お題〈キス22題〉

信仰はない。
とうの昔に神は否定した。神はいないと、身を以て知ったから。

彼女が祖国で神に祈っているのを見ると、どうしようもなくその重ねられた手をほどき、神はいないと言いたくなる。
救ってはくれないのだ。
祈りを聞き届けてもくれない。問いに答えることもない。誰かを守ることも、生き返らせることもできず、ただ変えようのない抗えない現実だけを突きつける。
まるで支配者だ。
夢を見させて、夢見た分だけ傷付ける。
それならいっそ、神などいらない。

「マリナ」
「せ、刹那…?」

夜の帳の下りたテラスでひっそりと祈っていた彼女の手を握り締める。突然の訪問と今の状況を呑み込めずに、驚いた顔をしてマリナは固まった。

「あぁ、俺だ」
「良かった…貴方なのね」

ほっと息を吐くと、強張った身体から力が抜ける。その拍子に傾いだ体を抱き留めると、一瞬、痛みを堪えるような表情を浮かべた。不審に思って、覗き込むように瞳を合わせる。

「どうした?怪我をしているのか」
「…たいしたことはないのよ。視察中に段差に躓いて、軽く捻ってしまったみたいで」
「手当は?」
「それほど痛みもなかったから、大丈夫かと思って何も…」

マリナを軽々と抱き上げて、そっと彼女の寝台に下ろした。困ったような視線を向けてくるマリナが、気恥ずかしそうに視線を逸らす。一瞬触れることを躊躇したが、足の状態を確認するために手を伸ばした。赤みはあるが、腫れはない。安堵から息を吐いた。

「一応処置はしておく」
「そんな…大丈夫よ、これくらい自分で…」

処置に必要なものはすぐに見つかり、そのまま黙って手当をした。見れば、彼女は少し頬を赤くしながら苦笑を浮かべている。

「ありがとう、刹那」
「いや」

足首の包帯に触れると、ちょうど彼女の前に跪いたままの俺の髪を撫で、そっと顔を覗き込んできた。彼女の労わるような手つきが、心配からか少し昂ぶってていた心を静めていく

「…なにか、あった?」
「いや、何もない」
「そう」

暫く無言の時間が流れる。マリナはずっと俺の髪を撫でていた。月光に照らされた白い足を見つめたまま、おもむろにその足を掬ってみた。

「きゃ…っ!?」

驚きで小さな声を上げたマリナが、柔らかな寝間着の裾を押さえた。目の前に近づいた華奢な白い足をじっと見つめる。恥ずかしそうに足を引っ込めようとするのを阻み、自然と惹かれるようにその足先に口付けた。それに合わせてピクン、と小さく彼女の体が跳ねた。顔を赤く染めた彼女と、至近距離で視線が絡まる。何も言わずにふわりと微笑んだ彼女を見て、何かがストンとハマった。

そうだ、彼女を守ればいい。
神は世界を見放すが、マリナはすべてを救おうとする。俺の願いを受け止めてくれる。世界を、柔らかなものに変えてくれる。

「…マリナ、俺はあんたを護る」
「…?」
「この先、ずっと」
「…ありがとう、刹那。でも、貴方に死んでほしくないわ。私なんかの為に、命を賭けないで」

それは聞けない。決めたことを違えることは許されない。けれど、そんな表情をさせたいわけじゃない。

「…死ななかったら、笑ってくれるか?」
「え?…」
「あんたには、そんな顔をしてほしくない」
「…分かったわ。きっと笑うわ。その時には、貴方も笑ってくれるかしら」
「努力する」

ふ、と自然と口元が緩んだ。薄く柔らかに微笑む彼女を、しっかりと脳裏に焼き付ける。

神はいなかった。その代わり、俺に希望を与えてくれる彼女を見つけた。
慈愛の化身を護ろう。

「貴方に、神のご加護がありますように」
「…あんたの祈りがあればいい」

もう祈りの邪魔はしないから。神などより、貴女の想いがあればいい。きっと、ずっと強く俺を救ってくれる。

「…刹那、貴方に幸せを」
「幸せは、あんたにあった方がいい」

やはり困ったように笑う彼女に顔を寄せた。鼻先が触れ、頬が触れる。互いの髪がくすぐったい。
彼女の熱は酷く温かで、優しく胸を満たした。
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