Solitaire〜第三夜〜
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注文を済ませ、茶で喉を潤すと、原田はビジネスバッグの中から一冊の雑誌を取り出した。
その表紙を見た千鶴の表情が強ばったことに気付いた彼は、申し訳なさそうに眉を下げて彼女の前にそれを差し出した。
「これ、開いて中を見てくれ」
原田の顔を窺うように、そっと目線だけを上げた千鶴は、観念したように小さくうなずくと表紙をめくった。
中に挟まれた数枚の写真。
『新生ナイトプラネタリウムの様子を源さんに報告するんだ』と原田が撮影した写真には、笑顔の千鶴がいる。
それについては、千鶴本人も承知していた。
まだ取り巻きの女たちが存在しなかった、原田が着任したての頃、彼に頼まれて受付に立ち、「井上さんお元気ですかー?」と口を丸く開けた瞬間、シャッターを切られたものだ。
「懐かしいです……井上さん、この写真ご覧になりましたかね?」
「ああ、会報と一緒に送ったからな。会報も『初心者にしては上出来』だって、一応及第点もらったし、千鶴のことも懐かしがってたぜ」
「そうですか……」
ややしんみりとした千鶴は、下に重なっていた写真を取り出すと不思議そうに目を瞬いた。
「あれ……?こんな写真、撮りましたっけ?」
すべての写真をバラバラに広げて確認した千鶴は、驚きの眼差しを原田に向けた。
彼は、バツが悪そうに小さく息を吐く。
「つまりだな……へそくりの正体は、こいつだ。大の男が仕事中に、これを眺めて呆けてた……なんざ、格好つかねぇだろ?」
写っていたのは、カメラの方を向いていない千鶴。
彼女に内緒で、原田が撮影したものに違いない。
エレベーターからプラネタリウムに向かう嬉しそうな千鶴、源さんに送る写真を撮った後のリラックスした表情、穏やかな横顔……
「い……いつの間に……!?」
顔を真っ赤にして絶句する千鶴に、原田がすまなそうに言う。
「さすがに、これを千鶴に見られちゃまずいだろ、って焦っちまって……。あん時は、嫌な思いさせちまったよな……本当に悪かった」
真剣な顔で頭を下げる原田に、千鶴はわたわたと手を振った。
「そんな……やめてください、原田さんが謝らなきゃならないことじゃありません」
「けど、毎週来てたプラネタリウムから遠ざかっちまうくらいに、俺が追いつめたってことだろ?」
千鶴は小さく笑った。
「来てよかった……嬉しいです。嫌われちゃったのかなって思ってましたから、そうじゃないってわかっただけで、充分です」
流れ星へのお願い事を前借りしちゃった感じです、と肩をすくめる千鶴に、再び原田が頭を下げる。
「本当に悪かった」
「もう、だから、やめてくださいって言ってるじゃないですか。結果よければ全てよし、です」
「だったら、また来てくれるよな?」
「もちろんです」
満面の笑みを浮かべる千鶴を見て安堵の息をもらした原田は、雑誌をパタンと閉じると、新たに取り出した写真をその上に並べた。
「これが、源さんとこの新しいプラネタリウムだ」
「わあ……」
顔を綻ばせる千鶴に向けた笑顔を、原田は、その時ちょうど料理を運んできた島田にも投げかけた。
「島田さんも見てやってくれるか? 源さんの新しい城だ」
千鶴の注文の品を配膳すると、島田は写真を覗き込んだ。
「ほぉ~これはまた、立派な城ですね。ああ、そういえば、つい先日、井上さんがご家族おそろいでいらしてくれましたよ。原田さんによろしく、ぜひこっちにも遊びに来てくれるよう伝えてくれ……とのことでした」
島田の話を嬉しそうに聞いている千鶴に、原田は穏やかに笑う。
「そんじゃ、ぜひとも偵察にいかねぇとな、千鶴」
「はい……って、私も行っていいんですか?」
「当たり前だ。俺たち二人、星空愛好会の仲間だろ?」
原田の膳を取りに戻るべく体を起こした島田は、快活に笑う。
「へぇ~いいですね、星空愛好会ですか。俺も入りたい……なんて野暮なこと言ったら、馬に蹴られそうなんでやめておきますよ」
