夏の向こう側
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いつも、そばにいた。
私より背が小さくて、ちょっぴり虚弱で、でも生意気な弟。
体格のよい複数の男の子相手に彼がケンカをしている時は、大体私が助っ人に入った。
彼が体を鍛えるためにと入れられた空手教室に、私も一緒に通っていたから、かなわない相手はなかった。
男の子達が悔しそうに走り去った後、いつもニカッと笑って
「瑠璃、やったなっ」
と、私の背中をたたいた弟……魁童。
いつだって、そばにいたはずなのに……
「おい、瑠璃!なにボケッとしてんだよ」
「え……あ~!私の唐揚げとったでしょ!?」
「ボーッとしてたから、もういらないのかと思ったんだよ」
もう食っちまったもんね~と、ご飯のお代わりを母に頼んでいる魁童。
昔は小さくて、何となく『私が守ってあげなきゃ』って思ってたのに……
今では、身長はほぼ同じ。
すっかり丈夫に男らしくなった彼に、来年の今頃には多分、私が見下ろされているんだろうな……。
「小さい頃はかわいかった魁童が、今じゃちっともかわいくないって思ってたの!ごちそうさま」
私は、食器を片付けながら席を立った。
「瑠璃、悪いけど、急ぎの回覧板お隣に置いてきて。ついでに、これも持ってって」
母から手渡された手提げには、夏の香りいっぱいのトマト。
田舎のおじいちゃんが毎年、丹精して作ったトマトをたくさん送ってくれるのだ。
せっかくだから、新鮮なうちにお隣さんにおすそわけ、母はそう言いながら、回覧板も私の手に押し付けた。
「……わかったよ……行ってくる」
私は、サンダルをつっかけて隣家のチャイムを押した。
対応してくれたドアホンの声は女の人だったが、開いたドアから顔を出したのは無月だった。
無月が出てくるなら、ちゃんと身なりを整えて来ればよかったな……
無造作なポニーテールと完全部屋着の自分を後悔しながら、持ってきた荷物を彼の前に差し出した。
「これ、回覧板急ぎだって。あと、おじいちゃんがトマト送ってくれたから……」
「瑠璃ちゃん!」
無月の後ろから、布巾で手を拭きながら彼のお母さんが近づいてきた。
「わざわざありがとうね。ねえ、無月、瑠璃ちゃんに上がってってもらったら?」
「……いや、しかし……」
「あ……私はもう……」
失礼しますと言い終わらないうちに、無月母が話し出す。
「今日は雲雀の誕生日でね、"full moon" のケーキ、今から食べるんだけど……瑠璃ちゃん、一緒にいかが?」
「わ!"full moon" ですか?」
半年ほど前に、近所にできたケーキ屋さん。
美味しいだけにお値段高めで、うちのお母さんはめったに買ってきてくれないから、憧れのお店なんだよね……
「うわ~すごく魅力的……って、その前に雲雀ちゃんに『おめでとう』ですね」
「うちの家族だけじゃ食べきれないから、ぜひ食べてって。瑠璃ちゃんの分も紅茶いれるわね」
にっこり笑って廊下を戻ってゆく無月のお母さんを見送り、私は、了承を求めるように無月を見た。
「やれやれ、勝手に決めてしまうとは、母にも困ったものだな。瑠璃の都合は、大丈夫なのか?」
「こんな格好で恥ずかしいんだけど……無月がいいって言ってくれるなら、ありがたくご馳走になります♪」
「いいに決まっている。瑠璃がいると、空気が華やぐからな。雲雀も喜ぶ」
「あ……じゃあ、お邪魔しま~す」
照れてしまうような台詞を、無月はあまりにも普通にサラッと言う。
自覚ないんだろうな……
そんなことを思いながら、私はサンダルを脱いだ。
「かーいどう?」
魁童の部屋をノックをしたが、返事がない。
お風呂かな……
いいや、ちょっとお邪魔しちゃえ……
昨日発売のマンガ雑誌を、確か今日、魁童が買ってきたはず。
部屋の中をぐるりと見渡すと、ベッドの上に、お目当てのマンガが放置されているのを見つけた。
ベッドにボスン!と飛び乗り、マンガを持って退散しようと思ったが、ついついそのまま読み始めてしまう。
程なくドアが開く音がして、マンガに没頭している私の隣に、お風呂上がりの魁童が腰掛けた。
「おまえ……さっき外で、無月と何しゃべってたんだ?」
