はじまりは眠りの森で
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
【夢現】
夜が更けてゆく。
「この分なら、今夜も無事乗り切れるか……」
つぶやきながら竜尊が星空を見上げたその時、鳥のような黒い影が、宙を横切った。
「!!!」
妙な違和感と胸騒ぎを感じ、立ち上がった竜尊は、耳をすませて全身の感覚を研ぎ澄ます。
やがて何かの気配を察知し、彼は瑠璃の部屋へと急いだ。
「瑠璃!!大丈夫か……うわっ!?」
ふすまに手をかけた途端、パーーン!という音と同時に、その手をはじかれた。
一瞬浮かべた驚きの表情は、すぐに険しさへと変わる。
「一体何が……」
再びふすまに手を伸ばしかけた竜尊だったが、視界の隅に何かをとらえた。
暗がりでじっと目をこらすと、それは、何重にも貼り重ねられた札だった。
「くっ……鬼除けの護符か……こんな時に!」
久遠が貼ったのに違いない護符に歯噛みしながら、竜尊は瞬時に考えをめぐらせる。
これだけ厳重に固められた護符を、自分がひとつひとつ破っていったのでは、あまりにも時間がかかりすぎる。
「おいっ!子狐!」
久遠が休んでいると思われる部屋のふすまをバンバンと叩き、竜尊は声を張り上げた。
「子狐、起きろ!!今すぐ瑠璃の部屋を開けるんだ!!」
薄暗い森の中、瑠璃は一人歩いていた。
向かう場所が、わかっている訳ではない。
だが、迷いなく何かを目指して前に進んでいた。
やがて、草が生い茂り荒れ果てた様子の神社が見えてきた。
『なんだか、怖いな……』
そんな心の内とは無関係に、彼女の足は、引き寄せられるかのように社の中に入っていく。
「これは夢なんだから、大丈夫だよね……」
本殿の脇に、簡素な社務所の建物が、ひっそりとたたずんでいる。
その木戸に手をかけた途端、開けた視界が炎の色に染まった。
「!!!」
思わず声をあげそうになり、瑠璃は、すんでのところでそれをのみこんだ。
いつの間にか、彼女のいる空間は、神殿の奥に変わっている。
祀られた鏡の前に立ち、正面に顔を向けると、流れるような黒髪をひとつに束ねた巫女が、静かに座っている後ろ姿が目に入った。
『もしかして……!!』
不用意に声を出さないよう、自分の手で口を押さえながら、瑠璃の気持ちはざわめいた。
『もしかしたら、あれは深影のお母さんなんじゃ……ってことは、深影もどこかに?』
物陰に身を隠し、息をひそめて移動しながら、神殿の中に深影の姿を探す。
と、乱暴に扉を開け放つ音が響き、目の前の空気が再び赤く燃え上がった。
床板を踏み抜かんばかりの足音とともに現れたのは、背が高く、がっしりとした体格の男だった。
男の頭には二本の角が、指先には鋭い爪が生えている。
『!……この人、鬼だ!』
男の周りには、火の手が上がっている。
目をこらして見た、その男――いや、鬼が、誰かに似ているような気がして、瑠璃は懸命に記憶の糸をたどった。
『誰だろう、確かにどこかで……』
鬼は、神殿の中ほどにまで踏み込む。
巫女は微動だにしない。
二人を見つめながら、ひたすら頭を働かせているうち、突然ある人物の顔が浮かんだ。
「……あ!!」
身をかがめた姿勢から、思わず体を起こした瑠璃。
同時に、巫女が音もなく立ち上がった。
*
『なぜ、鬼になど……』
鈴の音のような声が、瑠璃の意識に流れ込んできた。巫女が心の内で発した言葉に違いなかった。
実際の二人は、無言のままで対峙している。
声は続く。
『あなたは忘れてしまったのかもしれない。けれども、私は……』
巫女の心は、泣いていた。
その時、社務所に通じる古ぼけた木戸が開き、六~七才に見える、紫色の髪の少年が姿を現した。