「そうしてもらえるとありがてぇ……かもな?」
島田と原田の笑い声につられ、やや頬を赤く染めた千鶴も笑う。
時折向けられる、島田の見守るような視線に感謝しながら、二人は美味しい食事を楽しんだ。
*
賑やかな通りを抜け、車は北に向かう。
家々や店の明かりが少なくなるにつれ、心なしか二人の口数も減っていく。
赤信号で停まると、原田は、黙り込んだ千鶴に気遣わしげな視線を向けた。
「どうかしたか?やけに心細そうな顔してんじゃねぇか」
「いえ、そんなこと……その……念願の流星群に備えて、精神統一してるんです」
「そりゃ殊勝な心がけだ」と笑ってから、原田は続けた。
「俺がよく星を見に行くスポットがあるんだ。沢山の星を見るには、明かりが少ない方が都合がいい。人里離れてるからって、誓って、いかがわしい場所に向かってる訳じゃねえからな、安心してくれ」
そこで意味ありげに目を細める。
「ま、俺は、そういう場所でも大歓迎なんだけどな」
「………………」
返答に詰まった千鶴に、原田は苦笑いを浮かべる。
「……できれば、そこは笑うか突っ込むかしてほしいんだが」
「あ、ご……ごめんなさい……えと……もうっ原田さんってば何言ってるんですか!?……こんな感じでしょうか?」
「千鶴、おまえ突っ込みよりボケの方が得意だろ?」
「……さりげなく失礼なこと言ってませんか?」
「ん、そうだったか?」
さっきまでの、どことなく張りつめていた空気が、すっかり和んでいる。
――ああ、これは原田マジック――
緊張気味の自分に対する、彼の気遣いに違いない。
千鶴は心の中で感謝しながら、原田の隣の居心地のよさを、改めて感じていた。
やがて車は、高台の開けた場所に出た。
山頂に向かう道の途中にある、展望広場。
そこには既に、数台の車が点々と停まっていた。
「みんな、流星群を見に来てるやつらだな」
流星の数だけでいえば来週の方が多いのだが、月が明るくなるため、観測するなら今日の方がよいのだ――
原田のそんな説明を聞きながら、車の前に腰を下ろす。
「そういや、その辺の情報は会報に載せたんだったな」
「でも、この場で聞くと臨場感満載で、身の引き締まる思いです」
「なかなか気合い入ってんな」
笑いながら空を見上げる原田に、千鶴も倣う。
「本当なら、寝ころがって見るのが一番いいんだけどな」
時折、山道を通り過ぎる車の音が聞こえる以外は、星の瞬く音まで聴こえてきそうな静寂が辺りを包んでいる。
無言のまま空を見上げてしばらくたった頃、突然
「「あ!!」」
二人同時に声をあげ、顔を見合わせた。
「今、流れましたよね?」
「ああ、願い事は三回唱えられたか?」
「!」
「その様子じゃ、忘れてたな」
「はい……でも、今度こそ!」
どれだけの時間、そうしていただろうか。
夜空を彩る夏の星座たちは、西へとそれぞれの居場所を移していた。
「千鶴」
「はいっ」
幾つもの流れ星を実際目にした感激で、嬉しそうに瞳を輝かせながら、千鶴は原田に顔を向けた。
と同時に、唇に柔らかな熱が触れた。
ほんの一瞬。
驚いて原田を見つめる千鶴の頭を、彼はそっと撫でた。
「そろそろ帰るか」
「……はい」
本当は、いつまでもこうしていたい。
大好きな人と、大好きな星空を見上げる……
こんな幸せな時間を過ごせるなんて、昨日までの自分には想像も出来なかったことだ。
名残惜しいのは山々だが、きっと、原田は明日も勤務があるのだろう。
「さて、と」
立ち上がって伸びをする原田に続き、千鶴も慌てて立つ。
「ありがとうございました、この目で流星群を見られたなんて……なんだか、夢みたいで実感がわきません」
原田は、千鶴の頭をワシャワシャと撫でた。
「夢なんかじゃねぇさ。俺が証人になってやる」
くすぐったそうに身を縮める千鶴は、独り言のようにつぶやく。
「こうして原田さんとお話してること自体、夢みたいなんですけどね」
撫でる手を止めて、原田は千鶴に目線を合わせた。
「明日も一緒に飯食うか」
「え!?……あの……本当ですか?」
今日はこのまま『さよなら』しても、また明日、一緒の時間を過ごせる……
