決意
「瑠璃、加減はどうだ?」
久遠に促されて、無月が瑠璃の枕元に座る。
ここ二日ばかり、体調を崩して臥せっていた彼女を心配し、訪ねて来たのだ。
「無月……来てくれたの?」
ゆっくりと体を起こし、瑠璃は弱々しく笑った。
「急に寒くなって、体がびっくりしちゃったみたい」
それからね……と、声のトーンを落として続けた。
「常盤國と、私のいた世界をつなぐ通路が、閉じられてしまうって噂をきいて……びっくりしたのと悲しいのとで訳がわからなくなって……起き上がれなくなっちゃったの」
「ああ。その話は、我も耳にした」
二人の間に、重苦しい空気が流れる。
「二つの世界の間の扉が、二度と開かなくなっちゃうなんて……そんなの、やだ」
瑠璃は、目をしばたたいた。
「気持ちはわかるが……まずは、体を治すことが先決だ」
無月は、瑠璃の前に小ぶりの茶碗を差し出した。
「葛の根を粉にして、湯で溶いたものだ。滋養があるぞ」
瑠璃は、無月の手の中の茶碗に目をやる。
熱々の葛湯から、湯気が立ち上っている。
「無月」
「なんだ」
「ふうふうってして食べさせてほしいな」
一瞬動きが止まった無月だったが、すぐにクスリと笑って返した。
「そなたがそのようなことを言うのは、珍しいな」
「だめかな……」
恥ずかしそうに顔を下に向ける瑠璃。
「いや、そうやって甘えてもらえるのは、我としては嬉しい」
無月は葛湯をひと匙すくうと、ふうっと息を吹きかけて冷ましてから、彼女の口元へ運んだ。
「おいしい……」
「それはよかった。食べて体力をつけなければ、気力も回復せぬからな」
「ん……確かに私、ちょっと弱気になっちゃってる」
無月が差し出したふた匙目を食べ終えると、瑠璃は大きく息をついて背筋を伸ばした。
「ここに残るか、元の世界に帰るか……私、決めなくちゃいけないんだ」
常盤國と異界との行き来が不可能となるならば、どちらか一方の世界で、自分の一生を終える覚悟を決めなければならない。
そしてそれは、もう一方の世界への想いを、永久に自分の中から消さねばならないことをも意味する。
しばしの沈黙のあと、無月は茶碗を畳に置くと、瑠璃の頭をそっとなでた。
「そなたは、そなたの心の命ずるままに、自分の選んだ道を行けばよい」
彼の言葉に、瑠璃はキッと顔を上げた。
「無月は、それでいいの?私達、二度と会えなくなってもいいの!?」
「いいわけはない!だが……」
無月は悲しそうに目を伏せた。
「我等は、流れに身をゆだねるよりほかあるまい」
瑠璃の目から、ポロポロと涙がこぼれた。
「無月のこと……それから、みんなのこと……忘れるなんて無理だよ」
無月は、瑠璃に膝を近づけると、彼女をそっと抱きしめた。
「無月……私っ……」
瑠璃の声は程なく嗚咽に変わる。
無月は何も言えずに、ただ彼女の背中を優しくなでる。
抑えていたものが一気にあふれたように、瑠璃は無月の胸に顔をうずめて泣きじゃくった。
一週間後。
「もう体の具合はよいのか?」
「うん。心配かけちゃって、ごめんね」
瑠璃は、まっすぐに無月の前まで歩み寄る。
「向こうの世界に行って、家族に会ってきたの」
「そうか……」
「家族と、あんなにじっくり話をしたのは、久しぶりだった」
瑠璃は、悲しげな微笑みを浮かべたあと、覚悟を決めたように口元を引き締めた。
「私ね…………決めたの。この世界で、無月と一緒に生きていきたい!」
「瑠璃……」
「たとえ、連絡がとれない地球の裏側にいるんだとしても、幸せに暮らしてるってわかっていれば、それでいいって……」
瞳を潤ませた瑠璃は、一旦口をつぐんだ。
こみ上げてくる涙に妨げられながらも、懸命に次の言葉を探す。