「母さん!」
深影に違いないその少年は、鬼に向けて攻撃の構えをとった。そんな我が子を、巫女が制した。
「深影、だめ」
「どうしてっ!?」
母は息子に、精一杯の笑顔を向けた。
その横顔を見守ることしか出来ない瑠璃に、胸がはり裂かれそうな切なさの感覚が流れ込んでくる。その想いを受け止めながら、彼女は涙をこぼした。
仁王立ちしていた鬼が、深影を眺めて舌なめずりをする。
「飛んで火に入る夏の虫だな、小僧。これで、この女の負の気が、さらに強まる」
不気味な笑いを浮かべながら、鬼が木戸に向けて足を踏み出した。
再び、瑠璃の頭の中に鈴のような声が響く。
『巫女の誇りにかけて、私が決着をつけねばなるまい。深影………許して』
心の声はそこで途切れ、巫女は術を放つべく印を結んだ。
「せめて我が手で……三千世界閃」
「だめーーーーっ!!」
思わず叫び声を上げ、駆け寄ろうとした瑠璃だったが、見えない壁に阻まれはじき返された。
「女の分際で生意気な」
巫女が術を放ち、鬼の胸元に走り寄るのと同時に、鋭い爪が彼女めがけて振り下ろされた。
「母さん!!!」
飛び散る血飛沫の中、かつて愛した男の胸に倒れ込みながら、彼女は深影に向かって微笑んだ。
至近距離から彼女の術を受け、鬼は苦痛に顔を歪ませよろめいた。
「よくも母さんを……!」
木戸の前に立ち尽くしたまま、少年は、ひとすじ流れた涙をぬぐうと、歯をくいしばった。
「くらえ、西行八重桜!!」
「深影、やめて!あなたのお父さんなんだよっ」
瑠璃の声は、届かない。
深影の術が、鬼と最愛の母を包み込む。
やがて、鬼の姿は砂が崩れるように消滅し、巫女の亡骸だけが残された。
「なんで……」
座り込み涙を流す瑠璃の背後から、深影の声が聞こえた。
「見ただろう。あれが……力を持っていながら、人間どもに支配された者の末路だ」
「そんな言い方……!」
怒りを込めて振り返ると、辺りは真っ暗な闇へと景色を変えていた。
「人間は……自分の役に立つと思えば、俺たちのように力のある者に媚びへつらう。神のように崇めたりもする」
言いながら深影は、かがんで瑠璃の手をとると、彼女を立ち上がらせた。
「だが……意にそぐわないことが起こった途端、手のひらを返すのさ。今度は、まるで化け物扱いだ。そんな連中のために、せっかくの力を使うなど……」
*
その頃、現実の世界では、竜尊と久遠が瑠璃を起こそうと懸命になっていた。
「瑠璃、起きろ!!」
「目を覚ますのじゃ!!瑠璃!!」
いくら呼んでもゆすっても、彼女が目覚める様子はない。
「仕方ねぇ……こいつの夢に入るぞ」
瑠璃の枕元で、目を閉じ意識を集中する竜尊。
だが、やがて苦悶の表情を浮かべながら目を開いた。
「だめだ……結界なのか何なのか、よくわからんが……はじき出されちまう」
「なんじゃと!?おぬしほど夢の術を得意とする者が、入れないじゃと?」
「ああ……。深影のやろう、相当な力を持ってやがる」
悔しそうにこぶしで畳を殴り付ける竜尊。
久遠が、泣き出しそうなか細い声でつぶやく。
「瑠璃は、どうなってしまうんじゃ?わしらは、ここで手をこまねいていることしか出来んのか?」
竜尊は、小さく息を吐いた。
「瑠璃が自力で戻ってくるのを、信じて待つことしか出来ん……」
彼は、眠り続ける瑠璃の額に、そっと手をあてた。
「頼む……瑠璃、戻ってこい」
真っ暗な夢の中。
深影と瑠璃、二人の姿だけが浮かび上がる。
「せっかくの力も、使い方ひとつで、わが身を破滅させる。だが、俺は、そうはならない……そのために、過去を清算するのだ」
「だからって、どうして関係ない人たちまで……」