――たくさんの星が流れたから、嬉しいこともたくさんなのかな――
そんなことを思いながら、千鶴は助手席に乗り込んだ。
*
慣れた様子で車を停めた原田がエンジンを切った。
千鶴が周囲を見渡すと、着いた所は見知らぬマンションの駐車場だった。
「すみません……ここはどこでしょうか?」
「悪ぃ……眠気が限界でな。これ以上走ったら、多分居眠り運転になっちまう。明日ちゃんと送るから、すまねぇが今晩は、俺の部屋で我慢しちゃあくれねえか?」
「そんな、これ以上ご迷惑をおかけする訳にはいきません。大丈夫です、タクシーで帰れます。今日は本当にありがとうございました」
「ちょっと待てって」
シートベルトをはずし、ドアに手をかけようとした千鶴の腕を、原田がつかんだ。
「せっかく久しぶりに会えたんだ、それに、俺たち両想い……ってことだよな?もう少し一緒にいてぇんだ」
「…………でも……」
千鶴の瞳が不安げに揺れるのを見てとり、原田は言い聞かせるように言葉を続けた。
「千鶴が嫌がることは絶対しねぇ、だから……そばにいてくれ」
「原田さん……」
まっすぐ座り直した千鶴は、わかりました、それじゃお邪魔します、と頭を下げた。
「失礼します……」
原田の後について、千鶴はおどおどと彼の部屋に入った。
本来ならば、自分が足を踏み入れるはずのない、原田のプライベートな領域。
余分なものがほとんどなさそうで、それ故に生活感のあまり感じられない部屋。
今までに、何人の女がここを訪れたのだろう。
詮索したところで、過去は過去。
親しくなる以前の、自分の知らない原田がいるのは当たり前のことなのだ。
ちょっぴりへこみかけた千鶴は、テーブルに『月刊星空』の最新号を見つけ、ほんの少し救われた気分になった。
鞄をソファの上に無造作に置くと、原田は千鶴の方に向き直った。
「一日お疲れさん。シャワーで、汗と疲れを流してきたらどうだ?」
「あの……でも……」
ん?と首をかしげてみせる原田に向かって、千鶴は言う。
「原田さん、明日もお仕事ですよね。先に休まれた方がよいのではありませんか?」
「ああ、気にすんな、明日は堂々の休日だ」
「え?あ、そうなんですか?」
「ま、かわりにお盆期間は、フル出動の出ずっぱりなんだけどな」
ニッと笑いながら、原田は千鶴の頭をポンポンと撫でた。
「だから、おまえが先に風呂済ませてこい」
「はい、それではお先に……」
千鶴の声には、なんとなく元気がない。
男の部屋で、これから起こるであろう事を警戒しているとか、逆に期待しているとか、そんな雰囲気でもない。
原田は、浮かない顔の千鶴の目を覗き込んだ。
「どうした?」
「いえ……なんでもないんです……ただ……」
「ただ?」
目を伏せた千鶴は、言おうか言うまいか逡巡していたが、次の言葉をじっと待っている原田に根負けするように、口を開いた。
「今日の私と同じように、今まで何人もの女の人が、この部屋にいたのかな……って……」
真剣だった原田の表情が、困ったような苦笑いに変わった。
「そりゃ、俺だっていい年の男だ。今まで何にもなかった、なんて白々しいことを言うつもりはねえよ。けど……信じてもらえるかわからねぇが、この部屋には誰も入れてない」
「まさか」
原田は、ポリポリと鼻の頭を掻いた。
「まあ……ぶっちゃけ、言い寄って来てくれる女には不自由してなかったし、特別断る理由もなかったんで、これまで何人かと付き合ったのは事実だ」
千鶴は、神妙な顔でうなずく。
「それでも……今思えば、俺自身が心から欲しがってた訳じゃなかったんだよな。会うのはホテルか相手の部屋。自分のテリトリーに入れてもいいって思った女は……千鶴……おまえが初めてだ」
「原田さんなら、より取り見取りですものね」
原田は吹き出し「おい、そこでの台詞はそれじゃねぇだろ」と千鶴の頭を小突いた。
「とにかくだ。信じるか信じないかはおまえの自由だが、俺は生半可な気持ちでおまえをこの部屋に連れて来た訳じゃない」
じっと原田の目を見てから、千鶴はにっこりと微笑んだ。