「ん……?ああ……無月と一緒に街の納涼祭に行くって、約束してきた」
マンガに目を落としたまま答える私に、魁童が呆れた声を出す。
「おまえな、受験生が、ちんたらデートなんかしてんじゃねえよ」
「な……デートじゃないしっ!それに、受験生だって息抜きは必要なんだよっ」
音をたててマンガを閉じると、私は顔を上げた。
無月の家でケーキをご馳走になった帰り、ほんの数メートルなのに、わざわざ彼が送ってくれた。
その別れ際、夏休みに入ってすぐの納涼祭に一緒に行かないかと誘われたのだ。
同じクラスでも、学校ではなかなか言いづらいから、瑠璃が来てくれてちょうど良かった、って。
玄関先でほんのちょっと話していただけなのに、魁童ってば、見てたんだ……
あ、そういえば……
ふと、心の隅をチクチクと刺していた事柄を思い出す。
「あのさ……言うの忘れてたんだけど……」
私は、おずおずと切り出した。
「魁童の学年の……中学同じだった、アキちゃんからね……魁童は、誰かとお祭り行く予定あるのかって聞かれた」
「はあ!?んで、なんて答えたんだ?」
「毎年、私と二人で行くから、今年もそうかなあって言ったの。そしたら……」
ちょっぴりためらって一旦言葉を切ったが、途中で止めるわけにもいかない。
「この年で、姉弟でお祭り行くのは、おかしいって……だから、魁童が嫌だったら、もう私のことは構わなくていいから。私も今年は無月と行くし、魁童はアキちゃんを誘ってあげて」
魁童は、天井を仰いで、大きなため息をもらした。
「そういうことか……あいつ最近、やたらうちの教室に来て、なんか言いたそうにこっちをチラチラ見てたから、すげえ気になってたんだ」
そういうことは、すぐ伝えろよな、と頭を小突かれ、私は言い訳した。
「だ、だって……いやだったんだもん。私が橋渡しになって、魁童が他の誰かとお祭り行くなんて……」
「バーカ!俺が、おまえ以外の女と行く訳ないだろ?」
「バカとは何よ……」
「だからっ!おまえも、俺以外の男と出かけたりすんなよ」
「……それは……無月と出かけるのもダメってことかな」
「当たり前だ!」
「でも、だけど、約束しちゃった……あ、そうだ!
魁童も一緒に行こうよ」
「バカか!おまえは!?」
私は、頬を膨らめて魁童をにらんだ。
「バカバカ言わないでよね。もっと姉を敬いなさいよ」
魁童は可笑しそうに私の頬を指でつついた。
「そんなフグみたいな膨れっ面してると、かわいい顔が台無しだぞ」
「もう……また、そうやってバカにする」
「はぁ!?今のどこが、バカにしたことになるんだよ!?」
「フグとか言った」
まったく……『かわいい』なんて言葉を、無意識に使わないでほしい。
変にうろたえそうになる自分を悟られないように、拗ねた態度でごまかした。
一瞬の沈黙のあと、私の手からマンガを取り上げて後ろに置くと、魁童はまっすぐに私を見た。
「本当のところ……おまえは、無月と祭りに行きたいのか?」
「そりゃ……せっかく誘ってもらったんだし……」
「ぜってえ行きたいのか、どっちでもいいのか、はっきりしろよ」
魁童の有無を言わせぬ言い方に、少しムッとして言い返す。
「あのね……私が誰とどこに行こうと、魁童には関係ないでしょ?」
「関係なくねえ!おまえがどうしても無月と行くんなら、俺は今年は行かねえ」
「なに勝手なこと言って……」
「俺が出かける時は、瑠璃と二人がいいんだよ……気が楽だし」
魁童の言葉に跳ねそうになった心臓は、最後につけ足されたひと言で、何とか平静を保った。
「……わかった……納涼祭をどうするかは、またちゃんと考えるね。さーて……眠たくなっちゃったな。あ、これ借りてくね、おやすみ」
私は、魁童の後ろにあるマンガ雑誌をつかむと、振り返らずに彼の部屋を後にした。
自分の部屋に戻ると、そのままベッドに倒れ込む。
ごろんと寝ころび、魁童の返事も聞かずに持ち去って来たマンガ雑誌をめくる。
けれど、行ったり来たりページを繰るばかりで、内容がちっとも頭に入って来ない。
何度も同じところに目だけを走らせながら、頭に浮かぶのは魁童とのさっきの会話ばかり。
『俺以外の男と出かけるな』だなんて――
普通、焼きもちやきの彼氏の台詞でしょ?
