沖田さんが手招きしてる!
『沖田さんが手招きしてる!』
僕のお気に入り
馴染みの顔も、そうでない顔も、皆飲んで食べて楽しげに笑っている。
こういうアットホームな雰囲気が、うちの会社の良いところだよね。
やっぱり、近藤社長の人柄かな……。
なんて考えながら、ちょっと離れた上座で近藤社長と談笑している男性を見つめる。
本部でお仕事している沖田さん。
社員研修で見かけた彼が、なぜか脳裏に焼き付いて離れなくて……。
この気持ちが“恋”なのだと気付くまでに、そう時間はかからなかった。
だが、同じ市内とはいえ、店舗にいる私と彼とでは、なかなか接点がない。
普段めったにお目にかかれないだけに、こういうチャンスにしっかり目の保養をさせていただこう……
そう思って見惚れていたのが裏目に出たというべきか。
沖田さんの翡翠色の瞳と、ばっちり視線が合ってしまった上に、手招きされてしまった。
いや……もしかしたら、私の後ろに誰かいるのかも。
そう思って振り返ってみたけれど、背後には、人の出入りの度に開閉する襖しか見当たらなかった。
恐る恐る沖田さんの様子を窺うと、しびれを切らしたらしい彼は、立ち上がってこちらに歩み寄ってきた。
「千鶴ちゃん!なにやってるのさ。僕が呼んだら、すぐに来なくちゃだめじゃない」
その言葉だけ聞いたなら、とってもフレンドリーな関係の私たち?って感じがする。
けれど、実際は……
私から話しかけたことなんか一度もないし、そもそも業務内容以外の会話など出来るはずもない。
でも、今沖田さんの声で呼ばれたのは、紛れもなく私の名前!!
「すっすみません、すぐに……きゃあっ」
しびれた足がもつれ、立ち上がりかける格好でしりもちをついて後ろの襖に激突してしまった。
うぅ……これは恥ずかしすぎる……
痛みと羞恥で身動きできない私に、沖田さんが笑顔で近づいてきた。
「千鶴ちゃん、大丈夫?足がしびれてるなら、僕がおぶってあげようか?」
「いっ……いえ……大丈夫ですっ」
かがみこんで手を差し伸べながら、彼はニッコリと笑った……ように見えたが、その目には有無を言わせぬ圧力が込められていた。
「(ひい~!?)す…すすす、すみませんっ」
自力で立ち上がろうとする努力も虚しく、前のめりによろけた私は結局、沖田さんに抱えられるようにつかまりながら、座敷の真ん中を横切ったのだった。
破顔して迎えてくれた近藤社長のグラスにビールを注げば、彼は喉を鳴らしてそれを飲み干してくれた。
「沖田さんもビールでよろしいですか?」
「あ、僕は日本酒にして」
「ははは、総司……美人さんと飲む酒は、うまいもんだな」
社員みんなが一目置くだけあって、近藤さんは気さくで豪気で、とても器の大きい人だ。
そんな近藤さんを、沖田さんがすごく慕っている、という話は社内でも有名だ。
お猪口をちびちびと口に運びながら、沖田さんが言う。
「近藤さん、千鶴ちゃんが本部に来てくれたら、きっと近藤さんや僕の仕事も、今までよりずっとはかどると思うんですけど」
「なるほどそうかもしれんな」
感心したように答えた近藤さんは、私の方に体ごと向き直った。
「総司は君のことを大層気に入っているみたいだな」
「え?」
突拍子もない話題に、きっと私は、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていたに違いない。
「だから、後任が決まり次第、千鶴ちゃんは本部配属、僕の直属の部下ってことで……いいですよね、近藤さん?」
ん??
どうして、こんな宴会の場で大切な人事の話を?
しかも、沖田さんご自身のことならともかく、これって、明らかに私の処遇についての話だよね!?
高嶺の花である沖田さんと同じ空間にいられるのならば、それは確かに嬉しい。
しかし、一緒に仕事をするとなると、話は別だ。
今のままの私では、役に立てないどころか、彼の足を引っ張ってしまうに決まっている。
せっかく傍に行けても、「君って、思ってたより使えないね」なんて切り捨てられてしまったら……
幻滅されてしまったら……
それこそ、再起不能だ。
だったら、ちょっと離れた場所から憧れの対象として見つめていたい。
「あの……沖田さん」
「ん、なあに?」
怖いです、その笑顔……
だけど、自分の思っていることは、はっきり伝えなくちゃいけないよね。
「お気持ちはとってもありがたいのですが、私はまだまだ未熟者ですし……。お店でのお仕事を、自分が納得できる所まで続けたいなあ、なんて……」
「ふうん?」とにこやかな顔を向けてくれる沖田さんに、私はひきつった笑いを返すことしかできなかった。
「君が納得いくまでなんて、悠長に待ってられないよ。安心して?僕がみっちり鍛えてあげるから」
な……なんでどうして!?
何故そこまで私にこだわるのですか!?
「総司の言うことにも一理あるな」
「社長?」
私の縋るような眼差しも、近藤さんには伝わらなかったようだ。
「案ずるより産むが易しと言うじゃないか。誰だって、不慣れな仕事や環境には不安がつきまとうものだ。だが、君ならきっと大丈夫だ…な!総司」
沖田さんが満足げにうなずく。
それを受けて、近藤さんが続ける。
「君は若いのに大変優秀だと、総司から聞いている。その上に総司のサポートがあれば、鬼に金棒だ」
ひええぇ~……
私の本部勤務、決定なんですか!?
「おっと、そうなると早速、君の店の原田店長に話を通さばねならないな」
言うが早いか、近藤さんは席を立った。
ええ?ほんとにそれでいいんですか!?
残された沖田さんと私は、顔を見合わせた。
「あ、あの……」
どんな態度をとったらよいのかわからず、挙動不審になってしまう私に、彼は小さく舌を出した。
「ほんとはね、仕事云々なんてのは口実」
「は?」
思わず首をかしげると、彼はとびきりの笑顔を向けてくれた。
「千鶴ちゃんが傍にいてくれればいいのになって……それが僕の本音。仕事のスキルはどうにでもなる。君がいつでも、僕の目と手の届く所にいてくれる……それが、僕の本当の希望だからね」
え?なにこのドラマか漫画みたいな展開。
まさか……“ドッキリ”とか!?
とりあえず、現実的な疑問を彼にぶつけてみることにした。
「沖田さんと私は、ほとんど接点ありませんよね。なのに、なぜ……っ!?」
鼻と鼻がぶつかりそうなくらいに顔を近づけて私の目を覗き込んでくる沖田さんに、息をのむ。
「君は覚えてないかもしれないけど……去年のゴールデンウィーク明けの社員研修で、君を見かけて気に入っちゃったんだよね。いわゆる“一目惚れ”ってやつかな」
「覚えてます!私だって……あっ」
思わず両手で口を押さえたが、時すでに遅し。
彼は、勝ち誇ったように目を細めた。
「『私だって』……の続きはなにかな?」
「な……なんでもないです」
「ふうん……まあ、いいや。そうそう、この後、二人だけで二次会しようか。当然今の話を聞かせてもらいたいし、これからのことも話したいし」
憧れの沖田さん。
彼のお気に入りから、恋人へ、そして伴侶へ……
夢を見てるみたいだけど、お仕事も自分磨きもがんばって、彼にふさわしい女性になりたい。
そう強く願い、心に誓った年の瀬の出来事だった。
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