「私は、原田さんのことを信じます」
・・・最終夜に続く
*
その表紙を見た千鶴の表情が強ばったことに気付いた彼は、申し訳なさそうに眉を下げて彼女の前にそれを差し出した。
「これ、開いて中を見てくれ」
原田の顔を窺うように、そっと目線だけを上げた千鶴は、観念したように小さくうなずくと表紙をめくった。
中に挟まれた数枚の写真。
『新生ナイトプラネタリウムの様子を源さんに報告するんだ』と原田が撮影した写真には、笑顔の千鶴がいる。
それについては、千鶴本人も承知していた。
まだ取り巻きの女たちが存在しなかった、原田が着任したての頃、彼に頼まれて受付に立ち、「井上さんお元気ですかー?」と口を丸く開けた瞬間、シャッターを切られたものだ。
「懐かしいです……井上さん、この写真ご覧になりましたかね?」
「ああ、会報と一緒に送ったからな。会報も『初心者にしては上出来』だって、一応及第点もらったし、千鶴のことも懐かしがってたぜ」
「そうですか……」
ややしんみりとした千鶴は、下に重なっていた写真を取り出すと不思議そうに目を瞬いた。
「あれ……?こんな写真、撮りましたっけ?」
すべての写真をバラバラに広げて確認した千鶴は、驚きの眼差しを原田に向けた。
彼は、バツが悪そうに小さく息を吐く。
「つまりだな……へそくりの正体は、こいつだ。大の男が仕事中に、これを眺めて呆けてた……なんざ、格好つかねぇだろ?」
写っていたのは、カメラの方を向いていない千鶴。
彼女に内緒で、原田が撮影したものに違いない。
エレベーターからプラネタリウムに向かう嬉しそうな千鶴、源さんに送る写真を撮った後のリラックスした表情、穏やかな横顔……
「い……いつの間に……!?」
顔を真っ赤にして絶句する千鶴に、原田がすまなそうに言う。
「さすがに、これを千鶴に見られちゃまずいだろ、って焦っちまって……。あん時は、嫌な思いさせちまったよな……本当に悪かった」
真剣な顔で頭を下げる原田に、千鶴はわたわたと手を振った。
「そんな……やめてください、原田さんが謝らなきゃならないことじゃありません」
「けど、毎週来てたプラネタリウムから遠ざかっちまうくらいに、俺が追いつめたってことだろ?」
千鶴は小さく笑った。
「来てよかった……嬉しいです。嫌われちゃったのかなって思ってましたから、そうじゃないってわかっただけで、充分です」
流れ星へのお願い事を前借りしちゃった感じです、と肩をすくめる千鶴に、再び原田が頭を下げる。
「本当に悪かった」
「もう、だから、やめてくださいって言ってるじゃないですか。結果よければ全てよし、です」
「だったら、また来てくれるよな?」
「もちろんです」
満面の笑みを浮かべる千鶴を見て安堵の息をもらした原田は、雑誌をパタンと閉じると、新たに取り出した写真をその上に並べた。
「これが、源さんとこの新しいプラネタリウムだ」
「わあ……」
顔を綻ばせる千鶴に向けた笑顔を、原田は、その時ちょうど料理を運んできた島田にも投げかけた。
「島田さんも見てやってくれるか? 源さんの新しい城だ」
千鶴の注文の品を配膳すると、島田は写真を覗き込んだ。
「ほぉ~これはまた、立派な城ですね。ああ、そういえば、つい先日、井上さんがご家族おそろいでいらしてくれましたよ。原田さんによろしく、ぜひこっちにも遊びに来てくれるよう伝えてくれ……とのことでした」
島田の話を嬉しそうに聞いている千鶴に、原田は穏やかに笑う。
「そんじゃ、ぜひとも偵察にいかねぇとな、千鶴」
「はい……って、私も行っていいんですか?」
「当たり前だ。俺たち二人、星空愛好会の仲間だろ?」
原田の膳を取りに戻るべく体を起こした島田は、快活に笑う。
「へぇ~いいですね、星空愛好会ですか。俺も入りたい……なんて野暮なこと言ったら、馬に蹴られそうなんでやめておきますよ」
「そうしてもらえるとありがてぇ……かもな?」
島田と原田の笑い声につられ、やや頬を赤く染めた千鶴も笑う。
時折向けられる、島田の見守るような視線に感謝しながら、二人は美味しい食事を楽しんだ。