まったく、魁童ってば……
深夜を過ぎてもなかなか寝つけず、何度も寝返りをうつ。
ちょっとばかりうとうとしたかと思うと、蒸し暑さも手伝ってすぐに目が覚めてしまう、寝苦しい夜だった。
*
すがすがしい朝……のはずが、私は何だか疲れきっていた。
それでなくても蒸し暑く寝苦しかった昨夜、魁童のことばかりが頭に浮かんで、ぐっすり眠れなかったのだ。
――魁童のバカ!
寝る前に、あんな変なこと言うから……
何とか午前の授業をやり過ごし、ようやく昼休み。
午後最初の授業は、あろうことか体育……しかも、水泳。
昼休み終了まではまだ時間があるが、教室から離れたプールまで移動しなければならないため、余裕を持って席を立つ。
ここさえ乗りきれば……
でも、キツイなあ……
見学しようかなあ……
そんなことを考えつつ、水着やタオルの入ったバッグを抱え、ふらふらしながら炎天下の昇降口を出る。
急に強い日差しを受け、軽いめまいを覚えた。
気が遠くなっていく。
倒れないように座りこむのが精一杯だった。
周りに聞こえる声や足音は、どこか別世界で響いているかのようだ。
と、グラリと揺れる感覚に包まれ、誰かが私を抱き上げる。
朦朧とする意識の中、ボンヤリと私の目に映ったのは
「……無月?」
「瑠璃、今保健室に連れていく。無理に喋らなくていい」
保健室のドアが開く音、無月と養護教諭のおばさん先生のやり取りを耳にしながら、私はベッドに横たえられた。
無月が保健室から出ていき、先生が私の顔を覗き込む。
「顔色が悪いから、とりあえず一時間様子見ようか。今から、職員室行くついでに、担任の先生には伝えておくから」
「はい……すみません……」
なんとか声を絞り出した私に、先生が続ける。
「弟くんもさっきから隣のベッドで休んでるんだけど……姉弟そろって、夜更かしでもした?」
「え……!?」
「こんな気候の時に無理は禁物よ。身体をこわしたら、元も子もないからね」
優しく笑って、先生は職員室に向かって出ていった。
魁童も具合悪いのかな……
気になりつつも、身体を動かすのはつらい。
深呼吸してギュッと目をつぶると、人の動く気配に続いて、ベッドを囲むカーテンを引く音が聞こえた。
「瑠璃」
薄目を開けると、カーテンに半ば隠れるように、魁童が立っていた。
「おまえ、大丈夫か?」
「ん……ただの立ちくらみ。魁童こそ、大丈夫なの?」
「ああ」
魁童は、カーテンを後ろに押しやり、私の枕元に歩み寄った。
「よく寝たら、だいぶすっきりしたぞ。……あー!!昼飯食い損ねちまった」
「ふふ……」
魁童は、熱を確認するかのように、私の額に手を当てる。
伝わってくるぬくもりが心地よく、思わず目を閉じてしまう。
「先生が戻ってきたら、俺は教室に行くけど、おまえは無理すんなよ」
魁童が私の額に当てた手を離した時、ドアの開く音が聞こえた。
「んじゃ……」
カーテンの向こう側に歩いてゆき、先生と短く言葉を交わしてから、魁童は教室に戻って行った。
私は結局、放課後になるまで、そのまま寝入ってしまった。
目覚めた後、やけに熱を帯びて額に残る魁童の手の感触が、私を戸惑わせた。
*
私より背が小さくて、ちょっぴり虚弱で、でも生意気な弟。
体格のよい複数の男の子相手に彼がケンカをしている時は、大体私が助っ人に入った。
彼が体を鍛えるためにと入れられた空手教室に、私も一緒に通っていたから、かなわない相手はなかった。
男の子達が悔しそうに走り去った後、いつもニカッと笑って
「瑠璃、やったなっ」
と、私の背中をたたいた弟……魁童。
いつだって、そばにいたはずなのに……
「おい、瑠璃!なにボケッとしてんだよ」
「え……あ~!私の唐揚げとったでしょ!?」
「ボーッとしてたから、もういらないのかと思ったんだよ」