「あの村はあってはならない……忌まわしい過去は、村の存在もろとも消す必要がある」
つかんでいた瑠璃の手をひっぱり、深影は彼女を抱き寄せた。
「おまえも、俺と一緒に来い」
「えっ……」
思いがけない言葉に、瑠璃は戸惑い、返事につまった。
「おまえは母に似ている」
「お母さんに…………」
「おまえならきっと、わが母以上の巫女になれる。それだけの力があれば、人間どもの顔色などうかがわず、堂々と生きていけるんだ」
不思議と、手に触れられ抱き寄せられても、嫌悪感に襲われることはなかった。
『きっと、夢の中だからだね』
ぼんやりと、そう考えながら瑠璃は、辺りに寂しく悲しげな感情の空気が漂っていることに気付いた。
彼女は、深影の肩をそっと押して体を離すと、顔をあげた。
「力の使い方を間違っているのは、あなたの方だよ」
「なんだと?」
「深影、あなたは本当は、あんなことをしたいんじゃない。消してしまっても、新たな悲しみを生むだけ……」
探るような視線を送る深影にかまわず、瑠璃は続ける。
「あなたは本当は……救われたいんだよ!暗闇から伸ばした手を、誰かにとってほしくて……誰かに心から微笑んでほしくって……でも、それが屈折しちゃってる……そんな風に思えるよ……」
にらみ合うように視線を合わせた二人を、沈黙が包む。
やがて、深影が力なく首を振った。
「救われたい、か……。確かに、そうかもしれないな」
目を伏せ、小さく笑った深影の両腕を、瑠璃がつかむ。
「深影!お願い……これ以上、みんなを巻き込まないで!」
深影は、瑠璃の手を振り払って一歩下がると、彼女に背を向けた。
「もう……手遅れだ。俺の前に残された道は、人間と鬼への復讐、ただそれだけだ」
「深影!」
無言のまま立ち尽くす二人。
しばしの後、よどんでいた闇の気配に、一瞬、涼しげな風が吹いた。
「ほら、迎えが来たんじゃないのか?」
「え?」
深影の背中越しの言葉に、辺りを見回し耳をすませる瑠璃。
「……竜尊!」
竜尊の声が、微かに、だが確かに聞こえた。
「竜尊……?俺が結界をめぐらせた夢に干渉するとは、たいした力の持ち主だな」
深影は、何かを吹っ切るかのように息をついた。
「瑠璃……今度会うときは、敵同士だ。俺は、もう後戻り出来ない。俺の生きる道は、修羅の道なんだ」
振り返らずにそう言うと、深影の姿は闇に溶けていった。
「……竜尊……」
「瑠璃っ!!」
ゆっくり目を開いた瑠璃は、自分のいる場所を認識する間もなく、抱き起こされ強い力に抱き締められた。
「瑠璃…よかった……もし、おまえがこのまま連れ去られていたら、俺は……」
竜尊の温もりに、瑠璃はしがみつくように顔をうずめた。
「竜尊……迎えに来てくれて、ありがとう……」
「たとえ地の果てだろうが、あの世だろうが……俺は必ず、おまえの元に駆け付けるさ」
しっかりと抱き合う二人の側で、久遠がうなずきながら涙をぬぐっていた。
*
翌日の昼過ぎ、ようやく月讀が帰宅した。
彼の持ち帰った情報と、瑠璃が夢で遭遇した出来事とは、奇妙なまでに一致していた。
「そうですか、私の留守に、そんなことが……。それにしても、瑠璃さん、よくぞ持ちこたえてくれました」
「竜尊のおかげです」
「いや、あれは、おまえ自身が……」
体ごと向き直った竜尊に、瑠璃が微笑んだ。
「竜尊が私を呼んでくれなかったら、私はまだ、眠っていたかもしれないんだよ。……夢にとらわれたままにね」
「瑠璃……」
「誰も入れないと思ってた夢の中に、竜尊の声が届いたから……だから深影は、すんなり引き上げたんだもの」
「瑠璃……あたっ」
「こりゃっ!どさくさにまぎれて、瑠璃に引っ付くでないっ!!」
瑠璃の肩に伸ばされた竜尊の手を、久遠のハリセンがはたいた。