*
賑やかな通りを抜け、車は北に向かう。
家々や店の明かりが少なくなるにつれ、心なしか二人の口数も減っていく。
赤信号で停まると、原田は、黙り込んだ千鶴に気遣わしげな視線を向けた。
「どうかしたか?やけに心細そうな顔してんじゃねぇか」
「いえ、そんなこと……その……念願の流星群に備えて、精神統一してるんです」
「そりゃ殊勝な心がけだ」と笑ってから、原田は続けた。
「俺がよく星を見に行くスポットがあるんだ。沢山の星を見るには、明かりが少ない方が都合がいい。人里離れてるからって、誓って、いかがわしい場所に向かってる訳じゃねえからな、安心してくれ」
そこで意味ありげに目を細める。
「ま、俺は、そういう場所でも大歓迎なんだけどな」
「………………」
返答に詰まった千鶴に、原田は苦笑いを浮かべる。
「……できれば、そこは笑うか突っ込むかしてほしいんだが」
「あ、ご……ごめんなさい……えと……もうっ原田さんってば何言ってるんですか!?……こんな感じでしょうか?」
「千鶴、おまえ突っ込みよりボケの方が得意だろ?」
「……さりげなく失礼なこと言ってませんか?」
「ん、そうだったか?」
さっきまでの、どことなく張りつめていた空気が、すっかり和んでいる。
――ああ、これは原田マジック――
緊張気味の自分に対する、彼の気遣いに違いない。
千鶴は心の中で感謝しながら、原田の隣の居心地のよさを、改めて感じていた。
やがて車は、高台の開けた場所に出た。
山頂に向かう道の途中にある、展望広場。
そこには既に、数台の車が点々と停まっていた。
「みんな、流星群を見に来てるやつらだな」
流星の数だけでいえば来週の方が多いのだが、月が明るくなるため、観測するなら今日の方がよいのだ――
原田のそんな説明を聞きながら、車の前に腰を下ろす。
「そういや、その辺の情報は会報に載せたんだったな」
「でも、この場で聞くと臨場感満載で、身の引き締まる思いです」
「なかなか気合い入ってんな」
笑いながら空を見上げる原田に、千鶴も倣う。
「本当なら、寝ころがって見るのが一番いいんだけどな」
時折、山道を通り過ぎる車の音が聞こえる以外は、星の瞬く音まで聴こえてきそうな静寂が辺りを包んでいる。
無言のまま空を見上げてしばらくたった頃、突然
「「あ!!」」
二人同時に声をあげ、顔を見合わせた。
「今、流れましたよね?」
「ああ、願い事は三回唱えられたか?」
「!」
「その様子じゃ、忘れてたな」
「はい……でも、今度こそ!」
どれだけの時間、そうしていただろうか。
夜空を彩る夏の星座たちは、西へとそれぞれの居場所を移していた。
「千鶴」
「はいっ」
幾つもの流れ星を実際目にした感激で、嬉しそうに瞳を輝かせながら、千鶴は原田に顔を向けた。
と同時に、唇に柔らかな熱が触れた。
ほんの一瞬。
驚いて原田を見つめる千鶴の頭を、彼はそっと撫でた。
「そろそろ帰るか」
「……はい」
本当は、いつまでもこうしていたい。
大好きな人と、大好きな星空を見上げる……
こんな幸せな時間を過ごせるなんて、昨日までの自分には想像も出来なかったことだ。
名残惜しいのは山々だが、きっと、原田は明日も勤務があるのだろう。
「さて、と」
立ち上がって伸びをする原田に続き、千鶴も慌てて立つ。
「ありがとうございました、この目で流星群を見られたなんて……なんだか、夢みたいで実感がわきません」
原田は、千鶴の頭をワシャワシャと撫でた。
「夢なんかじゃねぇさ。俺が証人になってやる」
くすぐったそうに身を縮める千鶴は、独り言のようにつぶやく。
「こうして原田さんとお話してること自体、夢みたいなんですけどね」
撫でる手を止めて、原田は千鶴に目線を合わせた。
「明日も一緒に飯食うか」
「え!?……あの……本当ですか?」
今日はこのまま『さよなら』しても、また明日、一緒の時間を過ごせる……
――たくさんの星が流れたから、嬉しいこともたくさんなのかな――
そんなことを思いながら、千鶴は助手席に乗り込んだ。
*
慣れた様子で車を停めた原田がエンジンを切った。
