春告げる花

二人きりで過ごした初めての冬、そして、初めて迎える新しい季節。


「一さん、お帰りなさい」

待ちわびた斎藤の帰宅を、満面の笑みで出迎える千鶴。
我が家という安息の場所に戻り、肩の力が抜けた斎藤の左手には、ひと枝の梅が握られていた。

「桜折る馬鹿、梅切らぬ馬鹿という言葉もあるからな」

この寒さの中で咲き始めた梅の花を見つけ、可哀想かとは思いつつ、つい手折ってしまったのだ……斎藤はそう言いながら、枝を千鶴の前に差し出す。

「わあ、梅……もう春がそこまで来ているんですね」

花がほころぶような笑顔をみせる千鶴に、斎藤の表情も和らぐ。

まだ開ききらない蕾に鼻を近づけて、淡い香りを嗅ぎとろうとして、千鶴が思い出したようにつぶやく。

「そういえば、花器がありません」

寒さに閉ざされた季節、生けて愛でるべき花が身近になかったため、花器の準備が先延ばしになっていたのだ。


「そうだったな……では早速求めてくる」

くるりと踵を返した斎藤に千鶴が慌てて声をかける。

「待ってください!」

彼女の手は、斎藤の外套の裾をしっかとつかんでいた。

「どうした?」

「あ、あの……」

千鶴に向き直り、どうかしたのか?と彼女の顔を覗き込む斎藤。

「せっかくお帰りになったのに……また一人で待つのは嫌です」

思いがけない言葉に、斎藤はまじまじと千鶴を見つめた。


強さを秘めた女である、とは思っていた。
それでも、夫である自分に心配をかけまいと、寂しさを隠して強い振りをしている部分があるのだろう。

目の前の小さな肩と、不安げに自分を見つめる瞳に、愛しさが込み上げてくる。

――ああ、やはり俺たちは、互いにとって無くてはならぬ相手なのだ。――

生涯ともにあるに違いない、守るべき女と夫婦になれた幸せが、改めて斎藤の胸中を温もりで埋めつくす。


「わかった、明日仕事帰りに店に寄って来ることにしよう」

ホッと安堵の息を吐き、千鶴が頬をゆるめる。

「梅の枝さんとお花さん、今日は桶で我慢してくださいね」


水をはった桶に、ちょこんと生けられた小さな枝。
平穏な暮らしの一部として、ひっそりと、しかし誇らしく在る花。


「なんだか土方さんを思い出します」

「ああ、そうだな」


確かに同じ時を過ごした者たちの多くは、移り行く時代の中で鬼籍の人となり、いつしか思い出となった。

それでも変わらず季節は巡り、花は咲く。

寒空の中に一抹の暖かさの気配を感じとり、春を告げる梅一輪。



「きっと、綺麗に咲いてくれますね」

「ああ」


千鶴がそっとそっと蕾に触れ、斎藤はそんな彼女をいとおしそうに眺める。


まだまだ真冬の名残を感じさせる外気に比べ、二人の体温を含む室内。

その温度を春の訪れと勘違いしたのだろう。

ほころびかけだった蕾は、ゆっくりと、その一枚一枚の花びらを広げ始めていた。


  

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