「おい、子狐。夕べ、あんなに泣きそうな顔してたわりには、わかってねぇみたいだな」
「なんのことじゃ?」
「おまえが、鬼除けの札なんぞ貼るから、ややこしいことになったんだろ?」
「う……確かに、それは…………じゃが……」
反論したげな久遠に構わず、竜尊はしっかりと瑠璃の肩を抱き、自分の方へと引き寄せた。
「こうやって触れられるのも、同じ現し世にあってこそだ。いつ何時、この身を失うことになるか、わからんからな」
「縁起でもないこと言わないでっ」
腕にギュッとしがみついて、真剣な瞳で見上げる瑠璃に微笑みを返しながら、竜尊は、反対の手で彼女の頭を優しく撫でた。
「おまえが悲しんでくれるのなら……鬼であるとはいえ、俺の魂も救われるってもんだ」
「竜尊……」
「おぬし……そのようなことを考えておったのか」
心なしか、久遠の耳と尻尾がショボンと垂れているように見える。
「千年も生きていればな、いろんなことがあるのさ」
しんみりしてしまった三人を、月讀が見渡す。
「……まあ……瑠璃さんの部屋に護符を、と言った私にも責任はありますからね。とにかく、瑠璃さんが無事で、何よりでした」
続いて月讀の口から語られた言葉に、皆の間には、一気に緊張が走った。
「崩月山付近の鬼たちが、深影の村の神社に集結しつつあります」
「なんだって!?」「なんじゃと!」
竜尊と久遠が、そろって身を乗り出す。
「今までにない規模です。深影は、この町を襲うつもりなのでしょう」
「……三日後」
瑠璃が、ポツリとつぶやいた。
「三日の後です。深影が鬼にこの町を襲わせるのは」
「やつの声が聞こえたのか?」
竜尊に両肩をつかまれた瑠璃が、頷いて顔をあげると、天井から舞い落ちてくるものがあった。
すかさず立ち上がった久遠が、それを手にとる。
「黒い羽根じゃ」
三日後。
町を一望できる小高い丘に、三人の鬼と瑠璃、月讀の姿があった。
*
夜が更けてゆく。
「この分なら、今夜も無事乗り切れるか……」
つぶやきながら竜尊が星空を見上げたその時、鳥のような黒い影が、宙を横切った。
「!!!」
妙な違和感と胸騒ぎを感じ、立ち上がった竜尊は、耳をすませて全身の感覚を研ぎ澄ます。
やがて何かの気配を察知し、彼は瑠璃の部屋へと急いだ。
「瑠璃!!大丈夫か……うわっ!?」
ふすまに手をかけた途端、パーーン!という音と同時に、その手をはじかれた。
一瞬浮かべた驚きの表情は、すぐに険しさへと変わる。
「一体何が……」
再びふすまに手を伸ばしかけた竜尊だったが、視界の隅に何かをとらえた。
暗がりでじっと目をこらすと、それは、何重にも貼り重ねられた札だった。
「くっ……鬼除けの護符か……こんな時に!」
久遠が貼ったのに違いない護符に歯噛みしながら、竜尊は瞬時に考えをめぐらせる。
これだけ厳重に固められた護符を、自分がひとつひとつ破っていったのでは、あまりにも時間がかかりすぎる。
「おいっ!子狐!」
久遠が休んでいると思われる部屋のふすまをバンバンと叩き、竜尊は声を張り上げた。
「子狐、起きろ!!今すぐ瑠璃の部屋を開けるんだ!!」
薄暗い森の中、瑠璃は一人歩いていた。
向かう場所が、わかっている訳ではない。
だが、迷いなく何かを目指して前に進んでいた。
やがて、草が生い茂り荒れ果てた様子の神社が見えてきた。
『なんだか、怖いな……』
そんな心の内とは無関係に、彼女の足は、引き寄せられるかのように社の中に入っていく。
「これは夢なんだから、大丈夫だよね……」
本殿の脇に、簡素な社務所の建物が、ひっそりとたたずんでいる。
その木戸に手をかけた途端、開けた視界が炎の色に染まった。
「!!!」