「いつかは旅立つ日が来る……子供はいつか必ず、親の元から離れて、新しい家庭を築くものだから……『愛する人と出会えたなら、一緒に幸せになりなさい』そう言ってくれたの」
堪えきれずに、涙をこぼす瑠璃。
「案ずるな、いつでも、我がそなたの傍にいる。決して、寂しい思いなどせぬように」
それに、と無月は続ける。
「希望を捨てるのは、まだ早い」
「希望……?」
「ああ。たとえ通路が閉ざされたとしても、二つの世界をつなぐ方法が、絶対にないとは言い切れぬはずだ。今はまだ、確かにつながっているのだから」
「うん……」
「諦めるのは簡単なことだ。だが、強く願い続ければ、必ず道は開ける」
いつになく強い口調で言い切ると、無月は柔らかく微笑んだ。
「そう我に教えてくれたのは、瑠璃……そなたではなかったか?」
「あ……」
瑠璃は、目を見開いて無月を見つめる。
無月は、優しく頷いて彼女の眼差しに応える。
「そう……そうだよね。ありがとう、無月。自分のことになったら、全然周りが見えなくなっちゃってた……」
「そなたが我を救ってくれた。今度は、我がそなたを支える番だ」
「……ありがとう」
瑠璃の瞳から、涙がこぼれ落ちる。
それを指でぬぐいながら、無月が言う。
「一度、我もそなたの世界に出向かねばなるまい」
「え?」
「手塩にかけて育てた瑠璃が、我の元に嫁いでくれるのだからな、きちんと挨拶せねば」
「と、嫁ぐ!?」
「そうなるであろう?人生を共にするのだから」
頬を紅潮させて頷く瑠璃を、無月がそっと抱き寄せた。
「善は急げ、という。今から、二人で異界に行こう」
「……うん!」
世界は終末に向かっているのかもしれない。
けれど、希望だけは持ち続けていたい……。
諦めや絶望からは、何も生まれないから――――
*
久遠に促されて、無月が瑠璃の枕元に座る。
ここ二日ばかり、体調を崩して臥せっていた彼女を心配し、訪ねて来たのだ。
「無月……来てくれたの?」
ゆっくりと体を起こし、瑠璃は弱々しく笑った。
「急に寒くなって、体がびっくりしちゃったみたい」
それからね……と、声のトーンを落として続けた。
「常盤國と、私のいた世界をつなぐ通路が、閉じられてしまうって噂をきいて……びっくりしたのと悲しいのとで訳がわからなくなって……起き上がれなくなっちゃったの」
「ああ。その話は、我も耳にした」
二人の間に、重苦しい空気が流れる。
「二つの世界の間の扉が、二度と開かなくなっちゃうなんて……そんなの、やだ」
瑠璃は、目をしばたたいた。
「気持ちはわかるが……まずは、体を治すことが先決だ」
無月は、瑠璃の前に小ぶりの茶碗を差し出した。
「葛の根を粉にして、湯で溶いたものだ。滋養があるぞ」
瑠璃は、無月の手の中の茶碗に目をやる。
熱々の葛湯から、湯気が立ち上っている。
「無月」
「なんだ」
「ふうふうってして食べさせてほしいな」
一瞬動きが止まった無月だったが、すぐにクスリと笑って返した。
「そなたがそのようなことを言うのは、珍しいな」
「だめかな……」
恥ずかしそうに顔を下に向ける瑠璃。
「いや、そうやって甘えてもらえるのは、我としては嬉しい」
無月は葛湯をひと匙すくうと、ふうっと息を吹きかけて冷ましてから、彼女の口元へ運んだ。
「おいしい……」
「それはよかった。食べて体力をつけなければ、気力も回復せぬからな」
「ん……確かに私、ちょっと弱気になっちゃってる」
無月が差し出したふた匙目を食べ終えると、瑠璃は大きく息をついて背筋を伸ばした。
「ここに残るか、元の世界に帰るか……私、決めなくちゃいけないんだ」
常盤國と異界との行き来が不可能となるならば、どちらか一方の世界で、自分の一生を終える覚悟を決めなければならない。
