Solitaire〜第一夜〜
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駅前の老舗デパートの最上階に、半年ほど前、小さなプラネタリウムがオープンした。
毎週、金曜の夜だけの投影というこじんまりとしたものだが、主に仕事帰りの天文ファンが人工の星空を楽しんでいる。
千鶴も、そんな中の一人。
星を見るのもプラネタリウムを見るのも大好きな彼女は、オープン当初から欠かさず、この“ナイトプラネタリウム”に足を運んでいた。
しかし先週は、売り場改装の影響でまさかの休館。
遠出すれば科学館のプラネタリウムを見ることができるが、一日の仕事をやっと終えた身に、そこまでのエネルギーもない。
結局二週間ぶりとなる、今日。
夜のデパートに出かけ、エレベーターを降りた千鶴は目を疑った。
受付のスタッフが変わっているではないか。
以前のお父さん的な雰囲気の係員さんとは全くタイプの異なる、赤い髪で超のつくイケメン。
着るものと周りの景色を変えれば、ホストと言っても充分とおりそうなその男に、千鶴は足がすくんだ。
だが、せっかく楽しみにやって来た星空を、みすみす諦める訳にはいかない。
“原田”というネームプレートをつけた彼に、今日でいっぱいになるポイントカードを提示しながら勇気を振り絞って問いかけた。
「井上さんは……いつもの方はどうかなさったんですか?」
「ああ、もしかして源さんの言ってたお客さんか?」
「源さん……?」
首をかしげる千鶴に、彼は柔らかく微笑みながら言った。
「源さ……井上は、先月オープンした、うちの新店舗に異動になったんだ」
「えぇっ!?」
異動って、そんな急に決まるものなの??
千鶴の疑問を見すかしたように、原田が続ける。
「そこでもプラネタリウムをって話が急に持ち上がってな。ここみてえなちんまりしたもんじゃなく、日中の投影もする本格的なやつだ。その企画から運営までを一手に引き受けるってことだから、華々しい栄転だな」
「それじゃあ……もうここにいらっしゃることはないんですか?」
もう会えなくなってしまうのならば、お世話になったお礼の言葉くらい伝えたかった……
そんな思いの千鶴に、原田が答える。
「ここ半月でトントン拍子に進んだ話でな、『大の星好きでそろそろカードがいっぱいになる常連さんがいる、ご挨拶できなくて申し訳ない、よろしく伝えてくれ』って言われてたんだが……嬢ちゃんのことだよな?」
「……私、小さくたってこのプラネタリウムが大好きなんですけど……」
自分にとって居心地の良い場所。
いつもと同じ席に座り、いつもと変わらぬ天空の星たちを楽しみたかっただけなのに……
急展開な出来事に、変化というものがあまり好きではない千鶴は、小さくため息をついた。
*
どちらにしても、あとひとつスタンプを押してもらえば、次の一回は無料で観覧できる。
馴染みになった係員さん、それも星にかなり詳しかった井上さんが急にいなくなってしまったのは残念だが、栄転ならば喜んで送り出して差し上げるべきだよね……。
瞬時にあれこれ思考をめぐらせている千鶴がしょんぼりしているように見えたのか、原田が神妙な顔で口を開く。
「受付に座ってんのが、井上さんじゃなくてがっかりしたか?」
「あ、いえ……井上さんとは、星空を愛する仲間同士みたいな感じでしたので……ちょっと寂しいですけど、おめでたいことですものね」
ぎこちない笑顔を浮かべた千鶴に、原田はにっこりと微笑む。
「じゃあ今日からは、俺が星空愛好会の同士ってことで、よろしくな」
屈託なく差し出された右手に、千鶴は戸惑った。
――握手なんて、初対面のイケメンさんと気軽にできるわけないじゃないですか!?わ、私にどうしろと……?――
困った挙げ句、千鶴は彼の手に、一回無料観覧券となったポイントカードをのせた。
「こんなものしか差し上げられなくて申し訳ありませんが、星空仲間歓迎の気持ち、ということで……」
一瞬きょとんとした原田は、プッと吹き出すと声を立てて笑い始めた。
「こりゃいいや……」
「わ、笑うんなら返してください!」
顔を赤くして手を伸ばす千鶴を、「悪い悪い」と原田がなだめる。
「いやあ、あんまりにも可愛いことをしてくれるんで、面食らっただけだ。気を悪くさせちまったんなら謝る」
「いえ……こちらこそごめんなさい。スタッフの方に、無料券なんて……どう考えたって笑えますよね」