もう食っちまったもんね~と、ご飯のお代わりを母に頼んでいる魁童。
昔は小さくて、何となく『私が守ってあげなきゃ』って思ってたのに……
今では、身長はほぼ同じ。
すっかり丈夫に男らしくなった彼に、来年の今頃には多分、私が見下ろされているんだろうな……。
「小さい頃はかわいかった魁童が、今じゃちっともかわいくないって思ってたの!ごちそうさま」
私は、食器を片付けながら席を立った。
「瑠璃、悪いけど、急ぎの回覧板お隣に置いてきて。ついでに、これも持ってって」
母から手渡された手提げには、夏の香りいっぱいのトマト。
田舎のおじいちゃんが毎年、丹精して作ったトマトをたくさん送ってくれるのだ。
せっかくだから、新鮮なうちにお隣さんにおすそわけ、母はそう言いながら、回覧板も私の手に押し付けた。
「……わかったよ……行ってくる」
私は、サンダルをつっかけて隣家のチャイムを押した。
対応してくれたドアホンの声は女の人だったが、開いたドアから顔を出したのは無月だった。
無月が出てくるなら、ちゃんと身なりを整えて来ればよかったな……
無造作なポニーテールと完全部屋着の自分を後悔しながら、持ってきた荷物を彼の前に差し出した。
「これ、回覧板急ぎだって。あと、おじいちゃんがトマト送ってくれたから……」
「瑠璃ちゃん!」
無月の後ろから、布巾で手を拭きながら彼のお母さんが近づいてきた。
「わざわざありがとうね。ねえ、無月、瑠璃ちゃんに上がってってもらったら?」
「……いや、しかし……」
「あ……私はもう……」
失礼しますと言い終わらないうちに、無月母が話し出す。
「今日は雲雀の誕生日でね、"full moon" のケーキ、今から食べるんだけど……瑠璃ちゃん、一緒にいかが?」
「わ!"full moon" ですか?」
半年ほど前に、近所にできたケーキ屋さん。
美味しいだけにお値段高めで、うちのお母さんはめったに買ってきてくれないから、憧れのお店なんだよね……
「うわ~すごく魅力的……って、その前に雲雀ちゃんに『おめでとう』ですね」
「うちの家族だけじゃ食べきれないから、ぜひ食べてって。瑠璃ちゃんの分も紅茶いれるわね」
にっこり笑って廊下を戻ってゆく無月のお母さんを見送り、私は、了承を求めるように無月を見た。
「やれやれ、勝手に決めてしまうとは、母にも困ったものだな。瑠璃の都合は、大丈夫なのか?」
「こんな格好で恥ずかしいんだけど……無月がいいって言ってくれるなら、ありがたくご馳走になります♪」
「いいに決まっている。瑠璃がいると、空気が華やぐからな。雲雀も喜ぶ」
「あ……じゃあ、お邪魔しま~す」
照れてしまうような台詞を、無月はあまりにも普通にサラッと言う。
自覚ないんだろうな……
そんなことを思いながら、私はサンダルを脱いだ。
「かーいどう?」
魁童の部屋をノックをしたが、返事がない。
お風呂かな……
いいや、ちょっとお邪魔しちゃえ……
昨日発売のマンガ雑誌を、確か今日、魁童が買ってきたはず。
部屋の中をぐるりと見渡すと、ベッドの上に、お目当てのマンガが放置されているのを見つけた。
ベッドにボスン!と飛び乗り、マンガを持って退散しようと思ったが、ついついそのまま読み始めてしまう。
程なくドアが開く音がして、マンガに没頭している私の隣に、お風呂上がりの魁童が腰掛けた。
「おまえ……さっき外で、無月と何しゃべってたんだ?」
「ん……?ああ……無月と一緒に街の納涼祭に行くって、約束してきた」
マンガに目を落としたまま答える私に、魁童が呆れた声を出す。
「おまえな、受験生が、ちんたらデートなんかしてんじゃねえよ」
「な……デートじゃないしっ!それに、受験生だって息抜きは必要なんだよっ」
音をたててマンガを閉じると、私は顔を上げた。