そしてそれは、もう一方の世界への想いを、永久に自分の中から消さねばならないことをも意味する。
しばしの沈黙のあと、無月は茶碗を畳に置くと、瑠璃の頭をそっとなでた。
「そなたは、そなたの心の命ずるままに、自分の選んだ道を行けばよい」
彼の言葉に、瑠璃はキッと顔を上げた。
「無月は、それでいいの?私達、二度と会えなくなってもいいの!?」
「いいわけはない!だが……」
無月は悲しそうに目を伏せた。
「我等は、流れに身をゆだねるよりほかあるまい」
瑠璃の目から、ポロポロと涙がこぼれた。
「無月のこと……それから、みんなのこと……忘れるなんて無理だよ」
無月は、瑠璃に膝を近づけると、彼女をそっと抱きしめた。
「無月……私っ……」
瑠璃の声は程なく嗚咽に変わる。
無月は何も言えずに、ただ彼女の背中を優しくなでる。
抑えていたものが一気にあふれたように、瑠璃は無月の胸に顔をうずめて泣きじゃくった。
一週間後。
「もう体の具合はよいのか?」
「うん。心配かけちゃって、ごめんね」
瑠璃は、まっすぐに無月の前まで歩み寄る。
「向こうの世界に行って、家族に会ってきたの」
「そうか……」
「家族と、あんなにじっくり話をしたのは、久しぶりだった」
瑠璃は、悲しげな微笑みを浮かべたあと、覚悟を決めたように口元を引き締めた。
「私ね…………決めたの。この世界で、無月と一緒に生きていきたい!」
「瑠璃……」
「たとえ、連絡がとれない地球の裏側にいるんだとしても、幸せに暮らしてるってわかっていれば、それでいいって……」
瞳を潤ませた瑠璃は、一旦口をつぐんだ。
こみ上げてくる涙に妨げられながらも、懸命に次の言葉を探す。
「いつかは旅立つ日が来る……子供はいつか必ず、親の元から離れて、新しい家庭を築くものだから……『愛する人と出会えたなら、一緒に幸せになりなさい』そう言ってくれたの」
堪えきれずに、涙をこぼす瑠璃。
「案ずるな、いつでも、我がそなたの傍にいる。決して、寂しい思いなどせぬように」
それに、と無月は続ける。
「希望を捨てるのは、まだ早い」
「希望……?」
「ああ。たとえ通路が閉ざされたとしても、二つの世界をつなぐ方法が、絶対にないとは言い切れぬはずだ。今はまだ、確かにつながっているのだから」
「うん……」
「諦めるのは簡単なことだ。だが、強く願い続ければ、必ず道は開ける」
いつになく強い口調で言い切ると、無月は柔らかく微笑んだ。
「そう我に教えてくれたのは、瑠璃……そなたではなかったか?」
「あ……」
瑠璃は、目を見開いて無月を見つめる。
無月は、優しく頷いて彼女の眼差しに応える。
「そう……そうだよね。ありがとう、無月。自分のことになったら、全然周りが見えなくなっちゃってた……」
「そなたが我を救ってくれた。今度は、我がそなたを支える番だ」
「……ありがとう」
瑠璃の瞳から、涙がこぼれ落ちる。
それを指でぬぐいながら、無月が言う。
「一度、我もそなたの世界に出向かねばなるまい」
「え?」
「手塩にかけて育てた瑠璃が、我の元に嫁いでくれるのだからな、きちんと挨拶せねば」
「と、嫁ぐ!?」
「そうなるであろう?人生を共にするのだから」
頬を紅潮させて頷く瑠璃を、無月がそっと抱き寄せた。
「善は急げ、という。今から、二人で異界に行こう」
「……うん!」
世界は終末に向かっているのかもしれない。
けれど、希望だけは持ち続けていたい……。
諦めや絶望からは、何も生まれないから――――
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