斎藤さん、お酌します


『斎藤さん、お酌しますよ』


 


ふと目を上げれば、さっきまで平助君と差しつ差されつだった斎藤さんが、一人手酌で飲んでいる。

同じ店舗の副店長である斎藤さんに、寂しいお酒を飲ませる訳にはいきますまい。

……まあ、それは、周囲に穿った見方をされないための、自分自身の言い訳なのだけど……



実は、私は彼に、いわゆる恋愛感情というものを抱いている。

けれど、ご本人に想いを伝える気など、さらさらない。


だって、断られた時のことを考えたら、それはあまりにもリスクが大きい。

顔を合わせるのが気まずくなってしまったり、会話するにも、変に意識して気を回しちゃってギクシャクしたり。

それじゃ、本末転倒なんだもん。


今の心地よい仕事環境を守り維持するために、私は、片想いを貫くつもりなんだ。




「斎藤さん、お注ぎしますよ」

「ああ……頼む」


斎藤さんの隣に陣どると、彼の捧げ持つグラスを、ビールで満たす。


それをテーブルに置くと、斎藤さんは私の手からビール瓶を奪い取った。

「千鶴、あんたもいける口だろう」


…………
………………ん?

『千鶴』って、言ったよね。

いつもは『雪村』って、名字で呼ばれるのに。


彼の口から発せられた自分の名前が、あまりにも自然で、いつもそう呼ばれているかのような錯覚に陥る。



とにもかくにも、慌てて自分の席からグラスを持ってきて、斎藤さんの前に差し出す。



「では、改めて乾杯しよう」

「はい」


斎藤さんが、満足そうな笑みを浮かべた。

……なんだか、くすぐったい気持ち。



「斎藤さん、けっこう酔ってますか?」

「せっかくのこういう機会だからな。多少、酒が進みすぎたのかもしれん」



いつも無口で、あまり感情を顔に出さない彼が、傍目にも明らかなほどに上機嫌だ。



そういえば……

『近々、駅コンコース内の店舗の店長さんが本部に入る関係で、誰かが新しく店長に昇格する。それは多分、斎藤さんだろう』

そんな噂を耳にしたばかりだ。


やはり、あの噂は本当なのだろうか…



「どうした?気分でも悪いのか?」

「いえ、大丈夫です!」


ちょっぴり顔を曇らせた斎藤さんに、私は無理やり笑顔を作った。


「そうか、ならよいのだが……」


何か言いたそうな斎藤さんは、しばし考え込む様子をみせてから、ゆっくり口を開いた。


「このような場で相談すべきことではないのかもしれぬが……」

ポツリとそう言って、再び黙ってしまう。



相談?
……気になる……


「あのっ……どんな内容かだけでも、聞かせて頂けませんか?私では力不足かもしれませんが…」
(だって、気になるんだもん!!)



真剣な私の表情に気圧されたように、斎藤さんは再び言葉を発した。


「どこかで聞いたかもしれないが、俺には異動の話が出ている。それ自体は悪いことではないのだが……」


やっぱり、斎藤さんの異動は現実だったんだ。


彼は続ける。

「土方さんや千鶴と共に過ごせる今の店を、俺は非常に気に入っている。だから……離れるのは、後ろ髪引かれる思いなのだ」



お仕事第一の斎藤さんでも、感傷的な思いに悩まされることがあるんだ。

彼の新たな一面を垣間見た気がして、ちょっと嬉しい。



「せめて、千鶴が一緒に来てくれるのであれば……」

「え……?」


驚いて彼にまっすぐ顔を向ければ、力ない笑みを返された。


「情けない男だと思われるかもしれんが……酒の力でも借りねば、本音を表に出すことは、なかなか難しいからな」

「本音……ですか?」

「ああ。俺は、いつまでも千鶴と共にありたい。差し支えなければ……千鶴はどう思っているのか、聞かせてもらえないか」



決まっている。
私の気持ちは最初から、斎藤さんでいっぱいなんだから。

たとえ、あなたが私を見てくれなくたって、私はあなたを見つめ続けるつもりでいたんだもの。



「許されるのであれば、私は、どこまでも斎藤さんについていきます!!」


身を乗り出した私の勢いに、一旦見開いた目をスッと細めて、斎藤さんは優しく笑った。

「そうか……千鶴のその言葉で、俺も覚悟が決まった。礼を言う」





数日後。
世間では仕事納めの時期だが、私たちは通常営業。


北風の吹きすさぶ中、人事部の島田さんが、わが店舗を訪れた。

奥のスタッフルームで、彼と向かい合うのは、私だ。



「斎藤副店長が、新店長として異動、という話は聞いていますか?」

「はい」

「実は、その件で土方店長から相談を受けましてね」

「相談?土方さんから……ですか?」


島田さんは、大きくうなずいた。

「ええ。斎藤さんが、『異動するにあたって、雪村君を連れていきたい』、そう土方さんに願い出ているそうです」



斎藤さん……



「それで……土方さんはなんておっしゃってるんですか?」

固唾をのんで島田さんの返答を待つ。



「土方さんの考えは、『この店には雪村君が必要だから、手離すつもりはない』だそうです」


そうなんだ……

頼りにしてもらえるのは誇らしくありがたいけれど、やっぱり、斎藤さんとこれからも一緒にってのは、無理なのかな。



「ところがですね……」


うつむいていた私は顔を上げた。


「斎藤さんの気持ちは、とても強く固いものだったようです。もし、それが叶わないのであれば、自分と雪村君は退職して、二人で開業する……そう土方さんに迫ったそうです」

「…………」



それは初耳です。


『どこまでも斎藤さんについていきます』

確かに、私の本心からの言葉だ。

けれど、『斎藤さんと離れてしまうのは嫌だけど、会社の決定には従うしかないよね』という諦めも、同時にあった。


それなのに……

仕事にまっすぐで、土方さんをある意味崇拝している斎藤さん。

彼が『会社を飛び出すこともいとわない』という発言をしてまで、譲りたくなかったもの。

『未来は、自分の手で選びとっていくものだ』……ふふ、斎藤さんの、そんな声が聞こえてきそう。



「雪村君はどう考えているのか、聞かせてもらえますか?」



島田さんの声に、我に戻った。



私の気持ちは――

「私は、島田さんと土方さんがお決めになったことに従います。でも、自分の気持ちに忠実に発言させていただけるなら……」


ちらっと島田さんの顔を見れば、促すようにうなずいてくれる。


私は思い切って正直な気持ちを口にした。

「斎藤さんと同じお店で、一緒に働きたいです」





翌日、斎藤さんと私は、土方さんから二人そろっての異動を告げられた。


「千鶴までいなくなっちまうのは正直きついが……斎藤があそこまで思い詰めるなんざ、めったにあることじゃねぇからな」


苦笑いの土方さんに、私たちは深々と頭を下げた。





ねえ、斎藤さん。

『この会社を辞めて二人で新規開業』という、土方さんへの爆弾発言。

それは、私の人生をあなたに預ける……そういうことなんですよ。――


胸の内でそう語りかければ、斎藤さんの蒼い瞳が不思議そうに私を見つめる。



「ずっとついていきますから、ちゃんと責任とってくださいね」


いたずらっぽく微笑みながら言った私に、短く「ああ」とうなずいた斎藤さんは、耳まで真っ赤だった。

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