無月の家でケーキをご馳走になった帰り、ほんの数メートルなのに、わざわざ彼が送ってくれた。
その別れ際、夏休みに入ってすぐの納涼祭に一緒に行かないかと誘われたのだ。
同じクラスでも、学校ではなかなか言いづらいから、瑠璃が来てくれてちょうど良かった、って。
玄関先でほんのちょっと話していただけなのに、魁童ってば、見てたんだ……
あ、そういえば……
ふと、心の隅をチクチクと刺していた事柄を思い出す。
「あのさ……言うの忘れてたんだけど……」
私は、おずおずと切り出した。
「魁童の学年の……中学同じだった、アキちゃんからね……魁童は、誰かとお祭り行く予定あるのかって聞かれた」
「はあ!?んで、なんて答えたんだ?」
「毎年、私と二人で行くから、今年もそうかなあって言ったの。そしたら……」
ちょっぴりためらって一旦言葉を切ったが、途中で止めるわけにもいかない。
「この年で、姉弟でお祭り行くのは、おかしいって……だから、魁童が嫌だったら、もう私のことは構わなくていいから。私も今年は無月と行くし、魁童はアキちゃんを誘ってあげて」
魁童は、天井を仰いで、大きなため息をもらした。
「そういうことか……あいつ最近、やたらうちの教室に来て、なんか言いたそうにこっちをチラチラ見てたから、すげえ気になってたんだ」
そういうことは、すぐ伝えろよな、と頭を小突かれ、私は言い訳した。
「だ、だって……いやだったんだもん。私が橋渡しになって、魁童が他の誰かとお祭り行くなんて……」
「バーカ!俺が、おまえ以外の女と行く訳ないだろ?」
「バカとは何よ……」
「だからっ!おまえも、俺以外の男と出かけたりすんなよ」
「……それは……無月と出かけるのもダメってことかな」
「当たり前だ!」
「でも、だけど、約束しちゃった……あ、そうだ!
魁童も一緒に行こうよ」
「バカか!おまえは!?」
私は、頬を膨らめて魁童をにらんだ。
「バカバカ言わないでよね。もっと姉を敬いなさいよ」
魁童は可笑しそうに私の頬を指でつついた。
「そんなフグみたいな膨れっ面してると、かわいい顔が台無しだぞ」
「もう……また、そうやってバカにする」
「はぁ!?今のどこが、バカにしたことになるんだよ!?」
「フグとか言った」
まったく……『かわいい』なんて言葉を、無意識に使わないでほしい。
変にうろたえそうになる自分を悟られないように、拗ねた態度でごまかした。
一瞬の沈黙のあと、私の手からマンガを取り上げて後ろに置くと、魁童はまっすぐに私を見た。
「本当のところ……おまえは、無月と祭りに行きたいのか?」
「そりゃ……せっかく誘ってもらったんだし……」
「ぜってえ行きたいのか、どっちでもいいのか、はっきりしろよ」
魁童の有無を言わせぬ言い方に、少しムッとして言い返す。
「あのね……私が誰とどこに行こうと、魁童には関係ないでしょ?」
「関係なくねえ!おまえがどうしても無月と行くんなら、俺は今年は行かねえ」
「なに勝手なこと言って……」
「俺が出かける時は、瑠璃と二人がいいんだよ……気が楽だし」
魁童の言葉に跳ねそうになった心臓は、最後につけ足されたひと言で、何とか平静を保った。
「……わかった……納涼祭をどうするかは、またちゃんと考えるね。さーて……眠たくなっちゃったな。あ、これ借りてくね、おやすみ」
私は、魁童の後ろにあるマンガ雑誌をつかむと、振り返らずに彼の部屋を後にした。
自分の部屋に戻ると、そのままベッドに倒れ込む。
ごろんと寝ころび、魁童の返事も聞かずに持ち去って来たマンガ雑誌をめくる。
けれど、行ったり来たりページを繰るばかりで、内容がちっとも頭に入って来ない。
何度も同じところに目だけを走らせながら、頭に浮かぶのは魁童とのさっきの会話ばかり。
『俺以外の男と出かけるな』だなんて――
普通、焼きもちやきの彼氏の台詞でしょ?