だからやっぱり返してください、と広げられた千鶴の手のひらに、原田は新しいポイントカードを乗せた。
「来週、また来てくれるんだろ?こっちのいっぱいになったカードは、俺が預かっておく……それでいいか?」
「あ……はい」
「そうだ。ついでにこれも頼めるとありがてぇんだが」
原田は、バインダーにはさまれた用紙とボールペンを、カウンターの中から取り出して千鶴に差し出した。
「心機一転リニューアルってことで、新しいサービスを始めようと思ってな。毎月、投影プログラムのお知らせやら実際の星空情報やらを載せた会報を発行して、会員さんに郵送しようって内容だ。悪ぃがこれに記入してくれるか?」
「なんだか本格的ですね」
受け取った用紙に名前と住所を記入し、個人情報がどうのこうのという欄にチェックをし、原田に手渡す。
「お、ありがとうな……千鶴か、いい名前だな」
予想もしなかった言葉に、千鶴は頬が熱くなり、同時に警戒感を強める。
「んじゃ、星空愛好会の会報、楽しみにしててくれよ?ほら、もうすぐ始まるぞ」
投影開始間際にパタパタとやって来たお客たちを器用にさばきながら、原田はウィンクとともに小さく手を振った。
「…………はい、ありがとうございます」
そんなひと言をやっとのことで絞り出し、千鶴はプラネタリウムの中へと足を進めた。
*
それからというもの――
夜のプラネタリウムには、原田を目当てとする若い女性客が劇的に増えた。
充分予想されたことではあったのだが、静かに幻想的な空間を楽しみたい千鶴にとって、それはあまり嬉しいことではなかった。
エレベーターを降りてから受付にたどり着くまでのほんの短い間にも、女たちが原田にあれこれと質問を浴びせる声が響き渡る。
聞くつもりはなくとも耳に入ってしまうそれらの話から推測するに、普段の彼は紳士服フロアにいるらしい。
あの原田が、宝飾品売り場に常駐していたり外商担当だったりしたら、多分ものすごいことになったんじゃないか……
あえて、そういう配属をしなかったデパートの人事の采配に、千鶴はひそかに拍手を送りたかった。
行きも帰りも、そんな具合で受付には女があふれている。
だいぶメンバーは固定されてきたようで、まるでファンクラブのような様相を呈している。
彼女らをちらっと視界の隅っこに入れながら、千鶴は、すぐに目をそらして通り過ぎるのだった。
料金を支払い、カードにポイントをつけてもらう時の、形どおりの挨拶。
ここしばらく、原田とのやり取りはそれだけだ。
下手に会話を弾ませれば、女たちの視線が刺さって千鶴が嫌な思いをする。
そう案じた原田が、千鶴との距離に神経をつかっていたのだが、それを知る由もない彼女にしてみれば、何とも寂しいことだった。
――最近どうにも原田さんが素っ気ない気がするんだよね。なんていうか……言い表せない距離ができてしまったような……――
考えまいとしても常に、心の奥に魚の小骨のように引っかかっている。
そんな精神状態で見るプラネタリウムは、何だか色褪せて感じられた。
思えば、原田とは、ここのところ会話らしい会話というものをしていない。
初めて見かけた時は、井上とのあまりの雰囲気の違いに怖じ気づいた。
だが、ちょっと話をすれば、彼が意外に真面目な青年であることはすぐにわかった。
「会報で読みたい記事、何かないか?」
少年のような瞳でそう尋ねられ、妖艶な外見とのギャップに戸惑いながらも「時期的にペルセウス座流星群なんかいかがでしょうか?」そう答えたのが、まるで遠い昔のことのようだ。
「お、いいな、それ。んじゃ、その案を採用させてもらうとするか」
笑いながら頭を撫でる原田に、どうしていいかわからず、顔を真っ赤にして慌ててプラネタリウムに駆け込んだ……
あの頃は、純粋に楽しかった。
――何が変わってしまったんだろう?原田さんと一番最初に言葉をかわしたのは、私だったのに……――
何のためらいもなく彼の隣に立って、笑顔を振りまいている女たちに、言い知れない不快感を覚える。
『嫉妬』
そんな単語が頭に浮かんで、千鶴はうろたえた。
さらに、『華やかな女たちに囲まれる原田を目にするのがつらい――』そう感じる自分がいることに気づき、慄然とした。
「はぁ……」
大きなため息をこぼし、ぶんぶんと首を振った。
「羨むんじゃなく、自分から行動しなくちゃね」
・・・第二夜に続く
*
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