思わず声をあげそうになり、瑠璃は、すんでのところでそれをのみこんだ。
いつの間にか、彼女のいる空間は、神殿の奥に変わっている。
祀られた鏡の前に立ち、正面に顔を向けると、流れるような黒髪をひとつに束ねた巫女が、静かに座っている後ろ姿が目に入った。
『もしかして……!!』
不用意に声を出さないよう、自分の手で口を押さえながら、瑠璃の気持ちはざわめいた。
『もしかしたら、あれは深影のお母さんなんじゃ……ってことは、深影もどこかに?』
物陰に身を隠し、息をひそめて移動しながら、神殿の中に深影の姿を探す。
と、乱暴に扉を開け放つ音が響き、目の前の空気が再び赤く燃え上がった。
床板を踏み抜かんばかりの足音とともに現れたのは、背が高く、がっしりとした体格の男だった。
男の頭には二本の角が、指先には鋭い爪が生えている。
『!……この人、鬼だ!』
男の周りには、火の手が上がっている。
目をこらして見た、その男――いや、鬼が、誰かに似ているような気がして、瑠璃は懸命に記憶の糸をたどった。
『誰だろう、確かにどこかで……』
鬼は、神殿の中ほどにまで踏み込む。
巫女は微動だにしない。
二人を見つめながら、ひたすら頭を働かせているうち、突然ある人物の顔が浮かんだ。
「……あ!!」
身をかがめた姿勢から、思わず体を起こした瑠璃。
同時に、巫女が音もなく立ち上がった。
*
『なぜ、鬼になど……』
鈴の音のような声が、瑠璃の意識に流れ込んできた。巫女が心の内で発した言葉に違いなかった。
実際の二人は、無言のままで対峙している。
声は続く。
『あなたは忘れてしまったのかもしれない。けれども、私は……』
巫女の心は、泣いていた。
その時、社務所に通じる古ぼけた木戸が開き、六~七才に見える、紫色の髪の少年が姿を現した。
「母さん!」
深影に違いないその少年は、鬼に向けて攻撃の構えをとった。そんな我が子を、巫女が制した。
「深影、だめ」
「どうしてっ!?」
母は息子に、精一杯の笑顔を向けた。
その横顔を見守ることしか出来ない瑠璃に、胸がはり裂かれそうな切なさの感覚が流れ込んでくる。その想いを受け止めながら、彼女は涙をこぼした。
仁王立ちしていた鬼が、深影を眺めて舌なめずりをする。
「飛んで火に入る夏の虫だな、小僧。これで、この女の負の気が、さらに強まる」
不気味な笑いを浮かべながら、鬼が木戸に向けて足を踏み出した。
再び、瑠璃の頭の中に鈴のような声が響く。
『巫女の誇りにかけて、私が決着をつけねばなるまい。深影………許して』
心の声はそこで途切れ、巫女は術を放つべく印を結んだ。
「せめて我が手で……三千世界閃」
「だめーーーーっ!!」
思わず叫び声を上げ、駆け寄ろうとした瑠璃だったが、見えない壁に阻まれはじき返された。
「女の分際で生意気な」
巫女が術を放ち、鬼の胸元に走り寄るのと同時に、鋭い爪が彼女めがけて振り下ろされた。
「母さん!!!」
飛び散る血飛沫の中、かつて愛した男の胸に倒れ込みながら、彼女は深影に向かって微笑んだ。
至近距離から彼女の術を受け、鬼は苦痛に顔を歪ませよろめいた。
「よくも母さんを……!」
木戸の前に立ち尽くしたまま、少年は、ひとすじ流れた涙をぬぐうと、歯をくいしばった。
「くらえ、西行八重桜!!」
「深影、やめて!あなたのお父さんなんだよっ」
瑠璃の声は、届かない。
深影の術が、鬼と最愛の母を包み込む。
やがて、鬼の姿は砂が崩れるように消滅し、巫女の亡骸だけが残された。
「なんで……」
座り込み涙を流す瑠璃の背後から、深影の声が聞こえた。
「見ただろう。あれが……力を持っていながら、人間どもに支配された者の末路だ」
「そんな言い方……!」