まったく、魁童ってば……
深夜を過ぎてもなかなか寝つけず、何度も寝返りをうつ。
ちょっとばかりうとうとしたかと思うと、蒸し暑さも手伝ってすぐに目が覚めてしまう、寝苦しい夜だった。
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すがすがしい朝……のはずが、私は何だか疲れきっていた。
それでなくても蒸し暑く寝苦しかった昨夜、魁童のことばかりが頭に浮かんで、ぐっすり眠れなかったのだ。
――魁童のバカ!
寝る前に、あんな変なこと言うから……
何とか午前の授業をやり過ごし、ようやく昼休み。
午後最初の授業は、あろうことか体育……しかも、水泳。
昼休み終了まではまだ時間があるが、教室から離れたプールまで移動しなければならないため、余裕を持って席を立つ。
ここさえ乗りきれば……
でも、キツイなあ……
見学しようかなあ……
そんなことを考えつつ、水着やタオルの入ったバッグを抱え、ふらふらしながら炎天下の昇降口を出る。
急に強い日差しを受け、軽いめまいを覚えた。
気が遠くなっていく。
倒れないように座りこむのが精一杯だった。
周りに聞こえる声や足音は、どこか別世界で響いているかのようだ。
と、グラリと揺れる感覚に包まれ、誰かが私を抱き上げる。
朦朧とする意識の中、ボンヤリと私の目に映ったのは
「……無月?」
「瑠璃、今保健室に連れていく。無理に喋らなくていい」
保健室のドアが開く音、無月と養護教諭のおばさん先生のやり取りを耳にしながら、私はベッドに横たえられた。
無月が保健室から出ていき、先生が私の顔を覗き込む。
「顔色が悪いから、とりあえず一時間様子見ようか。今から、職員室行くついでに、担任の先生には伝えておくから」
「はい……すみません……」
なんとか声を絞り出した私に、先生が続ける。
「弟くんもさっきから隣のベッドで休んでるんだけど……姉弟そろって、夜更かしでもした?」
「え……!?」
「こんな気候の時に無理は禁物よ。身体をこわしたら、元も子もないからね」
優しく笑って、先生は職員室に向かって出ていった。
魁童も具合悪いのかな……
気になりつつも、身体を動かすのはつらい。
深呼吸してギュッと目をつぶると、人の動く気配に続いて、ベッドを囲むカーテンを引く音が聞こえた。
「瑠璃」
薄目を開けると、カーテンに半ば隠れるように、魁童が立っていた。
「おまえ、大丈夫か?」
「ん……ただの立ちくらみ。魁童こそ、大丈夫なの?」
「ああ」
魁童は、カーテンを後ろに押しやり、私の枕元に歩み寄った。
「よく寝たら、だいぶすっきりしたぞ。……あー!!昼飯食い損ねちまった」
「ふふ……」
魁童は、熱を確認するかのように、私の額に手を当てる。
伝わってくるぬくもりが心地よく、思わず目を閉じてしまう。
「先生が戻ってきたら、俺は教室に行くけど、おまえは無理すんなよ」
魁童が私の額に当てた手を離した時、ドアの開く音が聞こえた。
「んじゃ……」
カーテンの向こう側に歩いてゆき、先生と短く言葉を交わしてから、魁童は教室に戻って行った。
私は結局、放課後になるまで、そのまま寝入ってしまった。
目覚めた後、やけに熱を帯びて額に残る魁童の手の感触が、私を戸惑わせた。
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