千鶴が周囲を見渡すと、着いた所は見知らぬマンションの駐車場だった。
「すみません……ここはどこでしょうか?」
「悪ぃ……眠気が限界でな。これ以上走ったら、多分居眠り運転になっちまう。明日ちゃんと送るから、すまねぇが今晩は、俺の部屋で我慢しちゃあくれねえか?」
「そんな、これ以上ご迷惑をおかけする訳にはいきません。大丈夫です、タクシーで帰れます。今日は本当にありがとうございました」
「ちょっと待てって」
シートベルトをはずし、ドアに手をかけようとした千鶴の腕を、原田がつかんだ。
「せっかく久しぶりに会えたんだ、それに、俺たち両想い……ってことだよな?もう少し一緒にいてぇんだ」
「…………でも……」
千鶴の瞳が不安げに揺れるのを見てとり、原田は言い聞かせるように言葉を続けた。
「千鶴が嫌がることは絶対しねぇ、だから……そばにいてくれ」
「原田さん……」
まっすぐ座り直した千鶴は、わかりました、それじゃお邪魔します、と頭を下げた。
「失礼します……」
原田の後について、千鶴はおどおどと彼の部屋に入った。
本来ならば、自分が足を踏み入れるはずのない、原田のプライベートな領域。
余分なものがほとんどなさそうで、それ故に生活感のあまり感じられない部屋。
今までに、何人の女がここを訪れたのだろう。
詮索したところで、過去は過去。
親しくなる以前の、自分の知らない原田がいるのは当たり前のことなのだ。
ちょっぴりへこみかけた千鶴は、テーブルに『月刊星空』の最新号を見つけ、ほんの少し救われた気分になった。
鞄をソファの上に無造作に置くと、原田は千鶴の方に向き直った。
「一日お疲れさん。シャワーで、汗と疲れを流してきたらどうだ?」
「あの……でも……」
ん?と首をかしげてみせる原田に向かって、千鶴は言う。
「原田さん、明日もお仕事ですよね。先に休まれた方がよいのではありませんか?」
「ああ、気にすんな、明日は堂々の休日だ」
「え?あ、そうなんですか?」
「ま、かわりにお盆期間は、フル出動の出ずっぱりなんだけどな」
ニッと笑いながら、原田は千鶴の頭をポンポンと撫でた。
「だから、おまえが先に風呂済ませてこい」
「はい、それではお先に……」
千鶴の声には、なんとなく元気がない。
男の部屋で、これから起こるであろう事を警戒しているとか、逆に期待しているとか、そんな雰囲気でもない。
原田は、浮かない顔の千鶴の目を覗き込んだ。
「どうした?」
「いえ……なんでもないんです……ただ……」
「ただ?」
目を伏せた千鶴は、言おうか言うまいか逡巡していたが、次の言葉をじっと待っている原田に根負けするように、口を開いた。
「今日の私と同じように、今まで何人もの女の人が、この部屋にいたのかな……って……」
真剣だった原田の表情が、困ったような苦笑いに変わった。
「そりゃ、俺だっていい年の男だ。今まで何にもなかった、なんて白々しいことを言うつもりはねえよ。けど……信じてもらえるかわからねぇが、この部屋には誰も入れてない」
「まさか」
原田は、ポリポリと鼻の頭を掻いた。
「まあ……ぶっちゃけ、言い寄って来てくれる女には不自由してなかったし、特別断る理由もなかったんで、これまで何人かと付き合ったのは事実だ」
千鶴は、神妙な顔でうなずく。
「それでも……今思えば、俺自身が心から欲しがってた訳じゃなかったんだよな。会うのはホテルか相手の部屋。自分のテリトリーに入れてもいいって思った女は……千鶴……おまえが初めてだ」
「原田さんなら、より取り見取りですものね」
原田は吹き出し「おい、そこでの台詞はそれじゃねぇだろ」と千鶴の頭を小突いた。
「とにかくだ。信じるか信じないかはおまえの自由だが、俺は生半可な気持ちでおまえをこの部屋に連れて来た訳じゃない」
じっと原田の目を見てから、千鶴はにっこりと微笑んだ。
「私は、原田さんのことを信じます」
・・・最終夜に続く
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