怒りを込めて振り返ると、辺りは真っ暗な闇へと景色を変えていた。
「人間は……自分の役に立つと思えば、俺たちのように力のある者に媚びへつらう。神のように崇めたりもする」
言いながら深影は、かがんで瑠璃の手をとると、彼女を立ち上がらせた。
「だが……意にそぐわないことが起こった途端、手のひらを返すのさ。今度は、まるで化け物扱いだ。そんな連中のために、せっかくの力を使うなど……」
*
その頃、現実の世界では、竜尊と久遠が瑠璃を起こそうと懸命になっていた。
「瑠璃、起きろ!!」
「目を覚ますのじゃ!!瑠璃!!」
いくら呼んでもゆすっても、彼女が目覚める様子はない。
「仕方ねぇ……こいつの夢に入るぞ」
瑠璃の枕元で、目を閉じ意識を集中する竜尊。
だが、やがて苦悶の表情を浮かべながら目を開いた。
「だめだ……結界なのか何なのか、よくわからんが……はじき出されちまう」
「なんじゃと!?おぬしほど夢の術を得意とする者が、入れないじゃと?」
「ああ……。深影のやろう、相当な力を持ってやがる」
悔しそうにこぶしで畳を殴り付ける竜尊。
久遠が、泣き出しそうなか細い声でつぶやく。
「瑠璃は、どうなってしまうんじゃ?わしらは、ここで手をこまねいていることしか出来んのか?」
竜尊は、小さく息を吐いた。
「瑠璃が自力で戻ってくるのを、信じて待つことしか出来ん……」
彼は、眠り続ける瑠璃の額に、そっと手をあてた。
「頼む……瑠璃、戻ってこい」
真っ暗な夢の中。
深影と瑠璃、二人の姿だけが浮かび上がる。
「せっかくの力も、使い方ひとつで、わが身を破滅させる。だが、俺は、そうはならない……そのために、過去を清算するのだ」
「だからって、どうして関係ない人たちまで……」
「あの村はあってはならない……忌まわしい過去は、村の存在もろとも消す必要がある」
つかんでいた瑠璃の手をひっぱり、深影は彼女を抱き寄せた。
「おまえも、俺と一緒に来い」
「えっ……」
思いがけない言葉に、瑠璃は戸惑い、返事につまった。
「おまえは母に似ている」
「お母さんに…………」
「おまえならきっと、わが母以上の巫女になれる。それだけの力があれば、人間どもの顔色などうかがわず、堂々と生きていけるんだ」
不思議と、手に触れられ抱き寄せられても、嫌悪感に襲われることはなかった。
『きっと、夢の中だからだね』
ぼんやりと、そう考えながら瑠璃は、辺りに寂しく悲しげな感情の空気が漂っていることに気付いた。
彼女は、深影の肩をそっと押して体を離すと、顔をあげた。
「力の使い方を間違っているのは、あなたの方だよ」
「なんだと?」
「深影、あなたは本当は、あんなことをしたいんじゃない。消してしまっても、新たな悲しみを生むだけ……」
探るような視線を送る深影にかまわず、瑠璃は続ける。
「あなたは本当は……救われたいんだよ!暗闇から伸ばした手を、誰かにとってほしくて……誰かに心から微笑んでほしくって……でも、それが屈折しちゃってる……そんな風に思えるよ……」
にらみ合うように視線を合わせた二人を、沈黙が包む。
やがて、深影が力なく首を振った。
「救われたい、か……。確かに、そうかもしれないな」
目を伏せ、小さく笑った深影の両腕を、瑠璃がつかむ。
「深影!お願い……これ以上、みんなを巻き込まないで!」
深影は、瑠璃の手を振り払って一歩下がると、彼女に背を向けた。
「もう……手遅れだ。俺の前に残された道は、人間と鬼への復讐、ただそれだけだ」
「深影!」
無言のまま立ち尽くす二人。
しばしの後、よどんでいた闇の気配に、一瞬、涼しげな風が吹いた。
「ほら、迎えが来たんじゃないのか?」
「え?」
深影の背中越しの言葉に、辺りを見回し耳をすませる瑠璃。
