのかしら。

「ふふ、冗談だよ?半分ね。今日は夢見が悪くてね…疲れているのかな」
「いつもお疲れでしょうに」

唐突に話し始めた兄さんを不思議に思いながら、とりあえず話を聞くことにした。

「お前が夢に出てきたよ。哀しそうに、寂しそうに笑って遠くへ離れて行ってしまうんだ。自分がいると、皆に迷惑をかけるからって」

その夢は、まるで普段の私の考えをまるごと再現しているようだ。とても居心地が悪い。

「何より腹立たしかったのは、隣にセシル・エルマーが居たことだよ。なんて悪夢なんだ…!首なしならまだしも、よりによって…!」
「……、うん、もういいわ兄さん」

やはり酔っているからか、話の流れがよく分からない。吐き出して落ち着きを取り戻したのか、穏やかな顔付きになった。

「……だから、きちんと伝えるべきかと思ってね。そんなお告げみたいな夢だった」
「伝える?」

そう言って、兄さんは水を一気に飲んだ。空になったグラスを見つめたまま、ぽつりと零した。

「…伝えたいことは沢山あるんだ。でも、上手く伝えられる自信もないしね。難しいなぁ」
「…沢山貰ってるわ、私。皆からもう十分過ぎるほど貰ってるもの」
「だからね、これだけはきちんと伝えておこうと思って」

酔いなど吹き飛んだかのような真剣な表情で私を真っ直ぐ見つめ、誰をも魅力する甘く蕩けた優しい笑みを浮かべて、強く優しく抱き締めてくれた。優しく頼りになる王子でありながら、他者に厳しく疑い深い彼にこうしてもらえるのは、彼の弟妹に生まれた者の特権だ。

「お前は独りじゃないよ。家族なんだから頼っていいんだ。もしもロッティが居なくなってしまったら、俺は生きる意味が無くなってしまう。きっと首なし騎士も同じさ」
「そんな…大袈裟よ」
「本当は、寂しがり屋で真っ直ぐでとても可愛い俺の自慢の妹だ、ロッティ」
「…可愛くないわ」
「照れ屋で、すぐに皮肉を言う所も全部ひっくるめて可愛い」

そう言われてしまえば、それ以上何も言わずにただ温もりに体を預けることにした。
片手が頬を撫で、鼻の頭にそっと口付けられる。労るような愛情の籠められた口づけが照れくさくて、顔に熱が集まる。

「…どうして飲み過ぎたの」
「お前に会うのを一瞬でも避けたいと思った自分が居たからかな。兄としてみっともないだろう?」

けろりとしと様子で朗らかに笑って言われたので、私は呆れたように兄さんを見つめ返した。
もう一度グラスに水を注ぎ、それを飲み干した。

「よし、じゃあもう遅いから戻るよ。ありがとう、ロッティ」
「どういたしまして」
「自力で戻れるから大丈夫だよ」

アルベルトに送り届けに行ってもらおうとしていたのを見破られてしまったらしい。その代わりに扉まで見送ることにし、帰り際にアルベルトを構うことも忘れない兄は流石としか言えない。

「兄妹の仲が良いのに嫉妬するんじゃないぞ、首なし」
「誰がするか」
「眉間に皺が寄ってる、お前も少しは笑いなさい。クローヴィスみたくなるぞ」
「……」
「じゃあ、おやすみ二人とも」
「おやすみなさい、兄さん」

パタンと閉じられた扉を見つめた。
微かに視界が滲むのを堪えて、寝台に飛び込んだ。

「…いきなりそんなこと言うのは狡いわ。私だって、伝えたいことは沢山あるのよ。兄さんばっかり狡いわ…」

触れられた箇所が熱い。
あまりに幸せで、こんな私を愛してくれる人が居るのが心底嬉しい。

「…今度は、きっと私が伝えるわ」

ひっそりと心に決め、溢れる幸せをしっかりと抱き締めた。
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