「……竜尊!」
竜尊の声が、微かに、だが確かに聞こえた。
「竜尊……?俺が結界をめぐらせた夢に干渉するとは、たいした力の持ち主だな」
深影は、何かを吹っ切るかのように息をついた。
「瑠璃……今度会うときは、敵同士だ。俺は、もう後戻り出来ない。俺の生きる道は、修羅の道なんだ」
振り返らずにそう言うと、深影の姿は闇に溶けていった。
「……竜尊……」
「瑠璃っ!!」
ゆっくり目を開いた瑠璃は、自分のいる場所を認識する間もなく、抱き起こされ強い力に抱き締められた。
「瑠璃…よかった……もし、おまえがこのまま連れ去られていたら、俺は……」
竜尊の温もりに、瑠璃はしがみつくように顔をうずめた。
「竜尊……迎えに来てくれて、ありがとう……」
「たとえ地の果てだろうが、あの世だろうが……俺は必ず、おまえの元に駆け付けるさ」
しっかりと抱き合う二人の側で、久遠がうなずきながら涙をぬぐっていた。
*
翌日の昼過ぎ、ようやく月讀が帰宅した。
彼の持ち帰った情報と、瑠璃が夢で遭遇した出来事とは、奇妙なまでに一致していた。
「そうですか、私の留守に、そんなことが……。それにしても、瑠璃さん、よくぞ持ちこたえてくれました」
「竜尊のおかげです」
「いや、あれは、おまえ自身が……」
体ごと向き直った竜尊に、瑠璃が微笑んだ。
「竜尊が私を呼んでくれなかったら、私はまだ、眠っていたかもしれないんだよ。……夢にとらわれたままにね」
「瑠璃……」
「誰も入れないと思ってた夢の中に、竜尊の声が届いたから……だから深影は、すんなり引き上げたんだもの」
「瑠璃……あたっ」
「こりゃっ!どさくさにまぎれて、瑠璃に引っ付くでないっ!!」
瑠璃の肩に伸ばされた竜尊の手を、久遠のハリセンがはたいた。
「おい、子狐。夕べ、あんなに泣きそうな顔してたわりには、わかってねぇみたいだな」
「なんのことじゃ?」
「おまえが、鬼除けの札なんぞ貼るから、ややこしいことになったんだろ?」
「う……確かに、それは…………じゃが……」
反論したげな久遠に構わず、竜尊はしっかりと瑠璃の肩を抱き、自分の方へと引き寄せた。
「こうやって触れられるのも、同じ現し世にあってこそだ。いつ何時、この身を失うことになるか、わからんからな」
「縁起でもないこと言わないでっ」
腕にギュッとしがみついて、真剣な瞳で見上げる瑠璃に微笑みを返しながら、竜尊は、反対の手で彼女の頭を優しく撫でた。
「おまえが悲しんでくれるのなら……鬼であるとはいえ、俺の魂も救われるってもんだ」
「竜尊……」
「おぬし……そのようなことを考えておったのか」
心なしか、久遠の耳と尻尾がショボンと垂れているように見える。
「千年も生きていればな、いろんなことがあるのさ」
しんみりしてしまった三人を、月讀が見渡す。
「……まあ……瑠璃さんの部屋に護符を、と言った私にも責任はありますからね。とにかく、瑠璃さんが無事で、何よりでした」
続いて月讀の口から語られた言葉に、皆の間には、一気に緊張が走った。
「崩月山付近の鬼たちが、深影の村の神社に集結しつつあります」
「なんだって!?」「なんじゃと!」
竜尊と久遠が、そろって身を乗り出す。
「今までにない規模です。深影は、この町を襲うつもりなのでしょう」
「……三日後」
瑠璃が、ポツリとつぶやいた。
「三日の後です。深影が鬼にこの町を襲わせるのは」
「やつの声が聞こえたのか?」
竜尊に両肩をつかまれた瑠璃が、頷いて顔をあげると、天井から舞い落ちてくるものがあった。
すかさず立ち上がった久遠が、それを手にとる。
「黒い羽根じゃ」
三日後。
町を一望できる小高い丘に、三人の鬼と瑠璃、月讀の姿があった。
*